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第1節 スポンサー離れ

銀翼の剣にとって、最初に目に見えて崩れたのは金だった。


依頼の失敗が増えた。新人班の事故が増えた。Dランク部隊の撤退失敗が増えた。装備破損が増え、医務室の負担が増え、ポーションの消費が増えた。


それでも幹部達は、しばらくの間、それを内部の問題として処理しようとしていた。


一時的な乱れだ。


新人教育を強化すれば戻る。


Dランク部隊の配置を見直せば済む。


ポーションの仕入れを増やせばいい。


装備修理費は、次の高額依頼で補えばいい。


そう考えていた。


だが、外部はそこまで甘くなかった。


「……装備支援契約の更新見送り?」


幹部長が、机の上に置かれた書状を見下ろして眉をひそめた。


管理部の職員は、青い顔で頷く。


「はい。ハルバード商会より、次期契約の更新は見送るとの通達です」


「理由は」


「表向きは、支援先の見直しです。ただ、担当者からは近頃の依頼成功率と装備破損率について確認を受けています」


幹部長は舌打ちをこらえた。


ハルバード商会は、銀翼の剣がSランクに上がってから長く装備支援を行ってきた商会だった。高品質な盾、鎧、革具、補修材。銀翼の名を使った宣伝効果もあり、双方に利益があった。


その契約が切れる。


たった一件。


そう思おうとした矢先、別の職員が書類を差し出した。


「こちらは薬剤商会からです。ポーション類の納入価格を、次回から引き上げるとのことです」


「なぜだ」


「消費量が急増しています。追加発注が続き、通常契約の範囲を超えているため、優遇価格を維持できないと」


「……」


さらに、別の書類。


「遠征用馬車の貸与契約についても、破損率の上昇を理由に保証金の増額を求められています」


また別の書類。


「北門倉庫の使用料も、Sランク優遇枠の見直し対象に入ったようです。黒龍戦以降、王国軍とギルドの審査が厳しくなっているとのことです」


幹部長の顔から、少しずつ血の気が引いていった。


金が流れ出ている。


それも、目に見える形で。


銀翼の剣はSランククランだった。高額依頼を受け、貴族や商会との契約も多い。普通のクランなら耐えられない支出でも、これまでは吸収できた。


だが、成功率が下がり、修理費が増え、医務費が増え、支援契約が揺らげば話は違う。


大きなクランは、稼ぎも大きい。


その分、維持費も大きかった。


「高ランク依頼の状況は」


幹部長が問うと、管理職員はさらに表情を曇らせた。


「昨日の北方護衛依頼は、予定より二日遅れて完了しました。成功扱いではありますが、依頼主からは遅延補償を求められています」


「原因は」


「途中でDランク補助班が撤退判断に遅れ、中堅二名が救援に回されました。その影響で本隊の進行が遅れています」


また低ランク帯。


幹部長は、無意識に拳を握った。


以前なら、そんなことは少なかった。低ランク帯は低ランク帯で動き、中堅は中堅の仕事をし、エース部隊は高難度依頼へ向かう。もちろん事故がゼロだったわけではない。だが、ここまで連鎖しなかった。


今は違う。


新人が崩れる。


Dランク部隊が崩れる。


中堅が救援に回る。


上位部隊の動きが鈍る。


依頼が遅れる。


信用が落ちる。


修理費が増える。


利益が減る。


すべてが繋がっていた。


「次の依頼で取り戻せばいい」


評価担当が、苦し紛れに言った。


「高難度依頼を一つ成功させれば、収支は戻ります。銀翼にはまだエース部隊があります」


その言葉に、部屋の端にいた古参が低く言った。


「そのエース部隊が疲れているんだ」


評価担当が顔を上げる。


「何?」


「尻拭いが増えすぎている。低ランク帯の救援、中堅の穴埋め、遅延した依頼の調整。高難度依頼へ行く前から、もう消耗している」


「それは一時的な……」


「一時的じゃない」


古参は言い切った。


「シャーロットが抜けてから、ずっとだ」


その名が出た瞬間、部屋の空気が重くなった。


シャーロット。


黒龍を討った星纏いの魔女。


獅子の咆哮の正式な幹部。


そして、銀翼がE評価で手放した魔法使い。


「またその話か」


評価担当が苛立ったように言う。


「すべてを彼女一人に結び付けるのは短絡的だ」


「一人に結び付けているんじゃない」


古参は静かに返した。


「一人が支えていた部分を、誰も引き継いでいないと言っているんだ」


評価担当は言葉に詰まった。


その時、管理部の扉が開き、別の職員が入ってきた。


「失礼します。ギルドより、次回のSランク緊急対応訓練について、追加資料の提出を求められています」


「追加資料?」


「はい。低ランク帯の事故率、医務室の受け入れ状況、遠征時の損耗管理、装備点検体制です」


幹部長の目が細くなる。


「なぜ今、それを」


職員は少し言いづらそうにした。


「黒龍戦後、Sランククランの危機対応能力について、王国とギルドが再確認を進めているようです。獅子の咆哮のSランク昇格審査で、組織運用面が高く評価されたことも影響していると……」


