表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/93

第6節 王都結界

東側外縁区に、戦う形が戻った。


ガルドが前に立ち、獅子の咆哮の前衛達が左右へ広がる。王国軍の支援部隊が崩れた木柵の内側へ入り、盾を並べた。搬送路は水路沿いへ切り替わり、避難民の馬車列が少しずつ動き出している。


だが、それだけで安心できる状況ではなかった。


地上には、まだ魔物が押し寄せている。


獣型の群れ。


甲殻を持つ大型種。


小型の牙持ち。


建物の隙間を抜けようとする魔物。


そして空には、緑竜三体。


さらに遠くの空にも、別の緑竜の影が見え始めていた。


東側外縁区は、王都の防衛線の中でも弱い場所になってしまっている。避難民が通り、兵士が押し戻し、救護班が負傷者を受け入れる。人の流れと戦闘の流れが近すぎる。


このままでは、もう一度崩れる。


シャーロットは星杖シリウスを手に取った。


「ガルドさん、前をお願いします」


「任せろ」


ガルドは振り返らずに答えた。


次の瞬間、彼の大剣が横薙ぎに走る。


ズォンッ!


地面を蹴って突っ込んできた大型魔物の前脚が砕け、巨体が傾いた。獅子の咆哮の前衛達が左右から槍を入れ、王国兵が盾で押し返す。


「今だ、押せ!」


ガルドの声に、前線が一歩だけ前へ出る。


その一歩が大きかった。


避難民との距離が広がる。救護班が動ける。馬車が進める。戦場に、わずかだが余白ができる。


シャーロットはその余白を見逃さなかった。


星杖シリウスの石が、深い夜空のように光る。


彼女は杖の先を石畳へ軽く置いた。


カン、と澄んだ音。


その音を中心に、青白い魔法陣が広がった。


最初は足元だけだった。


次に、崩れた防衛線へ。


さらに、水路沿いの退避路へ。


馬車列の周囲へ。


負傷者が集められている仮設救護所へ。


避難民が走る通りの上へ。


細い線が石畳を走り、建物の壁を伝い、空中で円を描く。線と線が繋がり、立体の星図のような術式へ変わっていく。


王国兵の一人が呆然と呟いた。


「結界……なのか?」


普通の結界ではなかった。


一枚の壁を張るのではない。


街区そのものを、薄い透明な膜で包み込むような結界だった。


だが、完全に閉じてはいない。避難民の通る道は開いている。味方の出入りもできる。魔物の進行方向だけを阻み、ブレスの射線だけを逸らし、瓦礫や破片が人に飛ばないように細かく流れを変える。


守るための結界であり、戦場を整えるための結界だった。


「王都結界、東側局所展開」


シャーロットの声は静かだった。


その瞬間、東側外縁区の空に、淡い星の光が灯った。


ドォンッ!


地上の大型種が結界にぶつかる。


透明な壁が揺れる。だが割れない。衝撃は結界の面を伝い、水路側ではなく、開けた空地へ逃がされた。巨体が横へ流れ、そこへガルドが踏み込む。


「こっちだ!」


大剣が振り下ろされる。


ゴォンッ!


魔物の頭部が石畳へ叩きつけられ、動きが止まる。


「いいぞ、シャーロット!」


「はい。次、右から来ます」


「分かってる!」


ガルドは笑うように答え、右から飛び込んできた獣型魔物を大剣の腹で弾き飛ばした。


その後方では、ソフィアが救護班の中で動いていた。


「重傷者はこちらへ! 軽傷者は壁際に座らせてください。水を飲ませて、呼吸を整えて!」


「ソフィアさん、肩を裂かれた兵士が!」


「先に止血します。治癒術の準備を!」


ソフィアは負傷者の肩へ手を当てた。


淡い緑の光が傷口を包む。流れる血が止まり、裂けた肉が閉じていく。ただし、全てを一瞬で治すわけではない。今は数が多い。命に関わる出血を止め、動かせる状態にする。重い治療は後方へ送ってからだ。


