第1節 王城からの呼び出し
黒龍討伐から三日後、獅子の咆哮に王城からの正式な呼び出しが届いた。
王国軍、冒険者ギルド、王立研究院の三者連名による書状だった。封蝋には王冠と剣、ギルドの天秤、研究院の星杖紋が並んで刻まれている。通常の依頼報告ではない。黒龍討伐に関する戦功確認、参加クランへの褒賞、そして獅子の咆哮への特別査定を行うための召喚状だった。
「……特別査定」
レオンが書状を読み上げると、会議室にいた団員達の視線がアクセルへ集まった。
アクセルは腕を組んだまま、低く息を吐く。
「来たか」
アメリアはすでに別の書類を机に広げていた。黒龍戦の行動記録、負傷者搬送数、防衛線維持報告、王国軍からの感謝状、ギルド職員の証言、王立研究院の術式観測報告。その量は、普段の依頼報告とは比べものにならない。
「黒龍討伐の決定打だけじゃないわ。第二防衛線から第一防衛線へ移行した判断、負傷者搬送路の維持、王国軍との連携、避難民保護、シャーロットの大型術式に合わせた全体行動。全部見られている」
「つまり?」
ガルドが聞くと、レオンが眼鏡を押し上げた。
「獅子の咆哮のクランランク再審査です。黒龍討伐における功績を考えれば、Aランク据え置きは考えにくい。王国側はSランク昇格を視野に入れている可能性が高いでしょう」
会議室がざわめいた。
Sランク。
冒険者クランにとって、そこは一つの到達点だった。
BからAへ上がるには、ギルドの審査を受ける。組織力、実績、所属冒険者の質、依頼達成率、事故率、財務、教育体制。多くのクランはBで止まる。Aになるだけでも十分に大きな壁だ。
だが、AからSは別格だった。
ギルドだけでは決められない。国の承認が必要になる。Sランククランは、ただ強いだけの組織ではない。王国やギルドの緊急要請に応じる義務を負い、国家危機の際には前線に立つ。その代わり、通常依頼の報酬は跳ね上がり、貴族や商会からの信用も増し、検問所や国境通過の簡略化など、王国からの便宜も与えられる。
名誉であり、責任でもある。
「Sランクか」
ガルドが呟いた。
「銀翼と同じランクになるわけだな」
その名が出た瞬間、会議室の空気が少しだけ変わった。
銀翼の剣。
黒龍戦にも参加していた、元Sランククランとして名高い組織。シャーロットが十年所属し、E評価で追放されたクラン。今はまだ表向きにはSランクとして扱われている。だが、黒龍戦で起きたことを見た者達の間では、すでに銀翼への疑問も生まれ始めていた。
シャーロットは、その会議室の端で静かに座っていた。
星帽ポラリスは膝の上に置かれ、星衣リゲルも今日は肩に軽く羽織っているだけだ。医務班とアメリアから、今日も訓練禁止、探知禁止、大型術式禁止を言い渡されている。黒龍討伐後の手の震えはほとんど収まったが、魔力回路の熱はまだ完全には引いていなかった。
「シャーロット、あなたも同行よ」
アメリアに言われ、シャーロットは目を瞬かせた。
「私もですか?」
「当然でしょう。黒龍討伐の中心人物なのだから」
「でも、私はまだ幹部候補で……」
「その幹部候補が黒龍を討ったのよ」
ガルドが笑う。
「諦めろ。今回は逃げられねえ」
「逃げるつもりではないです。ただ、王城に行くような服が……」
「装備で行けばいいわ」
アメリアが即答した。
「星帽ポラリス、星衣リゲル、星脈晶のヴェガ。必要なら星杖シリウスも持っていく。黒龍戦の功績確認なんだから、むしろその姿で行くべきよ」
シャーロットは困った顔をした。
「目立ちませんか?」
ガルドが吹き出す。
「今さらだろ。新聞の一面に載った星纏いの魔女が、何を言ってる」
「それは新聞が大げさに……」
「大げさじゃない」
アメリアとガルドの声が重なった。
シャーロットは小さく肩を落とした。
レオンは淡々と書類を整えながら言う。
「王城へは、団長アクセル、幹部アメリア、幹部ガルド、幹部候補シャーロット、記録担当として私が同行します。バルドには星装備一式の状態確認書を作成してもらいます。王立研究院から質問が出る可能性が高いので」
