第6節 星纏いの魔女、変装する
正式幹部用の部屋に移ってからも、シャーロットの休養命令は続いていた。
黒龍討伐から数日は経っている。手の震えはもうほとんど収まり、魔力回路の熱もかなり引いた。本人としては、そろそろ訓練場に顔を出してもいいのではないかと思っていた。
だが、アメリアの許可は出なかった。
「訓練禁止」
「はい」
「探知禁止」
「はい」
「大型術式禁止」
「もちろんです」
「書類仕事は午前中だけ」
「……はい」
「新人訓練の見学も禁止」
「見学もですか?」
「あなたは見学と言いながら、気付いたら指導を始めるでしょう」
「少しだけなら」
「禁止」
シャーロットは幹部部屋の椅子に座ったまま、しゅんと肩を落とした。
正式幹部になったばかりなのに、できることが少ない。部屋は広く、研究机も書斎もあり、星装備の保管場所まで整っている。ありがたい。とてもありがたい。けれど、何もしていないと落ち着かない。
銀翼の剣にいた頃は、休むことに罪悪感があった。獅子の咆哮では休むことも仕事だと言われる。それは分かっている。分かっているのだが、体がまだその普通に慣れていなかった。
「何か、できることはありませんか?」
「あるわ」
アメリアが即答した。
シャーロットはぱっと顔を上げた。
「本当ですか?」
「休むこと」
「……それは、今しています」
「足りないわね」
アメリアは椅子から立ち上がり、部屋の入口へ向かった。
「ついてきて」
「はい?」
「今日は、休み方を教える日よ」
その言い方に、シャーロットは首を傾げた。休み方に教えるも何もあるのだろうか。けれどアメリアはすでに廊下へ出ている。シャーロットは慌てて立ち上がり、後を追った。
連れて行かれたのは、アメリアの部屋だった。
指揮官らしい整った部屋だ。机には書類が積まれているが、分類ごとにきちんと並んでいる。壁際には地図と連絡用の魔導具。棚には実用的な小物と、少しだけ華やかな飾り布。戦闘職というより、全体を見て整える彼女らしい部屋だった。
その中央のテーブルに、大きな箱が置かれていた。
白い布で包まれ、淡い青のリボンがかけられている。
「これ、あなたに」
アメリアが言った。
シャーロットは目を瞬かせた。
「私に、ですか?」
「正式幹部就任のお祝い。それから、黒龍戦のお礼」
「お礼なんて、そんな」
「受け取りなさい」
「でも」
「受け取りなさい」
二度目は逃げ場がなかった。
シャーロットは両手で箱を受け取る。思ったより軽い。けれど、手にした瞬間、丁寧に選ばれたものだと分かるような重みがあった。
「開けても、いいですか?」
「もちろん」
リボンをほどき、布を開く。
中に入っていたものを見た瞬間、シャーロットは息を止めた。
そこには、魔法使いらしさが一切ない服が入っていた。
深い紺色のローブでもない。ウィッチハットでもない。魔導糸も、結界補助の紋様も、魔石の留め具もない。星の名を持つ装備ではない。戦うための服ではない。
白地に、淡い水色の小花が散ったワンピースだった。
襟元は控えめで、袖は肘より少し上。腰には細い薄青のリボンがあり、動くと裾が軽く揺れる。派手ではないが、明るく、柔らかい。王都の街を歩く普通の娘が、少しだけおしゃれをして出かけるような服だった。
その隣には、生成り色のカンカン帽が入っていた。つばには細い水色のリボンが巻かれている。小さな革の肩掛けバッグ、白い手袋、歩きやすそうな淡茶色のストラップシューズ。それから、真珠に似た小さな耳飾りと、薄青のリボンがついた髪飾り。
シャーロットは、しばらく何も言えなかった。
「これは……」
「変装用ではあるわ。でも、それだけじゃない」
アメリアは静かに言った。
