第9節 星纏いの魔女、広がる
黒龍討伐の報は、その日のうちに王都へ届いた。
最初に走ったのは、王国軍の早馬だった。アルムガルド城塞区画、黒龍討伐。第一防衛線維持。避難民多数救助。王国軍および参加クラン、甚大な損耗を出しながらも壊滅は免れた。
その報告を受けた王都の城門では、兵士達がしばらく言葉を失ったという。
黒龍。
竜ではない。龍。
城塞区画を半壊させ、複数の村を壊滅させた災害。それが討たれた。しかも、王国軍とSランククランの総力戦の中で、最後に決定打を放ったのは、第二防衛線に配置されていたAランククラン、獅子の咆哮の魔法使いだった。
冒険者ギルドでは、夜になっても受付の灯りが消えなかった。
負傷者の登録、討伐参加者の確認、損耗記録、王国軍からの照会、王立研究院からの術式観測報告。職員達は紙束を抱えて走り回り、ギルド長は黒龍討伐の正式記録に目を通していた。
「決定打を放った魔法使いの名は?」
「獅子の咆哮所属、幹部候補、シャーロットです」
「ランクは?」
「個人ランクは現在確認中。クランとしてはAランクです」
「Aランククランの幹部候補が黒龍を討ったのか」
ギルド長は、手元の記録を見直した。
そこには王国軍指揮官、王立研究院の魔法使い、複数のSランククランから上がった証言が並んでいる。
黒龍の息吹を一層障壁で防いだ。
星杖シリウスによる大型術式を展開。
味方識別、余波制御、空間固定、逃走経路封鎖を同時に確認。
黒龍の魔力核を一点突破で破壊。
周辺被害は最小限。
防衛線および避難路への二次被害なし。
ギルド長は額を押さえた。
「……何だ、この記録は」
「王立研究院の観測班も、ほぼ同様の報告を上げています」
「ほぼ同様?」
「はい。ただし、術式構造については“解析不能”とのことです」
「解析不能」
ギルド長は深く息を吐いた。
その横で、若い職員が別の紙を差し出した。
「それと、現場の兵士や冒険者達の間で、すでに呼び名が広がり始めています」
「呼び名?」
「星纏いの魔女、と」
ギルド長は一瞬、黙った。
深い紺色のローブと帽子。星脈晶のヴェガ。星杖シリウス。黒龍を討った白銀の星図。その姿を見た者達が、自然にそう呼び始めたのだという。
「……正式記録には本名を記せ」
「はい」
「ただし、備考にその二つ名も残しておけ。これだけ目撃者が多いなら、どうせ明日には王都中に広がる」
ギルド長の予想は、半日も待たずに当たった。
翌朝、王都の酒場では黒龍討伐の話で持ちきりだった。
「聞いたか、黒龍が討たれたってよ」
「王国軍とSランククランがやったんだろ?」
「それが違うらしい。最後に撃ち抜いたのは、獅子の咆哮の魔法使いだって話だ」
「獅子の咆哮? Aランクだろ?」
「そうだよ。しかも幹部候補の女魔法使いだってさ」
「名前は?」
「シャーロット。けど現場じゃ、星纏いの魔女って呼ばれてたらしい」
「星纏いの魔女……」
その名は、酒場から冒険者ギルドへ、冒険者ギルドから商人達へ、商人達から市場へと広がった。
昼には、王都の広場で子供達が木の枝を杖に見立てて遊んでいた。
「くらえ、星纏いの魔女の一撃!」
「黒龍役は嫌だよ、すぐ負けるじゃん!」
「じゃあ俺、王国軍!」
「俺は獅子の咆哮!」
本人が聞けば確実に帽子のつばを下げるような会話だったが、噂はもう止まらなかった。
新聞が出たのは、その翌朝だった。
王都で最も読まれている日刊紙の一面に、大きな見出しが踊る。
『黒龍討伐』
『王国軍、Sランククラン総力戦』
『決定打は獅子の咆哮所属の魔法使い』
『黒龍を討った星纏いの魔女』
記事には、現場の証言がいくつも載っていた。
黒龍の息吹を一枚の結界で防いだ。
空に星図のような魔法陣が広がった。
黒龍だけを撃ち抜き、味方を巻き込まなかった。
倒れる方向まで制御されていた。
あれはただの火力ではなく、戦場そのものを整える魔法だった。
王立研究院の魔法使いの匿名証言もあった。
『災害級の威力を、災害にしないよう制御していた』
その一文は、王都中の魔法使い達を震え上がらせた。
一方で、獅子の咆哮の本部では、新聞を前にシャーロットが固まっていた。
「……あの、これ、私のことですか?」
「他に誰がいるのよ」
アメリアが言った。
シャーロットは新聞の見出しを見つめる。
黒龍を討った星纏いの魔女。
文字が大きい。
とても大きい。
「大げさでは……」
「大げさじゃないわ。黒龍を討ったのは事実でしょう」
