第8節 攻撃以外も全部やってますが?
ソフィアの講習が終わった後も、若い治癒術師達はしばらく救護棟に残っていた。
訓練用の人形を片付け、白線を消し、使った包帯や薬草箱を元の場所へ戻す。その手は動いているのに、誰もすぐには帰ろうとしない。今日聞いたことを、まだ自分の中で整理しているようだった。
負傷者が来てから治すだけではない。
負傷者が出る前に見る。
前衛の腕。
魔法使いの呼吸。
搬送路の詰まり。
救護所の位置。
撤退の遅れ。
無理を隠す人の顔。
それらは、治癒術だけを学んできた若者達には、新しい視点だった。
一人の若い治癒術師が、片付けの手を止めてソフィアに尋ねた。
「あの、ソフィア先生」
「はい」
「星纏いの魔女様は……結局、どういう方なんでしょうか」
少し不思議な問いだった。
だが、周囲の若者達も同じような顔をしていた。
攻撃魔法使い。
黒龍を討った魔法使い。
百体規模の緑竜群を退けた魔法使い。
星雨・黎明で国家級スタンピードを終わらせた魔法使い。
結界を張り、探知をし、戦場を整え、新人を教え、負傷者を減らす人。
一つの言葉では、収まらない。
ソフィアは少しだけ考えた。
窓の外では、訓練場に向かうシャーロットの背中が見えている。星帽ポラリスを被り、星衣リゲルを揺らし、星脈晶ヴェガを手にしている。その横には、いつものようにガルドが歩いていた。少し後ろではアメリアが何かを確認し、遠くの二階ではレオンが資料を抱えている。
獅子の咆哮の日常。
その中にいる、星纏いの魔女。
ソフィアは、若い治癒術師達へ向き直った。
「攻撃魔法使いなら、他にもいます」
静かな声だった。
「治癒術師もいます。結界術師も、斥候も、指揮官も、教師もいます」
若者達は黙って聞いている。
「それぞれの役割には、専門の人がいます。攻撃なら攻撃の専門家が、治療なら治療の専門家が、索敵なら索敵の専門家がいます」
ソフィアは、窓の外のシャーロットを見た。
「でも、その全部を見て、誰かが死なないように笑って動ける人は――」
そこで少しだけ言葉を切る。
かつて、自分は銀翼で彼女の記録を読んだ。
攻撃実績不足。
高危険度個体への有効打記録不足。
前線での攻撃貢献不足。
そう書かれた文字の裏で、彼女は何人もの負傷を防ぎ、撤退を早め、結界を置き、応急処置をし、低ランク帯を生かしていた。
その意味を、銀翼は見なかった。
けれど、獅子の咆哮は見た。
ソフィアも、ようやく少しだけ見えるようになった。
「あの人の代わりは、誰にもできません」
若い治癒術師達は息を呑んだ。
それは、遠い英雄を讃える言葉ではなかった。
同じ戦場に立ち、同じ救護の現場で怖さを知ったソフィアだからこそ言える言葉だった。
「だから、真似をしようとしなくていいんです」
ソフィアは続けた。
「全部できるようになろうとしなくていい。私達は私達の場所で、一つずつ見えるものを増やせばいいんです。そして、無理をしている人がいたら止める。支える。休ませる」
若い治癒術師の一人が、少し笑った。
「星纏いの魔女様でも、止められるんですか?」
ソフィアは即答した。
「止めます」
その声に迷いはなかった。
「止めないと、あの人は本当に動き続けますから」
救護棟に小さな笑いが起きる。
ソフィアも、少しだけ笑った。
「それも、救護班の大事な仕事です」
その頃、訓練場では新人合同訓練が始まろうとしていた。
獅子の咆哮に入ったばかりの新人達が、緊張した顔で並んでいる。前衛志望、魔法班志望、救護補助、斥候見習い。職種はばらばらだが、全員が同じ訓練を受ける。
目的は、戦場を一つの役割だけで見ないこと。
誰が前を見るか。
誰が横を見るか。
誰が下がる合図を出すか。
誰が負傷者を運ぶか。
誰が魔力切れを見抜くか。
誰が無理を止めるか。
獅子の咆哮では、新人の頃からそれを教える。
訓練場の端で、アメリアが手を叩いた。
「整列。今日はシャーロットが全体を見る訓練をします。ただし、本人基準を真似しないこと」
新人達が声を揃える。
「はい!」
シャーロットが少し困った顔で言う。
「最初からそう言われると、少し説明しづらいのですが……」
「必要な注意よ」
ガルドが横で言った。
「お前の普通は普通じゃねえからな」
「最近、皆さんそればかり言います」
「数年言われてもまだ足りねえんだよ」
訓練場に笑いが起きる。
シャーロットは少しだけ頬を赤くし、それでもすぐに新人達へ向き直った。
「では、始めましょう。今日の目的は、敵を倒すことではありません。誰が危なくなるかを先に見ることです」
新人達の表情が引き締まる。
「まず、前衛役の方。盾を構えてください。魔法班の方は後ろへ。救護補助の方は搬送路を確認。斥候役の方は、左右の通路を見てください」
それぞれが動く。
シャーロットはヴェガを軽く掲げた。
「では、模擬魔物を動かします」
訓練場の奥に置かれていた魔導人形が、低い唸りを上げて動き出した。獣型の魔導人形が三体。甲殻型が一体。小型の素早い人形が二体。新人訓練用とはいえ、動きはかなり本格的だ。
一体が正面から突っ込む。
前衛役の新人が盾を構える。
「受けます!」
「受けてもいいですが、右足が半歩遅れています」
シャーロットが言う。
「そのままだと、二回目の突進で膝を痛めます」
「えっ」
前衛新人は慌てて足の位置を直す。
その瞬間、模擬魔物の突進が盾にぶつかった。
ドンッ!