彼女は治療しながら、同時に前線へ視線を走らせた。


盾役の一人の呼吸が荒い。


魔法兵の一人が魔力を押し込みすぎている。


搬送路の入口に人が詰まり始めている。


負傷者を運ぶ兵士の足がもつれかけている。


見えた。


全部ではない。


シャーロットのように全体が流れとして見えるわけではない。


それでも、前より見える。


「盾役の方、交代を早めてください! 右腕が落ちています!」


「えっ、俺か?」


「あなたです! 次の突進を受けたら折れます!」


近くの兵士が慌てて交代に入る。


ソフィアは次に魔法兵へ声を飛ばす。


「詠唱を急がないでください! 息を吐いて、魔力を細く!」


魔法兵がはっとした顔で呼吸を整える。暴発しかけていた火属性魔法の揺れが収まり、狙いが安定した。


火球が飛ぶ。


ただし、市街地を焼かないように、結界の外側へ誘導される。


ボォンッ!


魔物だけを巻き込み、炎が弾けた。


ソフィアは一瞬だけ、シャーロットを見た。


シャーロットは前方を見たまま、結界の角度を微調整している。魔物の流れ、味方の位置、避難民の速度、建物の耐久、上空の緑竜の高度。それらを同時に見ている。


すごい。


そう思う。


でも、ただ見上げるだけでは終われない。


「搬送路、右へ少しずらしてください! このままだと次の負傷者と避難民がぶつかります!」


「了解!」


ソフィアの声で、救護班が動く。


シャーロットはそれを感じ取り、微かに微笑んだ。


ソフィアは負傷者を救っている。


そして、負傷者を増やさないためにも動いている。


自分だけではない。


ちゃんと、繋がっている。


その時、空が暗くなった。


緑竜三体が、同時に高度を下げた。


「上!」


誰かが叫ぶ。


一体目が喉に緑の光を溜める。


二体目も続く。


三体目は馬車列の上空へ回り込む。


三方向からのブレス。


逃げ場はない。


避難民の中から悲鳴が上がる。母親が子供を抱きしめ、老人が膝をつく。兵士達が盾を掲げるが、緑竜のブレスを盾で止められるはずもない。


シャーロットは星杖シリウスを握り直した。


「結界、上層展開」


王都結界の星図が、一段上へ広がる。


建物の屋根の高さ。


そのさらに上。


空中に薄い光の面が三枚、ずれて重なるように浮かんだ。


普通の多層障壁ではない。


一つ一つは一層。


ただし、位置も角度も役割も違う。


一枚目は、ブレスの正面圧を受ける。


二枚目は、流れを外へ逸らす。


三枚目は、熱と魔力の余波を上空へ逃がす。


三体の緑竜が、同時にブレスを吐いた。


ゴォォォォォッ!


緑の炎が空を埋める。


視界が染まった。


空気が焼けた。


通り全体が轟音に包まれた。


ドォンッ!


ゴォンッ!


ギィィィンッ!


ブレスが結界に叩きつけられるたび、東側外縁区の建物が震えた。屋根瓦が鳴り、窓ガラスが割れ、石畳の砂埃が舞い上がる。


だが、炎は落ちない。


避難民の上には届かない。


馬車列も、救護所も、搬送路も、燃えない。


「……止まってる」


王国兵が呆然と呟いた。


「三体のブレスを……」


別の兵士が言葉を失う。


シャーロットは、空を見上げたまま微笑んだ。


「大丈夫です。落ち着いて避難を続けてください」


その声は、驚くほど穏やかだった。


だから、避難民の足が動いた。


「走れ! 今のうちに!」


「子供を先に!」


「馬車を動かせ!」


「救護班、負傷者を下げろ!」


声が戻る。


動きが戻る。


恐怖で止まった人々が、再び前へ進み始めた。


ソフィアは負傷者へ治癒術をかけながら、シャーロットの手を見た。


震えている。


星杖シリウスを握る指が、わずかに震えている。


外から見れば、彼女は平然と結界を維持しているように見える。避難民に向けて笑い、安心させる余裕すらあるように見える。


でも違う。


十五キロ探知の負荷が残っている。


東側救援で三体の緑竜を相手にした。


さらに今、王都結界で避難民と建物を守りながら、三方向のブレスを逸らしている。


平気なはずがない。


ソフィアの胸が痛む。


「シャーロットさん……」


思わず声が漏れた。


シャーロットは振り返らなかった。


振り返れないのだと、ソフィアには分かった。


それでも、シャーロットは笑って言う。


「ソフィアさん、負傷者をお願いします」


ソフィアは唇を噛んだ。


泣きそうになるのを、こらえた。


ここで泣いても、誰も助からない。


だから、動く。


「はい!」


ソフィアは声を張った。


「救護班、搬送を急いでください! 結界が保っている間に、全員を下げます!」


「了解!」


王都結界の内側で、人々が動く。


外側では魔物が爪を立て、牙を鳴らし、結界へぶつかってくる。


ドォンッ!


