第19話 駆けつける光
第19話。突き放したはずの手が、いちばん危ういとき、駆けつける。
二人の、再びの物語です。
白い光が、闇に沈んだ納骨堂を、まっぷたつに切り裂いた。
聖なる障壁が、迫る槍衾をまとめてはじき返す。衛士たちが悲鳴をあげて、石壁へ叩きつけられた。振り上げられたはずの刃が、宙で行き場を失い、火花を散らして床に落ちる。
「――アレン様から、離れなさい」
凛とした声。暗がりの奥から、白金の髪が翻る。エレノアだった。
「なぜ……ここが」
「あなたが危ないと。……胸が、そう告げたので」
嘘だ、とすぐに分かった。この二日、彼女は遠くからずっと、アレンを見守っていたのだ。突き放されてなお、決して目を離さずに。だからギルバートの手の者が動いた瞬間、間に合った。そのけなげさが、いまはただ、胸に刺さる。
息を切らし、それでもまっすぐに、彼女はアレンのもとへ駆けてきた。決裂したはずのその相手のもとへ。ためらいも、恨みもなく。ただ、彼が危ういと知って、飛んできた。
「遅くなって、ごめんなさい。ずっと、あなたを見守っていました。……嫌われても、そばを離れる気はありませんでしたから」
その声に責める色は、微塵もなかった。それがかえって、アレンの胸を締めつけた。
肩を貫かれ、膝をついたアレンの前に、エレノアは盾のように立ちはだかった。傷ついた彼を、その背でかばって。その白い背中を見上げて、アレンの胸に、熱い塊がこみあげた。
二日、突き放した。ひどい言葉もぶつけた。手を振り払いもした。それでも、この女は来た。恨み言のひとつもなく。ただ、俺が危ういと知って。こんな想いを、俺は疑ったのか。四年前の傷を、言い訳にして。情けなさと、それを上回る温かさが、胸の中で混ざり合った。疑ったことへの詫びと、それでも来てくれたことへの感謝が、言葉になる前に喉で絡まった。
衛士たちは、英雄の名に怯んで退いていった。ギルバートの手の者とて、当代最強の聖光を正面から相手にする度胸はなかった。
「……いずれ、殿下にご報告します。英雄エレノアが、お尋ね者をかばい立てした、と」
黒仮面が捨て台詞を残し、闇へ消える。エレノアは、それを意にも介さなかった。
「かまいません。もう、隠れて動く段階は過ぎました。……ここからは、正面から参ります」
静けさが戻る。エレノアがアレンの肩の傷に、手をかざした。青ではなく、白の癒やしの光。彼女自身の命を削る光が、裂けた肉をふさいでいく。
「……無茶を、なさって。私がいれば、こんな傷」
「エレノア」
アレンは、その手を掴んだ。
「すまなかった」
エレノアの手が、止まる。
「おまえの罪を責める資格なんて、俺にはなかった。……俺だってこの手で、いくらでも人を斬ってきた。復讐のために。正義の名で。おまえは愛のために手を汚した。俺と何も変わらん。いや、俺のほうがたちが悪い」
「そんな……あなたは」
「聞け」
アレンは、彼女の目を見た。逃げずに。
「四年前の傷が、勝手に疼いただけだ。おまえのせいじゃない。おまえは俺のために、地獄に堕ちてくれた。その手を取ったのは、俺だ。……なら、その罪は半分、俺のものだ。二人で背負う」
エレノアの瞳から、大粒の涙がこぼれた。今度は、隠す涙ではなかった。ただまっすぐな、安堵の涙だった。張りつめていたものが、ようやくほどけたのだ。
「……ずるい人」
エレノアは涙を拭いもせず、笑った。
「そんなふうに言われたら、私、もうあなたから離れられなくなる」
「離れなくていい。……もう二度と、一人で夜を明かすのはこりごりだ」
二日、独りの寝台で味わったあの長い夜を思い出しながら、アレンは言った。柄にもない言葉が、口をついて出た。言ってから、耳の裏が熱くなる。エレノアが、目を丸くした。
