第17話 明かされた罪
第17話。クラリスの口から、エレノアの罪が、明かされます。
クラリス編の、そして二人の関係の、いちばん深い底です。
大祭の、二日前。空は朝から、重い雲に覆われていた。
証拠を掴むため、アレンは単身、大聖堂の裏手へ忍びこんだ。月雫の秘密が記された聖堂の記録。それさえあれば、奇跡の裏を白日のもとに晒せる。
だが、待っていたのは記録ではなかった。薄暗い燭台の間。そこに、聖女クラリスが一人、腰かけていた。まるで、アレンが来るのを知っていたように。燭台の炎が、その白い横顔を、ゆらゆらと照らしていた。
「久しぶりね、アレン。……ずいぶん、みすぼらしくなったこと」
慈愛の仮面は、もう被っていなかった。値踏みする、あの目だけがこちらを見ている。
「気づいて、いたか」
「ええ。あの日、病棟で。倒れた娘のそばにいた下男。あのまなざしを、忘れるものですか。玉座の間で私たちを見上げた、あなたの目と同じだったもの」
クラリスはゆっくりと立ち上がった。
「奪い返しに来たのでしょう。この月雫を。でも、その前に。……いいことを教えてあげる。あなたの大切な、白金の英雄について」
アレンの背筋が、こわばった。
「くだらん話なら、聞かん」
「くだらなくはないわ。むしろ、あなたがいちばん知りたくない話」
クラリスの唇が、三日月のように吊り上がる。
「四年前。落ちぶれたあなたを必死で探し回っていた女がいた。その女はね、あなたの居場所を吐かせるために、あなたを裏切った男の一人――スロウンを捕らえたの。そして拷問の末に聞き出して……口を封じた。二度と、しゃべれないように」
「……嘘だ」
「本当よ。その取引の場に、私もいたもの。証人。だから私を消せば、あの女の罪も闇に葬れる。……そう、あの女は思っているでしょうね」
クラリスの声が、蜜のように耳に絡みつく。
「清らかな白金の英雄。民の現人神。その正体は――あなたを見つけるために、人を一人手にかけた女よ。ねえ、アレン。あなたがいちばん憎んだのは、なんだった? 仲間を裏切り、手にかける、そういう卑劣な人間じゃなかった?」
アレンは拳を握りしめた。乗せられている。分かっている。この女は、俺とエレノアを裂こうとしている。戦う前に、内側から崩そうとしている。
「……なぜ、そこまでして俺たちを割きたい」
「あら」
クラリスはくすりと笑った。だが、その笑みの底に、ほんの一瞬、疲れた色がよぎった。
「二人がかりで来られたら、私、負けてしまうもの。……それに。信じているものを内側から裏切られる痛みは、私がいちばん知っているのよ。あなたたちにも味わってほしいと思うのは……そんなに、おかしいこと?」
その言葉の意味を、アレンは測りかねた。この聖女もまた、何かに裏切られた過去を抱えているのか。だが、いまはそれを確かめている余裕はなかった。ただ、彼女の言葉の毒は、確かにアレンの胸の底に沈み、じわりと広がりはじめていた。
その夜、屋敷に戻ったアレンを、エレノアが青い顔で迎えた。
「アレン様、ご無事で……! 無茶をなさって……」
「エレノア」
アレンの声は、氷のようだった。
「スロウン、という男を知っているか」
エレノアの動きが、凍りついた。そのたった一瞬の硬直が、何よりの答えだった。
「……クラリスに、聞いたのですね」
「本当か、と聞いている。おまえが俺を探すために、あいつを捕らえて、拷問して、殺した。……本当か」
声が震えていないことに、自分でも驚いた。怒りより先に、ただ確かめたかった。この四年、信じてきたものの、かたちを。
長い沈黙のあと、エレノアは目を伏せたまま、静かにうなずいた。
「……本当、です」
アレンの中で、何かが音を立てて崩れた。信じてきた四年が、足元から崩れていくようだった。
「あの男は」
