第2節 幹部更迭
スポンサー契約の見直しが相次いだ翌日、銀翼の剣では臨時幹部会議が開かれた。
会議室の空気は、以前とは明らかに違っていた。
数日前までなら、幹部達はまだどこかで「一時的な不調」と言い張る余地を探していた。だが、今は違う。商会が離れ、貴族が様子を見始め、ギルドが追加資料を求め、王国がSランククランとしての危機対応能力を確認し始めている。
内部の問題では済まなくなった。
銀翼の不調は、外から見える傷になっていた。
会議室の中央には、ノアが座っていた。
その横には現団長もいる。だが、発言の中心はもう彼ではなかった。創設者であり、かつて銀翼をBランクから育てた男が戻ってきた以上、誰もノアを飾り物として扱うことはできない。
「まず、ソフィアの件だ」
ノアが口を開いた瞬間、医務室責任者が顔を上げた。
机の上には、ギルドから届いた正式通知が置かれている。
『銀翼の剣所属治癒術師ソフィアより、移籍申請あり』
『本人の自由意思確認済み』
『獅子の咆哮による不当勧誘の事実なし』
『契約に基づく通告期間および医務室引き継ぎを条件に、移籍手続き継続を認める』
幹部長は、苦々しい顔でその通知を見ていた。
「医務室が苦しい時期に、治癒術師を失うわけにはいきません」
「失うんじゃない」
ノアは静かに言った。
「見限られたんだ」
幹部長の顔が強張る。
ノアは続ける。
「ソフィアは、銀翼から逃げるために出ていくのではない。記録を読み、医務室で怪我人を見続け、シャーロットが何をしていたのかに気付いた。その結果、ここでは学べないと判断した」
医務室責任者は目を伏せた。
「……彼女は、最後まで引き継ぎをすると言っています。患者も、薬品管理も、治療記録も、残っている若手への指導も、通告期間内にできる限り整理すると」
「責める理由はないな」
ノアは言った。
「契約に従い、本人の意思で、引き継ぎをして出ていく。何も問題はない」
幹部長が低く言う。
「ですが、結果として銀翼の医務室はさらに苦しくなります」
「そうだ」
ノアは頷いた。
「シャーロットを失ったことで怪我人が増え、その怪我人を見ていたソフィアが銀翼を出る。原因と結果がつながっているだけだ」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
若い優秀な治癒術師が去る。
しかも理由は、待遇への不満だけではない。銀翼では「怪我を出さない戦場」を学べないから。銀翼では、シャーロットがしていたことを理解し、体系化する場所がないから。
それは、人材流出以上に痛い事実だった。
ノアは通知を机に置いた。
「ソフィアへの圧力は禁止する」
「しかし……」
幹部長が言いかける。
ノアは冷たい目を向けた。
「禁止だ」
それ以上、誰も何も言えなかった。
「引き止めるなら、条件を示せ。だが、脅し、嫌味、契約の恣意的な解釈、医務室の負担を盾にした情への訴えは許さん。ギルド立ち会いの記録が残っている。下手なことをすれば、銀翼の信用はさらに落ちる」
医務室責任者が小さく頷いた。
「承知しました」
その声には、諦めと、少しだけ安堵が混じっていた。
ソフィアを止められないことは分かっている。
ならばせめて、汚い形で送り出したくない。
そういう顔だった。
ノアは次の書類を手に取った。
「次に、内部責任の整理だ」
その言葉で、会議室の空気が一段冷えた。
評価担当が肩を強張らせる。
装備担当が視線を落とす。
居住管理の責任者は、すでに顔色が悪かった。
ノアは淡々と読み上げる。
「シャーロットの評価処理。二度のE評価。攻撃魔法使いとしての成果不足のみを主評価とし、低ランク帯支援、新人保護、撤退判断、負傷予防、探知、結界、応急処置、魔力調整を十分に評価しなかった」
評価担当は唇を噛んだ。
「装備管理。低評価者の修理申請を後回しにし、劣化したローブ、歪んだ帽子、濁った魔石のワンドの使用を放置。退団時にも在庫処分同然の装備を餞別として渡した」
装備担当の指が震える。
