第1話「普通のスタッフでは足りない」
王立冒険者学校の訓練場は、朝から人が多かった。
魔法科と近接科の合同対人訓練。月に数回しかない授業で、いつもより見学の生徒が多い。
柵の外に並んだ生徒たちの視線は、すでに二人へ向いていた。
一人は魔法科のシャーロット。細い授業用スタッフを持ち、訓練場の端に静かに立っている。
もう一人は近接科のガルド。大剣を肩に担ぎ、退屈そうに首を鳴らしていた。
「またガルドとシャーロットか」
「今日は届くと思うか?」
「前回もそれ言ってたぞ」
教師が一度咳払いをする。生徒たちは口を閉じたが、視線までは外さなかった。
この二人の対戦は、もう何度も繰り返されている。結果もいつも同じだった。ガルドが距離を詰め、シャーロットが届かせない。
それでも近接科の生徒は毎回少し期待する。今度こそ、と。魔法科の生徒は、少し笑って見ている。また同じだろう、と。
「始め」
教師の声が落ちるより先に、ガルドが踏み込んでいた。
速い。
大剣使いの初速は、いつ見ても理不尽だった。
シャーロットは下がらない。スタッフの先をわずかに傾け、ガルドの足元の地面を軽く盛り上げた。
「っと」
ガルドはそれを踏まず、横へ流れる。読んでいたような避け方だった。
「また避けましたね」
「毎回同じ手に引っかかるかよ」
「近接科は素直に突っ込んでくると聞きました」
「誰に聞いた」
「魔法科の先輩です」
「あとで言っとけ、余計なことを教えるなって」
ガルドは斜めから距離を詰め直す。シャーロットはスタッフを短く振った。
風が鳴る。突風ではない。大剣の軌道にわずかに触れる程度の風だった。
それだけで、ガルドの肩が一瞬流れる。切っ先が、シャーロットの袖の横を抜けた。
届かない。
「ちっ」
ガルドはすぐに体勢を戻す。そこへ重ねるように、足元へ薄い光の線が走った。縛る魔法ではない。踏み込みたい場所だけを、わずかに滑らせる魔法だった。
「嫌な置き方するな」
「近づかれると困るので」
「魔法科はそればっかりだな」
「近接科は近づくことしか考えていません」
「それが仕事だ」
ガルドが笑う。
次の瞬間、彼はさらに低く沈み、大剣を前に出したまま強引に距離を詰めてきた。魔法の線ごと踏み割るつもりだ。
見学席から小さく息をのむ声があがる。
シャーロットの目が細くなった。スタッフの先端が、ガルドの正面からわずかに外れる。
狙いは今の位置ではない。ガルドが次に足を置く場所。
そこへ、細い魔力の糸が先回りして落ちた。
「読んでた」
ガルドは笑ったまま、膝を沈めて横へ跳ぶ。
だが、シャーロットも見ていた。着地点の土が、静かに沈む。ガルドの足首が一瞬取られた。
それで十分だった。
シャーロットはスタッフの石突きを地面に軽く当てる。乾いた音。
ガルドの胸元に、訓練用の魔法弾が音もなく止まった。
「そこまで」
教師が手を上げ、訓練場に小さなどよめきが広がる。
ガルドは胸元で止まった光を見下ろし、息を吐いた。
「また届きませんでしたね」
「次は届く」
「毎回言っています」
「毎回近づいてる」
「それも毎回言っています」
「なら、次も言う」
シャーロットは少しだけ笑った。
ガルドは悔しがるより先に、もう次の踏み込みを考えている顔をしていた。
この人は、負けても腐らない。だから厄介なのだと、シャーロットは思う。
その時だった。
ぱき、と乾いた音がした。
手の中のスタッフ、握りの上、魔力を通す線が刻まれた部分に、細いひびが入っている。
「……またですか」
教師が眉をひそめて近づいてきた。
「雑に流したつもりはありません」
シャーロットは顔を上げて言った。声は大きくないが、はっきりしている。
「この前も同じことを言っていたな」
「同じように使ったので」
「反省していないという意味に聞こえるが」
「扱いを変える理由が分かりません」
近接科の方で誰かが小さく笑いかけ、教師の視線を受けてすぐ黙った。
ガルドが横からスタッフを覗き込む。
「雑じゃねえよ」
「お前に分かるのか」
「壊れ方は分かりません、職人じゃないんで」
ガルドは肩をすくめた。
「でも、こいつの魔法が雑じゃないのは分かります」
「理由は」
「何度も受けてるからです。雑なら、一回くらい俺が届いてます」
訓練場が少し静かになる。
「褒めていますか」
「たぶんな」
「たぶんですか」
「悔しいから、はっきり褒めたくねえ」
「正直ですね」
教師はしばらく二人を見比べていたが、やがてスタッフを受け取った。
「工房へ持っていく。シャーロット、お前も来い」
「はい」
「ガルド、お前は授業に戻れ」
「俺も行きます」
「なぜだ」
「俺の名前が出たので」
「出したのはお前だ」
「なら、責任を取ります」
教師は額を押さえた。
「勝手にしろ。ただし口は挟むな」
「はい」
「今の返事は信用できん」
