第7節 星槍レグルス①
「星槍レグルス、展開します」
シャーロットの声は、戦場の轟音の中でも、不思議なほどはっきり響いた。
東側外縁区の空に、小さな星が灯る。
最初は三つだった。
緑竜三体の頭上に、それぞれ一つずつ。淡い白銀の点。遠くから見れば、昼の空に紛れ込んだ小さな星のようだった。
だが、その光を見た瞬間、緑竜達の動きが変わった。
本能で分かったのだ。
あれは、ただの光ではない。
逃げなければならないものだ。
グォォォォォッ!
一体が翼を大きく打ち、急上昇する。もう一体は身を捻って市街地の建物の陰へ逃れようとし、三体目はブレスを吐くために喉奥へ魔力を集めた。
シャーロットは星杖シリウスを掲げたまま、静かに目を細める。
星帽ポラリスの視界補正が、緑竜の動きを鮮明に捉える。
翼の付け根。
胸部の魔力核。
喉奥のブレス器官。
飛行姿勢を支える魔力の流れ。
竜の肉体を丸ごと吹き飛ばす必要はない。
ここは市街地の上だ。
大きく爆ぜれば、落下した巨体が建物を潰す。ブレス器官を雑に破壊すれば、溜まっていた魔力が暴発して周囲を焼く。翼を完全に吹き飛ばせば、制御を失った竜が避難路へ落ちる可能性もある。
必要なのは、撃墜。
ただし、落ちる場所まで決めた撃墜。
「一体目、翼基部。二体目、喉。三体目、胸部核の外縁」
シャーロットは小さく呟いた。
その声に応えるように、三つの星点が伸びた。
光が細く引き絞られる。
点が線になり、線が槍になる。
キィンッ!
澄んだ音が、空を打った。
次の瞬間、一本目の星槍が走る。
バシュンッ!
白銀の槍は、急上昇しようとした緑竜の翼の付け根を正確に貫いた。肉を裂き飛ばすのではない。翼を動かす魔力の流れを断ち、関節の一点だけを撃ち抜く。
緑竜の巨体が空中で傾く。
グォッ!?
咆哮が途切れた。
翼の片方が力を失い、竜は回転しながら落ちる。だが、真下ではない。シャーロットが風の流れと結界の角度を重ね、落下方向を外側の空地へ誘導していた。
ズドォォンッ!
緑竜の巨体が、避難民のいない空地へ叩きつけられる。
地面が揺れ、砂埃が舞う。
だが、建物は潰れない。
人も巻き込まれない。
「一体、落ちた……!」
王国兵が叫んだ。
その声が終わる前に、二本目が走る。
キィンッ、バシュッ!
市街地の建物の陰へ逃げ込もうとした緑竜の喉元へ、星槍が突き刺さった。狙いは首ではない。喉奥で膨らみかけていたブレス器官。そこに溜まった魔力を、爆発させずに貫き、散らす。
緑の光が一瞬だけ膨れた。
誰もが身構える。
しかし、爆ぜなかった。
星槍の先端が、溜まっていた魔力を細く裂き、上空へ逃がしたのだ。
ブレスになり損ねた緑の炎が、空へほどけるように散っていく。
グァァァッ!
緑竜が苦痛の声を上げ、力を失って地面へ落ちる。
シャーロットはすかさず地面に結界を敷いた。衝撃を一方向へ逃がす、薄い一層の結界。緑竜の巨体は石畳を割りながらも、避難路とは逆の方向へ滑って止まった。
「二体目!」
「すげえ……!」
「爆発しなかったぞ!」
王国兵達が声を上げる。
だが、シャーロットはまだ空を見ていた。
三体目。
胸部に魔力を溜めた緑竜が、怒りに任せて真っ直ぐ突っ込んでくる。爪を広げ、口を開き、翼を畳むようにして速度を上げていた。狙いはシャーロットだ。
ガルドが前に出ようとする。
「シャーロット!」
「大丈夫です」
シャーロットは星杖シリウスを少しだけ傾けた。
三本目の星槍が、空中で角度を変える。
真っ直ぐではない。
一度上へ抜け、緑竜の視界から消えたように見せ、そこから急降下する。
緑竜が反応する前に、白銀の槍が胸部の魔力核の外縁を撃ち抜いた。
バシュンッ――ゴォンッ!
鈍い衝撃音が、空に響いた。
緑竜の胸部から光が抜ける。巨体の勢いが消え、空中で大きく揺らぐ。核そのものを爆ぜさせてはいない。シャーロットは魔力の流れを外側へ逃がし、竜の体内で暴走しかけた力を空へ散らした。
緑竜は地面へ向かって落ちる。
落下地点は、ガルド達の前方。
「こっちに来るぞ!」
兵士が叫ぶ。
ガルドは大剣を構えた。
だが、シャーロットの結界が先に走る。
斜めに張られた一層障壁が、落下する緑竜の巨体へ触れた。
ドォンッ!
