第2節 SSランク
「Sランクでは足りぬか」
国王の呟きが、会議室に落ちた。
誰もすぐには答えなかった。
Sランク。
冒険者クランにとって、現実の運用上の最高位である。国家からの緊急招集、高難度依頼、王国軍との連携、国境危機や災害級魔物への対応。
その上が、実際に認められた例はない。
「制度上、Sランクを上限として扱ってきたのは事実です」
ギルド長が口を開いた。
「ただ、古い規定には一文だけ残っています。Sランクによる対応範囲を超える功績、または国家防衛級の継続戦力と認められる組織について、王国およびギルドの合同承認により、特別等級を設けることができる、と」
財務卿が眉をひそめる。
「存在はしていたが、使われたことがない規定か」
「はい」
ギルド長は頷いた。
「使う必要がありませんでした。これまでは、Sランクで十分でしたから」
会議室の中央には、二つの報告書が並んでいた。
黒龍討伐の記録。
国家級スタンピードの戦況記録。
王都防衛、緑竜群への対応、三十万規模の魔物群終息、避難民保護、王国軍と各クランへの支援。
紙面に並ぶ文字を見て、王国軍の老将軍が低く言った。
「今回の獅子の咆哮は、一クランとして戦っただけではない。足りぬ場所へ入り、崩れかけた戦線をつなぎ、最後は国家級災害そのものを終わらせた」
軍務卿も頷く。
「黒龍戦と今回の二度、災害級危機を止めている。一度だけの偶然とは言えん」
「ただし」
財務卿が慎重に言った。
「特別等級を認めれば、権限も特権も大きくなる。王国内の自由行動、軍施設の利用、補給、緊急時の連絡権限。前例のない扱いになるぞ」
「前例がないのは、功績も同じです」
レオンが静かに答えた。
財務卿の視線が彼へ向く。
レオンは資料を一枚めくった。
「王都の被害は、規模に対して極端に小さい。王国軍、各クラン、避難誘導、救護体制が機能した結果です。その中心に、獅子の咆哮がいました」
「自分達の功績を主張しているのか」
「いいえ。事実を整理しています」
レオンの声は変わらない。
「王国軍が防衛線を支えたから、我々も動けました。他クランが各区域を守ったから、戦線は崩れ切らなかった。救護班と避難誘導が動いたから、星雨・黎明も民間人を除外できた」
彼は地図を示した。
「その上で、獅子の咆哮が戦場情報を整理し、シャーロットさんが動ける形に組み替えた。研究院の見解も同じです」
王立研究院の代表が頷く。
「星雨・黎明は、術者の魔力だけで成立する魔法ではありません。味方の動線、避難路、救護所、補給路。戦場が整理されているほど、術者の演算負荷は下がる。獅子の咆哮は、その前提を作りました」
アクセルは腕を組んだまま、黙って聞いていた。
アメリアも口を挟まない。
獅子の咆哮は、自分達だけで国を救ったとは言わない。
だが、シャーロット一人に背負わせたわけでもなかった。
王太子が、報告書から目を上げる。
「星纏いの魔女が別の組織にいたとしても、同じ結果になったとは限らない、か」
会議室の空気が少し沈んだ。
誰も名前を出さない。
銀翼の剣。
シャーロットを見失い、Sランクから落ち、今はBランクとして再出発しているクラン。
国王は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと言う。
「力ある者を抱えるだけでは足りぬ。理解し、支え、休ませ、正しく用いる組織でなければならぬ」
ギルド長が、古い規定書を開いた。
「特別等級の仮称として、古い草案には“SS”の表記があります」
一瞬、会議室が静まり返る。
端にいた若い官僚が、思わず声を漏らした。
「SSランクなんてあったのか……?」
軍務卿が苦笑する。
「私も初めて実際に聞いた」
ギルド長も少しだけ肩をすくめた。
「私も、まさか在任中にこの規定を開くとは思っていませんでした」
王太子が資料を覗き込む。
「Sランクを超える、国家防衛級の特別等級。災害時、国家危機、国境防衛において、王国軍と同列に連携する防衛戦力として扱う。ただし、国王およびギルド長の合同承認を必要とする……確かにある」
財務卿は渋い顔で言う。
「あるからといって、簡単に使うものではない」
「当然です」
ギルド長は頷いた。
「だからこそ、今回です」
国王は目を閉じた。
会議室の誰もが、その言葉を待つ。
やがて、国王は目を開いた。
「獅子の咆哮団長、アクセル」
「はい」
アクセルが一歩前へ出る。
「そなたらは黒龍を討ち、王都を守り、国家級スタンピードを終わらせた」
「はい」
「だが、それだけではない。星纏いの魔女を見つけ、迎え、装備を整え、役割を与え、倒れそうになれば止めた。あの力を、王国のために使い潰さなかった」
アクセルは黙って頭を下げた。
アメリアの表情が、少しだけ柔らかくなる。
レオンは静かに目を伏せた。
国王は続ける。
「王国および冒険者ギルドは、獅子の咆哮を既存のSランクの枠では扱いきれぬと判断する」
会議室に、張り詰めた沈黙が落ちた。
「よって、獅子の咆哮を、史上初のSSランククランとして認定する」
