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第10節 星雨・黎明②

そして、星雨・黎明が始まった。


最初に降ったのは、一粒の光だった。


空に満ちた無数の星の中から、たった一つ。小さな白銀の光が、雨粒のように静かに落ちる。それは北東正面の防衛線へ押し寄せていた獣型魔物の眉間を、音もなく貫いた。


バシュッ。


魔物が崩れる。


周囲の兵士達は、何が起きたのか分からなかった。


次に、三粒。


五粒。


十粒。


雨が、増えていく。


バシュッ、バシュッ、バシュッ!


星の光は、味方の肩をかすめることすらなかった。王国兵の兜のすぐ横を通り、盾役の腕を避け、倒れた負傷者の上を迂回し、魔物の額、喉、胸部核、脚の付け根だけを撃ち抜いていく。


「な……」


北東正面の兵士が、盾を構えたまま呆然とした。


目の前の魔物だけが倒れている。


自分達には当たらない。


背後の救護班にも当たらない。


結界杭も砕けない。


地面も大きく抉れない。


魔物だけが、星に撃ち抜かれて倒れていく。


「撃て! いや、待て、味方じゃない!」


「こっちには当たらん!」


「魔物だけだ!」


声が混乱し、次第に驚きへ変わる。


星の雨は、さらに強くなった。


北東正面だけではない。


東側迂回群にも降る。


北側山裾の大型種にも降る。


修復区画へ迫っていた甲殻魔物にも降る。


建物の隙間を抜けようとしていた小型魔物にも降る。


避難路の裏へ回り込もうとしていた獣型にも降る。


しかし、人には降らない。


避難民の馬車には当たらない。


子供を抱えた母親の上を、星の光がふわりと避ける。荷物を背負った老人の足元には落ちない。水を運ぶ補給兵の進路を邪魔しない。救護班が負傷者を寝かせた布の周囲には、光が円を描くように逸れていく。


建物も壊さない。


屋根瓦を避け、窓を避け、復興途中の足場を避け、橋を避ける。黒龍戦で傷ついた城壁の修復区画には、保護の光が薄く重なり、その外側へ回り込もうとした魔物だけが撃ち抜かれる。


それは、雨だった。


だが、雨ではなかった。


雨は、誰にでも降る。


星雨・黎明は違う。


選んでいた。


魔物だけを。


殺すべきものだけを。


守るべきものから外して。


「これは……」


王国軍の将官は、指揮所で言葉を失っていた。


目の前の情報盤に、戦場全域の反応が映っている。魔物の反応が、次々に消えていく。味方の反応は残っている。避難民も残っている。救護所も、補給線も、結界杭も、城壁も残っている。


魔物だけが減っている。


あり得ない速度で。


「広域殲滅魔法ではない」


王立研究院の魔法使いが、震える声で呟いた。


「いや、殲滅ではある。だが、これは……広域選別術式だ。戦場全体を対象に、敵性反応だけを抜き出している。味方識別、民間人除外、構造物保護、退避路維持、威力調整、軌道補正、それを一粒ごとに……」


彼はそこまで言って、記録板を握る手を止めた。


もう、書けなかった。


術式が多すぎる。


変化が速すぎる。


人間の目で追えるものではない。


「解析不能……」


彼の隣にいた若い研究員が、呆然と呟く。


「これを魔法と呼んでいいんですか」


「呼ぶしかない」


老魔法使いは、青ざめた顔で空を見上げた。


「だが、再現は不可能だ」


星の雨は、さらに密度を増していく。


地上の魔物群は、最初それを理解していなかった。ただ突進し、吠え、牙を剥き、防衛線へ押し寄せた。だが、前方の個体が倒れ、横の個体が倒れ、後方の個体が突然脚を撃ち抜かれ、群れの流れが乱れ始める。


大型種が踏み潰そうとした瞬間、その膝関節に星が落ちる。


バシュンッ!


