第7節 黒龍の核
星杖シリウスの魔法陣は、地上だけでは収まらなくなっていた。
焦げた石畳を走っていた青白い線が、崩れた城壁の残骸を越え、黒龍の足元を囲み、さらに空へ伸びていく。
光の円が一つ。
二つ。
三つ。
上空に浮かび、互いに細い線で結ばれていった。
黒煙に覆われていた空が、淡い光に照らされる。
王立研究院の魔法使い達は、少し離れた場所でその光景を見ていた。
「外周陣が増えた……いや、分かれている?」
「違う。最初から変化する前提で組んでいるんだ」
「そんな大型術式があるか」
「目の前にある」
そこで、言葉が途切れた。
誰も続きを言えなかった。
シャーロットは、その声を聞いていない。
聞こえていても、拾う余裕がなかった。
黒龍が左へ動こうとする。
足元の空間固定陣が、わずかに光を強めた。
強く縛らない。
少しだけ重くする。
踏み出しを遅らせ、向きをずらし、次の魔法陣の範囲へ流す。
右の翼が開く。
上空の陣が、風の逃げ道を作った。押し返すのではなく、横へ逃がす。地上の兵士達へ直撃しないよう、翼圧の芯をずらす。
尾が振られる。
外周陣の一部が光り、衝撃の抜け道を作る。
完全には止められない。
けれど、半拍だけ遅らせる。
その半拍で、アクセルやガルドが飛び込み、前衛達が位置を変えた。
「すごい……」
王国軍の若い魔法兵が、思わず呟いた。
その横で、銀翼の剣の魔法使いが唇を噛む。
攻撃。
結界。
空間。
識別。
誘導。
余波制御。
味方保護。
それらが同時に組まれ、黒龍の動きに合わせて形を変えている。
銀翼の評価表にあった「攻撃魔法による討伐実績」だけでは、絶対に測れない力だった。
「……俺達は、何を見ていたんだ」
その呟きは、戦場の音に消えた。
黒龍が吼える。
グォォォォォォォォォォッ!!
咆哮が魔法陣を震わせた。
地上の光が波打ち、空中の星図が一瞬だけ歪む。兵士達が膝をつき、Sランク冒険者達も顔をしかめた。
黒龍の魔力が、術式そのものを押し潰そうとしている。
シャーロットの手が震えた。
星杖シリウスを握る指先に力がこもる。
星衣リゲルが魔力循環を補助する。
星帽ポラリスが情報を整理する。
それでも、負荷は消えない。
頭の奥が熱い。
魔力回路が、内側から焼けるように痛む。
黒龍の核を探り、味方の位置を外し、逃走経路を塞ぎ、余波の逃げ道を作る。
一つでもずれれば、誰かが巻き込まれる。
シャーロットは息を吸った。
途中で、喉がつかえる。
それでも、術式の線は乱さなかった。
「シャーロット!」
アメリアの声が飛ぶ。
「負荷は?」
「……あります」
「どのくらい!」
「無理はしています」
「でしょうね!」
「でも、まだ制御できます」
アメリアは歯を食いしばった。
止めたい。
今すぐ下げたい。
けれど、黒龍は待たない。
アメリアは振り返って叫んだ。
「全員、あと少し持たせて! 黒龍を動かさない!」
「了解!」
獅子の咆哮の団員達が応じる。
アクセルが黒龍の前脚へ踏み込んだ。
「こっちだ、黒龍!」
大剣が鱗へ叩き込まれる。
ガァァンッ!
深い傷にはならない。
だが、黒龍の意識を引くには足りた。
赤黒い瞳がアクセルへ向く。
その瞬間、別方向からガルドが飛び込んだ。
「よそ見してんじゃねえ!」
大剣が黒龍の爪の付け根を狙う。
ギィンッ!
火花が散った。
ガルドの腕に衝撃が走る。
骨まで響くような反動だった。
それでも彼は足を止めず、すぐに横へ跳んで黒龍の反撃をかわす。
黒龍の尾が振られた。
「尾、来る!」
アメリアの声に、前衛達が一斉に低く構える。
避けきれない兵士の前に、獅子の咆哮の盾役が入った。
さらにその前で、シャーロットの外周陣が一瞬だけ光る。
衝撃の軌道が、わずかに逸れた。
ズガァンッ!