「星纏いの魔女としてじゃなく、シャーロットとして、普通の休日を過ごしてほしかったの」
その声に、シャーロットの胸がきゅっとなった。
アメリアは続ける。
「黒龍戦で、あなたは本当に大きなことをした。獅子の咆哮がSランクになったのも、あなたが正式幹部になったのも、あなた自身の力と、これまでの積み重ねがあったからよ。でも、だからこそ今日は、何もしない日を作りなさい。魔法使いとしてでも、幹部としてでも、星纏いの魔女としてでもなく、ただ街を歩いて、甘いものを食べて、綺麗なものを見て帰ってくる日」
シャーロットは、ワンピースをそっと撫でた。
柔らかい布だった。
銀翼にいた頃、服は最低限だった。給料が少なく、必要なものを買うだけで精一杯。見た目を整えることは後回しで、ローブの補修、靴の修理、消耗品、安い櫛や紐。それで一月が終わる。綺麗な服を買う余裕など、ほとんどなかった。
それでも自分なりに身だしなみは整えていたつもりだった。
髪は結び、汚れは落とし、破れは縫った。
けれど、それは「普通の休日を楽しむための支度」ではなかった。
「こんな綺麗な服、私には……」
言いかけた瞬間、アメリアが首を振った。
「似合うわ。だから選んだの」
「でも」
「似合う」
はっきりと言われて、シャーロットは言葉を失った。
アメリアは少しだけ笑う。
「それに、今日はガルドと街へ行くのでしょう?」
「えっ」
「休養中の外出許可は出すわ。ただし護衛兼監視付き。ガルドが同行するなら許可するとレオンも言っていたわ」
「聞いていません」
「今言ったもの」
「アメリアさん」
「もちろん、星帽ポラリス、星衣リゲル、星脈晶のヴェガ、星杖シリウスは全部置いていくこと」
シャーロットは目を丸くした。
「全部、ですか?」
「全部。今日は魔法使い要素なし。星纏いの魔女は休業よ」
「でも、何かあった時に」
「何か起こさないためにガルドをつけるの。それと、あなたが何かしようとしたら止めるために」
「信用が……」
「ないわけじゃないわ。あなたの善意の暴走を警戒しているだけ」
「それは信用がないのでは……」
「細かいことはいいの」
アメリアは箱を持ち上げ、隣の仕切り部屋へシャーロットを押し込んだ。
「さあ、着替えなさい。その後は髪と化粧」
「化粧もですか?」
「当然。本気でやるわよ」
その言葉通り、アメリアは本気だった。
ワンピースに着替えたシャーロットを椅子に座らせると、まず髪を丁寧に梳いた。今の髪は、銀翼にいた頃よりずっと整っている。アメリアが以前、半ば強制的に街へ連れ出し、髪を切り整えさせたからだ。乾いて不揃いだった毛先はもうない。手入れ用の油も、安物ではなく、髪に合うものを使っている。
アメリアはその髪をゆるく編み込み、片側へ流した。薄青のリボンを小さく結び、カンカン帽をかぶった時に少しだけ見える位置へ髪飾りを留める。
次に、薄く化粧をした。
派手ではない。目元を少し柔らかく見せ、頬にほんのり血色を足し、唇に淡い色を乗せる。もともとの明るい表情を消さず、むしろ自然に引き出すような化粧だった。
「目を開けて」
言われて、シャーロットは恐る恐る鏡を見た。
そこにいたのは、魔法使いではなかった。
星帽ポラリスも、星衣リゲルもない。ヴェガもシリウスもない。黒龍を討った星纏いの魔女ではない。白地に淡い水色の小花柄のワンピースを着て、生成り色のカンカン帽をかぶった、普通の街娘のような姿。
けれど、どこか自分ではないようにも見えた。
「……これ、私ですか?」
「あなたよ」
アメリアが満足そうに言った。
「かわいいわ」
シャーロットの顔が一気に赤くなる。
「か、かわいいは、その」
「褒め言葉は受け取りなさい」
「はい……」
アメリアは最後に小さな肩掛けバッグを持たせた。
