第3節 SからAへ
銀翼の剣に、王国と冒険者ギルドの合同査察が入ったのは、幹部更迭から十日後のことだった。
通常の定期査察ではない。黒龍戦後、王国はSランククラン全体の危機対応能力を再確認していた。
災害級魔物。
国境危機。
都市防衛。
王国軍からの緊急招集。
Sランククランは、その名にふさわしい責任を負う。だからこそ、特権も大きい。
高額依頼。
貴族や商会からの信用。
検問所や国境通過の簡略化。
王国からの優先的な支援。
緊急時に現場へ入る権限。
それらは名誉ではなく、責任と引き換えに与えられるものだった。
今の銀翼の剣が、その責任を果たせるのか。
査察の目的は、そこにあった。
会議室には、王国軍の監査官、冒険者ギルドの審査官、王国官僚、そして銀翼側の代表としてノア、団長代行、数名の臨時幹部が並んでいた。
更迭された幹部長や評価担当は、調査対象として別室待機を命じられている。
「では、確認を始めます」
ギルド審査官が書類を開いた。
声は淡々としていた。
「銀翼の剣は現在、Sランククランとして登録されています。しかし、直近の依頼成功率、遠征遅延、低ランク帯の事故率、医務室搬送数、装備破損率、スポンサー契約の見直し、内部人事の大幅変更について、複数の懸念が出ています」
団長代行は唇を引き結んだ。
反論できない。
すべて事実だった。
「黒龍戦においても、銀翼の剣は王国軍および他Sランククランと共に前線へ参加しました。善戦は確認されています。しかし、決定打には至らず、部隊損耗も大きかった。加えて、戦後の内部安定性に問題が出ています」
王国軍の監査官が続ける。
「Sランククランは、災害級事態において王国軍と連携し、現場を支える役割を持ちます。ただ強い者が数名いるだけでは足りません。前衛、後衛、医務、補給、撤退判断、低ランク帯の管理。全てが機能していなければ、緊急招集時にかえって混乱を広げる」
その言葉に、ノアは静かに頷いた。
「その通りです」
団長代行が、わずかにノアを見る。
ノアは反論するつもりがなかった。
言い訳を並べてSランクの看板を守ることに、もう意味はない。今の銀翼がSランクとしての責任を果たせる状態ではないことを、誰よりも彼自身が分かっていた。
ギルド審査官は、さらに資料をめくる。
「低ランク帯の事故率について。シャーロット退団後、明らかな悪化が確認されています。新人班の負傷率、Dランク部隊の撤退失敗、予定外救援、中堅への負担増。これらは一時的な乱れとして処理するには期間と規模が大きすぎます」
団長代行が静かに頭を下げる。
「認識しています」
「医務室についても、搬送数とポーション消費が増えています。さらに、若手治癒術師ソフィアの移籍申請が出ていますね」
その名が出ると、会議室の空気が少しだけ重くなった。
ソフィア。
シャーロットが見ていた戦場の意味に気付き、獅子の咆哮への移籍を望んだ治癒術師。手続きはすでに進んでいた。銀翼は引き継ぎを求めたが、不当な引き止めはしていない。
ノアが禁じたからだ。
「ソフィアの移籍は、本人の自由意思です」
ノアが答える。
「銀翼としては、契約に基づく引き継ぎを求めていますが、本人への圧力は行いません」
ギルド審査官は頷いた。
「その対応は確認しています。ただし、優秀な治癒術師が離れる理由として、銀翼では負傷予防と戦場安定化を学べない、と記録されています。この点も、組織評価に影響します」
団長代行は目を伏せた。
銀翼は、シャーロットを失っただけではなかった。
シャーロットの価値に気付いた者まで失いつつある。
それは外部から見ても、内部崩壊の兆候だった。
王国官僚が口を開く。