軌道がわずかに変わる。
ガルドが踏み込む。
「おらぁっ!」
大剣が、落ちてきた緑竜の首元へ叩き込まれた。
ゴォンッ!
巨体が横へ流れ、砕けた石畳を削りながら止まる。
ガルドは砂埃の中で大剣を肩に担ぎ、シャーロットへ振り返った。
「落とすなら落とすって言え」
「言いました」
「俺の方に落とすとは聞いてねえ」
「ガルドさんなら受けられると思いました」
「信頼が雑だな」
「信頼しています」
ガルドは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから鼻を鳴らした。
「ならいい」
アメリアの通信が飛び込む。
『東側、緑竜三体撃墜を確認。避難路の安全確保、進んでいるわ』
レオンの声も続く。
『ですが、北東上空の緑竜群が動きました。先行群が分裂。数、二十以上。東側と北側修復区画へ向かっています』
王都の空に、影が増えた。
遠くの緑竜達が、東側の三体が落とされたことに反応したのだ。群れが大きく旋回し、複数の影が高度を下げてくる。翼が空を覆い、濁った緑の魔力があちこちで灯る。
一体ずつなら落とせる。
だが、今度は一体ずつではない。
二十。
三十。
さらに後続。
空が、緑竜の影で埋まり始めていた。
王国軍の対空部隊が矢を放つ。
魔法兵が火球を撃ち上げる。
だが、緑竜達は散開した。高低差をつけ、左右に広がり、ブレスの射線をずらす。先ほどの三体とは違う。群れとして動き始めている。
「散ったか」
ガルドが低く言う。
「はい」
シャーロットは空を見上げた。
「ですが、まだ撃てます」
ソフィアの声が救護所から飛んだ。
『シャーロットさん、負荷はどうですか!』
「大丈夫です」
『その言葉は信用しません!』
シャーロットは少しだけ困ったように笑った。
「まだ、制御できます」
それは、大丈夫とは違う答えだった。
ソフィアは通信の向こうで息を呑む。
アメリアが低く言う。
『短く終わらせなさい。緑竜を空に残す方が被害が広がるわ』
「はい」
シャーロットは星杖シリウスを両手で持った。
星杖シリウスの核が、夜空のように深く光る。
星帽ポラリスの補助術式が、空域を星図のように描く。
星衣リゲルが、彼女の魔力循環を支え、過剰な熱を逃がす。
星脈晶ヴェガが、腰で淡く震える。
対緑竜用術式。
星槍レグルス。
三体分の照準など、まだ序にすぎなかった。
シャーロットは空へ向けて、静かに言った。
「対象、緑竜群」
空に星が増えた。
十。
二十。
三十。
さらに増える。
緑竜達の頭上、翼の横、喉元の斜め上、飛行経路の先。まるで、空そのものに星座が描かれていくように、白銀の星点が次々と灯った。
王国軍の魔法兵達が、息を呑んで空を見上げる。
「何だ、あれは……」
「魔法陣じゃないのか?」
「いや、照準だ……!」
王立研究院から派遣されていた魔法使いが、震える手で記録板を握る。
「星点が、それぞれ別の対象を追っている……? いや、対象だけではない。落下地点、射線、ブレス器官、味方の位置まで……どうなっているんだ」
隣の研究員が顔を青ざめさせる。
「解析できますか」
「できるわけがないだろう。術式の数が多すぎる。いや、多いだけではない。全部が動いている」
空の星点は固定されていない。
緑竜の翼の角度に合わせて移動し、ブレスの兆候に合わせて位置を変え、王都の建物や避難路を避けるように射線を組み替えていく。
ただの多重攻撃ではない。
多重照準。
多重演算。
多重保護。
緑竜の群れが、本能的に散った。
一斉に高度を変え、左右へ逃げ、ブレスを吐こうとする個体もいる。中には街の建物の陰へ降りようとする個体もいた。普通なら、これで魔法の狙いは乱れる。味方を巻き込む危険も増える。市街地での対空魔法としては最悪の状況だ。
だが、シャーロットの星は乱れなかった。
むしろ、逃げる先に先回りするように、星点が移動した。
「星槍レグルス」
シャーロットの声が、静かに響く。
「多重展開」
キィィィンッ!
空に灯った星々が、一斉に細く伸びた。
星点が槍になる。
白銀の光が、空を埋める。
王都の人々が、避難路から空を見上げた。兵士達も、冒険者達も、負傷者を抱えた救護班も、一瞬だけ息を止めた。
昼の空に、星の槍が浮かんでいる。
美しい。
だが、それは美しさのための光ではない。
緑竜を落とすための、精密な刃だった。
「落とします」
シャーロットは告げた。
「街へは、行かせません」
次の瞬間。
星槍が、空を走った。