「居住管理。評価低下に伴い、シャーロットの居室を段階的に悪化させた。最終的には狭く暗い部屋へ移し、共用浴場を事実上使いにくい環境を放置した」
居住管理の責任者は何も言えなかった。
「給与。低評価に基づき最低水準を維持。装備補修、身だしなみ、日用品、食事の質を本人の努力に任せ、十年在籍した団員としての生活状態を確認しなかった」
管理担当が目を閉じる。
ノアは書類を置いた。
「以上の責任者について、本日付で職務停止とする」
会議室がざわついた。
評価担当が顔を上げる。
「職務停止、ですか」
「そうだ」
「我々は規定に従って業務を……」
「その規定を疑わず、現場を見なかった責任だ」
ノアは遮った。
「処分の詳細は、外部監査とギルドへの報告を経て決める。だが、少なくとも今のまま同じ職務を続けさせることはできない」
幹部長が険しい顔で言う。
「そこまで大きく動けば、内部の統制が乱れます」
「もう乱れている」
ノアは短く返した。
「乱れていないふりをしてきただけだ」
現団長が、そこで初めて低く口を開いた。
「ノア様。私の責任は」
ノアは現団長を見る。
会議室の全員が息を呑んだ。
「お前にもある」
ノアははっきりと言った。
現団長は目を伏せる。
「銀翼の運営を任されていた以上、知らなかったでは済まない。評価担当が見なかった。装備担当が放置した。居住管理が落とした。だが、その全部を束ねる責任はお前にある」
「……はい」
「本来なら、団長職を解くべきだ」
会議室に緊張が走る。
ノアは続ける。
「だが、今すぐ空席にすれば銀翼はさらに混乱する。お前は当面、実務責任者として残れ。ただし、再建方針が固まるまで、最終決定権は俺が預かる」
現団長は深く頭を下げた。
「承知しました」
幹部長が目を見開く。
「最終決定権を、ノア様が……」
「ああ」
ノアは静かに頷いた。
「俺が戻る」
その一言で、会議室の空気が変わった。
創設者ノアの復帰。
それは単なる助言役ではない。
銀翼を作った男が、崩れかけた銀翼を立て直すために、再び中心へ戻るということだった。
「幹部長」
呼ばれた幹部長は、硬い表情でノアを見る。
「お前は本日付で幹部長職を解く」
一瞬、会議室の音が消えた。
「……私を、更迭なさるのですか」
「そうだ」
ノアの声は揺れなかった。
「お前は制度を守ったつもりだったのだろう。だが、制度が現場を壊していることに気付かなかった。シャーロットの件だけではない。スポンサー離れ、事故増加、低ランク帯の崩れ、ソフィアの移籍希望。すべてが表に出るまで、問題を認めなかった」
幹部長の顔が赤くなり、次に青くなる。
「私は銀翼のために……」
「そうだろうな」
ノアは認めた。
「銀翼を壊そうとしていたわけではない。それは分かる」
幹部長の表情が少しだけ揺れた。
だが、ノアは容赦しなかった。
「だが、銀翼のためだと思って、人を見なかった。そこが問題だ」
幹部長は口を閉ざした。
反論できなかった。
「お前には再建調査への協力を命じる。逃げることは許さん。だが、現場に対する決定権は持たせない」
「……承知しました」
絞り出すような声だった。
評価担当、装備担当、居住管理の責任者も、それぞれ職務停止を言い渡された。後任には、現場を知る古参や、記録を正しく見ようとしていた若い管理職員が一時的に入ることになった。
医務室には外部の治癒術師を臨時で雇う申請を出す。
低ランク帯には古参を一時配置する。
急ごしらえの立て直しだった。
だが、何もしないよりはましだった。
会議が終わる頃には、銀翼の剣の中枢は大きく入れ替わっていた。
幹部長更迭。
評価担当の職務停止。
装備担当の職務停止。
居住管理責任者の職務停止。
現団長は実務責任者として残るが、最終決定権はノアへ。
それは、銀翼の内部に大きな衝撃を与えた。
廊下にはすぐ噂が広がった。
「幹部長が外されたらしい」
「評価担当も?」
「装備担当もだって」
「シャーロットの件か」
「それだけじゃないだろ。最近の事故とか、スポンサーの件とか、全部だ」
「ノアさんが戻ったって本当か」
