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第5節 恥を知れ

「お前達にも、これから思い出してもらう」


ノアの声は、会議室の奥まで静かに届いた。


「銀翼が何でSランクになれたのか。何を見落としたのか。誰を切り捨てたのか」


誰も反論しなかった。


幹部長も、評価担当も、装備担当も、居住管理の責任者も、書類を前にして黙っていた。机の上には、シャーロットの評価記録と、低ランク帯の比較資料が並んでいる。片方には、攻撃魔法使いとしての成果不足が記されていた。もう片方には、彼女がいなくなってから悪化した数字が並んでいた。


二つの紙は、同じ人物をまったく違う形で示していた。


評価表の上では、シャーロットは成果不足だった。


けれど現場の数字では、彼女がいなくなった途端に銀翼は崩れ始めていた。


ノアはその二つを見比べ、低く息を吐いた。


「お前達は、攻撃魔法使いを一人切っただけだと思っているのか」


幹部長がわずかに顔を上げる。


「ノア様、それは……」


「違う」


ノアは遮った。


「銀翼の仲間を、誰よりも生かし続けてきた魔法使いを捨てたんだ」


会議室の空気が、音を立てずに沈んだ。


誰かが息を呑む。


ノアは続ける。


「あいつは十年間、銀翼の誰かが死なないように動き続けていた」


言葉が、一つずつ落ちる。


「新人が無茶をすれば、先に進路を変えた。盾役の腕が下がれば、倒れる前に下げた。魔法使いの呼吸が乱れれば、暴発する前に整えた。撤退路が塞がりそうなら、先に開けた。危険な魔物が近づけば、戦う前に避けた。怪我人が出れば、治癒術師に渡すまで応急処置をした」