「質問……」
シャーロットが少し不安そうにする。
「術式構造、星杖シリウスの核、星脈晶のヴェガの三分割制御、星帽ポラリスと星衣リゲルの機能負荷あたりは、確実に聞かれるでしょう」
「全部説明しないといけませんか?」
「説明できる範囲で構いません。ただし、シリウスの核については慎重に。王国宝物庫級どころか、研究院案件になる可能性があります」
ガルドが腕を組む。
「あれ、学校時代に拾った石だからな」
「拾った石で黒龍を討つ大型術式用スタッフを作った、という説明は、王立研究院の方々の心臓に悪いと思います」
レオンが真顔で言った。
シャーロットはさらに困った。
「では、どう言えば……」
「学校時代に入手した特殊な核材を用いた私物のスタッフ、で十分です」
「それでいいんですか?」
「詳細に言いすぎると、さらに質問が増えます」
「分かりました」
そのやり取りを聞いて、アクセルが小さく笑った。
「まったく、黒龍を討った本人が一番大ごとだと思っていないな」
「大ごとだとは思っています」
シャーロットは慌てて言った。
「でも、皆さんが支えてくださらなければ無理でした。私一人では、黒龍の動きを止められませんでしたし、負傷者の方を避けて術式を組む時間もありませんでした」
「そこは王城でも言っていい」
アクセルは静かに頷く。
「獅子の咆哮は、シャーロット一人の力で黒龍を討ったわけじゃない。だが、シャーロットがいなければ討てなかった。それが事実だ」
シャーロットは少しだけ目を伏せた。
銀翼では、彼女の支援は見えなかった。誰かが無事に帰ったことも、事故が起きなかったことも、評価表の大きな項目にはならなかった。だが、獅子の咆哮は違う。自分一人の手柄にしない代わりに、自分の功績も消さない。
その扱いに、まだ慣れない。
けれど、胸の奥が温かくなる。
「はい」
小さく頷くと、アメリアが少しだけ表情を緩めた。
翌朝、獅子の咆哮の一行は王城へ向かった。
王都の通りは、黒龍討伐の話でまだ熱を帯びていた。新聞売りの少年が声を張り上げ、市場の露店では客達が一面記事を広げている。酒場の前では、冒険者達が黒龍戦の噂を語り合っていた。
「星纏いの魔女って、本当に獅子の咆哮の人なのか?」
「昨日見たぞ。深い紺色の帽子とローブで、すげえ目立つ」
「黒龍の息吹を一枚の結界で防いだって話、盛ってるだろ?」
「現場にいた兵士が言ってたんだよ。盛ってるどころか、見た奴ほど言葉が出なくなるらしい」
「銀翼をE評価で出されたって本当か?」
「だから銀翼の層が厚いんだろ。あれを出せるって何なんだよ」
その会話が耳に入り、シャーロットは帽子のつばを下げた。
ガルドが横で笑いをこらえる。
「有名人だな」
「聞こえないふりをしています」
「聞こえてる時点で無理だろ」
「ガルドさん」
アメリアが低く呼ぶと、ガルドは肩をすくめた。
「悪い悪い」
王城の正門前には、王国軍の兵士が整列していた。黒龍戦に参加した者もいるのだろう。シャーロットの姿を見ると、何人かが明らかに反応した。驚き、敬意、好奇心。それらが混ざった視線が向けられる。
「獅子の咆哮、到着しました」
アクセルが名乗ると、門番の隊長が姿勢を正した。
「お待ちしておりました。こちらへ」
通されたのは、王城の会議棟だった。謁見の間ではない。王国軍、ギルド、研究院が同席するための大広間。そこにはすでに、王国軍の将官、ギルド長、王立研究院の代表者、そして数名の貴族官僚が揃っていた。
黒龍戦に参加したSランククランの代表者達もいる。
銀翼の剣の幹部も、その中にいた。
シャーロットが入室した瞬間、銀翼の幹部達の視線が彼女へ向いた。
一瞬、誰も口を開かなかった。
かつて銀翼の剣の低評価者として、古いローブと歪んだ帽子を身につけていた魔法使い。今は星帽ポラリスを被り、星衣リゲルを纏い、腰に星脈晶のヴェガを差し、背に星杖シリウスを負っている。
