第2節 Sランク審査
王城会議棟の大広間には、静かな緊張が満ちていた。
長い机の向こう側に、王国軍の将官、冒険者ギルド長、王立研究院の代表、王城官吏達が並んでいる。
左右には、黒龍戦に参加したSランククランの代表者達。
少し離れた席には、銀翼の剣の幹部達もいた。
シャーロットは、獅子の咆哮の席に座っている。
正面にはアクセル。
右にはアメリア。
左にはガルド。
少し後ろにレオンが立ち、記録用の書類板を持っていた。
ギルド長が、机の上の資料へ目を落とす。
「では、黒龍討伐に関する戦功確認を始める」
広間の空気が、さらに引き締まった。
「まず確認しておく。今回の査定は、単なる討伐報酬の算定ではない。Aランククラン獅子の咆哮を、今後、国家危機へ投入できる組織として扱えるかどうか。その判断を含む」
シャーロットは膝の上で、そっと指先を握った。
Sランク。
その言葉は、まだ胸の奥で重い。
ギルド長は続ける。
「黒龍戦において、獅子の咆哮は当初、第二防衛線の維持を担当していた。だが、第一防衛線の崩壊が始まった時点で、王国軍との連携を保ったまま前線へ移動。負傷者の搬送路を再構築し、撤退中の部隊を分断させなかった」
レオンのペンが、小さく動く。
王国軍の将官が頷いた。
「記録上も一致している。混乱が最も大きかった時間帯に、獅子の咆哮は後方連絡と負傷者搬送を途切れさせていない。あれがなければ、第一防衛線の損耗はさらに増えていた」
アメリアは表情を変えず、静かに聞いている。
ガルドは腕を組んだまま、何も言わない。
ギルド長が資料をめくった。
「次に、黒龍本体への対応だ。Sランククラン複数による総力戦は、黒龍の息吹により一時撤退を余儀なくされた。その後、黒龍が王国軍本陣方面へ進路を変えた時点で、獅子の咆哮は前衛誘導、側面護衛、魔法支援、術式展開時間の確保を行っている」
王立研究院の代表が口を開いた。
「術式観測記録からも確認しています。星杖シリウスを用いた大型術式は、味方識別、余波制御、空間固定、逃走経路封鎖、高密度一点突破を同時に行っていました。通常の広域殲滅術式とはまったく異なる構造です」
シャーロットの肩が、わずかに強ばる。
研究院代表は、彼女を見る。
「ただし、その発動までには時間が必要だったはずです。黒龍の圧力下で、術者が無防備に術式を組める時間はありません」
ギルド長が頷いた。
「その時間を作ったのが、獅子の咆哮だった」
広間の視線が、獅子の咆哮の席へ向く。
アクセルはまっすぐ前を見ていた。
ギルド長は一つずつ読み上げる。
「団長アクセル。黒龍の注意を前方へ誘導し、王国軍本陣から逸らした」
アクセルは短く頷く。
「幹部ガルド。術者護衛および側面突入個体の排除。術式展開中、シャーロット殿の護衛を担当」
ガルドは何も言わず、シャーロットの隣に立っている。
「幹部アメリア。後方指揮を拡張し、負傷者搬送、魔法使い配置、補給線を再調整」
アメリアは静かに礼をした。
「副団長レオン。伝令経路と搬送路の再編成。王国軍、ギルド職員、他クランとの情報共有を維持」
レオンはペンを止めずに、軽く頭を下げた。
「そして、幹部候補シャーロット」
名前を呼ばれ、シャーロットは顔を上げる。
「黒龍の息吹を一層障壁で防ぎ、星杖シリウスによる大型術式を展開。黒龍の核に対する精密破壊を実行した」
広間が、ほんの少しざわめいた。
シャーロットは小さく息を吸った。
「私だけではありません」
声は大きくなかった。
けれど、広間には届いた。
「皆さんがいなければ、私は術式を組む前に潰されていました」
ギルド長は、シャーロットを見た。
その目は厳しいが、責めるものではない。
「その認識は正しい。だが、君がいなければ黒龍は討てなかった。それも事実だ」
シャーロットは言葉に詰まった。
ガルドが隣で低く言う。
「受け取れ」
短い声だった。
シャーロットは膝の上の手を握り直す。
「……はい」
それ以上は、言えなかった。
ギルド長は資料を閉じず、別の束へ手を伸ばした。
「次に、平時評価へ移る」
銀翼の幹部の一人が、わずかに顔を上げた。
ギルド長は構わず続ける。
「AランクからSランクへの昇格は、討伐功績のみで決まるものではない。国家危機へ投入できる組織であるか。平時から人員を維持し、低ランク帯を育て、事故を減らし、装備と医務を管理できているか。そこも見る」
アメリアの視線が、ほんの少しだけ動いた。
シャーロットは、静かに聞いていた。
「獅子の咆哮は、月次装備点検を全団員に実施。新人、幹部、団長も例外なし。装備不備による事故率は、同規模クランの平均を下回っている」
工房の親方の顔が、シャーロットの頭に浮かぶ。
壊れたワンド。
星脈晶ヴェガ。
星帽ポラリス。
星衣リゲル。
どれも、今の彼女を支えている。
「低ランク帯への訓練記録も良好。撤退判断、帰還後の医務確認、帰還者用軽食の整備、魔力切れ予兆の共有。これらは一見すると小さな制度だが、長期的な生存率に関わる」
シャーロットは、思わずアメリアを見た。
アメリアもこちらを見ていた。
「……休むことも、評価になるんですか」
