第27話 光の向きが変わる
第27話。戒厳令下の王都で、二人は、堂々と、民を守ります。
そしてギルバートが、エレノアの罪を、民の前で暴く。
戒厳令下の王都は、朝から晩まで、灰色に沈んでいた。
武装した兵が、辻という辻に立つ。夜間の外出は禁じられ、逆らう者は問答無用で引き立てられた。パンの値は跳ね上がり、路地には途方に暮れた民があふれた。
守るための力ではない。抑えつけるための力だ。ギルバートは追い詰められて、ついにその仮面を脱ぎ捨てた。
息が詰まるような日々だった。だがその日、市場の広場で、その澱んだ空気を破る事件が起きた。
王家の兵が、パンを盗んだという罪で、痩せた少年を袋叩きにしていた。母親が泣いて止める。だが兵は、槍の柄で母親まで殴り倒した。
誰も止められなかった。逆らえば、自分も同じ目に遭う。民はうつむき、こぶしを握りしめたまま、通り過ぎるしかなかった。憤りは胸のなかで燻り、けれど声にはならない。恐怖が、この街の口を、固く閉ざしていた。
その人垣を割って、泥色の外套の男が進み出た。
「そこまでにしておけ」
アレンだった。指名手配の、お尋ね者。だが、その声に迷いはなかった。
「子ども一人の、盗んだパンひとつだ。それを、大の大人が寄ってたかって。……おまえたちの守る王家ってのは、そんなにちっぽけなものか」
「な……この顔、お尋ね者のアレンだ! であえ、であえ! 捕らえろ!」
兵たちが槍を向ける。アレンは金剛盾ひとつで、その悉くを受け、はじき返した。一人も殺さず、ただ殴り倒すだけで。
倒れた兵の呻きが石畳に転がる。残った者たちが息をのみ、じりと後ずさった。その隣に、白金の光が並んだ。
「英雄エレノアも、共にあります」
凛としたその声が、恐怖にすくんだ広場の空気を、まっすぐに切り裂いた。
エレノアの聖光が、倒れた母子をそっと包み、癒やしていく。殴られた母親の頬の腫れが、みるみる引いていった。パンを握りしめた少年が、ぽかんと二人を見上げる。
二人は民を守るために、堂々と白日の下に姿を現した。もう隠れない。逃げない。お尋ね者と指をさされようと、守るべき者が目の前で踏みにじられているなら、出ていく。それが、この二人の選んだ生き方だった。
兵たちが応援を呼ぼうとする。だが、集まってきた民が、いつのまにか二人を囲むように立っていた。兵と二人のあいだに、壁を作るように。誰が命じたわけでもない。ただ、守られた者たちが、今度は守る側に立とうとしていた。
広場に、どよめきが広がった。
「あれは……地竜から街を守った……」
「大祭で、誰も死なせなかった……」
「お尋ね者じゃ、なかったのか……?」
高札は二人を大逆の徒と書いた。だが、いま民がその目で見ているのは、王家の兵から民を守る、二人の姿だった。
与えられた物語と、自分の目で見たもの。その食い違い。民の心のなかで、天秤が静かに傾きはじめた。
光ばかりを崇めてきた国。その光の向きが、いま少しずつ変わろうとしていた。虚飾の王家から、泥をくぐった本物の二人へ。
だが、ギルバートも黙ってはいなかった。
その日の夕刻。王家の伝令が、広場という広場で、新たな触れを読み上げた。
「――英雄エレノアは、偽りの英雄である! その者は、かつて王家の忠臣スロウンを闇に葬った、人殺しである! 清らかな聖女の顔の裏で、人を手にかけた悪女なり!」
民がざわめいた。それは事実だった。エレノアの、隠してきた罪。ギルバートは、それを切り札として切ってきたのだ。二人への信頼を、内側から崩すために。
エレノアの顔がこわばった。ずっと恐れてきた瞬間。民の前で、罪を暴かれる。憧れの英雄が人殺しだと、知られる。
だが、アレンが民の前に進み出た。そして、はっきりと言った。
「ああ、事実だ」
