第3節 獅子の咆哮、Sランク認定
翌朝、王城前の掲示板と冒険者ギルド本部の正面に、同じ内容の告示が張り出された。
『Aランククラン獅子の咆哮、黒龍討伐ならびに王国防衛への功績をもって、Sランククランへの昇格を承認する』
王冠と剣。
冒険者ギルドの天秤。
王立研究院の星杖紋。
三つの印が押された告示の前に、朝から人だかりができていた。
「本当にSランクになったのか」
「黒龍を討ったんだぞ。そりゃそうだろ」
「でも、獅子の咆哮ってAランクだったよな」
「防衛線維持とか、避難民保護も見られたらしいぞ」
「星纏いの魔女がいるクランだろ?」
「元銀翼の魔法使いって話だ」
「E評価で契約解除されたって聞いたぞ」
「……どういうことだ、それ」
噂は、王都の中を朝の風のように広がっていった。
市場では、野菜を並べる商人達が告示の内容を話している。
酒場では、早朝から新聞を広げた冒険者達が黒龍戦の記事を読み返している。
子供達は木の枝を杖に見立てて、「星纏いの魔女だぞ」とはしゃいでいた。
獅子の咆哮の本部前にも、人が集まり始めていた。
「ここがSランククランになった獅子の咆哮か」
「昨日まではAランクだったんだよな」
「一晩で看板が重くなったな」
「星纏いの魔女はいるのか?」
「本人は大丈夫って言ってたらしいぞ」
「それが一番信用できないやつだろ」
そんな声が門の外から聞こえてくる。
シャーロットは食堂の端の席で、両手で薬草茶のカップを包んでいた。
目の前には、焼きたてのパンと、野菜のたくさん入ったスープが置かれている。
けれど、手をつけるのに少し時間がかかった。
「食べなさい」
アメリアの声が飛んでくる。
シャーロットはびくりと肩を揺らした。
「はい」
「昨日、王城から戻ってから少ししか食べていないでしょう」
「食べました」
「少しね」
「……はい」
向かいに座っていたガルドが、パンをちぎりながら笑う。
「王国公認で“本人申告は信用するな”が広まったんだ。周りが助かる」
「広まっていません」
「昨日の会議でほぼ広まっただろ」
「それは困ります」
「困るのはこっちだ」
ガルドはそう言って、シャーロットの皿を指差した。
「まず食え。Sランククランの幹部候補様」
「まだ候補です」
「黒龍を討った候補って何だよ」
「私にも分かりません」
アメリアがすぐに口を挟む。
「それと、今日は外出禁止。探知禁止。大型術式禁止。訓練場へ行くのも禁止。書類仕事は午前中だけ」
「午前中だけ……」
「不満そうね」
「いえ」
「顔に出ているわ」
シャーロットはカップを持ったまま、少しだけ目を伏せた。
昨日、王城で正式にSランク昇格が承認された。
会議の場で、獅子の咆哮の名前が読み上げられた。
王国軍、ギルド、研究院。
多くの人の前で。
自分はその場に立っていた。
まだ、実感が追いついていない。
「……私、何をしたらいいんでしょう」
ぽつりと漏れた声に、アメリアが少しだけ表情を緩める。
「今日は休むの」
「でも、正式発表の日ですし」
「だからよ。周りが騒がしい日ほど、あなたは余計なことをしない」
ガルドが頷く。
「外に出たら囲まれるぞ。星纏いの魔女様ってな」
「やめてください」
「新聞の二つ名に文句言え」
「言いたいです……」
その時、食堂の入口が開いた。
アクセルとレオンが入ってくる。
レオンの手には、王城から届いた追加書類と、ギルド本部の正式通知があった。
食堂にいた団員達が、一斉にそちらを見る。
アクセルは短く頷いた。
「正式発表を確認した。今日から獅子の咆哮は、王国公認のSランククランだ」
一瞬の静けさ。
次の瞬間、食堂が大きな歓声に包まれた。
「やった!」
「本当にSランクだ!」
「団長、おめでとうございます!」
「いや、俺達全員だろ!」
「厨房! 昼、増やせるか!」
厨房係が奥から顔を出す。
「もう増やしてるよ!」
笑い声が上がった。
新人達は目を輝かせ、低ランク班の団員達は互いの肩を叩き合っている。工房の職人達は、早くも「看板を磨き直すか」と話していた。
シャーロットは、その光景を呆然と見ていた。
アクセルが彼女の前まで来る。
「シャーロット」
「はい」
「黒龍戦、ご苦労だった。お前がいなければ、俺達はここにいない」
「私だけではありません」
反射のように返したあと、シャーロットは一度口を閉じた。
昨日、王城でも同じことを言った。
けれど、今度は少しだけ言葉を選ぶ。
「……私一人では、術式を組む前に黒龍に潰されていました。皆さんが時間を作ってくださったから、撃てました」