ノアの手が、机の上の資料を押さえる。


「お前達の評価表には、倒した数しか載らなかった」


その目が、評価担当を射抜いた。


「だが銀翼を支えていたのは、倒した数だけじゃない」


ノアの声が震えた。


「倒した数ではなく、死なせなかった数で銀翼を支えていたんだ」


評価担当は顔を伏せた。


装備担当は、何か言おうとして口を開きかけたが、声にならなかった。


ノアは、その沈黙を許さなかった。


「その意味を、お前達は最後まで見ようとしなかった」


会議室の壁に掛かった銀翼の旗が、窓から入る風でわずかに揺れた。


白銀の翼。


かつては誇りだった旗。


今は、その重さを誰も受け止められないように見えた。


「評価担当」


呼ばれた男が肩を震わせる。


「はい」


「お前は、あいつの評価表を見たな」


「……はい」


「攻撃魔法による討伐実績が少ない。高危険度個体への有効打が少ない。前線での攻撃貢献が低い。そう判断した」


「はい」


「では聞く。あいつが同行した班の帰還率を見たか」


「それは……」


「重傷者数は」


「……確認しておりません」


「撤退成功率は」


「評価項目では……」


「医務室搬送数は。ポーション消費は。救援出動の減少は。危険個体との接敵回避は。新人の定着率は」


評価担当は何も言えなかった。


ノアは静かに言った。


「見ていなかったんだな」


その一言は、怒鳴り声より重かった。


「見ていないのに、評価したんだな」


評価担当の顔色が変わる。


「私は、規定に従って……」


「規定は、人を見るための道具だ」


ノアの声が鋭くなった。


「人を見ない言い訳に使うものじゃない」


評価担当は、完全に口を閉ざした。


ノアは次に、装備担当を見た。


「装備担当」


「……はい」


「シャーロットのローブを見たか」


「退団時の支給品については、在庫品から……」


「俺は支給品の話をしていない」


ノアの声が低くなる。


「在籍中のあいつの装備を見たかと聞いている」


装備担当は、すぐに答えられなかった。


ノアは続ける。


「穴の跡があるローブ。歪んだウィッチハット。濁った魔石のワンド。壊れかけの予備。銀翼がSランクを名乗っていた時、あいつはそんな装備で低ランク帯の前に立っていた」


装備担当が小さく言う。


「低評価者の修理申請は、優先順位が……」


「低評価者」


ノアがその言葉を繰り返した。


「お前達が見落としただけの仲間を、低評価者と呼んで修理も後回しにしたのか」


「……」


「その装備で、新人を守らせていたのか」


誰も答えない。


ノアは拳を握った。


「恥を知れ」


短い言葉だった。


だが、会議室の誰もが胸を突かれた。


ノアは次に、居住管理の責任者へ視線を向けた。


「シャーロットの部屋は」


その一言で、居住管理の責任者の顔から血の気が引いた。


「低評価者用の部屋として、規定の範囲内で……」


「規定の範囲内」


「はい。最低限の居住環境は保証しておりました」


「最低限?」


ノアの声が、静かに沈んだ。


「Sランククランが、十年働いた仲間に与えたものが、最低限か」


誰も動けなかった。


ノアはゆっくりと言う。


「初めからあの部屋だったわけではないはずだ。評価が下がり、扱いが下がり、いつの間にか押し込まれた。そうだろう」


居住管理の責任者は答えない。


答えないことが、答えだった。


「風呂は」


その問いに、責任者の肩が揺れた。


「共用施設はあります」


「使えたのか」


「……規定上は」


「規定上ではなく、実際にだ」


沈黙。


ノアの目が細くなる。


「低評価者だからと、使いにくい空気を放置したのか。共同浴場があっても、使うなと言われたも同然の環境にしていたのか」


「明確な禁止は……」


「明確に禁止しなければ責任はないと思っているのか」


居住管理の責任者は、何も言えなくなった。


ノアは会議室全体を見渡した。


「お前達は、あいつから何を奪った」


誰も顔を上げられない。


「評価を奪った。装備を奪った。休む場所を奪った。自分はここにいていいのだと思える居場所を奪った」


ノアは低く続ける。


「それでも、あいつは文句を言わなかったんだろう」


古参の一人が、苦しそうに頷いた。


「……はい」


「最後は何と言った」


誰も答えなかった。


ノアは、すでに聞いていた。


シャーロットが退団時、餞別として古い装備を受け取り、それでも頭を下げたことを。


ありがとうございます、と言ったことを。


「十年働いたクランから、古い装備を渡されて追い出されても、あいつは礼を言ったんだ」


ノアの声が、初めて震えた。


「その意味が分かるか」


誰も答えない。


「分からないだろうな。分かっていたら、そんなことはできない」


会議室の隅で、若い管理職員が拳を握りしめていた。彼は直接、シャーロットの退団処理に関わったわけではない。だが、自分も見ていなかった一人だと分かっていた。低評価者の扱い。修理申請の遅れ。最低限の部屋。医務室の負担増。数字の異変。


気付ける場所は、いくらでもあった。


気付かなかった。


いや、気付くのが遅すぎた。


ノアは幹部長へ向き直った。


「お前達は、あいつが獅子の咆哮で黒龍を討ったから驚いたのか」


幹部長は黙っている。


「違う。驚くべきはそこじゃない。あいつはずっと、そういう魔法使いだった。自分の力を誇らず、必要な場所に使い、誰かを生かすために動いた。黒龍戦でそれが見えただけだ」


ノアは机を叩かなかった。


怒鳴りもしなかった。


ただ、声だけが深く沈んでいく。


「お前達は、それを十年間見逃した」


その言葉に、幹部長の表情がわずかに歪んだ。


「ノア様。我々は……銀翼を維持するために、制度を整えたのです。大きくなったクランを運営するには、感情ではなく基準が必要です。個々の事情をすべて拾っていては、組織は……」