巨体が崩れる。


その巨体の下にいた小型魔物を巻き込むが、近くにいた王国兵には瓦礫も血飛沫も飛ばない。シャーロットの結界が、ごく薄く、衝撃の向きだけを変えていた。


別の場所では、跳躍した魔猿型の群れが城壁を越えようとしていた。


星の光が、空中で散る。


一粒が一体へ。


十粒が十体へ。


それぞれが喉元を貫き、魔猿達は城壁の外側へ落ちる。内側へは入らない。


さらに別の場所では、毒を吐く虫型の群れが水路沿いへ迫っていた。


星雨は、虫型の胴ではなく、毒袋だけを撃ち抜いた。


毒は地面へ広がらない。星の熱でその場で焼き切られ、白い煙となって消える。


「毒煙、発生なし!」


「水路、汚染なし!」


「どうなってるんだ、これ!」


「分からん! でも助かってる!」


兵士達の声が、恐怖から驚愕へ、そして歓声へ変わっていく。


だが、シャーロットの周囲だけは違った。


彼女は星杖シリウスを両手で握り、目を見開いたまま、微動だにしなかった。


動けないのだ。


全てが頭の中に流れ込んでいる。


北東正面。


東側迂回群。


北側大型群。


避難民の流れ。


負傷者の搬送。


救護所の位置。


結界杭の損耗。


王国軍の前進。


Sランククランの斬撃。


獅子の咆哮の前衛。


ガルドの立ち位置。


アクセルの進路。


アメリアの指示。


レオンから送られる情報。


ソフィアの救護班。


魔物。


魔物。


魔物。


多すぎる。


一体を撃つたび、次の一体を選ぶ。


味方が一歩動けば、軌道を変える。


避難民が転べば、その周囲の星を止める。


建物が揺れれば、威力を落とす。


大型種が防衛線を押せば、関節を撃つ。


毒持ちなら、毒袋を焼く。


飛び跳ねる個体なら、空中で落とす。


地中へ潜る個体なら、地面を割らずに魔力核だけを抜く。


一粒。


一粒。


一粒。


星の一つ一つに、判断が必要だった。


鼻の奥が熱い。


喉が渇く。


視界の端が白く揺れる。


星衣リゲルが魔力回路の熱を逃がしている。星帽ポラリスが視界と索敵を補助している。星脈晶ヴェガが、シリウスから流れる大出力を受け、整え、逃がしている。


それでも、足りない。


身体の内側が熱い。


頭の奥に、細い針を何本も刺されたような痛みが走る。


「シャーロットさん!」


ソフィアの声が遠く聞こえた。


救護所から、彼女がこちらを見ている。


シャーロットは返事をしようとした。


大丈夫です。


そう言いかけて、やめた。


怒られるからではない。


大丈夫ではないことを、自分でも分かっていたからだ。


でも、止まれない。


まだ魔物がいる。


まだ、防衛線が押されている。


まだ、王都を飲み込もうとしている。


シャーロットは、かすかに息を吸った。


「……まだ、いけます」


その声は小さかった。


だが、ガルドには聞こえた。


彼は彼女のすぐ前で、大剣を振るっていた。星雨・黎明の範囲内では、魔物は次々に倒れていく。それでも、至近距離に飛び込んでくる個体はいる。シャーロットの術式が全域を処理している今、彼女の足元を守るのは自分の役目だった。


「無理してる声だな」


ガルドは魔物を一体叩き斬りながら言った。


「はい」


シャーロットは珍しく否定しなかった。


ガルドの表情が一瞬だけ険しくなる。


「なら、早く終わらせろ」


「はい」


「その後、倒れろ」


「倒れる予定は……」


「予定に入れとけ」


シャーロットは少しだけ笑った。


その笑いは、ほんの一瞬だった。


すぐに彼女は再び空を見上げる。


星雨が、さらに広がった。


北東主力十八万。


その先頭が、光に削られていく。


星が降るたび、魔物の反応が消える。


また降る。


また消える。


群れの密度が、目に見えて薄くなっていく。


東側迂回群七万。


避難路へ向かっていた黒い流れに、星の雨が斜めから降り注ぐ。味方の誘導線を避け、馬車の車輪を避け、逃げる人々のすぐ横を通り、魔物だけを地面へ縫い止める。


北側山裾の大型群五万。


巨体が並ぶ群れへ、星が太く落ちる。小型へ降る雨より少し大きい光。だが、それでも無差別ではない。脚の腱、魔力核、首元、背部の制御器官。必要な箇所だけを撃ち抜き、巨体を前へ進めなくする。