「Sランククランには、国境通過や検問所通過の簡略化など、王国として大きな便宜を与えています。それは、緊急時に速やかに動ける戦力として信用しているからです。ですが、現在の銀翼の剣には、部隊運用と内部統制に不安がある」
言葉は丁寧だった。
だが、内容は重い。
信用できない。
そう言われているのと同じだった。
ノアは静かに目を閉じた。
かつて、Sランクへ上がった時のことを思い出す。
王城での承認。
ギルドからの通達。
団員達の歓声。
白銀の旗を掲げた日。
あの時、銀翼の誰もが胸を張っていた。自分達はここまで来たのだと、そう思っていた。
だが、その足元に何があったのかを見なくなった。
見えない支えを、当然だと思った。
その結果が今だ。
「結論を申し上げます」
ギルド審査官が、最後の書類を開いた。
会議室の全員が息を詰める。
「冒険者ギルドおよび王国審査部は、銀翼の剣を現時点でSランク相当の責任を任せられる状態にはないと判断しました」
団長代行の肩が小さく揺れた。
臨時幹部達の顔が強張る。
ノアだけは、表情を変えなかった。
「よって、銀翼の剣をSランクからAランクへ降格処分とします」
その言葉が、会議室に落ちた。
SからAへ。
ただ一段落ちるだけではない。
銀翼の剣にとって、それは看板を失うことだった。
王国緊急要請への扱いが変わる。
高額依頼の優先順位も落ちる。
検問所や国境通過の便宜は弱まる。
貴族や商会からの信用も、さらに揺らぐ。
スポンサーはより慎重になる。
外部はこう見るだろう。
銀翼は、Sランクではいられなかったのだ、と。
団長代行は、震える息を吐いた。
「……承知しました」
その声には、悔しさが滲んでいた。
だが、ノアは彼より先に頭を下げた。
「処分を受け入れます」
会議室の視線がノアへ集まる。
王国軍の監査官がわずかに目を細めた。
「異議はありませんか」
「ありません」
ノアははっきりと言った。
「今の銀翼にSランクを名乗る資格はありません」
団長代行が顔を上げる。
「ノア様……」
ノアは彼を見なかった。
視線は、査察官達へ向いている。
「我々は、内部の土台を見失いました。現場を見ず、評価制度に寄りかかり、人を測り損ねた。その結果、低ランク帯が崩れ、医務室が苦しくなり、外部信用も落ちた。Sランクとして緊急要請を受けるには、今の銀翼は不安定です」
誰も言葉を挟めなかった。
ノアは続ける。
「降格は妥当です」
その一言に、団長代行は目を閉じた。
悔しい。
情けない。
だが、否定できない。
ギルド審査官は静かに頷いた。
「処分は本日付で発効します。ギルド本部、王城前掲示、主要依頼主への通達が行われます。Sランク特権の一部は即日停止。現在進行中の契約については、依頼主と再協議となります」
王国官僚が補足する。
「国境通過の簡略証、検問所優先通行証、Sランク緊急召集証は返納してください。Aランクとしての許可証は再発行されます」
臨時幹部の一人が、唇を噛んだ。
返納。
その言葉が、ひどく重かった。
銀翼がSランクとして持っていた証を、返さなければならない。
それは、ただの紙や金属札ではない。
銀翼が築いた信用そのものだった。
「今後、再昇格を目指すことは可能です」
ギルド審査官は言った。
「ただし、再審査には一定期間の実績回復、内部体制の改善、事故率の低下、教育体制の再構築、医務および装備支援体制の証明が必要です」
ノアは頷いた。
「承知しました」
「また、シャーロットの件については、ギルドも注視しています。退団処理自体が規定違反であったとは現時点で断定しません。ただし、評価制度の不備、待遇面の問題、低評価者への装備および居住環境について、改善命令が出ます」
「受け入れます」
ノアの返事は早かった。
「改善報告書は一か月以内に提出してください」
「分かりました」