アクセルは頷く。
「分かっている。これはお前一人への礼じゃない。獅子の咆哮の全員で掴んだSランクだ」
シャーロットは、ゆっくり顔を上げた。
「だが、その中心にお前がいたことも事実だ。そこは受け取れ」
食堂の空気が、少しだけ静かになる。
団員達の視線が集まっている。
責めるものではない。
押しつけるものでもない。
それでも、胸の奥が苦しくなった。
シャーロットはカップを置き、膝の上で手を握る。
「……嬉しいのに、少し怖いです」
小さな声だった。
アメリアも、ガルドも、何も言わなかった。
シャーロットは続ける。
「でも、受け取ります」
アクセルが、静かに頷いた。
「それでいい」
ガルドが横から軽く言う。
「Sランククランの幹部候補様。今日の予定は?」
「午前中に書類を確認して、午後は訓練場を見学だけ……」
「却下」
アメリアの声が即座に飛ぶ。
「まだ最後まで言っていません」
「言う前から分かるわ」
「見学だけなら」
「あなたの見学は、見学で終わらないでしょう」
食堂に笑いが広がる。
シャーロットは小さく肩を落とした。
「では、書類だけ……」
レオンが書類の束を机に置く。
「書類も私が整理します。シャーロットさんが見るのは、必要分だけです」
「必要分だけ」
「はい。なお、今日届いている問い合わせは、取材依頼、研究院からの術式確認、他クランからの挨拶、王城からの追加確認、新聞社からの面会申請です」
シャーロットは固まった。
「多くないですか?」
「多いです」
アメリアが腕を組む。
「本人一人で対応させる気はないわ。取材は保留。研究院は後日。面会は幹部同席。外出は当面誰かと一緒」
「私、子供では……」
「黒龍討伐後に休養指示を無視しかけた人は黙っていて」
「はい……」
ガルドが笑う。
「星纏いの魔女、完全に保護対象だな」
「やめてください」
「Sランククランの看板娘だ」
「もっとやめてください」
また笑いが起きた。
その笑いの中で、シャーロットは少しだけ息をつく。
怖い。
まだ怖い。
けれど、ここでは怖いと言っても、すぐに責められない。
むしろ、周りが勝手に役割を分けて、自分を椅子に座らせて、温かいスープを目の前に置く。
「……外に出ない方がいいですか」
シャーロットが小さく聞くと、アメリアは少し考えてから答えた。
「今日はね。でも、ずっと隠れていろとは言わないわ。あなたが歩ける時に、私達が一緒に歩く」
シャーロットは、手元のカップを見た。
薬草茶の湯気が、ゆっくり上がっている。
「分かりました。今日は、ちゃんと休みます」
「よろしい」
アメリアは満足そうに頷いた。
一方その頃。
銀翼の剣の本部にも、正式発表の知らせは届いていた。
会議室の空気は重い。
机の上には、王城の告示を写した紙と、冒険者ギルドからの通達が置かれている。
『獅子の咆哮、Sランク昇格』
その文字を前に、幹部達はしばらく黙っていた。
「黒龍討伐の功績が大きかった。それだけだ」
幹部長の声は硬い。
「獅子の咆哮がSランクになったからといって、銀翼の価値が下がるわけではない。銀翼の剣は、これまで王国を支えてきたSランククランだ」
誰もすぐには答えなかった。
若い管理職員が、別の資料へ目を落とす。
新人事故増加。
Dランク部隊の撤退失敗。
ポーション消費増加。
修理費増加。
中堅救援出動増加。
高難度依頼の延期。
数字は、言い訳をしなかった。
王城会議棟でギルド長が口にした言葉を、誰かが思い出した。
低ランク支援を軽んじない組織は強い。
けれど、その言葉を口にする者はいなかった。
医務室では、ソフィアが新聞を読んでいた。
見出しには、獅子の咆哮のSランク昇格。
その下に、黒龍戦の概略と、王城審査で評価された項目が載っている。
戦場連携。
負傷者搬送。
避難民保護。
新人教育。
低ランク支援。
装備点検。
医務支援。
ソフィアは、そこに並んだ言葉を指でなぞった。
机の端には、古い医務記録が数冊置かれている。
銀翼の剣で、シャーロットがまだ所属していた頃の記録だ。
搬送遅延なし。
重傷化前に撤退。
魔力切れ予兆あり、配置変更済み。
盾役疲労蓄積、交代指示。
記録の端には、何度も同じ名前が残っていた。
シャーロット。
「……私も、見に行きたい」
ソフィアは小さく呟いた。
その声は、誰にも聞こえなかった。
獅子の咆哮の食堂では、昼の支度が始まっていた。
厨房係が鍋をかき混ぜ、団員達が追加の椅子を運び、シャーロットはアメリアに見張られながら、残っていたパンを小さくちぎって口へ運んだ。




