第8節 星槍レグルス②
星槍が、空を走った。
一本ではない。
十本でもない。
王都の空に灯った無数の星が、次々と槍へ変わり、緑竜の群れへ向けて放たれる。
キィンッ!
最初の一本が、先頭を飛ぶ緑竜の翼の付け根を貫いた。
バシュンッ!
白銀の光が抜けた瞬間、緑竜の片翼から力が消える。巨体が傾き、空中で回転する。だが、ただ落ちるのではない。シャーロットの結界が下方に薄く展開し、落下方向を市街地の外へ押し流す。
ズドォンッ!
緑竜は外壁外側の空地へ叩きつけられた。
「一体撃墜!」
王国兵の声が上がる。
その声を追い越すように、二本目、三本目、四本目が走った。
キィンッ、キィンッ、キィンッ!
空に澄んだ音が連続する。
星槍は、緑竜の鱗を力任せに砕いているわけではなかった。狙う場所は、一体ごとに違う。
翼を支える魔力の流れ。
喉奥に溜まったブレス器官。
胸部の核。
飛行姿勢を保つための魔力節。
緑竜が次に何をしようとしているのかを見極め、その行動を止めるために必要な一点だけを穿つ。
バシュッ!
翼を撃ち抜かれた緑竜が落ちる。
ゴォンッ!
胸部核を外側から貫かれた緑竜が空中で力を失う。
ギィンッ!
ブレス器官を裂かれた緑竜の喉から、溜め込んだ緑の炎が爆発せずに空へ逃がされる。
「ブレスが散った!」
「暴発していない!」
「市街地に落ちていないぞ!」
王国軍の対空部隊が、信じられないものを見る顔で空を見上げていた。
緑竜は竜だ。
一体でも村を焼く。
空を取られれば、防衛線を上から崩される。
まして今は群れである。普通なら、撃墜できたとしても落下地点までは制御できない。空中で魔力器官が暴発すれば、炎と竜の巨体が市街地へ降る。避難民を守るどころか、王都そのものが傷つく。
だが、星槍レグルスは違った。
撃つ。
貫く。
散らす。
落とす。
その全てを、シャーロットは計算していた。
「左、二体。高度を変えます」
レオンの通信が飛ぶ。
「見えています」
シャーロットは短く答えた。
星帽ポラリスの内側で、視界補助がさらに細かく動く。左上空の二体が急降下に見せかけて身を捻り、別方向へ逃げようとしている。片方は避難路の上を通り、もう片方は王国軍の魔法兵の背後へ回ろうとしていた。
星槍が二本、空中で軌道を変えた。
真っ直ぐではない。
一度、緑竜の視界から外れるように上昇し、そこから斜め後方へ落ちる。
キィィンッ!
「曲がった……!」
研究院の魔法使いが、思わず声を漏らした。
普通の射出魔法ではない。
発射後に軌道を変えている。
しかも、ただ追尾しているのではない。緑竜の逃げる先を読み、建物と味方の射線を避け、落下地点まで計算している。星槍一本一本が独立して動いているようでありながら、全体として一つの星図を描いている。
「あり得ない……」
研究員の手が震える。
「これを、一人で制御しているのか……?」
その問いに答える者はいなかった。
答えは、空にあった。
バシュンッ!
左へ逃げた緑竜の翼基部が貫かれる。
ズドンッ!
避難路の外へ落ちる。
もう一体は、ブレスを溜めようとした瞬間、喉元に星槍が刺さった。
ゴォォッ、と緑の炎が漏れかける。
だが、星槍が内部の魔力を細く裂き、上空へ逃がした。
爆発しない。
燃え広がらない。
緑竜だけが、力を失って落ちる。
「すごい……」
避難民の一人が、空を見上げて呟いた。
その声は小さかった。
だが、周囲の人々も同じ気持ちだった。
王都の空を、星が走っている。
緑竜が空を覆っていたはずなのに、その竜達が一体ずつ、一撃ずつ、確実に落とされていく。
黒い影が消えていく。
空が、少しずつ取り戻されていく。
「星纏いの魔女……」
誰かがその名を口にした。
その声に応えるように、また星槍が走る。
キィンッ!
バシュンッ!
ゴォンッ!
三連続の音。
三体の緑竜が、ほぼ同時に翼を失い、落下方向を変えられ、王都の外側へ叩きつけられた。
「次、上空正面。五体固まります」
レオンが言う。
「まとめて落とします」
シャーロットは星杖シリウスを握り直した。
五体の緑竜が、編隊のように高度を揃えて突っ込んでくる。狙いは、東側外縁区ではない。王都結界の上を抜けて、内側へブレスを落とすつもりだ。
「来るぞ!」
王国兵が叫ぶ。
「対空結界、張れ!」
魔法兵達が慌てて術式を展開する。
だが、その必要はなかった。
シャーロットの頭上に、五つの星点が並ぶ。
それぞれが、異なる高さ、異なる角度、異なるタイミングで伸びた。
五本の星槍が、一直線ではなく、螺旋を描くように空を走る。
キィィィンッ!