ガルドは答えなかった。シャーロットは、少しだけ俯いて笑った。
工房は訓練場の奥にあり、武器や防具、魔導具の調整を行う場所だった。授業用の道具もここで管理されていて、壁際には予備のスタッフが並び、棚には割れたスタッフや欠けた刃が置かれている。
工房教師は、シャーロットのスタッフを見るなり眉を寄せた。
「またお前か」
「はい」
「返事だけはいいな」
教師はスタッフを作業台に置き、ひびの周囲を細い金具で軽く叩いてから、魔力路へ針状の道具を当てた。しばらく無言で確かめてから、ようやく口を開く。
「外から力を受けた割れ方じゃない。内側だ。魔力路に沿って裂けている」
シャーロットは作業台の向こうから覗き込んだ。
「私の流し方が悪いのでしょうか」
「悪くないとは言っていない」
即答だった。
「ただ、扱いが荒いだけなら、もっと別の割れ方をする。これは――通した魔力にスタッフ側が負けている」
ガルドが腕を組む。
「ほらな」
「口を挟むなと言った」
「今のは小声です」
「聞こえる小声は小声とは言わん」
教師はさらにひびを確かめながら続けた。
「量だけの問題じゃない。細かすぎる。授業用は、そこまで精密な流し方を前提に作っていない」
シャーロットは自分の手を見た。訓練のときも、いつも通りのつもりだった。むしろ、壊さないように抑えたつもりだった。
「では、もっと抑えれば」
「授業の間はな」
教師はスタッフを置いた。
「だが、お前は卒業した後もずっと授業用を使うつもりか」
シャーロットは答えられなかった。
ガルドが横で鼻を鳴らす。
「こいつ、抑えながら戦ってるんですよね」
「ガルドさん」
「事実だろ」
「言わなくてもいいことです」
「言った方がいいことだ」
教師は壊れたスタッフを棚に戻し、それから続けた。
「卒業制作の題材は決めているか」
「まだです」
「なら、そろそろ考えておけ。魔法科の卒業制作は、スタッフかワンドのどちらか一本だ。合格すれば来年の後輩が使う」
「はい」
「不合格なら作り直しだ。だから、後輩に渡せるものを作れ」
「分かっています」
シャーロットは、自分の手元――さっき割れたスタッフのひびを見た。
「でも、基準は私で試したいです」
「お前で?」
「私が抑えずに流しても壊れないなら、普通に使う分には壊れないはずです」
教師はしばらく黙ってから、小さく頷いた。
「屁理屈だが、筋は通っている。好きにしろ」
「スタッフを作ります」
「ワンドじゃないのか」
「ワンドは繊細な制御向きです。私が欲しいのは、抑えずに流しても壊れないスタッフです」
「……理屈はいちいち通ってるな」
教師は棚から古い素材目録を出し、作業台に置いた。分厚い冊子だった。
「ただし、無茶な素材を選ぶな。加工できなければ意味がない」
「はい」
放課後、資料室にはシャーロットとガルドしかいなかった。教師は工房に残ったままだ。
シャーロットは目録をめくった。一般的な魔導木。強化処理を施した芯材。高出力用の魔石。ページをめくるたびに、紙の擦れる音だけが部屋に響いた。どれも、今の授業用スタッフよりは良さそうだった。けれど、指が止まらない。
「何を探してる」
ガルドが横から覗き込んだ。
「壊れないものです」
「雑だな」
「条件は単純なので」
「単純すぎる」
シャーロットはページをめくり続けた。やがて、古い紙の端に書かれた一行で手が止まる。
黒い魔樹の芯材。高密度の魔力に耐え、強い負荷を受けても歪みにくい。採取地の欄には、短く一行だけ添えられていた。
星骸谷周辺。
ガルドの表情が変わった。
「ここ、許可は出ないだろ」
「でしょうね」
「でしょうね、じゃねえ。上級冒険者でも複数組んで行く場所だぞ」
シャーロットは目録から目を離さない。
「市場には」
「出回らねえだろ、普通は」
「出ても」
「高い金を積んでも、受ける奴は少ねえだろうな」
「では、採りに行くしか」
「駄目だ」
「入口付近なら」
「駄目だ」
「採取だけなら」
「駄目だ」
「……少量でも」
「駄目だ」
シャーロットは少しだけ頬を膨らませる。
「一言も譲りませんね」
「譲る話じゃねえだろ」
「止めても行く顔だな」
「止められたら考えます」
「嘘つけ」
「考えはします」
「行くのをやめるとは言ってねえだろ」
シャーロットは黙った。
ガルドは小さく息を吐いた。
「行くなら俺も行く。訓練用の剣で行く場所じゃねえな」
「週末のクエストを使えば、外には出られます」
「泊まりのか」
「はい」
「俺たち二人で、簡単な採取依頼を受けるのか」
「不自然でしょうか」
「不自然だろ」
「それに、外に出られることと、星骸谷へ行っていいことは別だ」
「分かっています」
「分かってる顔じゃねえ」
資料室の窓の外では、もう日が傾いていた。
目録は開かれたまま、机の上に置かれている。
古い紙の端に、星骸谷周辺、の文字が残っていた。




