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泥の勇者と白金の英雄 ~偽りの栄光を剥ぎ取る収集奇譚~  作者: 源三郎


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第2話 白金の檻

 第2話をお届けします。

 泥の底にいたアレンが、白金の英雄エレノアの屋敷へ。まぶしすぎる好意に、彼はどう向きあうのか。

 甘くて、少し重くて、でも温かい。そんな二人の距離感を書きました。ゆっくり見守っていただけたら嬉しいです。

 美しいものほど、檻に似ている。金の格子は、鉄の格子よりもずっと逃げにくい。


 馬車の窓の外を、王都の景色が流れていく。


 泥と灰色のスラムは遠ざかり、やがて白い石畳と手入れされた並木があらわれた。すれ違う人々が、みな英雄の紋章を見て頭をさげる。


 アレンは向かいの席のエレノアへ目をやった。彼女はさっきからこちらを見ている。まばたきさえ惜しむように。


「……そんなに見るな。減る」


「減りません。むしろ、見れば見るほど満ちていきます」


 真顔である。冗談ではないらしい。アレンは窓のほうへ視線を逃がした。頬のあたりが妙に落ち着かない。


 こんな感覚はいつ以来だろう。誰かから、曇りなく向けられる好意。四年、忘れていた温度だった。


 やがて馬車は、丘の上の屋敷に着いた。白亜の壁、磨かれた大理石、スラムの酒場が丸ごと十個は入りそうな玄関ホール。


 ならんだ使用人たちが、いっせいに膝を折る。だが、その礼はエレノアにではなかった。


「ようこそお帰りなさいませ、我らが主の――」


「客人だ」


 アレンは低くさえぎった。使用人たちが戸惑い、顔をあげる。


 エレノアは、くすりと笑った。


「いずれ慣れていただきます。この家のすべては、あなたのものですから」


 通されたのは、上階のひと間だった。


 仕立てのよい服が、寸法までぴたりと合っている。あらかじめ彼がここへ来ると分かっていたような、そんなあつらえだ。


 湯の張られた浴室、温かい食事、数年ぶりの人らしいもてなし。アレンは黙ってそれを受けながら、頭のどこかで冷たく計算していた。


 この厚遇には必ず裏がある。人の善意ほど高くつくものはない。四年前、それで一度、殺されかけた。


 食事のあと、応接の間に、招かれざる客が来た。


 着飾った若い騎士だった。エレノアに取り入ろうという貴族の子弟らしい。花束を抱え、泥のにおいの残るアレンを見て、露骨に鼻を鳴らす。


「英雄殿。このような薄汚れた者を屋敷に入れるとは。悪い虫がついたと、社交界で噂になりますぞ」


 その瞬間、部屋の空気が凍りついた。


 エレノアが席を立つ。さっきまでアレンに向けていた柔らかさは、跡形もなく消えていた。


「もう一度、言ってごらんなさい」


 声はおさえられていた。だからこそ恐ろしかった。聖光の魔力が、彼女の背後で刃のように立ちのぼる。


「この方を侮る舌は、この王都に要りません。次はありませんよ」


 騎士は花束を取り落とし、青ざめた顔で逃げ帰った。


 扉が閉まると、エレノアはふり返り、また花のように微笑んだ。切りかえの落差に、アレンは背すじが寒くなる。


「お見苦しいところを。……あなたを悪く言う声だけは、どうしても許せなくて」


 だが、そう言った直後、彼女の膝がかくんと折れた。とっさにアレンが腕を伸ばして支える。額に脂汗が浮いていた。


「おい」


「……大したことありません。聖光は使えば、そのぶん命を削るだけです。少し、脅しに込めすぎました」


 当代最強の英雄。だが、その力は無尽蔵ではなかった。長く振るえば倒れ、大技を放てばしばらく立てなくなる。世間が思うほど、この女は万能ではないのだ。


 しかも、とエレノアは苦い顔で続けた。


「困ったことに、私は表であなたを庇えません。英雄が素性の知れぬ男に肩入れした――そう知れた瞬間、王家はそれを口実に、私ごとあなたを潰しにきます。だから金も、屋敷も、裏の手配も、いくらでも用意します。でも、いざ戦いとなれば……表向きは、あなた一人の仕業にしなければならない」


 アレンは、支えた腕の中の頼りない重みを見おろした。差し出される助けには、必ず限界がある。結局、いちばん危ない場所には、自分一人で立つしかない。それはむしろ、慣れた話だった。


