表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/93

第1節 異常発生

その報せが王都へ届いたのは、酒場で笑い合った夜から、わずか数日後のことだった。


朝の王都は、いつも通りに動き始めていた。復興工事の槌音が響き、露店の布が広げられ、パン屋の煙突から白い湯気が上がる。黒龍戦の傷跡はまだ残っていたが、人々は少しずつ日常を取り戻していた。


獅子の咆哮の本部でも、いつもの朝が始まっている。


訓練場では新人達が走り込みをし、アメリアが腕を組んで姿勢を見ている。レオンは書類室で前日の依頼記録を整理し、アクセルは前衛班の装備確認をしていた。ガルドは大剣の手入れをしながら、時折訓練場の方へ目を向けている。


シャーロットは、ソフィアが朝一番に置いていった質問メモを読んでいた。


ソフィアは正式に獅子の咆哮の医務班へ加わったばかりだ。医務室の配置確認、薬品棚の整理、治療記録の書式確認。覚えることは多い。それでも彼女は、初日から丁寧にメモを取り、分からないことを一つずつ書き残していた。


メモの最後には、ソフィアらしい整った字でこう書かれている。


『次回の講習では、負傷者候補の見分け方について、改めて質問させてください』


シャーロットは小さく笑った。


「分かりません、で終わらなかったんですね」


そう呟いた時だった。


本部の鐘が鳴った。


一度ではない。


二度。


三度。


訓練場の空気が変わる。


通常の集合ではない。依頼の出発合図でもない。緊急通達を知らせる鐘だ。しかも、音の間隔が短い。王都全域への危険通報と連動している。


シャーロットはメモを置き、立ち上がった。


廊下の向こうで、足音が一斉に走り出す。


「全員、第一会議室へ!」


アメリアの声が響いた。


その声に迷いはなかった。


数分後、獅子の咆哮の幹部達は会議室に集まっていた。


アクセル、アメリア、レオン、ガルド、シャーロット。さらに各部隊長と連絡係も揃っている。部屋の中央には、王都周辺の大きな地図が広げられていた。


レオンが、ギルドから届いた緊急通達を読み上げる。


「王都北東部、黒森山脈方面より大規模魔物群の移動を確認。王国軍の初期報告では、規模は推定十万以上」


部屋の空気が重くなる。


だが、レオンの声はそこで止まらなかった。


「続報。探知班、第二、第三報告を統合。規模推定、二十万を超過」


誰かが息を呑んだ。


「さらに王国軍前線哨戒より、緑竜の群れを確認」


ガルドの目が細くなる。


「緑竜だと?」


「はい。確認数、現時点で四十七。未確認上空反応多数。最終的には百体規模に達する可能性があります」


会議室に沈黙が落ちた。


緑竜。


龍ではない。


黒龍のような災害そのものではない。


だが、竜は強大な魔物だ。一体でも村を焼き、砦を崩し、街道を封鎖する脅威になる。それが百体規模。さらに地上には、十万を超える魔物群。


普通のスタンピードではない。


アクセルが低く言う。


「国家級だな」


レオンは頷いた。


「王国はすでに、国家級スタンピードとして認定しました。王国軍総動員。王都防衛線を三重に展開。全Sランククランへ緊急招集が出ています。獅子の咆哮にも正式出撃要請が来ています」


アメリアが即座に確認する。


「他クランは?」


「王都在中のSランククランは全て招集済み。周辺都市のAランク以上にも支援要請。銀翼の剣は現在Bランクですが、元Sランク相当の戦力を持つため、後方防衛と避難誘導支援で招集対象に入っています」


シャーロットの表情が、わずかに動いた。


銀翼の剣。


けれど、今は感情を揺らしている時間ではなかった。


レオンは地図に駒を置く。


「魔物群は北東から南西へ流れています。先頭が王都外縁に到達するまで、早ければ半日。緑竜の飛行速度を考えると、空からの接触はさらに早い可能性があります」


「避難は?」


アメリアが問う。


「王都外縁区から開始済み。ただし復興中の城塞区画にまだ資材と職人が多く、避難速度は通常より遅いです。黒龍戦後の修復途中で、封鎖できていない区画もあります」


ガルドが舌打ちした。


「嫌な時に来やがる」


「狙ったように、ですね」


レオンの声は冷静だったが、目は厳しい。


「通常の魔物群なら、ここまで統制された進行にはなりません。複数方向からの圧力、緑竜の上空支援、地上群の密度。自然発生のスタンピードとしては異常です」


「原因は後回しだ」


アクセルが言った。


「今は止める」


その一言で、会議室の空気が定まった。


獅子の咆哮は動く。


それだけは、誰も迷わなかった。


アメリアが部隊長達へ指示を飛ばす。


「前衛第一から第三部隊、即時出撃準備。防衛線用の盾と杭を持て。魔法班は結界用触媒を全量確認。医務班は王都北東門へ。搬送路を二本以上確保。補給班、軽食と水を馬車に積みなさい。長期戦になる可能性があるわ」


