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第3節 北側修復区画

シャーロットの十五キロ探知によって、戦場の形は変わった。


それまで王国軍が見ていたのは、北東から押し寄せる巨大な魔物の影だった。先頭の圧力、上空の緑竜、地響き。どれも脅威ではあったが、全体像ではない。どこが主力で、どこが迂回で、どこが王都の弱点を突こうとしているのかが分からなければ、防衛線はただ厚くするしかない。


だが、今は違う。


北東主力、約十八万。


東側迂回群、約七万。


北側山裾、大型種中心に約五万。


上空緑竜、百体規模。


その数字と進路が地図に刻まれた瞬間、王国軍の指揮所はようやく戦える形になった。


「北東正面は王国軍第一、第二軍団で受ける!」


将官の声が飛ぶ。


「Sランククラン二つを正面支援に回せ。魔法兵は対空結界を優先。緑竜を低空へ降ろすな!」


地図の上で駒が動く。


「東側迂回群は避難路へ向かう。第三軍団を南へずらせ。馬車の流れを変更。避難民は南西第二経路へ誘導!」


「北側山裾の大型群は?」


「城壁修復区画へ来る。そこが一番まずい。まだ外壁が薄い。突破されれば市街地へ入られる」


指揮所の空気が重くなる。


黒龍戦の爪痕は、まだ王都に残っている。特に城塞区画の一部は修復中で、完全な防壁には戻っていない。そこへ大型種が押し寄せれば、防衛線は簡単に歪む。さらに上空から緑竜のブレスが重なれば、避難民を守りながら戦うことは難しくなる。


アクセルが地図を見下ろし、低く言った。


「そこを獅子の咆哮が持つ」


王国軍の将官が顔を上げた。


「北側修復区画か」


「ああ。避難路にも近い。突破されると王都の内側まで被害が出る」


アメリアも頷く。


「獅子の咆哮は、修復区画前の重要防衛線を担当します。前衛で大型種を止め、魔法班で誘導結界を張る。救護班は避難路と防衛線の中間に置きます」


「緑竜が来た場合は?」


将官の問いに、少しだけ沈黙が落ちる。


上空百体。


どの区域にも来る可能性がある。


シャーロットは鼻に当てていた布を外し、静かに言った。


「緑竜は、最初は王国軍の対空結界と弓兵で高度を抑えてください。こちらへ抜けた個体は、私が落とします」


ソフィアの眉が動く。


「シャーロットさん」


「今すぐ全部落とすわけではありません」


シャーロットは少しだけ困ったように笑った。


「必要な個体からです」


「必要な個体から、という言い方がすでに危ないです」


「ソフィアさん、見ていてください。無理そうなら言ってください」


「言います。絶対に言います」


そのやり取りに、王国軍の将官が一瞬だけ目を丸くした。


星纏いの魔女へ、若い治癒術師が正面から怒っている。


しかもシャーロットは、それを嫌がっていない。むしろ少し安心しているようにも見える。


アメリアが将官へ視線を戻した。


「彼女の負荷管理は、こちらで見ます。無理をさせるために連れてきたのではありません。必要な時に、必要な力を出せるように支えます」


「……承知した」


将官は頷いた。


黒龍戦を見た者なら分かる。


獅子の咆哮は、シャーロット一人に戦場を押し付けるクランではない。彼女を中心にしながら、彼女が最大限動けるように全体が組み替わる。その組織力こそ、獅子の咆哮がSランクへ上がった理由の一つだった。


レオンが地図に新たな線を引いた。


「獅子の咆哮の担当は、北側修復区画前から東側避難路接続部まで。ここを一つの面として管理します。前線は三層。第一層はアクセルさんとガルドさんを中心に大型種の突進を止める。第二層は魔法班とシャーロットさんの補助結界。第三層に救護班と搬送路」


「搬送路は二本欲しいわ」


アメリアが言う。


「一本では、大型種に潰された時に詰まる」


「南側の資材道を使えます。補給班に障害物撤去を指示します」


「避難民が流れ込んだ場合は?」


「第二層と第三層の間に一時退避区画を作ります。シャーロットさんの結界補助を受けられる位置に」


シャーロットは地図を覗き込む。


「ここなら、建物を壁代わりにできます。ですが、東側から魔物が回り込むと閉じ込められるので、退路を一つ増やした方がいいです」


「場所は?」


「この水路沿いです。橋が細いので、先に補強しておけば人は通せます。大型魔物は通りにくいです」


レオンがすぐに書き込む。


「水路沿いを補助退路。橋補強。補給班へ通達」


ガルドは大剣の柄に手をかけながら、地図の一点を指した。


「俺はここに立つ」


「前すぎる」


アメリアが即座に言う。


「だが、ここを抜かれると第二層が潰れる」


「分かっているわ。だから一人で立たせない」


アクセルが横から言った。


「俺も出る。ガルド、お前は大型種の足を止めろ。俺が群れを割る」


「了解」


「シャーロット」


アクセルの視線が彼女へ向く。


「前衛のすぐ後ろには来るな。必要な時に撃てる位置でいい」


「はい」


「返事はいいが、たぶん前に出る」


ガルドが言う。


「出ません」


「お前の出ませんは信用が薄い」


「……気をつけます」


「それでいい」


アメリアはため息をつきながらも、口元を少し緩めた。


「ソフィアさん」


「はい」


「あなたは救護班の補助に入って。獅子の咆哮の医務班としては初めての大規模戦だけれど、遠慮はいらないわ」


ソフィアは若草色の布袋にそっと触れ、背筋を伸ばした。


「分かりました」


「あなたの役目は、負傷者を治すこと。ただし、シャーロットから学び始めた視点も使いなさい。怪我をした人だけを見るのではなく、怪我をしそうな人を見る。前衛の呼吸、魔法使いの顔色、盾役の腕、搬送路の詰まり。見えたらすぐ報告」