小さく聞くと、アメリアは静かに頷いた。
「なるわ。倒れない仕組みを作るのも、クランの仕事よ」
シャーロットは、少しだけ目を伏せた。
休むこと。
食べること。
装備を整えること。
帰ってきた者に温かいものを渡すこと。
それが、評価の対象として広間で読み上げられている。
まだ、不思議だった。
ギルド長は続ける。
「また、幹部候補シャーロットの参加以降、新人訓練における危険察知と撤退判断の補助が確認されている。初級ダンジョンにおける変異オーガ遭遇時も、新人の損耗なし。結界、探知、魔力制御補助の講習記録も提出されている」
銀翼側の席で、誰かの指が机を叩きかけて止まった。
シャーロットはそちらを見なかった。
見れば、足が止まりそうだったからだ。
王国軍の将官が低い声で言う。
「黒龍戦のような災害級任務では、前線火力だけでは部隊は残らない。退路、搬送、低ランク支援、魔法使いの負荷管理。それらを軽んじない組織は強い」
広間に、静かな重みが落ちた。
アクセルが口を開く。
「獅子の咆哮は、シャーロットを兵器として扱うつもりはありません」
その一言で、いくつかの視線がアクセルへ向いた。
「彼女は獅子の咆哮の仲間です。戦力である前に、一人の団員です。彼女を使い潰して得るSランクなら、こちらから願い下げです」
シャーロットは息を止めた。
アメリアが続ける。
「黒龍戦後も、医務確認、装備点検、魔力負荷の経過観察、同行者配置、術式後の休養を徹底しています。本人が“大丈夫です”と言っても、そのまま信用しない運用です」
ガルドが小さく補足した。
「本人が大丈夫って言っても信用しねえ、は正式に入れといてくれ」
広間の空気が、ほんの少しだけ緩む。
アメリアとガルドが、同時に言った。
「必要です」
「必要だ」
シャーロットは肩を縮めた。
「そこまででしょうか……」
研究院代表が真顔で言う。
「黒龍討伐後に“少し頭が重いだけです”と申告した方の自己評価は、確かに危険です」
シャーロットは何も言えなくなった。
銀翼の席から、かすかな息遣いが聞こえた。
誰も発言しない。
けれど、沈黙だけが残る。
ギルド長は、最後の資料を机に置いた。
「総合評価を述べる」
広間が静まり返る。
「黒龍討伐における戦功。王国軍、他クラン、ギルドとの連携。負傷者搬送と避難民保護。平時における新人教育、低ランク支援、装備点検、医務支援。以上を踏まえ、冒険者ギルドおよび王国審査会は、Aランククラン獅子の咆哮を、Sランククランへ昇格させることを承認する」
一瞬、音が消えた。
次に、アクセルが立ち上がった。
アメリアが続く。
ガルドも立ち、レオンも記録板を下ろした。
シャーロットは少し遅れて立ち上がる。
胸の奥が熱い。
けれど、まだうまく息が吸えない。
アクセルが深く頭を下げた。
「承認、謹んでお受けいたします」
アメリアも頭を下げる。
ガルドは静かに拳を握った。
レオンは、いつもより少しだけ硬い声で言う。
「正式記録として受領しました」
シャーロットも、深く頭を下げた。
言葉は出なかった。
ただ、星衣リゲルの袖をそっと握る。
袖の布は、しっかりしていた。
会議が終わると、広間の空気が少しずつ動き始めた。
王国軍の将官がアクセルと握手を交わし、ギルド職員がレオンへ追加書類を渡す。研究院代表は、シャーロットの方へ来かけて、アメリアの視線を受けて一歩止まった。
「術式については、後日改めて」
アメリアが言う。
「本人は休養中です」
「承知しました」
研究院代表は、名残惜しそうに頷いた。
シャーロットは小さく頭を下げる。
「すみません」
「謝らなくていい」
ガルドが隣で言った。
「研究院を相手にしたら、お前、また説明で疲れるだろ」
「……少しだけなら」
「禁止」
アメリアの声がすぐに飛んだ。
シャーロットは黙って頷いた。
その時、銀翼の剣の幹部達が近くを通った。
一人が足を止める。
シャーロットは顔を上げた。
相手の顔には、言いたいことがいくつも浮かんでいるように見えた。
謝罪。
困惑。
後悔。
言い訳。
何かが喉元まで来て、結局出てこない。
シャーロットは、先に頭を下げた。
「失礼します」
それだけだった。
銀翼の幹部は、何も返せなかった。
ガルドがシャーロットの横に立つ。
アメリアが後ろから静かに歩み寄る。
アクセルはすでに出口へ向かい、レオンは追加書類をまとめている。
シャーロットは銀翼の席を振り返らなかった。
王城会議棟の外へ出ると、昼の光が石畳に落ちていた。
王城の空は、高く晴れている。
ガルドが肩をすくめた。
「Sランククランの幹部候補だな」
シャーロットは少しだけ困った顔をする。
「まだ候補です」
「黒龍を討った候補って何だよ」
「私にも分かりません」
アメリアが横から言う。
「まずは休養中の幹部候補よ。帰ったら医務室」
「まだですか?」
「まだです」
シャーロットは小さく息を吐いた。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
彼女は帽子のつばを少しだけ押さえる。
それから、獅子の咆哮の方へ歩き出した。