どよめきが大きくなる。エレノアがはっと息をのんだ。まさか認めるとは。庇うために否定してくれる。そう思っていた。だがアレンは、この期に及んでも嘘をつかなかった。
「この女は人を殺した。俺を探すために。俺を闇に売ろうとした裏切り者を、な。……手を汚した。清らかなだけの英雄じゃない」
アレンはエレノアの手を取った。人目もはばからず、民全員の見ている前で。
その手がかすかに震えているのが分かった。恐れているのだ。この告白で、彼女への信頼が崩れることを。アレンはその手を強く握り返した。大丈夫だ、と伝えるように。
「だが、俺はこの女を誇りに思う。こいつは、俺のために地獄に堕ちる覚悟をした。その罪も痛みも全部抱えて、それでも民を守るために、ここに立ってる。……人殺しの英雄で、けっこうだ。虚飾で塗り固めた、おまえたちの『清らかな英雄』より、よっぽど本物だ」
広場が静まりかえった。
やがて、群衆のなかから、しわがれた声がひとつあがった。
「わしは、あの英雄様に孫を助けられた。人殺しだろうが、なんだろうが。わしにとっては、恩人じゃ」
続いて、若い女の声。「私も、あの方の光に救われました」。ひとつ、またひとつと声が重なっていく。「逃げなかった」「罪を認めて、それでも庇った」「あんな王家より、ずっと信じられる」。
完璧な嘘の英雄より、傷を抱えて隣に立つ本物の二人を、民は選びはじめていた。
ぱち、ぱち、と、まばらな拍手が起きた。それは大祭のときと同じように、みるみる広場じゅうに広がっていく。ギルバートの触れを読み上げた伝令が、青ざめて立ち尽くした。罪を暴いたはずが、その暴露は、二人を貶めるどころか、かえって民の心を二人へと傾けてしまった。
嘘で塗り固めた英雄は脆い。ひとつの綻びで崩れる。だが、罪ごとさらけ出した本物は、崩れようがなかった。もう、隠すものがないのだから。
エレノアの目から、涙がこぼれた。四年ものあいだ、胸の奥に鍵をかけて隠してきた罪が、いま彼の手によって、白日の下で赦された。裁かれると信じていた場所で、逆に抱きとめられたのだ。恐れていた瞬間が、いちばん救われる瞬間に変わっていた。
「……ずるい人。こんな大勢の前で、そんなことを言うなんて」
涙のなかで、彼女はくしゃりと笑った。恐れていた瞬間が、生涯でいちばん幸せな瞬間に変わっていた。
その夜、屋敷の隠れ家に、密偵から一報が届いた。
王太子ギルバートが、王家の禁書庫を開かせた、という。四年前、魔王を倒したあと、封印されたはずの――魔王の残滓。その禍々しい力に、手を伸ばしはじめた、と。
アレンの顔が険しくなった。
「……あの馬鹿。民の心が離れて、追い詰められて。とうとう、いちばん触れちゃいけないものに手を出したか」
「魔王の力を、その身に取りこむ気でしょうか」
「だろうな。断罪の神剣と、魔王の残滓。あの二つがひとつに合わされば……もはや、人ではない何かになる」
かつて命がけで倒した、あの災厄が、今度は人の身に宿ってよみがえろうとしている。皮肉にも、それを招くのは、その討伐の功績を横取りした男だった。アレンは窓辺に立ち、遠い王宮の灯を睨んだ。取り返すべき最後の武装が、いまや人を滅びに引きずり込む鍵に変わりつつある。
光の向きは変わった。民の心は、二人へと傾いた。だが、追い詰められたギルバートは、その座を守るために、この国そのものを滅ぼしかねない力に、手をかけた。
最後の戦いが、刻一刻と近づいていた。
読んでくださって、ありがとうございます。
「ああ、事実だ。だが、俺は、この女を誇りに思う」。恐れていた暴露が、いちばん救われる瞬間に変わる。嘘で固めた英雄は脆いが、罪ごとさらけ出した本物は、崩れません。
民の心が、虚飾の王家から、本物の二人へ。だが追い詰められたギルバートは、魔王の残滓に手を伸ばす。次回、決戦の前夜。




