第1節 任される試験
翌日、シャーロットは獅子の咆哮の会議室に呼ばれた。
昨日より少し整えられた髪には、アメリアが選んだ新しい髪紐が結ばれている。用意してもらったばかりの普段着は、まだ肌に馴染まない。その上から、銀翼を出る時に渡された古いローブを羽織っていた。
ローブは相変わらずくたびれている。袖口は擦り切れ、何度も繕った跡が残っていた。
ガルドは彼女を見るなり眉を寄せた。
「……やっぱり、そのローブはないな」
「昨日いただいたばかりなので、まだ使えますよ?」
「いただいたって言い方をやめろ。あれは処分品を押し付けられただけだ」
「でも、穴は塞がっています」
「基準が低すぎる」
シャーロットは袖口をつまみ、少しだけ首を傾げた。
「着られますよ?」
「着られるかどうかの話じゃない」
そこへ会議室の扉が開いた。
団長アクセル、副団長レオン、そしてアメリアが入ってくる。アクセルは正面の席へ座り、レオンは書類を広げた。アメリアは壁際ではなく、シャーロットの斜め前に立つ。
昨日のような柔らかさはない。けれど、突き放す冷たさでもなかった。
「シャーロット。昨日話した試験の件だ」
「はい」
シャーロットは背筋を伸ばした。
試験と聞いて、魔法の実技か模擬戦を想像していた。攻撃魔法使いとして失格だと言われたばかりなのだから、今度こそ攻撃魔法で成果を示さなければならないのかもしれない。
だが、アクセルの口から出た内容は違った。
「明日、初級ダンジョンで新人教育任務を行う。お前には、その引率に同行してもらう」
「新人教育、ですか?」
「ああ。形式上は幹部候補試験だが、新人達の訓練も兼ねる。新人を連れて初級ダンジョンに入り、探索、戦闘、撤退判断を実地で確認する」
シャーロットは瞬きをした。
「私が、戦う試験ではないのですか?」
「必要なら戦ってもらう」
アクセルは短く答えた。
「だが、見たいのは火力だけじゃない。幹部候補として、人を預けられるかどうかを見る」
レオンが書類を一枚めくる。
「参加する新人は五名。前衛二名、斥候一名、魔法使い一名、補助役一名です。まだ実戦経験は浅く、判断も未熟です。初級ダンジョンでも、予定外のことが起きれば崩れるでしょう」
「はい」
「あなたには、彼らの動きを見て、危険を判断し、必要に応じて指示を出してもらいます。試験項目は討伐数ではありません」
レオンはそこで顔を上げた。
「新人を無事に帰すこと。危険を見抜くこと。撤退判断ができること。場を乱さないこと。そして、必要以上に新人の経験を奪わないことです」
シャーロットはすぐには返事をしなかった。
討伐数ではない。
無事に帰すこと。
指先が、膝の上で小さく動く。
銀翼で何度もやってきた。前衛が崩れる前に足場を整え、後衛の詠唱が乱れる前に魔力の流れを直し、新人が怯えた時は魔物の進路をずらした。記録には、訓練補助、同行補助、支援とだけ残っていた。
それを今、試験項目として言われている。
シャーロットは髪紐にそっと触れた。
「……それで、いいんですか?」
「いい」
アクセルは迷わず答えた。
「むしろ、それができない奴を幹部候補にはできん。強いだけなら前線に置けばいい。幹部は、人を生かして帰す責任を持つ」
ガルドが腕を組んだまま言う。
「お前向きだろ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。自覚がないだけでな」
アメリアが口を挟んだ。
「私はダンジョン入口までは同行するわ。ただし、中へは入らない。入口で待機して、帰還後に報告を受ける形にする」
「アメリアさんは中に入らないんですか?」
「最初から私が横にいたら、新人達もあなたも私を見るでしょう。それでは試験にならないわ」
「……私が、判断するんですね」
「そうよ」
その返事に、シャーロットの喉が小さく鳴った。
ガルドも続ける。
「俺も入らない」
「ガルドさんも、ですか?」
「ああ。俺が中にいたら、新人どころか、お前まで俺を保険にするだろう」
「そんなことは……」
「ある」
ガルドは短く言い切った。
「危なくなったら、お前が判断しろ。撤退するなら撤退しろ。支えるなら支えろ。今回、現場を任されるのはお前だ」
シャーロットは膝の上で指を握った。
任される。
その言葉は、少し重かった。
「……怖いです」
部屋の空気が、わずかに止まる。
シャーロットはすぐに顔を上げた。
「でも、見てもらえるなら受けたいです。明日、逃げずに行きます」
アクセルの目が細くなった。
「分かった」
アメリアの声が少しだけ柔らかくなる。
「初級ダンジョンといっても油断はしないで。新人達は、予定通りに動くとは限らないわ。怖がれば視野が狭くなるし、焦れば隊列を崩す。勝てる敵に突っ込む者もいれば、退くべき時に固まる者もいる」
「はい」
「ただし、全部を代わりにやってはいけないわ。彼らに経験させることも教育よ」
シャーロットはその言葉で少し黙った。
銀翼では、危ないと思えば先に処理していた。誰かが怪我をする前に危険を消す。それでいいと思っていた。
けれど、今回は違う。
守りすぎても、彼らは覚えられない。
「……危なくなりすぎない範囲で、できるだけ新人さん達に経験してもらう。そういうことですね」