「でも、皆さんが時間を稼いでくださったので。私一人では無理でしたし」
「それも事実。でも、決定打を放ったのはあなたよ」
シャーロットは困り果てた顔で新聞を畳もうとした。
そこへガルドが横から覗き込む。
「いいじゃねえか。星纏いの魔女、完全に定着したな」
「定着しなくていいです」
「無理だな。新聞に載った」
「うう……」
シャーロットは星帽ポラリスのつばを下げた。
アメリアは少しだけ笑ったが、すぐに真面目な顔になる。
「それより、体調は?」
「大丈夫です。手の震えも昨日より落ち着きました」
「魔力回路の熱は?」
「少し残っています」
「今日は訓練禁止。探知も禁止。大型術式は当然禁止。書類整理も短時間だけ」
「書類整理もですか?」
「頭を使うでしょう」
「はい……」
ガルドがにやりと笑う。
「黒龍を討った星纏いの魔女、今日は休養」
「その呼び方を付けないでください」
「新聞に載ってるぞ」
「載っていてもです」
そんなやり取りが獅子の咆哮で行われている頃、王都の冒険者達の間では別の噂も広がり始めていた。
星纏いの魔女は、元銀翼の剣所属らしい。
しかも、E評価で追放されたらしい。
最初にその話を口にしたのが誰だったのかは分からない。黒龍戦に参加していた銀翼の冒険者かもしれない。昔の低ランク帯の誰かかもしれない。ギルドの古い登録記録を見た者かもしれない。
いずれにせよ、その噂はあっという間に広がった。
そして、外部の冒険者達は妙な方向に解釈した。
「待て。黒龍を討つ魔法使いを、銀翼はE評価で切ったのか?」
「つまり、銀翼にはあれ以上の人材がいるってことか?」
「いや、そうでもなきゃ切れないだろ。Sランククランの層、厚すぎないか?」
「銀翼の基準、どうなってるんだよ」
「黒龍を討てる魔法使いがE評価なら、銀翼のA評価やS評価は何なんだ?」
銀翼の剣の評判は、一時的に奇妙な形で上がった。
本来なら、評価制度への疑問が出てもおかしくない。だが、外部の者達は銀翼の内部事情を知らない。SランククランがE評価で追放した人材が黒龍を討ったと聞けば、まず思うのは一つだった。
銀翼の剣は、あれほどの魔法使いを切れるほど人材が厚いのか。
それは称賛ではなく、誤解だった。
だが、その誤解は銀翼の幹部達にとって、すぐには悪いものに見えなかった。
銀翼の本部では、幹部の一人が新聞を読んでいた。
「元銀翼所属、か」
別の幹部が鼻を鳴らす。
「記者というものは何でも派手に書きたがる。黒龍討伐の混戦で、たまたま決定打を入れたのだろう」
「だが、周囲は銀翼の人材層を評価しているようだ」
「なら、悪い話ではない」
「E評価で切った者が活躍したことを、どう見る?」
そこで、少しだけ沈黙が落ちた。
だが幹部長は、冷たい声で言った。
「銀翼で育った人材が、他所で結果を出した。それだけの話だ。評価当時に基準を満たしていなかったこととは別問題だ」
その言葉に、数人が頷いた。
彼らはまだ、理解していなかった。
星纏いの魔女と呼ばれ始めた魔法使いが、銀翼で何をしていたのか。
なぜ彼女が去ってから低ランク帯が崩れ始めたのか。
黒龍戦で見せた「戦場を整える力」が、銀翼の内部で十年間、どれほど見えない形で使われていたのか。
それを理解するには、まだ遅すぎるほど時間が必要だった。
同じ頃、銀翼の医務室では、ソフィアが新聞を読んでいた。
黒龍を討った星纏いの魔女。
写真ではない。絵師が現場証言をもとに描いた挿絵だった。深い紺色のローブ、星のような魔法陣、黒龍へ伸びる白銀の光。
ソフィアはその見出しを見つめ、静かに息を呑んだ。
「これが……シャーロットさん」
過去記録で何度も見た名前。
低ランク帯の負傷者を減らし、撤退を成功させ、怪我が起きる前に戦場を整えていた人。
その人が今、王国中で星纏いの魔女と呼ばれ始めている。
医務室の古参冒険者が、苦笑した。
「銀翼は、とんでもないものを手放したな」
ソフィアは新聞を閉じなかった。
ただ、その一面を見つめ続けた。
黒龍を討った星纏いの魔女。
その名は、もう獅子の咆哮の中だけの小さな呼び名ではなかった。
ギルドの記録に残り、町民の口に上り、新聞の見出しになった。
そしてこれ以降、シャーロットは王都で本名よりも先に、その二つ名で呼ばれることが多くなる。
星纏いの魔女。
役立たずの魔法使いと呼ばれた彼女に、王国が与えた新しい名だった。