新人は踏みとどまる。
「本当だ……右足、ずれてた」
「次、魔法班の方」
シャーロットは視線を移す。
「火球を撃つ前に、前衛の肩越しの射線を見てください。今撃つと、前衛の盾に熱が当たります」
魔法班の新人がぎくりとする。
「す、すみません!」
「謝るより、射線を変えましょう。少し上へ。火力を落として、足元を狙います」
「はい!」
火球が飛ぶ。
ボンッ!
甲殻型の足元で弾け、動きが鈍る。
「いいです。倒すより、止める方が大事な時もあります」
次に、小型の魔導人形が横の通路へ回り込む。
斥候役の新人が気付くのが遅れた。
「左!」
シャーロットの声が飛ぶ。
「でも、そこで叫ぶだけではなく、救護補助に伝えてください。搬送路が狙われています」
「救護補助、左から来ます!」
「了解!」
救護補助役の新人が、訓練用の担架を少し右へずらす。
小型人形は空いた通路ではなく、前衛の視界内へ誘導される形になった。
「今のように、危険を見つけた人が一人で抱えなくて大丈夫です。伝えれば、誰かが動けます」
新人達が真剣に頷く。
シャーロットは続けた。
「次は結界です」
ヴェガの先端に淡い光が灯る。
新人達が、わずかに身を乗り出した。
星纏いの魔女の結界。
黒龍の息吹を止め、緑竜のブレスを逸らし、王都を守った一層障壁。
誰もが見たいと思ってしまう。
アメリアがすかさず言った。
「見ても真似しない」
「はい!」
新人達が慌てて返事をする。
シャーロットは少し苦笑しながら、薄い結界を一枚だけ立てた。
見た目は本当に薄い。
訓練場の光を受けて、透明な膜のように揺れている。
「これは、私の結界です。ですが、皆さんには多層障壁をおすすめします」
魔導人形の突進が結界に当たる。
ギィンッ!
たった一枚の結界が、衝撃を正面から受けず、斜めへ流した。魔導人形は転がるように方向を変え、空いた地面へ滑って止まる。
新人達が目を丸くする。
「すごい……」
「一枚で……」
「これを真似しない、ですね」
アメリアが確認するように言った。
新人達は一斉に頷いた。
「真似しません!」
「よろしい」
ガルドが横で笑う。
「教育が行き届いてるな」
「何度も言っていますから」
アメリアは当然のように答えた。
シャーロットは結界を消し、次に救護補助役の新人へ向いた。
「今、前衛の方は無事でした。でも、右肩に少し負担がかかっています。救護補助の方、気付きましたか?」
救護補助の新人が慌てて前衛を見る。
「え、あ……肩、少し下がっています」
「はい。今は怪我ではありません。でも、このまま三回続けると、痛めます。だから交代の提案をします」
「怪我をしてからではなく、前に……」
「そうです」
シャーロットは微笑んだ。
「怪我をする前に減らす。ソフィアさんがいつも言っていることですね」
救護棟の入口で見ていたソフィアが、少し照れたように笑った。
訓練は続いた。
シャーロットは、索敵で魔導人形の隠れた動きを示し、結界で進路を変え、簡単な回復魔法で擦り傷を塞ぎ、魔力制御補助で新人魔法使いの暴発を防ぎ、前衛の足運びを直し、撤退の合図を出すタイミングを教えた。
そして最後に、攻撃魔法も見せた。
「攻撃魔法は、強く撃つだけではありません。どこを撃てば相手が止まるか、どこなら周囲に被害が出ないかを見ます」
彼女はヴェガを軽く構えた。
訓練用の標的が、遠くで動き出す。
小さな光が、まっすぐ飛んだ。
バシュンッ。
標的の中心だけが、綺麗に撃ち抜かれる。
周囲の木枠は焦げてもいない。
新人達は、言葉を失った。
大出力ではない。
派手でもない。
けれど、あまりにも正確だった。
攻撃魔法使いとしての力も、本物だと分かる一撃だった。
訓練が終わる頃には、新人達は完全に圧倒されていた。
息を切らしている者。
目を輝かせている者。
頭の中を整理しきれずに呆然としている者。
救護補助役の新人は、何度も自分のメモを見返している。
その中の一人が、恐る恐る手を上げた。
「シャーロットさん」
「はい」
「シャーロットさんって、攻撃魔法使いなんですよね?」
訓練場が、少し静かになった。
シャーロットはきょとんとした顔をする。
「はい。一応、そうですよ」
新人は、困惑したように周囲を見る。
「でも……結界も、回復も、索敵も、指揮も、訓練も、全部やってますよね?」
別の新人も頷く。
「魔力制御の補助もしてました」