レオンのペンが止まった。
「理解が早いですね」
「銀翼でも、新人さん達を見ることはありましたので」
「記録上は、訓練補助としか残っていませんでしたが」
「はい。補助でした」
シャーロットは当然のように答えた。
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
ガルドが舌打ちしそうな顔をして、何も言わずに腕を組み直す。アメリアは視線を落としたが、すぐに表情を戻した。レオンは書類の端を揃え直す。
アクセルが息を吐いた。
「装備についてだが、明日はうちの予備ワンドも一本持っていけ。今のままでは危ない」
「このワンド、まだ使えますよ?」
シャーロットは腰に差した粗末なワンドに手を添えた。銀翼から餞別として渡されたものだ。魔石は濁り、軸にも細かな傷がある。
ガルドが即座に言う。
「使えない」
「魔力は通ります」
「通ればいいってもんじゃない」
「でも、壊れてはいません」
「壊れる前提で使うな」
アクセルが手を上げ、二人を止めた。
「そのワンドを持っているのは構わん。だが、危ないと思ったら迷わず予備を使え。道具に無理をさせるな」
「はい」
シャーロットは頷いたあと、古いワンドを親指で撫でた。
「……すみません。もう少しだけ、持っていてもいいですか」
アクセルは一瞬だけ黙り、頷く。
「持つなとは言っていない。無理をさせるなと言っている」
「はい」
アメリアはその手元を見ていた。
何か言いかけたが、飲み込む。
「明日の集合は朝鐘二つ目。場所は本部正門前。新人達とはそこで合流するわ」
「はい」
「服装は動きやすいもので。ローブは……」
アメリアはシャーロットの古いローブを見る。
「……明日だけは仕方ないわね。後で点検させて」
「すみま――」
シャーロットは途中で口を閉じた。
それから、小さく言い直す。
「ありがとうございます」
ガルドが小さく笑った。
「少しは学んでるな」
「努力します」
「そこは頑張らなくていい」
会議室の空気が、少しだけ緩んだ。
説明が終わると、レオンが試験用の書類をまとめる。
「最後に確認します。今回の任務では、あなたを単なる戦闘員として見ません。幹部候補として、現場全体を見る力を確認します。新人達の命を預けることになりますが、よろしいですか?」
シャーロットは頷いた。
「はい。必ず無事に帰します」
声は大きくなかった。
けれど、そこで迷いは出なかった。
アクセルはその目を見て、静かに頷く。
「なら、任せる」
会議が終わり、シャーロットが部屋を出た後、しばらく沈黙が残った。
ガルドが扉の方を見たまま言う。
「どう見る?」
レオンは書類を整えながら答えた。
「まだ判断はできません。ただ、銀翼の評価だけでは説明できない人材ですね」
アメリアも短く頷いた。
「本人が一番、自分のしてきたことを軽く見ているわ」
アクセルは椅子に背を預け、腕を組む。
「明日で分かる。ガルドが言うほどの魔法使いなのか。銀翼の評価通りなのか」
ガルドは鼻で笑った。
「見れば分かる」
その声に迷いはない。
「銀翼の評価表がどれだけ節穴だったか、嫌でも分かるさ」
翌朝。
獅子の咆哮本部の正門前には、五人の新人が集まっていた。
新品に近い防具。少し硬い表情。緊張で握りしめられた武器。彼らの前に、アメリアが立つ。その横にはガルド。少し後ろにシャーロットがいた。
古いローブに、癖のついたウィッチハット。腰には粗末なワンドと、獅子の咆哮で用意された予備ワンド。
新人達の視線が、自然と彼女に集まる。
一人の少年が、ローブの袖口を見た。別の少女は、予備ワンドに目を移した。誰も口には出さない。ただ、戸惑いが隠しきれていない。
シャーロットは一度だけ自分の袖を見た。
それから顔を上げ、にこりと笑う。
「今日はよろしくお願いします。皆さんが無事に帰れるように、一緒に頑張りましょう」
新人達の肩から、ほんの少し力が抜けた。
アメリアは全員を見回し、声を張る。
「これより初級ダンジョンで新人教育任務を行います。今回、シャーロットさんには幹部候補として同行してもらいます。私とガルドは入口まで同行しますが、中には入りません。あなた達は普段通り動きなさい。ただし、シャーロットさんから指示が出た時は必ず従うこと。迷った時に勝手な判断をしないこと。いいわね?」
「はい!」
新人達の声が揃った。
シャーロットは一人一人を見る。
盾役の少年は、肩に力が入りすぎている。もう一人の前衛は足幅が狭い。斥候役の少女は前ばかり見ていて、横への警戒が甘い。魔法使いの少年はワンドを握る手が少し震えている。補助役の少女は周囲を見ようとしているが、まだ情報を拾いきれていない。
直したいところは、いくつもあった。
でも、今すぐ全部は言わない。
シャーロットは息を吸い、吐いた。
「危なくなったら、声をかけます。でも、最初は皆さんで進んでみてください」
新人達が顔を見合わせる。
盾役の少年が、少し緊張した声で答えた。
「はい。お願いします」
「こちらこそ」
シャーロットは古いワンドから手を離し、前を向いた。
初級ダンジョンの入口は、朝の光の中で暗く口を開けている。
新人達が一歩目を踏み出す。
シャーロットは半歩後ろから、その背中についていった。