誰もすぐには声を出せなかった。
ギルド長が正式な認定文書を手に取る。
「冒険者ギルドは、王国承認のもと、獅子の咆哮をSSランククランとして登録する。理由は、黒龍討伐、国家級スタンピード終息、王都防衛、緑竜群への対応、三十万規模魔物群の選別殲滅、民間被害抑制、王国軍および他クランとの連携、並びに国家防衛級戦力としての組織的運用能力を認めるため」
一語一語が、会議室に響いた。
アクセルは深く頭を下げる。
「認定、謹んでお受けします」
国王は頷いた。
「ただし、これは名誉だけではない」
「承知しています」
アクセルは即答した。
「SSランクは、特権と同時に責任を伴う。災害時、国家危機、国境防衛、王国軍との連携。獅子の咆哮には、今後これまで以上の判断が求められる」
「承知の上です」
「星纏いの魔女を守り、支えよ」
アクセルの目が、わずかに動いた。
国王は続ける。
「王国は、彼女を道具にはしない。だが、彼女が救ったものを忘れもしない。獅子の咆哮は、これまで通り彼女を仲間として扱え」
アクセルはもう一度、深く頭を下げた。
「必ず」
アメリアも頭を下げる。
レオンも続いた。
王国軍の老将軍が、口元だけで笑う。
「良いクランだ」
小さな声だったが、周囲には聞こえた。
会議はその後、実務へ移った。
SSランクの公示。
王国軍との連絡権限。
ギルド登録の更新。
各領地への通知。
報奨金。
戦後支援。
負傷者への補償。
書類係達が慌ただしく動き、ギルド職員は古い規定書をめくり、王国官僚は新たな文面を整えていく。
張り詰めていた会議室の空気が、紙とインクの音へ変わっていった。
その頃、獅子の咆哮本部では。
シャーロットは医務室の寝台の上で、ソフィアから薬草茶を渡されていた。
「熱くありませんか?」
「大丈夫です」
ソフィアの目が細くなる。
シャーロットは慌てて言い直した。
「……飲める温度です」
「よろしいです」
近くの椅子には、ガルドが座っている。
膝の上には本ではなく、シャーロットがこっそり手を伸ばそうとした術式メモが置かれていた。
没収品である。
「返していただけませんか?」
「駄目だ」
「少し見るだけです」
「駄目だ」
「本当に少しだけ」
「資料作成禁止だろ」
「作成ではなく確認です」
「屁理屈を覚えるな」
シャーロットは、少しだけ肩を落とした。
ソフィアが薬草茶を盆に戻しながら言う。
「今、王城で会議が行われています」
「そうなんですね」
「獅子の咆哮の功績についてです」
「アクセルさん達にお任せしています」
「気にならないんですか?」
シャーロットは少し考えた。
「気にはなります。でも、今は休みなさいと言われていますので」
ガルドが驚いたように彼女を見る。
「成長したな」
「私も学びます」
「じゃあメモに手を伸ばすな」
「……はい」
ソフィアが小さく笑った。
その時、医務室の扉が勢いよく開いた。
通信係の団員が、息を切らして入ってくる。
「失礼します!」
ガルドが顔を上げた。
「何だ」
通信係は、目を輝かせていた。
「王城から速報です! 獅子の咆哮が……獅子の咆哮が、SSランクに認定されました!」
医務室が静まり返った。
シャーロットは瞬きをする。
「SS……?」
ソフィアも目を丸くした。
「Sの上、ですか?」
通信係は何度も頷く。
「史上初だそうです! 王国とギルドの合同認定で、獅子の咆哮が歴史上初のSSランククランに!」
ガルドが低く呟いた。
「SSランクなんてあったのか?」
シャーロットは薬草茶の杯を両手で持ったまま、少し困ったように首を傾げる。
「それは……すごいことなんでしょうか?」
ガルドとソフィアと通信係が、同時に彼女を見た。
「すごいに決まってるだろ」
「とてもすごいことです」
「ものすごいことです!」
三方向から言われて、シャーロットは背筋を伸ばす。
「そ、そうなんですね」
ガルドが深く息を吐いた。
「相変わらずだな」
ソフィアは笑いをこらえながら言う。
「でも、今日は興奮しすぎないでください。休養中ですから」
「はい」
「SSランクになっても、資料作成は禁止です」
「……はい」
「今、間がありました」
「すみません」
医務室の空気が、少しだけ緩む。
ソフィアは改めて、シャーロットの前に薬草茶を置いた。
「まずは、おめでとうございます」
シャーロットは少し驚いた顔をした。
それから、両手で杯を持ち直す。
「はい。ありがとうございます」
今度は、ちゃんと受け取った。
ガルドが術式メモを膝の上で押さえたまま、口元を少し上げる。
「で、SSランク幹部様」
「はい」
「休め」
「……はい」
シャーロットは薬草茶を一口飲み、窓の外を見た。
本部の中庭では、団員達が次々に走り出している。遠くから歓声が近づいてきた。誰かが旗を出そうとして、別の誰かに手伝えと呼ばれている。
ガルドの膝の上では、術式メモがまだ押さえられていた。
ソフィアは空になりかけた杯を見て、すぐに二杯目の薬草茶を用意し始めた。