同じ人物だ。
だが、同じに見えなかった。
銀翼の幹部の一人が、かすかに眉を動かす。
「……シャーロット」
小さな声だった。
呼ばれたシャーロットは、少しだけ立ち止まり、それから丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりです」
その礼は、以前と変わらなかった。
追放された相手に対する恨みも、勝ち誇りもない。普通に、礼儀正しく挨拶をしただけだった。
だからこそ、銀翼の幹部達は言葉を失った。
ギルド長が咳払いをする。
「では、黒龍討伐に関する戦功確認を始める」
広間の空気が引き締まった。
「まず、王国軍より正式に報告する。黒龍討伐において、獅子の咆哮は当初第二防衛線配置でありながら、第一防衛線崩壊の危機に際して即応。負傷者搬送路を維持し、王国軍およびSランククランと連携し、防衛線の壊滅を防いだ」
王国軍の将官が、重い声で続けた。
「特に、所属魔法使いシャーロット殿による黒龍息吹の防御、ならびに星杖シリウスを用いた黒龍討伐術式は、王国軍の記録においても前例のない戦果である」
シャーロットは思わず背筋を伸ばした。
「前例のない……」
ガルドが小声で言う。
「そのまんまだろ」
アメリアが肘で軽く止める。
王立研究院の代表が、次に口を開いた。
「我々は現地で術式の一部を観測した。断言するが、あれは単なる高威力攻撃魔法ではない。味方識別、余波制御、空間固定、逃走経路封鎖、そして超高密度一点突破を同時に成立させた、極めて高度な複合大型術式だ」
研究院の代表は、そこでシャーロットを見た。
「正直に言えば、全容は解析できていない」
広間がざわついた。
王立研究院が、解析できないと公の場で認める。それは異例だった。
シャーロットは困ったように言った。
「あの、戦場で必要なものを組み合わせただけで……」
研究院の代表が目を閉じた。
「それを“だけ”と言われると、研究院の者が数日寝込む」
ガルドが吹き出しかけ、アメリアに睨まれた。
ギルド長は資料を手に取り、静かに言った。
「以上の戦功により、冒険者ギルドおよび王国軍は、獅子の咆哮のクランランク再審査を正式に申請した。王国側もこれを受理している」
広間の空気が変わる。
ギルド長は、はっきりと言った。
「Aランククラン、獅子の咆哮。黒龍討伐ならびに王国防衛への功績をもって、Sランク昇格審査へ入る」
シャーロットは静かに息を呑んだ。
アクセルは、まっすぐ前を見ている。
アメリアは表情を崩さない。
ガルドは小さく笑った。
レオンはすでに記録している。
銀翼の幹部達は、黙っていた。
かつてシャーロットがいた銀翼の剣は、彼女をE評価として切った。
そして今、彼女を迎え入れた獅子の咆哮が、その功績によってSランクへ上がろうとしている。
その皮肉に、広間の何人が気付いたのかは分からない。
ただ、シャーロット本人だけは、まだ少し不思議そうにしていた。
「私、何か変なことをしてしまったでしょうか」
小さく呟く。
ガルドが隣で答えた。
「黒龍を討った」
「それは、皆さんと一緒に」
「だから、それが変なんだよ」
「ええ……」
アメリアは、二人のやり取りを聞きながら小さく息を吐いた。
そして、前を向く。
ここから先、獅子の咆哮はただのAランククランではいられない。
黒龍を討ったクラン。
星纏いの魔女を擁するクラン。
王国が、ギルドが、研究院が、そして他のSランククランが注目する存在になる。
責任も増える。
危険も増える。
けれど、アメリアは不安だけではなかった。
獅子の咆哮は、シャーロットを使い潰すクランではない。
彼女を支え、活かし、守りながら共に戦うクランだ。
だからこそ、黒龍戦を越えられた。
だからこそ、ここに立っている。
ギルド長の声が、広間に響く。
「では、これより正式審査に移る」
獅子の咆哮のSランク昇格。
その審査が、静かに始まった。