「本当だ。しかも、かなり怒ってる」
「でも、今さら戻ってきて何をするんだよ」
誰かが、低く呟いた。
その声に、周囲が一瞬黙る。
「半分引退してたような人だろ。現場を離れていたから、ここまで放置されたんじゃないのか」
「それは……そうかもしれない」
「でも、じゃあ誰が立て直すんだ」
別の団員が言った。
「現団長はこの有様。幹部長は更迭。評価も装備も居住管理も止まった。中堅の管理職は、穴埋めと救援で潰れてる。若い管理職員はいるけど、まだ全体を動かす権限がない」
その言葉に、誰もすぐには反論できなかった。
銀翼には、強い冒険者はいた。
高難度依頼をこなせる部隊も、名のあるエースもいた。
だが、組織を下から立て直す人材は薄かった。新人教育を見て、低ランク帯の事故を拾い、中堅の疲労を調整し、医務室や装備管理とつなげる。そういう地味で面倒な役割を、銀翼は長く軽く見てきた。
だから、いざ崩れた時、前に出られる者が少なかった。
「結局、ノアさんが戻るしかないってことか」
「今さらでもな」
「遅すぎるだろ」
「遅すぎても、誰かがやらなきゃ終わる」
その会話は、すぐに途切れた。
誰も、明るい顔はしていなかった。
ノアの復帰は希望ではある。
だが同時に、銀翼が後継を育てられず、半ば退いていた創設者を引き戻すしかなかったという証でもあった。
中には、当然だと言う者もいた。
「遅いくらいだ」
「シャーロットがいた頃、低ランク帯はもっと安定してた」
「俺、あの人に助けられたことある」
「でも誰も評価してなかった」
「俺達も見てただけだった」
そう言って、黙り込む者もいた。
一方で、反発する者もいた。
「今さらシャーロット一人のせいにして、幹部を切るのか」
「逆だろ。シャーロット一人に頼ってた体制が問題だったんだ」
「だったら、なんで今まで誰も言わなかった」
「言える空気じゃなかったんだよ」
銀翼の中は割れ始めていた。
ノアの更迭は、腐った部分を切るためのものだった。だが、切れば血も出る。痛みも出る。隠していたものが表に出れば、見たくなかった者達は反発する。
それでも、ノアは止めなかった。
その日の夜、ノアは古い団長室に一人でいた。
現団長が使っていた豪華な机ではなく、倉庫から運ばせた古い机の前に座っている。傷だらけで、足も少し歪んでいる。Bランクだった頃、依頼書と借金の帳簿を広げていた机だ。
その机の上に、三つの書類が置かれていた。
一つは、シャーロットへの謝罪面会申請案。
一つは、ソフィア移籍に関する対応方針。
もう一つは、銀翼内部の再建調査命令書。
ノアはしばらくそれを見つめた。
「……遅いな」
誰に向けた言葉でもなかった。
シャーロットへの謝罪も。
ソフィアを止めない判断も。
幹部の更迭も。
評価制度の見直しも。
全部、遅い。
だが、遅いからといって何もしないわけにはいかない。
ノアは羽根ペンを取った。
最初に署名したのは、再建調査命令書だった。
次に、ソフィア移籍対応方針。
そこには、こう記した。
『本人の自由意思を尊重すること。契約に基づく引き継ぎを求めるが、不当な圧力を禁ずる』
最後に、シャーロットへの面会申請案。
ノアはその紙の前で、しばらく手を止めた。
何を書いても足りない。
謝罪という言葉では足りない。
戻ってきてほしいなどと言う資格があるのかも分からない。
それでも、書かなければならない。
ノアは静かに息を吐き、書き始めた。
『シャーロット殿へ』
昔なら、呼び捨てでよかった。
「シャーロット、少し頼めるか」
そう言えば、彼女は笑って「はい、できることなら」と答えた。
だが今は違う。
彼女は獅子の咆哮の幹部だ。
王国中に名を知られた、星纏いの魔女だ。
そして何より、銀翼が深く傷つけた相手だ。
ノアは、文字を一つずつ書いていく。
窓の外で、夜風が銀翼の旗を揺らしていた。
銀翼の剣は、その夜から大きく変わり始めた。
だが、それは明るい再出発ではない。
机の上に並んだ三つの書類は、まず自分達が何をしたのかを認めるためのものだった。