最初の一本が、先頭の緑竜の喉を貫く。
二本目が、左翼側の竜の翼基部を断つ。
三本目が、右翼側の胸部核を外へ抜く。
四本目が、後続のブレス器官を上空へ逃がす。
五本目が、最後尾の飛行魔力を乱す。
ほぼ同時。
バシュンッ――バシュンッ――バシュンッ!
五体の緑竜が、空中で崩れた。
一体は上へ炎を吐き切り、落ちる。
一体は翼を失い、外側へ流される。
一体は胸部の魔力を散らされ、失速する。
一体は首を反らしながら落下する。
一体は姿勢を保てず、回転しながら外壁外へ誘導される。
ズドドドドォンッ!
五つの巨体が、王都の外側へ落ちた。
地面が連続して揺れる。
城壁の上の兵士達が、声を失った。
そして次の瞬間、歓声が上がった。
「落ちた!」
「五体まとめて!」
「緑竜が落ちていくぞ!」
「空が空いてきた!」
歓声は、王国軍から冒険者達へ、避難民へ、救護班へ広がっていく。
だが、シャーロットは空から目を離さない。
まだいる。
緑竜はまだ、空に残っている。
東側へ来た先行群だけではない。北側修復区画、北東正面、さらに高空で様子を見ている個体。百体規模の群れは、まだ完全には消えていない。
「対象を拡大します」
シャーロットは静かに言った。
ソフィアの声が通信で飛ぶ。
『シャーロットさん、今のでかなり魔力循環が乱れています! 手の震えが強くなっていませんか!』
「少しです」
『少しではありません!』
「まだ、落とせます」
『それも危ない言い方です!』
「ソフィアさん」
シャーロットの声が、少しだけ柔らかくなる。
「緑竜を空に残す方が、もっと危ないです」
通信の向こうで、ソフィアが息を呑んだ。
その通りだった。
緑竜は、残せば被害が広がる。王都の上空を取られれば、避難路も救護所も防衛線も、すべて上から焼かれる。今ここで落とす必要がある。
だから、止められない。
だからこそ、見ていなければならない。
「……分かりました」
ソフィアの声が震える。
「でも、終わったら絶対に診ます。逃がしません」
「はい」
「あと、倒れたら怒ります」
「倒れないようにします」
「倒れなくても怒るかもしれません」
シャーロットは少し笑った。
「それは困ります」
ガルドが横で大剣を振るいながら言う。
「諦めろ。怒られとけ」
「ガルドさんまで」
「怒られる理由がある時は怒られろ」
「……はい」
ガルドは迫る魔物を斬り伏せながら、空を一瞥した。
「シャーロット」
「はい」
「落とせ。下は俺達が止める」
その言葉に、獅子の咆哮の前衛達が声を上げた。
「任せてください!」
「地上は押さえます!」
「緑竜、お願いします!」
王国兵達も続く。
「こちらも前を支えます!」
「避難路は守ります!」
「星纏いの魔女殿、空を!」
一人で背負わせない。
下は自分達が持つ。
だから空を落とせ。
その声が、シャーロットの背を押した。
銀翼ではなかったもの。
獅子の咆哮にあるもの。
彼女は一人ではない。
シャーロットは星杖シリウスを両手で握り、空を見上げた。
「分かりました」
空に、さらに星が灯る。
今度は東側だけではない。
北側修復区画の上空。
北東正面の防衛線上。
避難路の空。
城壁の外。
緑竜達の逃走経路。
星点が広がる。
王都の空に、巨大な星座が描かれていく。
「星槍レグルス、広域展開」
星杖シリウスの核が深く輝いた。
シャーロットの魔力が、星図を通って空へ満ちる。
星点が、それぞれ緑竜を捉える。
翼。
喉。
胸部核。
飛行魔力。
ブレス器官。
落下地点。
全てを結ぶ。
空の緑竜達が、明確に怯えた。
一斉に散開する。
あるものは急上昇し、あるものは急降下し、あるものは互いの影に隠れ、あるものは王都の建物の上へ逃げようとする。
だが、星はもう彼らを捉えていた。
「落とします」
シャーロットは告げた。
星槍が、雨ではなく、槍の群れとして空を走る。
キィンッ!
一本目。
バシュンッ!
緑竜の翼基部を貫く。
キィンッ!
二本目。
ゴォンッ!
胸部核を外へ抜く。
キィンッ!
