第4節 幹部の席
Sランク昇格の発表が終わった日の午後、シャーロットはアメリアに呼ばれて会議室へ向かった。
黒龍戦の後処理。
王城での審査。
王都への告示。
大きな出来事が続いたせいで、クラン本部の中はまだ少し浮き立っている。
廊下を歩けば、団員達が「Sランクだぞ」「まだ実感ないな」と笑い合っている声が聞こえた。厨房では昼食を少し豪華にする準備が進み、工房では星装備の使用後点検が続いている。
そんな中で会議室に呼ばれたものだから、シャーロットは少し不安だった。
「……私、何かしましたか?」
「何かしたわね」
隣を歩くアメリアが、真顔で答える。
「えっ」
「黒龍を討ったでしょう」
「それは、皆さんと一緒に」
「そういうところよ」
アメリアは小さく息を吐いた。
「怒られるわけじゃないから、そんな顔をしないの」
「はい……」
返事をしても、不安は残った。
黒龍戦の後、探知禁止、訓練禁止、大型術式禁止、書類仕事制限と、禁止事項が一気に増えた。
また何か、無自覚に無理をしていたのかもしれない。
そう思うと、背筋が自然と伸びる。
会議室の扉の前に着くと、アメリアが軽くノックした。
「連れてきたわ」
「入れ」
アクセルの声が返る。
扉が開いた。
中には、アクセル、レオン、ガルド、そして数名の幹部達が揃っていた。机の上には書類が置かれている。
いつもの作戦会議より、少し改まった空気だった。
シャーロットは入口で足を止める。
「失礼します」
丁寧に頭を下げると、ガルドが椅子に座ったまま片手を上げた。
「そんなに固くなるな」
「でも、皆さん揃っていますし」
「取って食いやしねえよ」
「それは分かっていますけど……」
レオンが書類を整えながら言う。
「シャーロットさん、こちらへ」
「はい」
指定された席に座る。
真正面にアクセル。
右にはアメリア。
左にはガルド。
レオンは記録係の位置でペンを持っていた。
まるで、王城での審査の続きのようだった。
シャーロットは膝の上で、そっと手を握る。
アクセルが口を開いた。
「シャーロット」
「はい」
「まず、改めて黒龍戦の功績について礼を言う。お前がいなければ、第一防衛線は崩れていた。王国軍もSランククランも、相当数の死者を出していただろう。獅子の咆哮も、ここまで無事には帰れなかった」
「私は……」
「皆が支えたからだ、と言いたいんだろう」
先に言われ、シャーロットは口を閉じた。
アクセルは頷く。
「その通りだ。黒龍戦は獅子の咆哮全体の勝利だ。だが、その中心にお前がいたことも事実だ。そこは否定するな」
「……はい」
「今日の議題は、その件とも関係している」
アクセルは机の上の書類に手を置いた。
「獅子の咆哮はSランククランになった。これまで以上に、王国やギルドの緊急要請に応じる責任が生じる。依頼の規模も、関わる人間も、危険度も上がる」
会議室の空気が、少し引き締まる。
「そのため、幹部体制を強化する。現場指揮、教育、魔法支援、低ランク帯の安定化、災害級任務への対応。黒龍戦で分かった通り、これからの獅子の咆哮には、お前の力と判断が必要だ」
シャーロットは、話の行き先を察しかけた。
けれど、すぐには信じられない。
「アクセルさん」
「シャーロット。お前の幹部候補期間は、今日で終わりだ」
静かな声だった。
胸が、大きく鳴った。
「え……」
アクセルはまっすぐ彼女を見る。
「候補ではなく、幹部として迎える。幹部会議で、全員一致の決定だ」
会議室が静かになる。
シャーロットは、すぐに返事ができなかった。
候補ではない。
幹部として迎えられる。
その言葉が、うまく胸に入ってこない。
「私が、ですか?」
「他に誰がいる」
ガルドが笑う。
「黒龍を討った幹部候補を、いつまで候補にしておく気だよ」
「でも、私はまだ入って間もないですし、皆さんに比べたら経験も……」
「十年、銀翼で現場を見ていたのでしょう」
アメリアが言った。
声は柔らかい。
けれど、逃げ道はない。
「新人教育、低ランク支援、結界、探知、撤退判断、魔力制御補助、応急処置。あなたが自然にやっていたことは、獅子の咆哮では幹部の仕事として扱うべきものよ」
「でも、それは……」
「でも、はなし」
アメリアはきっぱりと言った。
レオンが書類を一枚差し出す。
「就任に必要な書類は、すでに準備済みです。職務範囲案も作成しています」
「職務範囲……」
「主担当は、魔法支援、戦場安定化、新人および低ランク帯の実地教育、災害級任務における広域結界および探知支援」
レオンは淡々と続ける。
「ただし、負荷管理のため、単独判断での大規模術式使用は禁止。幹部二名以上の承認、または緊急時の事後報告が必要です」
シャーロットは書類を見た。
探知。
結界。
負傷者を出す前の配置変更。
撤退判断の補助。
新人の危険予測訓練。
魔法使いの魔力切れ予兆確認。
これまで自分がしてきたことが、仕事として並んでいる。
以前は、ついでのように扱われていたものばかりだった。
「ここまで決まっているんですか?」
「はい」
「私、まだ何も返事を……」
「返事を聞く前に準備しました」