尾が地面を抉り、石と土を巻き上げる。
吹き飛ばされた者はいる。
けれど、直撃は避けられた。
「搬送!」
アメリアの声に、後方支援が走った。
その間にも、シャーロットの術式は増え続けていた。
地上の線が空へ上る。
空の円が、さらに細かな術式を生む。
黒龍の頭上に浮かぶ魔法陣が、星のように瞬いた。
周囲の魔力が、そこへ少しずつ引かれていく。
火。
水。
風。
土。
光。
結界。
空間。
複数の属性と系統が、一つの目的へ向かって束ねられていった。
黒龍の核。
それは、胸の奥にある一点ではなかった。
鱗、翼、喉、尾。
全身を巡る巨大な魔力の流れ。
その結節点が重なる場所。
外から力任せに撃てば、鱗と魔力圧に弾かれる。
広範囲に焼けば、周囲を巻き込む。
届かせるには、黒龍自身の魔力が巡る一瞬の隙間を撃つしかない。
シャーロットは、それを探っていた。
星帽ポラリスが方向を整理する。
星衣リゲルが負荷を逃がす。
星杖シリウスが魔力を受け止める。
シャーロット自身の魔力が、その全てを一本の線へまとめていく。
「見えた……」
小さく呟いた。
ガルドが反応する。
「核か!」
「はい。でも、まだ射線が通りません。喉の魔力が邪魔をしています」
「なら、開ければいいんだな」
ガルドが笑った。
「アクセル!」
「聞こえている!」
アクセルが叫ぶ。
「喉を上げさせる! 全員、黒龍の前脚を牽制しろ!」
王国軍もSランククランも、すぐに動いた。
銀翼の剣も遅れなかった。
「攻撃魔法部隊、黒龍の喉元へ牽制! 直撃は狙うな、視線を上げさせろ!」
銀翼の魔法使い達が詠唱を重ねる。
炎。
風。
雷。
黒龍に深い傷は与えられない。
それでも、喉元に集まる魔力を一瞬乱すことはできた。
放たれた魔法が、黒龍の喉元で弾ける。
ドドドンッ!
黒龍が不快そうに首を上げた。
その瞬間、ガルドとアクセルが左右から前脚へ踏み込む。
「今だ!」
ガルドの声。
「シャーロット!」
アメリアの声。
シャーロットの魔法陣が、一斉に輝いた。
地上の星図が空へ繋がる。
空中の魔法陣が黒龍を囲む。
外周陣が余波の逃げ道を確保する。
識別陣が味方を対象から外す。
空間固定陣が黒龍の逃走経路を閉じる。
星杖シリウスの核が、夜空そのもののように深く光った。
王立研究院の魔法使いが、息を呑む。
「術式が、完成する……」
だが、その瞬間、黒龍も気付いた。
赤黒い瞳が大きく開く。
翼が動く。
黒龍は空へ逃れようとした。
巨体が地面を蹴り、翼が灰と煙を巻き上げる。
空中の魔法陣が光った。
バキィンッ!
見えない鎖が、黒龍の翼を一瞬だけ重くする。
完全には止められない。
龍を、魔法陣だけで縛り続けることなどできない。
けれど、一瞬でよかった。
黒龍の動きが、半拍遅れる。
その半拍に、シャーロットは全てを合わせた。
「シリウス」
静かに名を呼ぶ。
星杖シリウスの核が、答えるように瞬いた。
魔力が上がる。
密度が上がる。
空気が震え、地面の小石が浮く。
周囲の魔法使い達が、反射的に息を止めた。
シャーロットの手は震えていた。
額から汗が落ちる。
頭の奥が重い。
魔力回路が熱い。
それでも、制御は乱さない。
彼女は星杖シリウスを構えた。
杖先だけではない。
星図全体が、一点を向く。
黒龍の核へ。
「撃ちます」
声は大きくなかった。
アメリアが叫ぶ。
「全員、衝撃に備えて!」
ガルドが大剣を地面へ突き立てた。
アクセルが盾役達へ合図する。
王国軍が身を伏せる。
Sランククランが結界を張る。
銀翼の剣の者達も、防御姿勢を取った。
空の星図が、一斉に輝く。
黒龍が咆哮した。
シャーロットは、星杖シリウスへ魔力を流し込む。
夜空の核が、白銀に染まった。
そして、世界から音が消えた。