ドォンッ!


ゴォンッ!


衝撃が重なる。


シャーロットは一つ一つを受け流しながら、避難民の通る道だけを開けていた。


完全に閉じれば楽だ。


魔物を外へ弾き、味方も民間人も全て結界の内側へ閉じ込めれば、防御だけなら単純になる。


だが、それでは避難できない。


負傷者を運べない。


味方が出入りできない。


だから彼女は、結界を閉じない。


開けたまま守る。


流しながら守る。


動く人々を包み、敵だけを遮り、ブレスだけを逸らし、瓦礫だけを防ぐ。


その演算負荷は、ただ硬い壁を張るよりはるかに重かった。


星衣リゲルの内側で、魔力循環が熱を帯びる。


星帽ポラリスの補助術式が細かく震える。


星杖シリウスの核が、夜空のように深く光る。


シャーロットの手の震えが、少しだけ強くなった。


ガルドが気付かないはずがなかった。


「シャーロット!」


「まだです」


「何も言ってねえ」


「止める声でした」


「分かってんなら考えろ」


「あと少しです」


ガルドは歯を噛みしめた。


前へ出る。


大剣を振る。


結界に取り付こうとする大型魔物を叩き落とす。


ズドンッ!


「だったら、その“あと少し”を短くする!」


ガルドの声に、獅子の咆哮の前衛達が応える。


「押せぇ!」


「避難路から引き離せ!」


「シャーロットさんにこれ以上負荷をかけるな!」


前線が熱を帯びる。


王国兵も続く。


「獅子の咆哮に続け!」


「魔物を結界から離せ!」


「避難民を守れ!」


戦場の流れが変わる。


シャーロットが守り、ガルドが押し返し、アメリアの指示が通り、レオンの情報が繋がり、ソフィアが救護を回す。


一人の力ではない。


それぞれの役割が、噛み合い始めていた。


そして、ついに最後の馬車が水路沿いの退避路へ入った。


「避難民、主要区画からの離脱完了!」


王国兵の声が響く。


ソフィアがすぐに確認する。


「救護班、残存者確認!」


「子供二名、老人一名、搬送済み!」


「負傷者五名、後方へ移送中!」


「歩ける者、全員退避路へ!」


ソフィアは顔を上げた。


「シャーロットさん、避難完了です!」


その言葉を聞いた瞬間、シャーロットの肩から、ほんの少し力が抜けた。


王都結界の光が、静かに揺れる。


緑竜三体が、なおも空で旋回している。


地上の魔物もまだいる。


だが、守るべき避難民は下がった。


ここからは、戦える。


シャーロットは星杖シリウスを握り直した。


手は震えている。


鼻の奥には熱が残る。


それでも、瞳は澄んでいた。


「では」


彼女は空を見上げる。


「緑竜を、落とします」


ガルドが大剣を構えたまま、口元を上げた。


「待ってた」


アメリアの通信が入る。


『シャーロット、負荷は?』


「まだ動けます」


『その言い方は信用しないわ。短く終わらせなさい』


「はい」


ソフィアが救護所から叫ぶ。


「終わったら診ます!」


「はい」


レオンの声も続く。


『緑竜三体、東側上空。高度、下降中。さらに北東から追加の緑竜群が分離しつつあります。ここで落とさないと、他区域へ散ります』


「分かりました」


シャーロットは星杖シリウスを掲げた。


空に、星が灯る。


一つ。


二つ。


三つ。


緑竜達が本能的に身を震わせる。


それは、まだ小さな星点だった。


だが、王都結界の内側にいた者達は、空気が変わったのを感じた。


黒龍戦を知る者は、息を呑んだ。


シャーロットは、静かに告げる。


「星槍レグルス、展開します」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
主人公の傲慢ぶりが凄いなぁ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