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泥の勇者と白金の英雄 ~偽りの栄光を剥ぎ取る収集奇譚~  作者: 源三郎


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第24話 塔の底の合理

 第24話。塔の底で、四年ぶりの再会。合理の天才・レオンとの、駆け引きです。

 王宮の地下。夜陰に紛れ、二人はそこへ忍びこんだ。


 魔導研究塔は、地上ではなく、地の底へ向かって逆さに建っていた。螺旋の階段が、どこまでも下へと続いている。灯りは青白い魔導の光だけ。冷たく湿った空気が、肺を刺した。


 アレンとエレノアは警備の隙を縫い、その底を目指した。エレノアの聖光で見張りの目を眩ませ、アレンの金剛盾で罠をはじく。二人の連携は、もはや呼吸をするように自然だった。


 途中、いくつもの実験の跡を、二人は目にした。


 術式の失敗で炭化した動物の骨。禁呪の試作に使われたと思しき、囚人の名簿。この塔でどれだけの命が、レオンの兵器のために費やされたか。想像するだけで胸が悪くなる。


 壁際には、途中で放り出されたままの帳面が積み上がっていた。几帳面な筆跡で、無数の術式が書き連ねられ、そのどれもが人を殺すための理だった。天才の知性が、こんな場所で、こんなものだけを吐き出させられている。それ自体が、ひとつの拷問のように思えた。


「……ここも、地獄ですね」


 エレノアが顔をしかめた。アレンは無言でうなずいた。


 やがて二人は、塔の最下層へたどり着いた。


 そこは書物と術式の光に埋め尽くされた、異様な部屋だった。宙に浮かぶ無数の魔法陣。壁一面の、複雑な計算式。その中心に、痩せた男が背を丸めて座っていた。


 レオン。


 四年前より、ずっとやつれていた。落ちくぼんだ目、青白い肌。何日眠っていないのか、指先はインクと隈で汚れている。だが、その眼光だけは記憶のままに鋭かった。



「……来ると、思っていた」


 レオンは振り返りもせず言った。抑揚のない、あの声で。


「確率は六割二分。ボルドとクラリスを続けて落とした。次にこの塔へ来るのは、統計的に妥当だ。……久しぶりだな、アレン。生きていたか」


「おまえの、その計算高い口も、健在のようだな」


 その声に、憎しみは乗せなかった。ボルドのときとも、クラリスのときとも違う。レオンへの感情は、もっと複雑だった。この男の裏切りがいちばん鋭くこたえたのは、感情のない、純粋な損得勘定で切り捨てられたからだ。まるで、壊れた道具のように。


 アレンは部屋を見回した。中央の巨大な魔法陣。それがあの禁呪兵器の術式だと、直感した。廃鉱山を消し飛ばした、破壊の理。


「その禁呪兵器を、造らされてるそうだな。妹を人質に取られて」


 レオンのペンが、一瞬止まった。


「……そこまで調べはついているか。ならば、話は早い」


 彼はゆっくりと椅子を回し、アレンと正面から向き合った。


「そうだ。俺はミラのために、これを造っている。完成すれば、王太子は俺を殺す。それも計算済みだ。だが、俺が逆らえば、ミラはその前に死ぬ。……天才の頭脳も、たった一人の妹の前では無力でね」


 初めて、レオンの声に感情らしきものが滲んだ。ほんの、わずかに。


「笑えるだろう。あらゆる確率を読み切れる俺が、たった一人の病弱な妹の命という、たったひとつの変数のために、こうして鎖につながれている。……合理では割り切れないものが、この世にひとつだけあった。それが、俺の誤算だった」


 アレンはその横顔を見た。四年前、玉座の間でアレンを切り捨てた男。その男がいまは、誰かのために我が身を鎖に差し出している。人は変わる。あるいはもとから、こういう一面を隠していたのか。損得だけで生きてきたように見えて、この男もまた、たった一人を守るために全部を投げ出そうとしている。その姿は、皮肉にも、いまのアレン自身とよく似ていた。



