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泥の勇者と白金の英雄 ~偽りの栄光を剥ぎ取る収集奇譚~  作者: 源三郎


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第21話 選ばれなかった者へ

 第21話。クラリス編、決着。

 「価値のない命なんて、ひとつもない」。エレノアの言葉が、選ばれなかった聖女に、届くでしょうか。

 白金の光と青い光が、真っ向から拮抗する。祭壇の空気が悲鳴をあげるように軋んだ。


 エレノアは歯を食いしばり、己の命を注ぎ続けていた。月雫が奪おうとする、名もなき者たちの生命力。その流れに彼女自身の命を割りこませ、一身に肩代わりしていく。


 みるみる、彼女の頬から血の気が引いていった。白金の髪が艶を失い、細い体が小刻みに揺れる。命を燃やしているのだ。数百人ぶんの、命を。


「エレノア、無理をするな……!」


「大丈夫、です……これしき……」


 嘘だった。声は掠れ、膝はいまにも崩れかけている。それでも彼女は退かなかった。


 アレンはその前で金剛盾を振るい続けた。クラリスの命で動く衛士たちが、二人を止めようと殺到する。だが、その悉くをアレンが盾で受け、跳ね返した。肩の傷がまた開き、血が礼装を赤く染めていく。それでも一歩も引かなかった。


 守る者と、命を注ぐ者。攻めと支えが逆になった戦い。だが、二人の呼吸は噛み合っていた。以前よりも、ずっと深く。決裂を越えた二人の連携は、もう誰にも断てなかった。



 壇上のクラリスが、月雫の光を必死に強める。


「なぜ……なぜ、そこまでする……! その者たちは名もない、価値のない者たちよ! あなたが命を懸けるほどの値打ちなど、ないのに……!」


 叫びは悲鳴に近かった。


 クラリスには理解できなかった。選ばれない者のために、選ばれた者が命を投げ出す。その光景が、彼女の生きてきた理を根本から否定していたからだ。


 エレノアは青ざめた顔で、それでも微笑んだ。


「値打ちなんて、誰が決めるのですか」


 絞り出すような声だった。


「価値のない命なんて、ひとつもありません。あなたが孤児院で、そう教えられなかっただけ。……救われなかったあなたが、いちばん知っていたはずでしょう。選ばれない苦しみを」


 クラリスの目が見開かれた。



「あなたを選ばなかった世界が悪いのです。あなたが悪いのでは、ない」


 エレノアの言葉は刃ではなかった。倒れかけの体から絞り出されるそれは、憐れみだった。かつて選ばれなかった少女への、遅すぎる慈しみだった。


「でも、だからといって、あなたが別の誰かを選ばずに燃やしていい理由には、ならない。あなたがされて、いちばんつらかったことを。あなたが、してはいけない」


 クラリスの手から、月雫を掲げる力が抜けていく。


 この四年、いや、生まれてからずっと彼女を支えてきた理屈。価値のない者は消えていい――その理屈が、たった一人の命を賭けた行動によって、音を立てて崩れていく。


 誰も、彼女にはそうしてくれなかった。だから、彼女もしなかった。それだけの、悲しい連鎖だった。


「……わたくしは」


 聖女の頬を、一筋の涙が伝った。慈愛の仮面ではない、生身の涙が。作りものの微笑みの下に、ずっと閉じこめてきた幼い少女の涙が。



 その隙を、アレンは見逃さなかった。


 揺らいだ月雫へ、一足に跳ぶ。金剛盾で衛士を薙ぎ払い、壇上へ。伸ばした手が、青い宝珠を掴んだ。


 ――視界に、文字が浮かぶ。



  ――――【概念強奪 完了】――――

  【名称】深淵の月雫

  【来歴】本来は、生命を分かち合う慈しみの雫。歪めたのは、人の心。

  【状態】偽りの主より奪還。奪う雫から、分かつ雫へ。

  【収蔵効果】自動再生を獲得。エレノアとの魔力の相互リンク、解放。

  ――――――――――――――――



 月雫が光となって、アレンの内へ吸いこまれる。同時に、奪う流れが断たれた。隅で崩れていた者たちの呼吸がもどり、癒やされた者たちも光を失わない。エレノアの命の肩代わりと、月雫の奪還が、間一髪で噛み合ったのだ。


