第6節 星装備を置いて
幹部用の部屋に移った翌日も、シャーロットの休養命令は続いていた。
訓練禁止。
探知禁止。
大型術式禁止。
書類仕事は午前中だけ。
新人訓練の見学も、アメリアの許可がなければ禁止。
シャーロットは朝食後、食堂の端で薬草茶を飲みながら、少し困った顔をしていた。
「何か、できることはありませんか?」
「あるわ」
向かいに座っていたアメリアが即答する。
シャーロットは少しだけ顔を明るくした。
「本当ですか?」
「休むこと」
「……それは、昨日もしました」
「昨日だけで足りると思っているの?」
「思っていません」
「なら、今日も休む」
「はい……」
返事はしたものの、落ち着かない。
部屋は広くなった。
鍵ももらった。
幹部としての仕事も決まった。
けれど、何もしていないと、胸の奥がそわそわする。
黒龍戦の後から、周囲はずっと自分を休ませようとしている。
ありがたい。
分かっている。
でも、じっとしているのがまだ少し苦手だった。
アメリアは薬草茶のカップを置き、静かに言った。
「シャーロット」
「はい」
「今日は、休み方を教える日よ」
「休み方……ですか?」
「ええ。あなた、放っておくと休むふりをして資料を読むでしょう」
シャーロットは少し視線を逸らした。
「少しだけなら」
「禁止」
「はい」
ガルドが隣の席でパンをかじりながら笑った。
「休むにも訓練が必要って、なかなかだな」
「笑わないでください」
「笑ってねえよ」
「笑っています」
「まあな」
アメリアは立ち上がった。
「食べ終わったら、私の部屋に来なさい」
「アメリアさんの部屋に?」
「ええ。用意してあるものがあるの」
「用意……?」
シャーロットが不思議そうにすると、アメリアは少しだけ口元を緩めた。
「見れば分かるわ」
食事を終えたあと、シャーロットはアメリアの部屋へ向かった。
ガルドもなぜか廊下までついてきたが、アメリアに扉の前で止められた。
「あなたはここまで」
「俺は入らねえよ」
「当たり前でしょう」
「待ってりゃいいのか?」
「玄関ホールで待っていて。あと、余計なことを言わない」
「何をする気だよ」
「休ませるの」
ガルドは少しだけ不審そうな顔をしたが、結局肩をすくめて引き返した。
アメリアの部屋に入ると、机の上に大きな箱が置かれていた。
白い布で包まれ、淡い青のリボンがかけられている。
シャーロットは箱の前で足を止めた。
「これは……?」
「あなた用よ」
「私用?」
「ええ。開けてみて」
促され、シャーロットは恐る恐るリボンをほどいた。
箱を開ける。
中に入っていたのは、白地に淡い水色の小さな水玉が入ったワンピースだった。
柔らかい布。
軽い袖。
膝下までの上品な丈。
派手ではない。
けれど、見ているだけで空気が明るくなるような服だった。
その横には、生成り色のカンカン帽。
帽子には、水色のリボンが巻かれている。
小さな革の肩掛けバッグ。
白い手袋。
淡い茶色のストラップシューズ。
真珠風の小さな耳飾り。
そして、薄い青の髪飾り。
シャーロットは、箱の中をしばらく見つめていた。
「……これ、私が着るんですか?」
「そうよ」
アメリアは当然のように答えた。
「今日はそれを着て、外へ行くの」
「外へ?」
「ええ。休みの日の外出」
「私、外出禁止では」
「任務としての外出は禁止。今日は私が許可する休日よ」
「休日……」
言葉を口の中で転がす。
休日服。
休日の外出。
どちらも、自分にはまだ少し慣れない響きだった。
シャーロットは、ワンピースの布にそっと触れた。
指先に、柔らかい感触が返る。
「……これ、好きです」
言ってから、自分で少し驚いた。
好き。
服を見て、そう口にしたことがほとんどなかった。
アメリアは嬉しそうに笑う。
「よかった。似合うと思って選んだの」
「私に、似合うでしょうか」
「似合うわ」
即答だった。
「星装備も似合うけれど、こういう服も似合う。今日は、杖も帽子も置いていきましょう」
シャーロットの手が止まった。
「星帽ポラリスも、ですか?」
「ええ」
「星衣リゲルも?」
「置いていく」
「ヴェガも?」
「今日はなし」
「星杖シリウスは、そもそも工房ですが……」
「そうね。ちょうどいいわ」
シャーロットは少し困った顔をした。
「本当に、何も持たないんですね」
「護衛はつけるわ」
「護衛?」
「ガルド」
「ガルドさんが?」
「ええ。あなたが魔法を使おうとしたら止める役」
「使いません」
「信用はしているわ。でも、念のため」
アメリアはそう言って、箱の中のワンピースを取り出した。
「まず着替えましょう。髪も整えるわ」
「髪までですか?」
「もちろん」
「自分でできます」
「今日は私に任せなさい」
「……はい」
アメリアに手伝われながら、シャーロットはワンピースに着替えた。
いつものローブや星衣とは違う。
布が軽い。
袖が柔らかい。
腰のあたりでふわりと布が揺れる。
靴も、戦場用のしっかりしたものとは違って、歩くたびに音が軽かった。
髪は緩く整えられ、薄い青の髪飾りで留められる。