中には財布、ハンカチ、小さな櫛、最低限の身分証。魔法道具らしいものは一切ない。
「本当に、魔法使い要素がないですね」
「それが目的よ」
「何だか落ち着きません」
「慣れなさい。今日はその格好で一日過ごすの」
「一日……」
シャーロットは少し不安そうに帽子のつばを触った。
その仕草すら、いつものウィッチハットを押さえる癖と違って見えた。
「ガルドは玄関ホールで待っているわ」
アメリアが言う。
「最初に見せてきなさい」
「最初に、ですか?」
「ええ」
なぜか、アメリアの目が少し楽しそうだった。
シャーロットは首を傾げつつ、部屋を出た。
玄関ホールでは、ガルドが壁にもたれて待っていた。いつもの大剣は持っていない。街歩き用の軽い服装だが、それでも体格と雰囲気のせいで、普通の町人には見えない。護衛と言われれば納得する存在感だった。
足音に気付いて、ガルドが顔を上げる。
「遅かったな。アメリアに何を……」
言葉が途中で止まった。
シャーロットは少し離れた場所で立ち止まる。
白地に淡い水色の小花柄のワンピース。生成り色のカンカン帽。ゆるく編み込まれた髪。薄い化粧。小さな肩掛けバッグ。魔法使いらしさは、どこにもない。
ガルドは一瞬、本当に言葉を失った。
シャーロットは不安になり、両手でバッグの紐を握る。
「……変、でしょうか?」
「いや」
返事は早かった。
だが、その後が続かない。
普段のガルドなら、すぐに茶化したはずだった。星纏いの魔女も休業か、とか、誰だお前、とか、いくらでも言いそうなものだ。けれど今は、少しだけ視線を逸らした。
「変じゃない」
「本当ですか?」
「ああ」
短い沈黙。
ガルドは軽く咳払いをした。
「似合ってる」
シャーロットの頬が、さらに赤くなった。
「……ありがとうございます」
声が小さい。
それを見ていたアメリアが、玄関ホールの奥から満足そうに頷いていた。
レオンもいつの間にか横に立っていた。
「変装効果は非常に高いですね。通常の星装備時と印象が大きく異なります。王都の一般市民が見ても、星纏いの魔女とは判断しにくいでしょう」
ガルドが顔をしかめる。
「そういう話じゃねえだろ」
「変装の話では?」
「……まあ、そうだけどよ」
アメリアが小さく笑った。
「ガルド、護衛兼監視を任せるわ」
「分かってる」
「シャーロット。約束を確認するわよ。探知しない。魔法を使わない。人助けを始めない。怪しい気配がしたら自分で動かず、まずガルドに言う。買い物を楽しむ。甘いものを食べる。休む。いいわね?」
「途中から命令が変わっていませんか?」
「休養命令よ」
「はい」
ガルドが笑う。
「信用されてねえな」
「ガルドさんも笑っていますけど、監視役ですよ」
「俺はお前が魔法を使いそうになったら止める役だ」
「使いません」
「その言葉も一応聞いておく」
シャーロットは少しだけ頬を膨らませた。
その表情を見て、ガルドがまた目を逸らす。
アメリアはさらに満足そうだった。
「行ってらっしゃい。正式幹部になって初めての休日、ちゃんと楽しんできなさい」
その言葉に、シャーロットは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
正式幹部になって初めての休日。
黒龍を討った星纏いの魔女としてではなく。
獅子の咆哮の魔法使いとしてでもなく。
今日はただ、シャーロットとして街を歩く。
「はい。行ってきます」
彼女は深く頭を下げた。
ガルドが隣に並ぶ。
「じゃ、行くか」
「はい」
二人は獅子の咆哮の本部を出た。
星纏いの魔女は、その日だけ、星を纏わなかった。
代わりに、淡い小花柄のワンピースとカンカン帽を身につけて、王都の街へ歩き出した。