アクセルが大型種の前で笑った。


「今だ、押し返せ!」


獅子の咆哮の前衛達が一斉に動く。


星雨が弱らせた大型種を、前衛が押し返す。結界杭を壊そうとしていた巨体が崩れ、その向こうにいた魔物群へ倒れ込む。そこへさらに星が降り、まとめて動きを止めた。


アメリアの指示が戦場を走る。


「全軍、無理に追わない! 星雨の範囲内で位置を保って! 突出すればシャーロットの負荷が増えるわ!」


「了解!」


「前線維持!」


「負傷者を下げろ!」


レオンは情報盤の前で、ほとんど瞬きもせずに記録と伝達を続けていた。


「北東正面、敵密度三割減。東側迂回群、進行速度低下。北側大型群、前進停止。シャーロットさん、次は北東中央の密度が高いです。送ります」


「受け取りました」


シャーロットの声は、さらに細くなっていた。


レオンの手が止まりかける。


だが、止めない。


自分が情報を送れば、その分シャーロットの演算が少しでも減る。彼女が全てを自力で探るよりは、まだ負荷を分けられる。


それが今、自分にできる支援だ。


「北東中央、座標送信。味方なし。魔物密度最大」


「了解」


空の星が、その一点へ密度を増した。


雨が、そこだけ強くなる。


バシュシュシュシュシュッ!


