第1節 SSランク審議
王都が国家級スタンピードを退けてから、三日が過ぎた。
城壁の外には、まだ戦場の跡が残っている。倒れた魔物の処理、壊れた結界杭の交換、焼け焦げた地面の整備、折れた木柵の撤去。王国軍と冒険者達、職人達は休む間もなく動いていた。
それでも、王都は残った。
外縁区は傷ついた。防衛線も崩れかけた。負傷者も出た。だが、死者は想定をはるかに下回った。避難民の大半は守られ、城塞区画の被害も最小限に抑えられた。
三十万規模の魔物群。
緑竜百体規模。
国家級スタンピード。
普通なら、王都の一部が失われてもおかしくない災害だった。
その災害は、終わった。
王城の大会議室には、王国上層部が集められていた。
国王、王太子、軍務卿、財務卿、王国軍将官、冒険者ギルド長、王立研究院の代表、各部局の高官達。さらに、今回の戦いに関わったSランククランの代表も一部呼ばれている。
獅子の咆哮からは、団長アクセル、参謀役のレオン、現場指揮を担ったアメリアが出席していた。
ガルドはいない。戦後処理で前線の確認に出ている。
そして、シャーロットもいなかった。
「星纏いの魔女殿は?」
王国軍の老将軍が、会議の始まりにそう尋ねた。
アクセルが答える。
「医務班の判断で静養中です」
「静養中?」
「はい。十五キロ探知、広域結界、対緑竜術式、星雨・黎明の連続使用による反動です。命に関わる状態ではありませんが、数日間の休養が必要と診断されています」
アメリアが横から淡々と付け加えた。
「なお、本人は『少し眠いだけです』と主張しましたが、却下しました」
会議室の空気が、わずかに緩んだ。
王太子が苦笑する。
「国家級災害を止めた直後に、少し眠いだけとは」
ギルド長が肩をすくめる。
「その手の人間は、周囲が止めなければ本当に動きますからな」
「まさにそうです」
アメリアの返事には、実感がこもっていた。
レオンが静かに続ける。
「現在、シャーロットは獅子の咆哮本部内で休養中です。ソフィアが主に状態を見ています。探知、訓練指導、資料作成、術式整理、いずれも禁止されています」
「資料作成まで禁止なのか」
軍務卿が思わず言う。
アメリアは真顔で頷いた。
「はい。放っておくと、反動が残っているのに星雨・黎明の術式記録を作ろうとしますので」
「……なるほど」
その場にいた何人かが、妙に納得した顔をした。
だが、すぐに会議室の空気は引き締まった。
国王が口を開く。
「では、始めよう」
その一言で、全員の姿勢が正された。
王国軍の将官が、戦況報告を読み上げる。
「今回の国家級スタンピードにおける敵性反応は、最終確認でおよそ三十万。うち大型種多数、毒性個体、跳躍型、甲殻型、魔力変異個体を含む。上空脅威として緑竜百体規模を確認。王都北東、東側迂回、北側山裾の三方向から圧力がかかりました」
地図の上に、魔物群の進路が示される。
北東主力。
東側迂回群。
北側大型群。
上空緑竜群。
改めて見れば、王都が無事に残っていること自体が奇跡に近かった。
「初期段階で、王国探知班は敵の全体像を掴めませんでした。通常探知の範囲では、先頭集団しか把握できず、東側迂回群および北側大型群の動きは見落とす危険がありました」
将官は一度、アクセル達の方へ視線を向ける。
「ここで、星纏いの魔女殿が十五キロ探知を行い、三方向展開と緑竜百体規模を確認しました。この情報がなければ、東側避難路は魔物群と交差していた可能性が高い」
会議室が静かになる。
それは、つまり避難民が飲まれていたということだ。
「次に、東側第二防衛線の崩壊。緑竜三体が市街地へ侵入し、避難民が取り残されました。この時、星纏いの魔女殿は先行救援に入り、緑竜のブレスを一層障壁で防ぎ、避難路を確保しています」
王立研究院の代表が、そこで口を開いた。
「一層障壁については、現在も解析中です。通常の多層障壁とは構造が異なります。一層でありながら密度と安定性が異常に高く、衝撃の受け流しまで同時に行っている。あれを一般的な結界術式として扱うのは不可能です」
「再現は?」
軍務卿が問う。
研究院代表は即答した。
「現時点では不可能です。術式の形だけを模倣しても、魔力密度、制御精度、演算速度が足りません。普通の魔法使いが同じことをすれば、結界が崩れるか、本人の魔力回路が焼けます」
会議室の何人かが顔を引きつらせた。
アクセルは無言だった。
アメリアも、表情を変えない。
