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第2節 Sランク審査

王城会議棟の大広間には、静かな緊張が満ちていた。


獅子の咆哮のSランク昇格審査。そう言葉にすれば簡単だが、実際には一つのクランの格を変えるだけの話ではない。Sランククランとは、国とギルドが「国家危機に投入できる戦力」と認める組織だ。通常の依頼報酬は大きく上がり、貴族や商会からの信用も増す。検問所や国境通過の簡略化など、王国からの便宜も与えられる。


その代わり、義務も重い。


ギルドや国から緊急招集がかかれば、応じなければならない。災害級魔物、国境危機、都市防衛、貴族領の大規模被害。そうした事態で前線へ立つ責任が生じる。


Aランクまでは、強いクランであれば届く。


だがSランクは、強いだけでは届かない。


「まず、黒龍討伐における獅子の咆哮の行動を確認する」


ギルド長が口を開いた。


机の上には複数の報告書が並んでいる。王国軍の戦闘報告。ギルド職員の現場記録。王立研究院の術式観測報告。参加クランの証言。負傷者搬送記録。避難民保護記録。どれも分厚い。


「獅子の咆哮は当初、Aランククランとして第二防衛線に配置されていた。主任務は避難民保護、負傷者搬送、第一防衛線崩壊時の後方支援だった」


アクセルは無言で頷いた。


「しかし、第一防衛線が黒龍の息吹により崩壊寸前となった際、幹部候補シャーロットが前線へ移動。幹部ガルドが護衛につき、幹部アメリアが第二防衛線から第一防衛線の混乱整理へ指揮を拡張。団長アクセルは前衛部隊を率い、黒龍の動きを制御。参謀レオンは伝令と搬送路再編を担当した」


淡々と読み上げられる行動記録。


けれど、それは獅子の咆哮の動きを正確に表していた。


シャーロット一人が黒龍を討ったわけではない。


彼女の結界が息吹を防いだ。

星杖シリウスの術式が黒龍を撃ち抜いた。

それは紛れもない事実だ。


だが、その時間を作ったのは獅子の咆哮だった。


「第二防衛線の配置にありながら、第一防衛線の崩壊を見て即応した判断。負傷者搬送路の再構築。王国軍およびSランククランとの現地連携。魔法使い一名の力に依存するのではなく、その力を発揮させるための周辺支援。これらは高く評価される」


ギルド長の言葉に、アメリアはわずかに目を伏せた。


褒められている。


だが、それは単なる称賛ではない。


「Sランクに必要なのは、個人の突出した力だけではありません」


王国軍の将官が続けた。


「黒龍戦では、獅子の咆哮の組織的判断が確認されました。幹部候補シャーロット殿の術式を中心に据えつつ、前衛、後衛、指揮、搬送、情報伝達が連動していた。あの場でそれができなければ、黒龍討伐前に術者が潰されていたでしょう」


「潰されていた」という言葉に、シャーロットが少しだけ肩を揺らした。


ガルドが横から小声で言う。


「事実だろ」


「はい……」


「お前一人なら、絶対に全部抱え込んでた」


「……否定しきれません」


アメリアがちらりと睨み、二人は口を閉じた。


王立研究院の代表が、次に資料を掲げた。


「術式観測の面からも、獅子の咆哮の対応は重要だった。シャーロット殿の大型術式は、単純な攻撃魔法ではない。戦場の味方を識別し、黒龍だけを対象化し、余波を制御し、崩落方向まで調整していた。だが、その術式には発動までの時間が必要だった」


研究院代表の視線が、アクセルとガルドへ向く。


「黒龍の爪、尾、翼圧、二度目の息吹。これらを周囲が受け、逸らし、時間を稼いだから術式が成立した。術者だけを評価するのでは足りない。術者を守り、活かした組織全体を評価すべきだ」


広間が静まり返る。


シャーロットは、少しだけ驚いたように目を瞬かせた。


自分だけではない。


そう言ってもらえることが、嬉しかった。


黒龍を討ったのはシャーロットだ。だが、獅子の咆哮は彼女を「兵器」のように扱わなかった。前へ押し出して終わりではなかった。彼女の負荷を見て、護衛をつけ、指揮を整え、術式完成まで戦場全体で支えた。