「取引だ、レオン」


 アレンは単刀直入に切り出した。


「おまえの妹を助ける。おまえを、その鎖から解く。かわりに、その禁忌の魔導書を俺に渡せ」


 レオンはしばらく無言だった。その頭のなかで、猛烈な速さで計算が回っているのが分かった。損得。確率。裏切りの、期待値。


「……悪い話ではない。だが」


 レオンの唇が皮肉に歪んだ。


「おまえたちがミラを確実に助けられる保証は、どこにある? 失敗すればミラは死に、俺も死ぬ。それより、いまこの場でおまえたちを王太子に突き出すほうが、ミラの安全は少なくとも担保される。……そちらのほうが、合理的だ」


 言い終えるや、レオンは指を鳴らした。


 部屋の四方から、隠れていた衛士たちがいっせいに姿を現した。槍の穂先が、二人を取り囲む。罠。あるいは保険。レオンは二人を招き入れながら、同時に裏切る算段も抜かりなく済ませていたのだ。


 エレノアがとっさに、聖光の障壁を張った。だが、レオンの部屋は術式で守られ、聖光の効きが鈍い。ここは、あの男の庭だった。


「悪く思うな、アレン。これは、最も合理的な――」


「――選択、だろう」


 アレンはその言葉を引き取った。少しも驚いていなかった。


「四年前と同じ台詞だ。玉座の間で俺を切り捨てたときと、寸分たがわず。おまえは変わらないな。……だが、俺もそう来ると読んでた」


 レオンの眉が動いた。



 そのとき。


 塔のさらに上の階から、小さな悲鳴が響いた。少女の声。


 レオンの顔色が変わった。合理の仮面が、初めて剥がれる。


「ミラ……! なぜ、ここに……!」


 声が上ずっていた。合理も確率も、その悲鳴の前では意味をなさなかった。レオンは思わず、椅子から腰を浮かせた。


「おまえが俺たちを裏切ると読んで。先に、動かせてもらった」


 アレンは静かに言った。


「おまえが衛士を呼ぶあいだに、こっちはおまえの妹の居場所へ人をやった。エレノアの手の者だ。いまごろ、安全な場所へ逃がしてる。……おまえの人質は、もうギルバートの手にはない」


 レオンの頭脳が、めまぐるしく回転する。前提が崩れた。人質が消えれば、二人を突き出す合理は成り立たない。むしろいま、王太子に逆らえば――


「二択だ、レオン。おまえの得意な、二者択一だ」


 アレンは右手を差し出した。


「王太子に飼い殺しにされて、用済みに殺されるか。俺たちと組んで、妹と自由を取り返すか。……おまえの得意な計算で、どっちが得か、出してみろ」


 だが、それだけではなかった。


「それに、レオン。おまえのその禁呪兵器。……完成させる気は、本当にあったのか」


 アレンは中央の魔法陣を、あごで示した。


「廃鉱山は確かに消し飛んだ。だが、あれ以来ぱたりと進んでない。おまえほどの天才が、王太子に急かされて、なお遅らせてる。……わざと、だろう。完成すれば妹の盾を失うと知って、ぎりぎりのところで時を稼いでる」


 レオンの目が見開かれた。図星を突かれた顔だった。合理の裏に隠したささやかな抵抗を、見抜かれた顔。


「……いつから、そこまで」


「四年、泥をすすってると、人の嘘くらい、匂いで分かるようになる。おまえの嘘は、下手だ。誰かを守ろうとする嘘は、たいてい下手なもんだ」


 アレンは、差し出した手を引かなかった。


「おまえは妹を守るために、ぎりぎりで悪になりきれずにいる。だったら、こっちに来い。守るのを手伝ってやる。……一人で背負うのは、もうやめろ」


 塔の底で、合理の天才は、生まれて初めて、計算だけでは割り切れない選択を前にしていた。差し出された、その手の温度の意味を、うまく計算できずに。

 ありがとうございます。

 レオンは、二人を招き入れ、同時に裏切る算段もしていた。「最も合理的な選択」――四年前と同じ台詞。でも、アレンは、その計算の先を読んでいました。人質のミラを、先に逃がして。

 合理では割り切れない選択を前に、天才が、初めて揺らぐ。次回、ギルバートの非情が、その盤面ごと、ひっくり返します。

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