「撤退判断も」
「搬送路も見てました」
「前衛の足運びも見てました」
「装備の紐の緩みも言ってました」
シャーロットは少し考えた。
本当に少しだけ首を傾げる。
それから、いつものように明るく笑った。
「そうですね」
少し間を置いて、彼女は言った。
「攻撃以外も、だいたいやっています」
訓練場の空気が、一瞬止まった。
次の瞬間。
隣にいたガルドが、深く息を吐いた。
「だいたいじゃねえ。全部だ、全部」
その言い方があまりにも自然で、訓練場に笑いが弾けた。
新人達が笑う。
アメリアが呆れたように笑う。
ソフィアが口元を押さえて笑う。
レオンが二階から静かに頷く。
アクセルが豪快に笑う。
シャーロットは少しだけ頬を赤くする。
「全部では……」
「今の流れで否定できると思うか?」
ガルドが言う。
「でも、専門の方々の方が上手なこともたくさんあります」
「そういう話じゃねえ」
「そうなんですか?」
「そうだ」
ガルドは大剣を肩に担ぎ、少しだけ笑った。
「お前は、攻撃魔法使いだ。でも、攻撃だけ見てたらお前は分からねえ。結界も、索敵も、回復も、指揮も、訓練も、撤退判断も、魔力制御も、誰かを死なせないために全部見てる」
シャーロットは、少し驚いたように彼を見る。
ガルドは続けた。
「だから、だいたいじゃねえ。全部だ、全部」
その言葉は、軽口のようでいて、獅子の咆哮が彼女をどう見ているか、その答えでもあった。
銀翼の評価表には、載らなかったもの。
攻撃魔法使いとしての成果不足と書かれた文字の裏で、ずっと彼女がやっていたこと。
誰かが死なないように、戦場を見て、動き続けていたこと。
今は、それを見てくれる人達がいる。
笑いながら、突っ込みながら、止めながら、支えながら、ちゃんと言葉にしてくれる人達がいる。
シャーロットは少しだけ目を伏せた。
泣きそう、というほどではない。
でも、胸の奥が温かかった。
「ありがとうございます」
彼女が小さく言うと、ガルドは少し気まずそうに視線を逸らした。
「礼を言うところか?」
「はい。言いたくなりました」
「そうかよ」
アメリアが笑いながら手を叩いた。
「はい、いい雰囲気のところ悪いけれど、訓練後の整理をするわよ。新人達、今日見たことをそのまま真似しようとしない。特に一層障壁と広域探知は禁止。まずは基礎から」
「はい!」
新人達の声が揃う。
ソフィアも救護棟の入口から声をかける。
「訓練後の体調確認をします。無理を隠さないでください」
「はい!」
レオンが二階から淡々と告げる。
「シャーロットさんの午後の予定は、休憩を挟んでからです」
「はい」
シャーロットは反射的に答えた。
少し前なら、すぐに次の資料へ向かっていたかもしれない。
でも今は、休むことも自分の役目だと少しだけ分かっている。
ガルドが横から念を押す。
「食べながら資料を見るなよ」
「見ません」
「本当に?」
「……見ません」
「今、間があったぞ」
訓練場にまた笑いが起きる。
シャーロットも笑った。
空は青かった。
星雨・黎明の光は、もうそこにはない。
黒龍の影も、緑竜の群れも、国家級スタンピードの地響きもない。
ただ、訓練場に新人達の声が響き、獅子の咆哮の団員達が動き、誰かが誰かを見て、支え、止め、笑っている。
そこに、シャーロットはいた。
かつて役立たずの魔法使いと呼ばれ、攻撃実績不足として追い出された彼女は。
今、史上初のSSランククランの中で、仲間達に囲まれながら、今日も誰かを守るために笑っている。
攻撃魔法使いとして。
そして、攻撃以外も全部やっている魔法使いとして。
「シャーロットさん!」
新人の一人が、訓練場の片付けをしながら声を上げた。
「次は索敵訓練も見ていただけますか?」
シャーロットは笑って答える。
「はい。もちろんです」
すぐ横から、ガルドの声が飛んだ。
「五キロまでな」
アメリアも続ける。
「今日は三キロまでよ」
ソフィアも言う。
「終わったら休憩です」
レオンも二階から付け加える。
「予定に入れてあります」
シャーロットは皆を見回し、少し困ったように、それでも嬉しそうに笑った。
「はい。皆さんの言う通りにします」
その返事に、獅子の咆哮の面々は満足そうに頷いた。
星纏いの魔女は、今日も元気だ。
そして今日も、ちゃんと止められている。
それが、獅子の咆哮の日常だった。