三本目。
ブレス器官を裂き、炎を空へ散らす。
四本目、五本目、六本目。
十本。
二十本。
三十本。
空が、白銀の線で満ちた。
緑竜が次々と落ちる。
ズドォンッ!
ゴォンッ!
ドドォンッ!
バシュンッ――ズンッ!
地面が震える。
だが、王都は燃えない。
建物は巻き込まれない。
避難民の馬車列は守られている。
緑竜だけが、落ちていく。
王国軍の兵士達が、声を上げることすら忘れていた。
王立研究院の魔法使いは、記録板を落とした。
「こんな……」
彼は震える声で呟く。
「これは、対空魔法ではない。これは……空そのものを制御している」
緑竜の群れが、崩れていく。
空を覆っていた影が、穴だらけになる。
王都上空へ迫っていた緑竜の脅威が、星槍に貫かれ、外壁の外へ落とされ、ブレスを吐く前に沈黙していく。
最後の一体が、必死に高空へ逃げようとした。
翼を折り畳み、体を細くし、雲の方へ昇る。
星槍が追う。
緑竜が身を捻る。
星槍はさらに角度を変えた。
緑竜の背後へ回り込み、翼の根元を貫く。
キィンッ――バシュンッ!
緑竜が、声にならない咆哮を上げて落ちていく。
落下地点は、王都外壁のさらに外。
シャーロットが最後に結界を敷き、衝撃を地面へ逃がした。
ズドォォォンッ!
土煙が上がる。
そして、王都の空から、緑竜の影が消えた。
ほんの数秒。
誰も動けなかった。
空は、青かった。
黒い翼も、緑の炎もない。
ただ、星槍の残光が、白銀の線となってゆっくり消えていく。
最初に声を上げたのは、避難民の子供だった。
「空が、戻った……」
その声をきっかけに、王国軍から歓声が爆発した。
「緑竜を落としたぞ!」
「全部か!?」
「王都上空は空いた!」
「星纏いの魔女だ!」
「星纏いの魔女が、緑竜を落とした!」
歓声が広がる。
防衛線の兵士達が武器を掲げ、避難民が涙を流し、救護班が空を見上げる。王国軍の将官でさえ、一瞬だけ言葉を失っていた。
だが、シャーロットは歓声の中心で、静かに息を吐いた。
手が震えていた。
星杖シリウスを握る指先が、じん、と痺れている。
星帽ポラリスの補助術式が、熱を持っている。
星衣リゲルが魔力循環を逃がしてくれているが、それでも身体の内側に熱が残る。
星槍レグルス。
緑竜群を落とすには、十分すぎるほどの術式だった。
しかし、これで終わりではない。
空は取り戻した。
だが地上には、まだ三十万の魔物群がいる。
地響きは止まっていない。
むしろ、緑竜の脅威が消えたことで、地上の群れの圧力がはっきり感じられるようになった。
ドドドドドドドドド――。
大地が鳴る。
遠くの地平が、黒く揺れている。
魔物の海が、王都へ迫っている。
レオンの通信が、緊張を帯びて届いた。
『緑竜脅威、王都上空ではほぼ消失。ですが地上主力、接近。北東正面、第一防衛線に接触します。東側迂回群もまだ止まっていません。北側大型群、圧力増大』
アメリアの声が続く。
『シャーロット、今のうちに少し下がりなさい』
ソフィアも叫ぶ。
『そうです! 一度診ます!』
シャーロットは空から地上へ視線を戻した。
王都の外に広がる魔物の群れ。
防衛線へ迫る黒い波。
数が、多すぎる。
一つ一つを倒していては、間に合わない。
防衛線がいずれ潰れる。
王国軍も、Sランククランも、獅子の咆哮も、全てが戦っている。だが、三十万という数は、ただ戦うだけで押し潰してくる。
避難は進んだ。
空は取り戻した。
緑竜は落とした。
なら、次に必要なのは。
シャーロットは、星杖シリウスを静かに地面へ突いた。
カン、と澄んだ音が鳴る。
「……まだ、終わっていません」
その声に、ガルドが振り返る。
「シャーロット」
アメリアの通信が鋭くなる。
『何をする気?』
ソフィアの声が震える。
『まさか、これ以上広げるつもりですか?』
シャーロットは、地上を埋める魔物の海を見つめた。
星槍レグルスでは、空を取り戻した。
だが、地上を救うには別の術式が必要だ。
大火力で焼き払うだけでは、味方も防衛線も避難路も巻き込む。
だから、選ばなければならない。
魔物だけを。
王都を守りながら。
味方を避けながら。
三十万の中から、敵だけを。
星杖シリウスの核が、再び深く光った。
シャーロットは静かに息を吸う。
「星雨・黎明の準備に入ります」
その言葉が、通信線を通じて、獅子の咆哮全体へ届いた。
誰も、すぐには声を出せなかった。