獅子の咆哮。


また、その名だった。


かつてAランクだったクラン。今は黒龍討伐の功績でSランクへ昇格したクラン。シャーロットを迎え、装備を整え、幹部として迎えたクラン。


その獅子の咆哮が評価された項目。


新人教育。


低ランク支援。


定期装備点検。


医務支援。


帰還者用の軽食。


負荷管理。


戦場での組織連携。


それは、今の銀翼が問われている項目でもあった。


「……嫌な比較だな」


誰かが小さく呟いた。


誰も否定できなかった。


その日の夕方、銀翼の剣の幹部会議室には、さらに悪い報告が届いた。


「西方伯爵家より、護衛契約の一時停止です」


「理由は」


「最近の遠征遅延と、黒龍戦での損耗を懸念しているとのことです。表向きは契約再編までの一時停止ですが……」


「実質、様子見か」


「はい」


幹部長は書類を受け取り、深く息を吐いた。


貴族は敏感だ。


強い時は寄ってくる。名がある時は金を出す。だが、少しでも不安を感じれば距離を置く。Sランクの看板があるからといって、無条件で信頼され続けるわけではない。


黒龍戦で銀翼は善戦した。


だが、届かなかった。


黒龍を討ったのは獅子の咆哮だった。


そして、その中心にいたのは、元銀翼のE評価魔法使いだった。


この事実は、外部にとってあまりにも分かりやすい。


「銀翼は、あれを切れるほど人材が厚いのか」


最初は、そんな誤解もあった。


だが、現実の銀翼が崩れ始めると、その誤解は疑念に変わる。


本当に人材が厚かったのか。


ただ価値を見誤っただけではないのか。


Sランククランとして、現場を見られていたのか。


疑念は、金の流れを鈍らせる。


支援者は様子を見る。


商会は条件を厳しくする。


貴族は契約を遅らせる。


ギルドは資料を求める。


王国はSランクとしての責任を確認する。


外からの信用が、静かに剥がれていった。


夜になっても、銀翼の本部の明かりは消えなかった。


医務室には、今日も負傷者が運ばれていた。軽傷で済んだ者もいる。だが、中には本来なら怪我をせずに済んだはずの者もいた。


盾役の腕が落ちていた。


魔法使いの詠唱が乱れていた。


撤退路の確認が遅れていた。


魔物の進路を読み違えていた。


それらは、小さな失敗だった。


一つ一つは、致命傷ではない。


だが、積み重なる。


医務室の責任者は、治療台の横で報告書を閉じた。


「ソフィアは?」


疲れた声だった。


若い治癒術師の一人が答える。


「今日はギルドへ行っています。移籍相談の件で……」


言葉の途中で、医務室の空気が止まった。


ソフィア。


優秀な若い治癒術師。


医務室の負担が増える中で、よく働いていた。記録を読み、現場の違和感に気付き、シャーロットの名前を追っていた。


そして今、獅子の咆哮への移籍を望んでいる。


医務室の責任者は、目を閉じた。


責めたい気持ちもあった。


なぜ今なのか。


医務室が苦しい時に。


銀翼に残って支えてくれればいいのに。


そう思う気持ちがないわけではない。


だが、同時に分かってもいた。


ソフィアは逃げようとしているのではない。


見えてしまったのだ。


治しても治しても怪我人が増える場所で、何が足りないのかを。


そして、その答えを学べる場所が、今の銀翼ではないことを。


「……止められないな」


医務室の責任者は、小さく呟いた。


誰も答えなかった。


同じ頃、幹部会議室ではノアが一人、複数の書類を見比べていた。


装備支援契約の更新見送り。


薬剤価格の引き上げ。


遠征用馬車の保証金増額。


護衛契約の一時停止。


ギルドからの追加資料要求。


ソフィアの移籍相談。


机の上に並ぶ紙は、どれも別々の問題のように見える。


だが、ノアにはそう見えなかった。


銀翼の剣は、落ち始めている。


急に崩れたわけではない。


突然弱くなったわけでもない。


見えなかった歪みが、金と契約の形で表に出てきただけだった。


ノアは、机の端に置いた古い銀翼の紋章に手を伸ばした。


昔使っていた、不格好な剣と翼の留め具。


まだBランクだった頃のものだ。


「……俺達は、どこで間違えた」


答える者はいない。


ノアは窓の外を見た。


王都の夜は明るい。通りにはまだ馬車の灯りがあり、遠くの酒場からは人の声も聞こえる。


そのどこかに、獅子の咆哮の本部がある。


そこには、シャーロットがいる。


銀翼が見なかった魔法使い。


銀翼が手放した魔法使い。


そして今、王国中から星纏いの魔女と呼ばれる魔法使い。


ノアは書類へ視線を戻した。


「スポンサーが離れるのは、当然か」


自嘲に近い声だった。


「俺達は先に、仲間から目を離したんだからな」


その言葉は、誰にも聞かれなかった。


銀翼の剣の夜は、重く沈んでいた。


机の上では、契約見直しの書状が、古い銀翼の紋章の横で静かに重なっていた。

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