レオンだけが静かに記録を取っている。
王国軍の将官は報告を続けた。
「その後、獅子の咆哮は東側外縁区へ支援線を再構築。ガルド殿が退路を確保し、アメリア殿が王国軍の避難誘導を修正。レオン殿が情報盤を通じて全体連絡を維持。ソフィア殿を含む救護班が負傷者を受け入れました」
ここで、国王の目がわずかに動いた。
「星纏いの魔女殿だけではない、ということだな」
「はい」
将官は頷いた。
「星纏いの魔女殿の働きは突出しています。しかし、獅子の咆哮は彼女一人に戦場を押し付けていません。情報、前線、救護、避難、負荷管理。それらを組織として支えていました」
会議室に、静かな重みが落ちる。
その言葉は、今回の評価において非常に大きな意味を持っていた。
財務卿が資料をめくりながら言う。
「だが、国家級スタンピードを終わらせた決定打は、星雨・黎明であろう。あれは個人の魔法ではないのか」
王立研究院の代表が、少し苦い顔をした。
「個人の魔法です。ただし、単純に個人火力だけで成立したものではありません」
「どういう意味だ」
「星雨・黎明は、広域殲滅術式でありながら、同時に味方識別、民間人除外、建物保護、退避路維持、威力調整、軌道補正を行っています。つまり、戦場全域の情報が必要です。獅子の咆哮のレオン殿が情報盤から味方位置を送り、アメリア殿が全軍へ突出禁止と動線維持を通達し、アクセル殿が大型種の流れをまとめ、ガルド殿が術者周辺を守り、ソフィア殿が負荷を監視した。これらがなければ、星纏いの魔女殿の演算負荷はさらに跳ね上がっていたはずです」
研究院代表は、手元の資料を見下ろした。
そこには、星雨・黎明中の推定処理項目が並んでいる。
魔物識別。
味方除外。
民間人除外。
建造物保護。
防衛線維持。
退避路保護。
救護所周辺除外。
補給線除外。
個体別急所選定。
軌道補正。
威力調整。
着弾後の余波制御。
財務卿は、資料を見て黙り込んだ。
「つまり」
王太子が静かに言う。
「星纏いの魔女を単独で戦場へ放り込めば、同じ結果になったとは限らない」
「その通りです」
研究院代表は即答した。
「むしろ、危険です。彼女は確かに歴史的な魔法使いですが、無限ではありません。今回も鼻血、手の震え、魔力回路の過熱、演算負荷による頭痛が確認されています。周囲が止め、支え、休ませなければ、使い潰される危険がある」
使い潰される。
その言葉に、アクセルの目がわずかに細くなった。
アメリアも、少しだけ顎を引く。
レオンは記録の手を止めなかったが、目だけが静かに鋭くなった。
王国会議の空気が重くなる。
その言葉は、誰もが避けて通れないものだった。
銀翼の剣。
かつてSランクだったクラン。
シャーロットを攻撃魔法使いとしてしか評価できず、E評価で手放し、その後Sランクから落ち、今はBランクからやり直しているクラン。
その名を、誰も口にはしなかった。
だが、会議室にいる者の多くが思い浮かべていた。
国王が静かに問う。
「では、星纏いの魔女個人を王国直属の管理下に置くべきだ、という意見についてはどう見る」
会議室の一部が、わずかにざわめいた。
その意見は、事前に一部高官から出ていたものだった。
国家級災害を止めるほどの魔法使い。
ならば王国が直接保護し、管理し、必要な時に動かすべきではないか。
そう考える者が出るのは、自然といえば自然だった。
だが、アクセルが静かに口を開いた。
「獅子の咆哮としては、反対します」
声は低く、重かった。
「シャーロットは道具ではありません。国家戦力として見られるほどの力があることは認めます。ですが、彼女を個人能力として切り離し、王国が管理しようとすれば、必ず歪みます」
軍務卿が問う。
「歪む、とは」
「必要な時にだけ呼ぶ。限界を超えても動かす。結果だけを求める。本人が大丈夫と言えば信じる。そういう扱いになる危険があります」
会議室に沈黙が落ちる。
アクセルは続けた。
「彼女は、自分の限界申告が下手です。誰かを守るためなら、無理をします。だからこそ、周囲が止める必要がある。休ませる必要がある。見ている必要がある」
アメリアが静かに続く。
「今回も、本人は倒れていないと言いました。実際には立てず、ガルドに支えられていました。鼻血を出しても、大丈夫と言いかけました。放っておけば、戦後処理まで始めていたでしょう」
王太子が思わず苦笑する。
「本当に始めそうだな」