 誰も死ななかった。救われた者も、選ばれなかった者も。二人は、二兎をその手に掴んだ。


 広場がどよめいた。


 奇跡が止まった。なのに、繋がれていた病人は誰ひとり事切れない。それどころか、隅で倒れていたみすぼらしい者たちまでが、ゆっくりと身を起こしていく。


「死なない……止まったのに、誰も死なないぞ……!」

「あの隅の連中……あいつらも、生きてる……!」


 民は初めて見た。救われる者と切り捨てられる者を分けない救いを。天秤にかけない慈悲を。それがどういうものか、長くこの国が忘れていたものを。



「エレノア……!」


 だが、その代償に、エレノアが崩れ落ちた。命を、注ぎすぎたのだ。


 アレンは駆け寄り、細い体を抱きとめた。氷のように冷たい。呼吸が浅い。


 そのとき、奪ったばかりの月雫がアレンの内で脈打った。魔力の相互リンク。アレンは直感で、それを彼女へ流しこんだ。己の生命力を、月雫を通じてエレノアへ。


 今度は、アレンが肩代わりする番だった。


 やがて、エレノアの頬にかすかな赤みがもどる。薄く目を開けた。


「……アレン、様。私たち……守れ、ましたか。全部」


「ああ。全部だ。おまえのおかげで、一人も死なせなかった」


 エレノアが安堵に微笑む。その頬を、アレンはそっと包んだ。人目もはばからず。


「……よくやった。もう無理はするな。おまえが欠けたら、俺は道の途中で倒れちまう」


 それは、これまででいちばん素直な言葉だった。


 エレノアの目に、じわりと涙が滲む。だが今度は、命を注いだ疲れよりも、その一言の熱のほうが彼女を生かしているようだった。


「……そんな殺し文句、戦のあとに反則です」


「反則でも、本音だ」


 二人は疲れきった顔で、それでもどちらからともなく笑った。



 壇上に、クラリスがへたりこんでいた。もう抵抗する気力もない。


 民は混乱していた。信じていた奇跡の裏を目の当たりにして。だが、その広場では確かに一人も死ななかった。選ばれない者も救われたのだ。生まれて初めて。


 崩れた聖女を、アレンは見おろした。断罪の言葉は、出てこなかった。


「……おまえも、選ばれたかっただけなんだろう」


 クラリスは答えなかった。ただ、声を殺して泣いていた。選ばれなかった幼い日の、自分のために。


 アレンはクラリスに手を差し伸べなかった。だが、斬りもしなかった。


「おまえの罪は消えない。おまえが燃やした名もない連中は、返ってこない。……だが、おまえを殺してもあいつらは戻らない。だから、生きて償え。今度は選ばずに救ってみろ。おまえが、されたかったように」


 それが、アレンの下した裁きだった。殺すよりも重い。生きて、自分の罪と向き合わせる。ボルドのときと同じだった。だが、クラリスにはその言葉が、罰であると同時に、初めて与えられた赦しにも聞こえたのかもしれない。


 彼女は震える手で、顔を覆った。


「……ずるいわ。いまさら、そんな。……誰も、わたくしにそんなこと、言ってくれなかったのに」


 広場の隅で、奇跡の糧にされかけていた者たちが身を起こしていた。だが、そのなかに、もう二度と目を覚まさない者もいた。


 月雫に生気を吸われすぎた者。手遅れだった幾人か。アレンとエレノアが駆けつけるのが、間に合わなかった命。その骸を、家族が抱いて泣いていた。奇跡は止めた。だが、すでに枯らされた者は戻ってこない。


 アレンは、その動かぬ骸の前に膝をついた。かける言葉がなかった。クラリスをもっと早く止めていれば。あるいは、あの門前の母親のように、この者たちも救えたかもしれない。間に合わなかったという事実だけが、鉛のように腹の底へ沈んだ。


 勝った。奇跡の裏を暴いた。だが、取り返せないものは取り返せない。死んだ者は、詫びても償っても帰らない。それが、この戦いの動かせぬ代償だった。


 偽りは剥がれた。だが、そこに残ったのは痛快さではなく、深い哀しみだった。三つめの決着は、誰の胸にも苦い余韻を残していた。救った命の明るさと、救えなかった命の重さと。その両方を、抱えて。

 最後まで、ありがとうございます。

 選ばれなかった痛みが、クラリスを「救う者を選ぶ神」に変えた。その理屈を崩したのは、力ではなく、名もなき者のために命を賭ける、一人の姿でした。誰も死なせず、月雫を奪還。でも、残ったのは痛快さではなく、深い哀しみ。

 殺さず、生きて償わせる。アレンの裁きは、いつも、苦い。次回、その後始末と、王家の反撃が始まります。

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