「誰が感情だけで動けと言った」


ノアは静かに返した。


「制度は必要だ。評価も必要だ。基準も必要だ。だが、その制度が人を殺すなら、変えなければならない」


「殺す、とは……」


「殺してからでは遅い」


ノアの声が冷たくなる。


「シャーロットが抜けてから、怪我人が増えた。撤退失敗が増えた。医務室が苦しくなった。次は死人が出る。そうなってから、評価制度の見直しをするつもりだったのか」


幹部長は答えられなかった。


ノアは続ける。


「制度は、人を生かすためにある。現場を守るためにある。仲間を使い潰さないためにある。お前達は、それを逆にした」


誰かが小さく息を呑んだ。


ノアの目が、会議室の全員を射抜く。


「評価表を守るために、仲間を切った」


その一言で、空気が凍った。


ノアは低く言う。


「恥を知れ」


二度目の言葉。


今度は、会議室全体へ向けられていた。


「銀翼の剣は、いつからそんなクランになった。強くなったと勘違いして、足元を見なくなった。Sランクの看板を掲げて、低ランク帯を見下ろした。数字に出る攻撃実績だけを見て、死なせなかった功績を捨てた」


ノアは評価記録を手に取り、静かに掲げた。


「この紙に書かれているのは、シャーロットが足りなかった証拠ではない」


幹部達が顔を上げる。


「銀翼の評価制度が、シャーロットを測れなかった証拠だ」


誰も、何も言えなかった。


「そして、その制度を疑わなかったお前達の怠慢の証拠だ」


紙が机の上へ戻される。


音は小さい。


けれど、会議室の全員に聞こえた。


「お前達は、攻撃魔法使いとして成果がないと言った」


ノアは続ける。


「だが、攻撃しなくて済むように動いていた者を、攻撃していないから不要だと切った。怪我人が出ないようにしていた者を、治療記録に残らないから見落とした。撤退しなくて済むようにしていた者を、撤退支援として評価しなかった」


その声には、怒りと同じだけ、悔しさがあった。


「お前達は、銀翼が一番大事にしなければならなかったものを、分からないまま捨てたんだ」


沈黙が落ちた。


長い沈黙だった。


誰も身じろぎしない。


幹部長も、評価担当も、装備担当も、居住管理の責任者も、それぞれの前にある資料から目を逸らせなかった。


やがて、古参の一人が小さく言った。


「……俺達も、止めませんでした」


ノアはその古参を見た。


「知っていたのか」


「全部ではありません。でも、シャーロットが低ランク帯を支えていたのは、何となく分かっていました。あいつがいると、帰ってこられる。あいつがいると、新人が無茶をしない。そう思っていました」


古参は唇を噛む。


「でも、それを上に上げなかった。評価が下がっているのも、装備が悪くなっているのも、見ていたのに……“あいつなら大丈夫だろう”と思ってしまった」


ノアは何も言わなかった。


古参は頭を下げた。


「すみません」


その謝罪は、もうシャーロットには届かない。


ノアは静かに言った。


「謝る相手は俺じゃない」


古参はさらに深く頭を下げた。


会議室の空気が、痛いほど重くなる。


ノアはもう一度、全員を見た。


「これから事実を洗い出す」


幹部達の肩がわずかに揺れる。


「評価処理だけではない。装備支給、修理申請、部屋の移動、給与、食事、医務記録、低ランク帯の事故率。全部だ。誰が見ていなかったのか。どこで声が消えたのか。誰が承認したのか。全部出せ」


幹部長がかすれた声で言う。


「ノア様、それは銀翼の内部を大きく揺るがします」


「もう揺らいでいる」


ノアは即答した。


「揺れているのを見ないふりしていただけだ」


幹部長は言葉を失った。


「シャーロットはもう銀翼にはいない」


ノアは静かに告げる。


「獅子の咆哮で見つけられ、支えられ、幹部になった。専用装備を作られ、休む場所を与えられ、仲間に囲まれている。黒龍を討ち、王国に星纏いの魔女と呼ばれている」


その一つ一つが、銀翼の幹部達に突き刺さった。


銀翼が与えなかったもの。


銀翼が見なかったもの。


銀翼が奪ったもの。


それを、獅子の咆哮は与えた。


「お前達が今さら何を言っても、あいつの十年は戻らない」


ノアは言った。


「だが、銀翼が何をしたのかを見ないまま、次へ進むことは許さん」


会議室の誰もが、黙っていた。


ノアは最後に、静かに告げた。


「恥を知れ」


三度目の言葉。


それは怒りであり、裁きであり、銀翼の剣というクランそのものへの宣告だった。


「そして、そこから始めろ」


その声だけが、会議室に残った。

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