「始めます」
アメリアは断言した。
「だから、止めました。担架で運びました。資料作成も禁止しました」
研究院代表が小さく咳払いする。
「その判断は、非常に適切です」
国王は、じっとアクセル達を見ていた。
「つまり、獅子の咆哮は、星纏いの魔女を使う組織ではなく、支える組織であると」
アクセルは迷わず答えた。
「はい」
レオンが補足する。
「正確には、彼女だけを支えるのではありません。獅子の咆哮は、全員が役割を持ち、互いの負荷を見る組織です。定期装備点検、帰還者への食事、救護体制、休養管理、新人教育、情報共有。それらがあるから、シャーロットも力を出せます」
「黒龍戦も同じだったな」
王国軍の老将軍が言った。
「獅子の咆哮は、黒龍を星纏いの魔女一人に押し付けなかった。前衛が時間を稼ぎ、指揮が整い、負傷者が下げられ、術式の準備が守られた」
「はい」
レオンは頷いた。
「今回も同じです。星雨・黎明はシャーロットの術式です。しかし、それを成立させたのは獅子の咆哮全体と、王国軍、各クラン、救護班、避難誘導の連携です」
会議室の空気が、少しずつ一つの方向へ向かっていく。
評価すべきは、星纏いの魔女個人だけではない。
獅子の咆哮という組織そのものだ。
もちろん、シャーロットの功績は圧倒的だ。黒龍討伐、百体規模の緑竜群への対処、三十万規模の魔物群終息。どれも歴史に残る。
だが、それを個人だけの武勇として扱えば、この国はまた同じ過ちを犯す。
測れない者を、測れないまま使う。
見えない負荷を、見ないまま求める。
その先にあるのは、使い潰しだ。
国王はしばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「星纏いの魔女を王国直属とする案は、退ける」
会議室の空気が動いた。
一部高官が何か言いかけたが、国王は続けた。
「彼女は獅子の咆哮の幹部であり、仲間だ。今回の働きは、彼女個人の力と、獅子の咆哮の組織力があって初めて成立した。ならば、王国が評価すべきは、その全体である」
アクセルは静かに頭を下げた。
「感謝します」
国王は頷き、次にギルド長へ視線を向けた。
「冒険者ギルドとしてはどう見る」
ギルド長は、資料を閉じた。
「結論から申し上げます。獅子の咆哮の今回の功績は、通常のSランク評価の枠を超えています」
会議室が静まる。
「黒龍討伐だけなら、Sランク昇格で説明できました。ですが、その後、国家級スタンピードにおいて、王都を守り、百体規模の緑竜群を退け、三十万規模の魔物群を民間被害を抑えたまま終息させた。王国軍との連携、他クラン支援、避難民保護、死者最小化。これは、Sランククランの功績として扱うには大きすぎます」
財務卿が眉をひそめる。
「Sランクの上を作れと言うのか」
ギルド長は即答しなかった。
その代わり、王国軍の将官が口を開いた。
「今回、獅子の咆哮は、実質的に王国軍の戦略判断を支えました。十五キロ探知による敵全体像の把握。東側避難路の危機回避。緑竜制空権の奪還。星雨・黎明による戦場全域の終息。これは、一クランの戦果というより、国家防衛級の働きです」
研究院代表も頷く。
「魔法戦力としても、既存分類では説明できません。ですが重要なのは、彼女を抱える獅子の咆哮が、彼女を制御ではなく支援している点です。これは国家にとって極めて重要です」
王太子が静かに言った。
「前例がないな」
「はい」
ギルド長が答える。
「前例はありません」
その言葉が、会議室に重く落ちた。
前例がない。
それは、拒む理由にもなる。
だが同時に、新たな判断を下す理由にもなる。
国王は、地図の上に置かれた駒を見た。
王都。
北東の戦場。
緑竜の落下地点。
星雨・黎明によって魔物反応が消えた範囲。
そして、獅子の咆哮の名が記された報告書。
「Sランクでは足りぬか」
誰にともなく、国王が呟いた。
誰も答えなかった。
答えは、すでに目の前にあった。
Sランクの責務を果たした、ではない。
Sランクの枠を超えた。
王国を救った。
国王は顔を上げた。
「次の議題に移る」
会議室の全員が息を呑む。
「獅子の咆哮を、王国および冒険者ギルドがどのように扱うべきか」
その声は静かだった。
だが、その場にいる誰もが、これまでの制度では足りない議論が始まるのだと理解していた。
史上初。
Sランクを超えるクラン。
その議論が、今、始まろうとしていた。