耳飾りをつけられた時、シャーロットは少しだけ肩をすくめた。
「くすぐったいです」
「すぐ慣れるわ」
「似合っていますか?」
「ええ。とても」
アメリアは最後にカンカン帽をかぶせ、鏡の前に立たせた。
シャーロットは、鏡の中の自分を見た。
白地に淡い水色の水玉ワンピース。
生成り色の帽子。
水色のリボン。
小さな肩掛けバッグ。
星衣でも、ローブでも、戦場服でもない。
そこにいるのは、どこかの貴族令嬢というほど飾られてはいない。
けれど、王都の通りを歩いていてもおかしくない、普通の休日の女性だった。
「……これ、私ですか?」
小さく聞くと、アメリアが後ろから答える。
「あなたよ」
「変じゃ、ないですか?」
「可愛いわ」
シャーロットの顔が一気に赤くなった。
「か、可愛いは……」
「可愛いわ」
「もう一回言わなくても……」
「大事なことだから」
シャーロットは帽子のつばを両手で押さえた。
熱くなった顔を隠したかったが、鏡の中の自分は隠れない。
星装備を身につけた時とは違う緊張があった。
強く見せるための服ではない。
戦うための服でもない。
ただ、出かけるための服。
それが、少し怖い。
「……少し、不安です」
アメリアは急かさず、鏡越しにシャーロットを見た。
「何が?」
「星装備を全部置いて外に出るのは、落ち着きません。杖も、ヴェガも、帽子もないと……手が、空きすぎて」
シャーロットは肩掛けバッグの紐をそっと握った。
「でも、行きます」
アメリアは静かに頷いた。
「ええ。行ってらっしゃい」
「アメリアさんは一緒ではないんですか?」
「私は本部で待っているわ。今日はガルドと行きなさい」
「ガルドさんと二人で?」
「ええ。嫌?」
シャーロットは少し考えた。
嫌ではない。
むしろ、ガルドがいるなら安心できる。
「嫌ではありません」
「なら大丈夫ね」
「でも、ガルドさんに笑われませんか?」
「笑ったら私が叱るわ」
「それは安心です」
アメリアは満足そうに頷き、シャーロットを玄関ホールへ連れていった。
ホールでは、ガルドが壁際に寄りかかって待っていた。
いつもの軽装に剣。
今日は任務ではないはずなのに、立ち方だけで護衛に見える。
「遅かったな。アメリアに何を……」
言いかけて、ガルドが止まった。
シャーロットも止まった。
一瞬、玄関ホールが静かになる。
ガルドは何か言おうとして、口を閉じた。
それから、視線を少しだけ逸らす。
「……変、でしょうか?」
シャーロットが小さく聞く。
ガルドはすぐに首を振った。
「いや」
「本当に?」
「変じゃない」
「笑いませんか?」
「笑わねえよ」
少し間が空いた。
ガルドは頭をかく。
「似合ってる」
シャーロットの顔が、また熱くなった。
「……ありがとうございます」
「おう」
アメリアが後ろで腕を組んでいた。
「ガルド」
「何だよ」
「今のは及第点」
「採点されるのかよ」
「当然よ」
レオンが通りがかり、足を止める。
「変装効果は非常に高いですね」
ガルドが眉を寄せた。
「そういう話じゃねえだろ」
レオンは真面目な顔でシャーロットを見る。
「星装備の印象が強いため、今日はかなり気付かれにくいと思います。外出には適しています」
「ありがとうございます……?」
「褒めています」
「そうですか」
アメリアはシャーロットの帽子の位置を少し直した。
「約束を確認するわ」
「はい」
「探知しない」
「はい」
「魔法を使わない」
「はい」
「人助けを始めない」
「……はい」
「今、間があったわね」
「すみません」
「怪しい気配がしたら、まずガルドに言う」
「はい」
「買い物を楽しむ」
「はい」
「甘いものを食べる」
「はい」
「休む」
「はい」
ガルドが横で笑う。
「買い物と甘いものまで命令か」
「この子には必要よ」
「まあ、否定はしねえ」
シャーロットは小さく抗議する。
「そこまでしなくても、今日はちゃんと休みます」
「本当か?」
ガルドが覗き込む。
「本当です」
「魔力感知は?」
「しません」
「危ない気配がしたら?」
「ガルドさんに言います」
「誰かが困ってたら?」
シャーロットは少し黙った。
アメリアの視線が刺さる。
「……まず、ガルドさんに言います」
「よし」
ガルドは満足そうに頷いた。
「俺はお前が魔法を使いそうになったら止める役だ」
「使いません」
「そう言う奴ほど使うんだよ」
「そんなに信用がないでしょうか」
「信用はしてる。だが、お前の反射行動は信用してねえ」
シャーロットは言い返せなかった。
アメリアが玄関の扉へ向かう。
「では、行ってらっしゃい。夕方までには戻ること」
「はい」
「無理をしない」
「はい」
「楽しんでくる」
シャーロットは少しだけ目を瞬かせた。
それから、帽子のつばに触れる。
「はい。行ってきます」
ガルドが扉を開けた。
外から、王都の明るい光が差し込む。
シャーロットは一度だけ足元を見た。
淡い茶色の靴。
軽いスカートの裾。
肩掛けバッグの紐。
空いた手。
少し怖い。
でも、嫌ではない。
ガルドが隣で待っている。
シャーロットは顔を上げ、玄関の外へ一歩踏み出した。