だからこそ、彼女は撃てた。


だからこそ、誰も巻き込まずに済んだ。


ギルド長は別の資料を手に取った。


「次に、平時の組織評価へ移る」


ここからが、本来のSランク審査だった。


黒龍討伐という大功績だけでSランクに上げるわけにはいかない。災害時の一度の活躍だけでなく、平時から組織として健全かどうかを見る必要がある。


「新人教育体制。低ランク部隊の事故率。装備点検制度。医務支援。帰還者への食事および休息支援。幹部候補教育。外部依頼達成率。財務状況。所属冒険者の定着率」


読み上げられる項目に、シャーロットは小さく目を見開いた。


装備点検。

医務支援。

帰還者用の軽食。

休息支援。


銀翼では、そんなものが評価項目として重く扱われているとは思わなかった。少なくとも、低評価者だった彼女には見えなかった。装備が壊れかけていても後回し。食事は最低限。部屋は評価が下がるにつれて悪くなり、休むことは甘えのように扱われた。


けれど、ここでは違う。


それらは、クランの強さとして評価されている。


「獅子の咆哮では、全ランクを対象とした定期装備点検が実施されている。クラン支給品だけでなく、私物も希望すれば確認対象。安全確保および事故予防を目的とし、処罰目的ではない」


王国軍の将官が頷く。


「黒龍戦でも、装備点検制度の効果は出ていた。前衛の盾、搬送班の靴、魔法使いの予備ワンド、どれも整備状態が良かった。災害現場で細かな装備不良が少ないことは、大きい」


シャーロットはそっと星衣リゲルの袖を握った。


自分のボロ装備を職人達に見せた日のことを思い出す。


「まだ使えますよ」と言った自分に、職人は「使わせちゃいけない状態です」と言った。あの時の衝撃は、今でも胸に残っている。


ギルド長は続けた。


「帰還者支援についても確認した。夜間任務や遠征帰りの団員に対し、温かい飲み物と軽食を無償提供。医務確認の導線も整っている。これは一見すると小さな支援に見えるが、疲労蓄積や判断力低下を防ぐ上で重要である」


シャーロットの指先が、ほんの少し震えた。


温かいスープ。


薬草茶。


「これはクランの支援に含まれてるよ」と言われた夜。


それも、評価されるのか。


休んでいいこと。

食べていいこと。

温かいものを飲んでいいこと。

疲れていると言っていいこと。


それは贅沢ではなく、クランを強くする仕組みなのだと。


今、王城の大広間で、公的に認められている。


アメリアは横目でシャーロットを見た。


その表情に気付き、少しだけ柔らかい声で言う。


「そうよ。あなたが驚いていた普通の支援も、ちゃんと意味があるの」


シャーロットは小さく頷いた。


「はい」


審査はさらに進んだ。


「新人教育については、近年の定着率、訓練中の重傷事故率、初依頼後の継続率、いずれも良好。特に最近、幹部候補シャーロット殿が参加した訓練記録では、危険察知、撤退判断、結界講習、魔力制御補助に成果が見られる」


ギルド長の視線がシャーロットへ向いた。


「本人は銀翼時代から自然に行っていたとの証言もあるが、獅子の咆哮ではそれを幹部候補の業務として記録し、評価している。この点は非常に大きい」


銀翼の幹部達の顔が、わずかに動いた。


銀翼時代から。


その言葉が、彼らの胸に引っかかったのだろう。


だが、審査の場で彼らが口を挟むことはなかった。


「低ランク支援を軽んじない組織は強い」


ギルド長はそう言った。


「Sランククランは、上位者が強いだけでは維持できない。新人が育ち、低ランク帯が安定し、中堅が疲弊せず、上位部隊が必要な時に最大戦力を出せる。その循環がなければ、どれほど強いエースを抱えていても長くは保たない」


その言葉は、広間の中で静かに響いた。


銀翼の剣の幹部達は、黙っていた。


つい最近、自分達のクランで起きている異変を、彼らはまだ完全には理解していない。新人事故の増加。Dランク部隊の失敗。ポーション消費。修理費。中堅の救援出動。高難度依頼への影響。


それらが何を意味しているのか。


今のギルド長の言葉は、その答えに近かった。


だが、それを銀翼自身に向けられた言葉だと受け取るには、まだ彼らの心は固かった。


「獅子の咆哮は、黒龍戦の戦功だけでなく、平時の組織運営においてもSランクに足る基盤を持つと判断できる」


ギルド長は、最後の資料を閉じた。


「ただし、Sランク昇格に伴い、王国要請への対応義務が発生する。災害級魔物、国家防衛、緊急護衛、国境危機。今後は、Aランク時代とは比べものにならない責任を負うことになる」