光の雨が、黒い魔物の海へ降り注ぐ。


魔物が倒れる。


倒れる。


倒れる。


まるで、夜明けの光に影が消えていくように。


王国兵達は、いつしか武器を振る手を止めかけていた。


「見るな! 前を向け!」


将官が怒鳴る。


だが、その将官自身も、一瞬空を見てしまった。


それほどの光景だった。


王都の空から、星が降っている。


星の雨が、国を飲み込もうとしていた災害を消している。


「黎明……」


誰かが呟いた。


その言葉は、自然に広がっていった。


星雨・黎明。


長い夜を終わらせる、星の雨。


シャーロットの鼻から、赤いものが落ちた。


一筋。


それが顎へ伝い、星衣リゲルの襟元へ落ちる。


ソフィアが見逃すはずがなかった。


「シャーロットさん!」


「まだです」


今度は、返事が早かった。


止められる前に言ったような声だった。


ソフィアは走り出しかけた。


だが、救護班の負傷者が目に入る。自分がここを離れれば、今治療している兵士が危ない。搬送待ちの負傷者もいる。軽傷者も増えている。


行きたい。


でも、ここを離れられない。


「っ……!」


ソフィアは拳を握りしめた。


その時、アメリアの通信が入る。


『ソフィアさん、救護所を離れないで』


「でも!」


『あなたがそこを守るから、シャーロットが前を向けるの』


ソフィアは息を呑んだ。


アメリアの声は厳しく、けれど優しかった。


『終わったら、あなたが診るのよ。今は、あなたの場所で支えて』


ソフィアは目を閉じ、すぐに開いた。


「……はい!」


彼女は負傷者へ向き直る。


「治療を続けます! 水を! 次の方をこちらへ!」


それでも、視線の端ではシャーロットを捉え続けた。


絶対に見逃さない。


終わったら必ず診る。


絶対に逃がさない。


星雨は、最高潮に達した。


空一面に灯った星が、雨となって降り続ける。


防衛線の前で、魔物が消えていく。


東側の黒い流れが途切れる。


北側の大型群が崩れる。


北東主力の圧力が、ついに薄れ始める。


三十万という巨大な群れが、黒い海ではなく、無数の点へ戻っていく。


魔物の海に、穴が空く。


穴が広がる。


群れが分断される。


先頭が消える。


後続が止まる。


さらに星が降る。


逃げようとした個体も、味方のいない方向へ誘導されてから撃ち抜かれる。


魔物だけが、光に飲まれていく。


やがて、地響きが弱くなった。


ドドドドドという腹の奥へ響く音が、少しずつ、少しずつ遠くなる。


魔物の咆哮が減る。


防衛線を叩く衝撃が減る。


王国兵達の怒号が、戸惑いに変わる。


「……止まった?」


「いや、倒れてる」


「魔物の群れが……消えていく」


「主力が崩れたぞ!」


レオンの声が通信に走る。


『北東主力、壊滅的減少。東側迂回群、進行停止。北側大型群、残存わずか。全区域、魔物反応急速低下』


王国軍の指揮所で、将官が情報盤を見つめていた。


魔物反応が消えていく。


信じられない速度で。


三十万規模の国家級スタンピード。


国を潰しかねない災害。


その波が、止まろうとしている。


星雨が、最後の一群へ降った。


北東の地平近く。


逃げるでもなく、まだ王都へ向かおうとしていた大型魔物の群れ。その足元に、白銀の光が連続して落ちる。


バシュンッ。


バシュンッ。


バシュンッ。


一体。


また一体。


そして最後の大型種が膝を折り、地面へ沈んだ。


その瞬間。


大地の震えが止まった。


王都の外に、静寂が落ちた。


星雨もまた、ゆっくりと止んでいく。


空に残っていた小さな星々が、一つずつ消える。夜明け前の星が朝に溶けるように、白銀の光が薄れていく。


最後の一粒が、まだ動こうとしていた小型魔物の核を撃ち抜いた。


バシュッ。


それを最後に、星雨・黎明は終わった。


誰も声を出さなかった。


王国軍も。


冒険者達も。


避難民も。


救護班も。


王立研究院の魔法使い達も。


誰もが、ただ王都の外を見ていた。


そこには、魔物の群れが倒れていた。


防衛線は残っている。


避難路も残っている。


救護所も残っている。


城壁も、建物も、橋も、まだ残っている。


そして、人が生きていた。


長い沈黙の後。


どこかで、子供が泣き出した。


恐怖ではない。


助かったのだと分かった泣き声だった。


それをきっかけに、王都の防衛線全体から歓声が上がった。


「終わった……!」


「魔物が止まったぞ!」


「王都は守られた!」


「星纏いの魔女だ!」


「獅子の咆哮だ!」


「王都が、助かった!」


歓声が波のように広がる。


武器が掲げられ、兵士達が抱き合い、避難民が泣き、救護班がその場に座り込む。王国軍の将官でさえ、深く息を吐いて目を閉じた。


国家級スタンピード。


王都を飲み込むはずだった災害の波は、止まった。


その中心で、シャーロットは静かに星杖シリウスを下ろした。


手が震えていた。


指先の感覚が薄い。


膝が少しだけ沈む。


ガルドがすぐに腕を伸ばした。


「おっと」


シャーロットの体が、彼の腕に支えられる。


「倒れてはいません」


「はいはい」


ガルドは短く返した。


「支えられてるだけだな」


シャーロットは少しだけ笑おうとした。


だが、うまく笑えなかった。


視界が白く揺れる。


鼻から、また赤いものが落ちる。


星衣リゲルの胸元に、小さな赤い染みが広がった。


通信線の向こうで、ソフィアの声が震えた。


『シャーロットさん』


「……はい」


『今すぐ、診ます』


「はい」


今度は、逆らわなかった。


アメリアの声も低く響く。


『説教も後で』


「はい」


ガルドは大剣を地面に突き立て、シャーロットを支えながら空を見上げた。


そこにはもう、星雨の光はない。


ただ、雲の切れ間から差し込む朝のような光が、王都の外へ降り注いでいた。


夜は終わった。


けれど、その夜を終わらせた魔法使いは、ようやく自分の限界を身体で知らされようとしていた。

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― 新着の感想 ―
最後の1体までシャーロットが倒す必要は皆無だべ… 短く終わらせる気ないやん
説教とかなんなん? もうどうしようもない状況で、ギリギリまで守って戦ってくれたのに。 唯一なんとかできる魔法使いに、どうして上から目線? 説教の前に感謝しなよ。 あとソフィアは新人なのに偉そうすぎる。
何を説教すると言うのかなぁ? 他に手立てが無かったのに。
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