査察はそれで終わった。
王国とギルドの一行が退出すると、会議室には銀翼の者達だけが残された。
誰も口を開かなかった。
Aランク。
多くのクランにとっては、十分に高い到達点だ。BランクからAへ上がれずに止まるクランはいくらでもある。Aランクであれば、王都でも十分に名の通る強いクランだ。
だが、銀翼にとっては違った。
一度Sランクへ上がったクランが、降格処分でAへ落ちた。
それは、屈辱だった。
外ではすでに、通達の準備が進んでいる。夕方には王都中に知れ渡るだろう。
『銀翼の剣、SランクよりAランクへ降格』
新聞が書く。
冒険者達が噂する。
スポンサーが見る。
貴族が判断する。
団員達が動揺する。
そして誰かが必ず言うだろう。
元銀翼のE評価魔法使いを迎えた獅子の咆哮はSランクへ上がり、彼女を追い出した銀翼の剣はSランクから落ちた。
あまりにも皮肉な対比だった。
「……終わったのか」
団長代行が、小さく呟いた。
ノアは首を横に振る。
「終わってはいない」
団長代行が顔を上げる。
「落ちただけだ」
ノアの声は静かだった。
「ここから、どうするかだ」
臨時幹部の一人が、震える声で言う。
「ですが、Aランクに落ちれば、依頼も、契約も、支援も……」
「減るだろうな」
ノアは認めた。
「高額依頼も減る。スポンサーも離れる。Sランク特権も失う。国境通過も、検問所の便宜も弱くなる。収入は落ちる。維持費は重い。団員の不安も増える」
「なら、どうすれば」
「見栄を捨てる」
ノアは言った。
その言葉に、会議室が静まる。
「銀翼は、Sランクの看板に寄りかかりすぎた。看板を守るために、人を見なくなった。なら、まず看板を失った現実を見ろ」
団長代行は拳を握った。
「……はい」
ノアは机の上に置かれたSランク許可証を見た。
銀翼の剣。
Sランク。
そこに刻まれた文字は、昨日までなら誇りだった。
今は、重かった。
「返納する」
ノアは短く言った。
誰も止めなかった。
止められなかった。
その日の夕方、ギルド本部前に正式な告示が張り出された。
『Sランククラン銀翼の剣、内部体制および危機対応能力に関する審査結果に基づき、Aランクへ降格』
王都の冒険者達は足を止めた。
「銀翼がAへ?」
「マジかよ。Sランクだっただろ」
「黒龍戦の後から悪い噂あったもんな」
「星纏いの魔女をE評価で切ったって話、本当だったのか?」
「獅子の咆哮はSに上がったのに、銀翼は落ちるのか」
「皮肉すぎるだろ」
噂は一気に広がった。
酒場で。
商会で。
ギルドの依頼掲示板の前で。
貴族屋敷の馬車溜まりで。
冒険者達の宿で。
銀翼の剣の名は、かつてとは違う響きで語られ始めた。
そして銀翼本部では、白銀の旗が風に揺れていた。
旗はまだ降ろされていない。
けれど、その下にいる団員達は知っていた。
自分達はもう、Sランクではない。
銀翼の剣は、Aランククランになった。
それでも、ノアはその夜、古い机の前で書類を書き続けていた。
改善報告書。
評価制度見直し案。
低ランク帯支援再構築案。
装備点検制度案。
医務室補強案。
そして、シャーロットへの謝罪面会申請。
机の端には、返納するSランク証が置かれている。
ノアはそれを一度見てから、静かに目を閉じた。
Sランクから落ちた。
だが、まだ底ではない。
本当にやり直すなら、もっと深くまで降りなければならない。
銀翼が何を失い、どこから間違えたのか。
そこまで戻らなければ、再出発などできない。
ノアは羽根ペンを置き、窓の外を見た。
夜の王都に、ギルド本部の明かりが見える。
「Aでも、まだ高すぎるかもしれんな」
その呟きは、誰にも聞かれなかった。
だが、その夜、ノアの中で一つの決意が固まり始めていた。