アクセルはまっすぐ前を見た。


「承知しています」


「団員の命を預かる覚悟も?」


「あります」


「星纏いの魔女一人に頼る組織にならない覚悟も?」


その問いに、アクセルの目が鋭くなった。


「当然です」


彼は静かに言った。


「シャーロットは獅子の咆哮の仲間です。戦力である前に、一人の団員です。彼女を使い潰して得るSランクなら、こちらから願い下げです」


広間の空気が変わった。


シャーロットは、息を止めた。


使い潰さない。


その言葉が、胸に深く刺さる。


銀翼では、自分が何かを支えているとは思っていなかった。けれど、結果として、自分は十年間、誰かが死なないように動き続けていた。そのことを誰も見ず、評価表に載らず、最後には不要として切られた。


けれど、ここでは違う。


アクセルは、王城の審査の場ではっきり言った。


シャーロット一人に頼る組織にはならない、と。


アメリアも頷く。


「黒龍戦で彼女の力が必要だったことは事実です。ですが、その力を安全に使うための体制を整えることも、クランの責任です。医務確認、装備点検、負荷管理、同行者配置、術式使用後の休養。今後はさらに徹底します」


ガルドが腕を組んで言う。


「本人が大丈夫って言っても信用しねえ、って項目も追加で」


広間の一部に、小さな笑いが起きた。


シャーロットは少しだけ頬を赤くした。


「そこまで信用がありませんか……?」


「ない」


アメリアとガルドが同時に答えた。


研究院代表が真顔で頷く。


「黒龍討伐後に“少し頭が重い”と申告した者の自己評価は、確かに危険です」


「研究院の方まで……」


シャーロットは帽子のつばを下げた。


ギルド長もかすかに笑った。


だが、すぐに表情を戻す。


「よろしい」


彼は王国軍の将官、研究院代表、貴族官僚達と視線を交わした。


短い確認。


すでに結論は出ていたのだろう。


ギルド長は立ち上がった。


「冒険者ギルド、王国軍、王立研究院、および王国審査官の協議により、Aランククラン獅子の咆哨を、Sランククランへ昇格させることを承認する」


その瞬間、広間の空気が止まった。


次に、ざわめきが広がる。


獅子の咆哮の団員達は、すぐには声を上げなかった。アクセルは静かに目を閉じ、深く頭を下げる。アメリアも、レオンも、それに続いた。ガルドは少しだけ笑い、シャーロットはまだ実感が追いつかない顔をしていた。


Sランククラン。


獅子の咆哮が、王国に正式に認められた瞬間だった。


「なお、正式発表は明朝、ギルド本部および王城前掲示にて行う」


ギルド長は続けた。


「黒龍討伐戦功に関する褒賞、ならびにSランク権限の詳細は追って通達する。獅子の咆哮には今後、王国防衛戦力としての責務を果たしてもらう」


アクセルが顔を上げた。


「承ります」


その声は重かった。


誇りと、責任の重さを知る声だった。


会議が終わり、広間を出る時、シャーロットはふと振り返った。


銀翼の幹部達が、まだそこにいた。


彼らは何かを言いたそうにしていた。だが、誰も声をかけなかった。かけられなかったのかもしれない。


シャーロットは軽く会釈をした。


それだけだった。


恨みもない。


誇示もない。


ただ、今の自分のクランへ戻るために、前を向いた。


ガルドが隣に並ぶ。


「Sランククランの幹部候補だな」


「まだ候補です」


「黒龍を討った候補って何だよ」


「私にも分かりません」


アメリアが後ろから言う。


「まずは休養中の幹部候補よ。帰ったら医務室」


「まだですか?」


「まだです」


シャーロットは小さく肩を落とした。


その様子を見て、アクセルが笑った。


王城の外には、午後の光が差していた。


獅子の咆哮は、AランククランからSランククランへ上がった。


それは、シャーロット一人の力だけで得た称号ではない。


彼女を見つけ、迎え、装備を整え、泣けるほど普通に扱い、支え、戦場で活かしたクラン全体が掴んだものだった。


そしてその事実こそが、銀翼の剣との決定的な違いだった。

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