レオンは平然と言った。
ガルドが椅子の背にもたれながら笑う。
「もう逃がさん」
「逃げるつもりは……」
「遠慮して下がろうとしてるだろ」
「それは、逃げるとは違う気がします」
「同じだ」
ガルドは短く言い切った。
「お前はすぐ、自分には過ぎたものだと思う。部屋も、装備も、飯も、休みも、評価も。けどな、これはお前が受け取るべきものだ」
シャーロットは言葉を失った。
ガルドの声は、からかう時のものではない。
「俺達が必要だと思って、お前を幹部にする。だから受け取れ」
「……ガルドさん」
アクセルも静かに続ける。
「これは黒龍討伐の一時的な褒美じゃない。お前の力、判断、姿勢、獅子の咆哮との相性を見た上での決定だ」
レオンが資料をめくる。
「幹部会議の評価項目では、戦闘力、支援能力、教育能力、現場判断、危機対応、協調性、負荷管理について確認しています」
「負荷管理……」
「そこは改善必須です」
レオンは真顔だった。
アメリアも頷く。
「幹部になるなら、なおさら無理を隠さないこと。あなたが倒れたら、あなたに支えられている人達も困るの。そこは自覚しなさい」
「はい……」
「それと、遠慮しすぎるのも禁止」
「禁止が多いです」
「あなたに関しては必要よ」
アメリアは少しだけ笑った。
「嫌なら、休養命令を増やすわ」
「それは困ります」
「なら、受けなさい」
「それは脅しでは……」
「交渉よ」
ガルドが吹き出した。
「アメリア、強引だな」
「このくらいしないと、この子は後ろに下がるでしょう」
「まあな」
シャーロットは困ったように皆を見た。
アクセル。
アメリア。
レオン。
ガルド。
ほかの幹部達も、誰一人として冗談の顔ではない。
候補生として初めてこのクランへ来た日のことを思い出す。
綺麗な部屋に通されて、泣いてしまった。
予備ワンドを渡されて、壊してしまった。
それでも、この人達は追い出さなかった。
早すぎる気がする。
自分には大きすぎる気もする。
けれど、ここで「私なんて」と言えば、獅子の咆哮が見てくれたものまで否定してしまう。
シャーロットは、膝の上で握っていた手をゆっくりほどいた。
「……私で、いいんでしょうか」
「お前がいい」
アクセルが即答した。
ガルドも言う。
「お前じゃなきゃ困る」
アメリアも頷く。
「あなたを迎えるための席よ」
レオンが書類を差し出す。
「署名欄はこちらです」
「レオンさん、早いです」
「効率化です」
思わず、小さく笑ってしまった。
シャーロットは書類の署名欄を見つめる。
怖い。
嬉しいのに、怖い。
けれど、逃げたい怖さではなかった。
「……怖いです」
小さく言うと、会議室が静かになった。
シャーロットは顔を上げる。
「でも、受けます」
アクセルが頷いた。
「よし」
その時、会議室の外から拍手が響いた。
「えっ?」
シャーロットが振り返ると、扉が開いた。
廊下には、いつの間にか団員達が集まっていた。
新人達。
低ランク班。
中堅。
前衛。
魔法使い。
職人。
厨房係。
医務班。
全員ではない。
それでも、驚くほど多くの顔があった。
「おめでとうございます、シャーロットさん!」
「幹部就任だ!」
「星纏いの魔女がうちの幹部だ!」
「黒龍討伐の幹部!」
「無理しすぎ禁止の幹部!」
最後の声に、笑いが起きる。
シャーロットは椅子から立ち上がり、固まった。
拍手が続く。
誰かが笑っている。
誰かが手を振っている。
新人達が目を輝かせている。
厨房係が「今日はさらに一品増やすよ!」と叫び、医務班が「その前に休養確認!」と返した。
シャーロットは、慌てて頭を下げる。
「……ありがとうございます」
声が少し震えた。
目の奥が熱い。
けれど、顔を隠す前に、ガルドが少しだけ前へ出た。
いつもならからかうはずなのに、今日は何も言わない。
ただ、周囲の視線を少しだけ遮るように立った。
「よかったな」
小さな声だった。
シャーロットは、こくりと頷く。
「……はい」
アクセルが立ち上がる。
「本日より、シャーロットは獅子の咆哮の幹部だ。皆、支えろ。頼れ。だが、無理をさせすぎるな」
「はい!」
団員達の返事が揃う。
アメリアが続ける。
「それと、本人が“大丈夫です”と言った場合は、必要に応じて疑いなさい」
「はい!」
「アメリアさん……」
シャーロットが小さく抗議するが、誰も否定しなかった。
レオンが書類を差し出す。
「では、署名を」
「この空気でですか?」
「手続きですので」
シャーロットは涙をこらえながら、少し笑った。
ペンを持つ。
手は、震えていなかった。
署名欄に、自分の名前を書く。
シャーロット。
その横に、レオンが静かに記入した。
獅子の咆哮、幹部。
文字を見た瞬間、胸の奥がまた熱くなる。
アメリアが肩に手を置いた。
「ようこそ、シャーロット」
アクセルが頷く。
「これからも頼む」
ガルドが笑う。
「逃げ場はなくなったな」
シャーロットは目元を押さえかけて、途中で手を止めた。
顔を上げる。
「逃げません」
会議室の中と外で、もう一度拍手が起きた。
シャーロットは帽子のつばを少しだけ押さえ、深く頭を下げた。