ソフィアの目が揺れた。


以前、彼女はシャーロットの説明に撃沈した。


魔力の流れ。敵の進路。味方の足運び。結界位置。負傷者候補。あの時は、分からないことが分かっただけだった。


けれど今、戦場が目の前にある。


分からないままではいられない。


「はい」


ソフィアは頷いた。


「治す前に、少しでも減らします」


シャーロットが、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「お願いします、ソフィアさん」


「はい」


そのやり取りを見て、アメリアは満足そうに頷いた。


「いいわ。救護班はソフィアさんの報告を拾うこと。新入りだからと軽く見ない。彼女は記録を読めるし、現場を見る目もある」


救護班の面々が頷く。


「了解!」


その中には、獅子の咆哮の治癒術師達もいる。彼らはソフィアを外部の人間としてではなく、これから共に働く者として見ていた。銀翼で感じた孤立とは違う空気に、ソフィアは一瞬だけ胸が詰まる。


けれど、今は泣いている場合ではない。


やることがある。


レオンが指揮所の情報盤へ手を置いた。


「王国軍、各Sランククラン、獅子の咆哮の担当区域を共有します」


盤面に魔力の線が走り、各区域の配置が映し出される。


北東正面、防衛第一線。


東側避難路、防衛第二線。


北側修復区画、獅子の咆哮担当。


空域対策、王国魔法兵および弓兵。


後方避難誘導、王国軍補助隊と銀翼の剣。


「銀翼は後方か」


ガルドが低く言った。


レオンは頷く。


「Bランクとしての参加です。ただし、元Sランクの人員と経験があります。ノアさんが直接出るそうです。担当は避難誘導、後方防衛、負傷者搬送支援」


シャーロットは一瞬だけ、情報盤に表示された銀翼の名を見た。


銀翼の剣。


かつて自分がいた場所。


今はBランクからやり直しているクラン。


そこにノアがいる。古参がいる。自分が助けたことのある人達もいるかもしれない。


複雑な感情はある。


でも、今は敵ではない。


同じ王都を守る側だ。


「後方に人がいるなら、避難民の流れは安定すると思います」


シャーロットが言うと、ガルドが彼女を見た。


「いいのか」


「はい」


少しだけ考えてから、シャーロットは続けた。


「銀翼だから、ではなく。そこにいる人達も、守る側ですから」


ガルドは何も言わなかった。


ただ、少しだけ目を細める。


アメリアも、その言葉を聞いて静かに頷いた。


「では、全員配置へ」


アクセルの声が指揮所に響く。


「獅子の咆哮は北側修復区画へ向かう。前衛は俺とガルドに続け。魔法班は結界杭と触媒を持て。救護班は搬送路を確認。補給班は水、薬、軽食、予備装備を運べ。レオン、連絡線を切らすな。アメリア、現場指揮を頼む」


「任せて」


「ソフィアさん」


アクセルの声に、ソフィアが顔を上げる。


「はい」


「初陣にしては大きすぎるが、見えるものを報告してくれ。救護班が拾う」


「分かりました」


「シャーロット」


アクセルが最後に彼女を見る。


「お前は獅子の咆哮の幹部だ。全部自分でやるな。周りを使え」


シャーロットは一瞬だけ驚き、それから頷いた。


「はい。皆さんに頼ります」


その返事に、ガルドが小さく笑った。


「少しは成長したな」


「前から頼っていました」


「少しだけな」


「今度は、もう少し頼ります」


「それでいい」


外へ出ると、王都の空はすでに暗く見えた。


雲ではない。


遠くの空に、緑竜の影が増え始めているのだ。


城壁の上から、王国兵が声を上げる。


「上空反応、接近!」


「弓兵、構え!」


「魔法兵、対空結界準備!」


地面の震えも強くなっていた。


ドドドドド、と低く重い音が、足元から腹の奥へ響く。まだ距離はある。だが、もう遠い災害ではない。魔物群は王都の目前へ近づいている。


避難民の列が、南西へ続いていた。


子供を抱いた母親。


荷物を背負った老人。


職人道具を抱えた男。


泣きそうな顔で馬車に乗る子供。


兵士に誘導され、何度も振り返る町人達。


その中に、酒場で笑っていた人がいるかもしれない。


星纏いの魔女に乾杯してくれた人がいるかもしれない。


シャーロットは、静かに星杖シリウスを背から下ろした。


「守ります」


誰に聞かせるでもなく、そう言った。


隣でガルドが大剣を肩に担ぐ。


「行くぞ」


「はい」


獅子の咆哮は、北側修復区画へ向かって走り出した。


王都の鐘は、まだ鳴り続けている。


非常鐘の音。


兵士の怒号。


馬車の車輪。


泣き声。


地響き。


空を裂く竜の咆哮。


国家級スタンピードの戦場が、ついに開き始めた。

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銀翼との確執はもう無いのだ
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