「かまわん。一人でやるのは得意だ」


 夜。暖炉の前でくつろいでいると、エレノアが盆を手にやってきた。膝をつき、彼の右手を取る。


「傷の手当てを。……毎日、してさしあげたいのです」


「いい。もう治らない」


「治らなくてもいいのです。私がふれたいだけですから」


 言いながら、彼女は布を湯に浸し、指の一本一本をていねいにぬぐっていく。壊れ物にふれるような、あの手つきで。


 アレンはされるがままだった。抗う気力よりも、掌に伝わる熱のほうが勝ってしまう。


 薪のはぜる音だけが、部屋に低く響いていた。


「……なぜだ」


 こらえきれず、アレンは問うた。


「なぜ、そこまでする。世界じゅうに崇められる英雄が、腱の切れた男に膝をつく。理由がないはずがない」


 エレノアの手が、ほんの一瞬だけ止まった。


 彼女は顔をあげ、目をそらさずに彼を見た。碧い瞳の奥に、底の見えない何かが揺れている。


「理由はあります。いつか、必ずお話しします」


 小さく、しかしはっきりと言った。


「でもいまは、これだけ。――私はあなたに生かされた。それだけで、この命はあなたのものなのです」


 その声には、崇拝や酔狂ではない、もっと重いものが沈んでいた。アレンは、何も言えなくなった。


 手当てを終えても、エレノアは彼の手を離さなかった。


「今夜は、そばにいてもいいですか」


「……は?」


「あなたが眠るまで。ただ、それだけです。夜はきっと、悪い夢を連れてきますから」


 図星だった。この四年、まともに眠れた夜はない。目を閉じれば、玉座の間の刃がよみがえる。


 アレンは口を開きかけて、やめた。断ろうとして、断れない。


「……好きにしろ。ただし、椅子だ」


 エレノアは、うれしそうにうなずいた。子どものように、ぱっと顔を輝かせて。


 その無防備な笑みを見て、アレンは思う。この女はいったい何を抱えて、俺のところへ来たのか。強すぎる好意は、ときに刃よりも人の心をかき乱す。


 夜が更けたころ、エレノアは一枚の布包みを持ってきた。


 ほどくと、なかから折れた剣が出てきた。刃は錆び、柄は焦げている。だが、アレンはそれを一目で見分けた。


「……これは」


「四年前、あの玉座の間の隅に捨てられていました。あなたが最初に握った、名もない鉄の剣です。私が、ずっと持っていました」


 アレンの胸の奥で、何かが軋んだ。


 勇者の証だった神域武装ではない。ただの修行時代の安剣。誰にとっても値打ちのない、折れた鉄。それを、この女は四年間、抱えていたというのか。


 ふるえる指で、彼は折れた剣にふれた。


 ――視界に、文字が浮かぶ。


  ――――【概念強奪 開始】――――

  【名称】無銘の鉄剣

  【来歴】少年が初めて手にした剣。幾千の朝を、共に迎えた相棒。

  【状態】折れてなお、魂は錆びず。

  【収蔵効果】精神耐性・大。『折れぬ心』を再収蔵。

  ――――――――――――――――


 折れた剣が、ひとすじの光となって、アレンの掌に吸いこまれていく。


 体の芯に、忘れていた熱がもどってくる。奪われても、まだ残っていたもの。彼の力の、いちばん深い一点だった。


 エレノアは、その光を、涙のにじむ目で見つめていた。


「やはり。あなたの力は消えていなかった。……ならば、取り返しましょう。奪われた五つの神域武装を、ひとつずつ」


 彼女は立ちあがり、窓辺へ歩いた。夜の王都を見おろす。


「三日後、貴族街で闇のせり市が開かれます。そこに、最初の一つが出ます。――【疾風の小手】。あなたの脚を奪った、腐った貴族の手のなかに」


 その名を聞いて、アレンの目の奥がすっと冷えた。


 疾風の小手。かつて彼の脚を、風のように駆けさせた神域武装。あの日、奪われ、脚の腱ごと切られた。


「持ち主はモルガン侯爵。金で爵位を買った、成り上がりの豚です。武具の真の使い方も知らず、ただの見栄で腕に飾っています」


 エレノアの声に、うっすらと侮りがにじむ。


「宝の持ち腐れとは、まさにあのこと。……取り返すのに、遠慮は要りません」


 アレンは、折れた剣を収めたばかりの右手を握りしめた。指の痛みはまだある。だが、その奥にたしかな熱があった。


「行くぞ。取り返す。奪われたものは、全部だ」


 振り返ったエレノアが、この夜いちばんの笑みを浮かべた。


「はい。どこまでもお供します。――私の、たった一人の英雄様」


 だが、その笑みが、ふっと固まった。


「……アレン様。ひとつだけ、先に言っておかねばなりません」


 エレノアは声を落とした。窓の外の月あかりが、その横顔に淡い影を落とす。


「わたしがあなたを匿い、力を貸していると知れたら……英雄の称号は剥がされます。教会は、堕ちた勇者に手を貸す聖女など許さない。下手をすれば、わたしもあなたと同じ泥へ堕ちる」


「なら、なぜ」


「あなたを拾うと決めたときに、覚悟しました」


 迷いのない声だった。だが、それは裏を返せば――二人の反撃は、最初の一手をしくじれば、両方まとめて終わる、ということでもあった。


 白金の檻の中で。英雄はいま、みずから鍵を開け、外の泥へと踏み出そうとしていた。


 その足音を、誰かがもう、聞き耳を立てて数えている。そんな気配が、月夜の底に、たしかにあった。


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 この話でいちばん書きたかったのは、折れた鉄剣の場面でした。

 英雄の証でも、高価な宝でもない。ただの、少年時代の安物の剣。それを四年間、エレノアが抱えていた――そこに、彼女の想いの深さを込めたつもりです。

 アレンはまだ、彼女を信じきれていません。それでも、掌の熱だけは嘘に見えなかった。人の心がほどけていく瞬間を、少しずつ描いていけたらと思います。

 そしてエレノアには、優しさと同じだけ、怖い一面もあります。アレンを傷つける者にだけ向く、冷たい刃。この二面性も、これから物語の鍵になっていきます。

 次回、いよいよ最初の反撃。闇のせり市で、奪われた【疾風の小手】を取り返します。落ちぶれた元勇者の、静かな逆襲をお楽しみに。

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泥にまみれた元勇者アレンと 白金の英雄エレノアの旅の物語です
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