「……いま、の。もう一度、言っていただけますか」
「言わん。一度で十分だ」
「意地悪」
むくれる彼女の頬は、けれどこれ以上ないほど輝いていた。決裂の二日が嘘のように。いや、あの二日があったからこそ、この距離の近さが、以前とは違う重みを持っていた。泣き笑いで、エレノアはアレンの胸に額を押し当てた。傷の血の匂いも、厭わずに。
二人のあいだに入ったひびは、まだ完全には塞がっていない。エレノアの秘密のすべてを、聞いたわけでもない。だが、それでいい、とアレンは思った。傷を抱えたまま、それでも隣を歩く。人と人とは、たぶんそうやって寄り添っていくものだ。すべてを知らなくても、隣にいると決めることはできる。四年かけて、アレンはようやくそれを知りはじめていた。
だが、感傷に浸る時間はなかった。アレンは、納骨堂の名もなき棺の列を指した。
「見ろ、エレノア。これが、聖女の奇跡の正体だ。数百の顧みられない命が、燃料にされてる。……明日は大祭。一年でいちばん、多くが燃やされる日だ」
アレンは、クラリスの手記のことも話した。孤児院で救われず、賢くなるしかなかった女。選ばれることに渇いた女。その歪みが、この数百の棺を生んだこと。
「あの女も、この国の被害者だ。憎みきれん。……だが、だからといって、この棺の中の連中が燃やされていい理由には、ならない」
「はい。……救われなかった痛みは、別の誰かを犠牲にしていい理由には、なりません。それだけは、確かです」
エレノアの声には、静かな、けれど揺るがぬ芯があった。彼女もまた、手を汚した女だ。だからこそ、その一線の重さを、誰より知っている。手を汚した者にしか言えない言葉が、そこにはあった。
エレノアの顔が、険しくなった。棺のひとつに歩み寄り、そっと手を合わせる。
「……こんなに。誰にも、知られず」
「止める。二人で。あの女の、奇跡を」
アレンは立ち上がった。肩の傷はまだ痛む。だが、隣に白金の光が戻っている。それだけで、脚の芯に力がこもった。
「ただし、ただ暴くだけじゃ駄目だ。あの女に救われた連中を、突き落とすことになる。……救われた者も、枯らされた者も、両方を掬い上げる道を探す」
「難しい、道です」
「ああ。だが、おまえとなら、探せる気がする」
エレノアが、力強くうなずいた。
「作戦が、あります」
彼女は声を落とした。
「月雫は大祭で、大量の生命力を一度に動かします。その切り替わりの一瞬に、私の聖光を逆に流しこむ。うまくいけば、吸われる側の命を断ち切らずに、奇跡を止められるかもしれません。……ただ、私の聖光を根こそぎ使います。倒れるかも、しれない」
「そのときは、俺が盾になる。……役割どおり、だろう」
二人は目を見交わし、小さく笑った。決裂を経て、その絆は以前より、ずっと深く、太くなっていた。
翌朝。大聖堂の鐘が、王都じゅうに鳴り響く。聖女クラリスの、慈善の大祭。数千の民が癒やしを求めて、広場を埋めていく。その中心で、青い月雫が静かに、輝きを増していた。
人混みに紛れて、アレンとエレノアは広場へ足を踏み入れた。今度は、二人で。かたわらに互いの気配を、確かめながら。
「行くぞ。救われた者も、枯らされる者も、両方、掬い上げる。……欲張りな戦い方だが、な」
「ええ。あなたらしくて、好きです」
偽りを剥ぎ取る旅の、三つめの決着が、いま、幕を開けようとしていた。
読んでくださって、ありがとうございます。
「俺だって、この手で人を斬ってきた。おまえと、何も変わらん」。アレンが、自分の弱さと向き合い、エレノアの罪を、二人で抱えると決める。決裂を越えて、絆はむしろ、太くなりました。
傷を抱えたまま、それでも隣を歩く。人と人は、そうやって寄り添う。次回、いよいよ大祭。救う者も、枯らされる者も、両方を掬い上げる、無茶な戦いへ。