エレノアは、震える声で絞り出した。
「あの男は、あなたの腱を切った一人です。あなたの居場所を、金で闇商人に売ろうとしていた。放っておけば、あなたはもっと悪意のある連中に捕らえられていた。……だから、私が先に。あなたのもとへたどり着くために」
「だから、殺したのか」
「……はい。私はあなたを見つけるためなら、地獄にでも堕ちる覚悟でした。手を汚すことも。……英雄の名を、汚すことも」
言葉が震えた。
「言えなかったのは、これを知れば、あなたが私を、あなたを裏切った連中と同じ目で見るかもしれないと。それが、怖くて。……卑怯です。分かっています」
アレンは、何も言えなかった。俺のために、人を殺した。俺がいちばん憎む、その手段で。俺を救うために、俺が最も嫌うものにこの女は自ら成り果てた。感謝すべきなのか、恐れるべきなのか、分からなかった。ただ、頭の芯が冷たくしびれていた。目の前にいる女が、急に、知らない誰かのように見えた。
「……なぜ、黙っていた」
「言えば、あなたがこういう目で私を見ると、思ったから」
エレノアはうつむいたまま、続けた。
「あなたは裏切りと卑劣を、誰よりも憎んでいる。そのあなたを救うために、私は裏切り者と同じ卑劣な手を使った。……矛盾です。私はあなたの敵と同じことをして、あなたを助けた。だから言えなかった。知られた瞬間、四年かけて近づいた距離が、全部白紙にもどる気がして」
「白紙にはならん」
アレンは思わずそう言った。だが、続く言葉が出てこない。ならないと言い切る根拠が、まだ自分の中で固まっていなかった。
この女がしたことは、罪だ。だが、その罪は俺のためだった。俺という人間の命の重さと、殺された男の命の重さ。それを天秤にかけて、うまく量れない。どちらかが軽いと決めた瞬間、自分もまた、クラリスと同じ側に立つ気がした。
「……少し、一人にしてくれ」
やっと、それだけ言った。
「頭を整理したい。おまえの顔を見ていると、うまく考えられん」
エレノアの瞳から、涙がこぼれた。だが、彼女は引き止めなかった。ただ深く、頭を下げた。
「……分かりました。いつでも、お呼びください。私はどこにも、行きませんから」
アレンは荷をまとめた。数日、屋敷を出て頭を冷やす。そう決めた。扉を出るとき、背後で崩れ落ちる気配がした。振り返らなかった。振り返れば、決意が鈍る。
夜の街を、あてもなく歩いた。頭を冷やすと言った。だが、本当は逃げたのかもしれない。エレノアの罪からではなく、その罪を受け止めきれない自分の弱さから。
あの女は俺のために、地獄に堕ちた。俺はその手を取った。ならば、その罪は半分、俺のものだ。それを汚いと切り捨てるのは、都合が良すぎる。分かっている。頭では分かっている。だが、四年前に凍った心は、理屈どおりには動いてくれない。裏切り、隠し事、人を手にかけた――その言葉の連なりが、古傷を容赦なく抉る。
情けない、と思った。守られてばかりで、その守りがどんな血で購われたかを知った途端、これだ。あの女の手を振り払う資格など、俺にあったのか。夜風が、答えのかわりに頬を撫でていった。
こうして、二人は初めて離れた。クラリスのたった数言が、四年かけて溶けかけた氷を、もう一度凍らせようとしていた。ギルバートと、クラリス。敵の思惑どおりに、白金の英雄と泥の勇者の絆は、いま、音もなく裂けようとしていた。
最後まで、ありがとうございます。つらい回でした。
エレノアは、アレンを探すために、人を手にかけていた。アレンが、いちばん憎む手段で。彼女は、愛ゆえに、地獄に堕ちた。それを責める資格が、幾人も斬ってきた自分にあるのか。答えの出ないまま、アレンは、屋敷を出ます。
二人は、初めて、離ればなれに。次回、独りになったアレンが、聖女の真実の、最奥へ。