「了解!」


「レオン、王国軍との連絡線を」


「すでに開いています。情報共有盤を三枚、前線へ回します」


「ガルド」


「前に出る」


「出すぎない」


「分かってる」


「分かっている顔じゃないわ」


「今回は分かってる」


アメリアは少しだけ目を細めたが、それ以上は言わなかった。


シャーロットは地図を見ていた。


北東の森。


城塞区画。


外縁の避難路。


王都へ向かう街道。


黒龍戦後に修復中の防衛線。


そして、その向こうから押し寄せる魔物群。


数日前の酒場の笑い声が、ふと胸に浮かんだ。


東通りに妹一家が住んでいると言っていた職人。


星纏いの魔女ごっこをしている子供達。


甘い焼き菓子を出してくれた店主。


「明日も無事に帰れますように」と杯を掲げた夜。


あの街へ、魔物が来る。


シャーロットは、静かに息を吸った。


「私も出ます」


誰も驚かなかった。


アクセルは頷く。


「当然だ。ただし、一人で全部抱えるな」


「はい」


アメリアがすぐに続ける。


「探知は必要になったら行うこと。最初から最大範囲に広げない。あなたはすぐ無理をする」


「気をつけます」


「その返事、信用半分ね」


ガルドが横で低く笑った。


「半分もあるのか」


「ガルドさん」


シャーロットが少しだけ抗議する。


そのやり取りは、いつも通りに近かった。


けれど、会議室の誰もが分かっていた。


今回の相手は、これまでとは桁が違う。


黒龍は一体の災害だった。


今度は、数の災害だ。


三十万に届く可能性のある魔物群。


百体規模の緑竜。


王都周辺の防衛線。


避難民。


復興途中の市街。


守るべきものが多すぎる。


レオンが最後の続報を受け取った。


一瞬、彼の手が止まる。


「訂正報告」


会議室が静まる。


レオンは、ゆっくり読み上げた。


「魔物群の最終推定、三十万」


誰も言葉を発しなかった。


「緑竜、確認数八十二。未確認反応を含め、百体規模でほぼ確定」


地図の上に置かれた駒が、急に小さく見えた。


三十万。


数字として聞くには簡単だ。


だが、それが全て魔物だと思えば、意味が変わる。


大地を埋める群れ。


街道を飲み込む牙。


空を覆う緑竜。


逃げ遅れる人々。


崩れる防衛線。


消えていく村。


王都へ迫る、巨大な波。


アメリアが小さく息を吐く。


「国家級どころじゃないわね」


「国家を潰せる規模です」


レオンが淡々と答えた。


アクセルは腕を組み、地図を見下ろした。


「それでも、王都で止める」


ガルドが大剣の柄に手をかける。


「止めるしかねえだろ」


シャーロットは、地図の北東を見つめた。


恐怖はある。


負荷も分かっている。


自分が無制限ではないことも、もう知っている。


けれど、逃げる理由にはならなかった。


彼女は星装備を取りに戻るため、会議室の扉へ向かう。


その背に、アメリアが声をかけた。


「シャーロット」


「はい」


「もう一度言うわ。一人で全部やろうとしないこと」


シャーロットは振り返った。


少しだけ、いつものように笑う。


「はい。獅子の咆哮のみんなで、守ります」


その言葉に、アクセルが頷き、ガルドが鼻を鳴らし、レオンが記録を閉じ、アメリアが小さく笑った。


獅子の咆哮は、動き出す。


王都の鐘が、外で鳴り響いていた。


一度。


二度。


三度。


今度は本部だけではない。


王都全域に、非常鐘が響いている。


人々が空を見上げる。兵士が門へ走る。馬車が避難路へ向かう。ギルドの掲示板に緊急依頼が張られる。王国軍の旗が北東門へ集まる。


そして、遠い地平の向こう。


まだ肉眼では見えないはずの場所で、大地が低く鳴っていた。


国家級スタンピード。


王都を飲み込むほどの災害が、今、動き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