第4節 大剣の旧友
銀翼の剣の門を出たあと、シャーロットはしばらく王都の通りを歩いていた。
行き先は決まっていない。
宿を取るなら、まず手持ちの金を確認しなければならない。次の仕事を探すなら、冒険者ギルドへ行くべきだろう。
考えることはある。
けれど、どれから考えればいいのか分からなかった。
シャーロットは足を止めずに歩いた。
止まったら、鞄の軽さまで分かってしまいそうだった。
王都の大通りは、昼を過ぎても賑やかだった。商人の呼び声。馬車の車輪が石畳を叩く音。冒険者達の笑い声。
銀翼の剣の本部から少し離れただけで、周りはいつも通りだった。
シャーロットは手持ち鞄の紐を握り直す。
肩には、布で包んだ私物のスタッフ。鞄の中には、粗末なワンドとわずかな私物。門を出たあと、古いウィッチハットも被り直していた。
今身につけているローブと帽子は、銀翼へ返した支給品ではない。代わりに渡されたものだ。
袖丈が少し合わない。肩のあたりも硬い。帽子のつばは癖がついていて、歩くたびに視界の端で揺れた。
「……あとで、少し直しましょう」
そう呟いて、シャーロットは苦笑した。
針と糸。
宿。
仕事。
思い浮かぶものを並べても、足元はふわふわしたままだった。
その時だった。
「……シャーロット?」
聞き覚えのある声がした。
シャーロットは足を止め、振り返る。
人混みの向こうに、背の高い男が立っていた。
広い肩。腰に吊るされた大剣。短く整えられた髪と、鋭いがどこか懐かしい目。
「……ガルド、さん?」
「やっぱりお前か」
ガルドは人混みを避けながら近づいてきた。
冒険者学校時代、何度も模擬戦をした相手だった。大剣を構えて正面から挑んでくる姿を、シャーロットはよく覚えている。
最後に会ったのは、卒業してしばらく経ってからだっただろうか。
銀翼の剣に入ってからは、互いの噂を聞く程度になっていた。
「久しぶりです。お元気そうでよかったです」
「ああ。俺はな」
そう答えたガルドの目が、すぐにシャーロットの全身へ移った。
古いローブ。
癖のついた帽子。
手持ち鞄一つ。
肩に掛けられた布包み。
乾いた毛先。
きちんと整えてはいる。けれど、身なりは明らかに余裕のあるものではなかった。
ガルドの表情が変わる。
「お前、その格好……どうした」
「えっと、今日、銀翼を離れることになりまして」
「離れる?」
「はい。契約解除になりました」
ガルドの眉が動いた。
「銀翼が、お前を?」
「はい」
「理由は」
「攻撃魔法使いとしての記録が足りなかったそうです。討伐数や、有効打の記録が」
シャーロットは、そこで少しだけ言葉を探した。
「評価で決まったことなので」
ガルドは黙った。
怒鳴らなかった。
ただ、口元から表情が消えた。
シャーロットは慌てて首を振る。
「あの、ガルドさん。怒らないでください。私がうまくできなかっただけなので」
「お前は昔からそうだな」
「え?」
「自分のことになると、とんでもなく鈍い」
ガルドは一歩近づき、人混みの流れからシャーロットを少し外へ寄せた。
「そのローブは?」
「餞別でいただきました」
「餞別」
「はい。ローブと帽子とワンドを」
ガルドの視線が、鞄の口からのぞく粗末なワンドに落ちた。
「……銀翼は、これを餞別って言ったのか」
「外を歩くには困らないだろうと」
ガルドは目を閉じた。
短く息を吸って、吐く。
その拳が、腰の横で固く握られていた。
「シャーロット」
「はい」
「今日泊まる場所は?」
「これから探そうと思っていました」
「次の仕事は」
「冒険者ギルドで相談してみようかと」
「手持ちは」
「少しならあります」
ガルドは片手で額を押さえた。
「十年Sランククランにいて、それか」
「すみません」
「謝るな」
低い声だった。
道行く人がちらりと二人を見る。
ガルドはそれに気付き、シャーロットの隣へ立った。人混み側に、自分の体を置く。
「ここで立ち話をする内容じゃないな」
「え?」
「俺は今、獅子の咆哮にいる」
「獅子の咆哮……Aランククランの?」
「ああ。そこの幹部だ」
「すごいですね。ガルドさん、昔から強かったですもんね」
「お前に言われると嫌味に聞こえる」
「え?」
「何でもない」
ガルドは、肩の布包みに目を留めた。
「それは、あのスタッフか?」
「はい。学校時代から持っているものです」
「まだ持ってたんだな」
「大切なものですから」
シャーロットがそう答えると、ガルドの表情が一瞬だけ和らいだ。
すぐに、真剣な顔に戻る。
「来い」
「え?」
「獅子の咆哮へ行くぞ」
シャーロットは目を瞬かせた。
「い、いえ、でも、急に行ってもご迷惑では」
「まず俺が話を通す。迷惑かどうかは団長が決める」
「でも、私は銀翼を出たばかりで」
「だからだ」
ガルドは短く言った。
「契約解除されたばかりの魔法使いが、古い装備で、宿も決まっていない状態で一人で歩いている。放っておけるわけがないだろ」
「私、そんなに危なそうに見えますか?」
「危ないのはお前じゃない」
ガルドは銀翼の方角を一度だけ見た。
「お前をその格好で外へ出した連中だ」
シャーロットは、意味が分からず瞬きをした。
ガルドは肩を落とす。
「本当に変わってないな」
「えっと……すみません」
「だから謝るな」
言い方は少し乱暴だった。
けれど、不思議と怖くはなかった。
学生時代もそうだった。ガルドは声が大きく、言葉もまっすぐで、何度も勝負を挑んできた。乱暴に見えて、危ない時には必ず一歩前に出る人だった。
ガルドは少し声を落とした。
「シャーロット。俺は昔、お前に一度も勝てなかった」
「そんなことないですよ。実技ではガルドさんの方がずっと迫力がありました」
「迫力で勝てるなら苦労しない」
「でも、先生達もよく褒めていましたし」
「お前は俺の話を聞け」
シャーロットは口を閉じた。
ガルドは、まっすぐ彼女を見る。
「俺は覚えてる。何度挑んでも、届かなかった。お前はいつも、こっちが踏み込む前に全部見てた」
「……そんなふうに見えていましたか?」
「見えてた」
冗談ではない声だった。
シャーロットの中に、土埃と大剣の音が少しだけ戻る。
真剣な顔で何度も向かってくるガルド。
終わったあとに、悔しそうに笑っていたガルド。
懐かしい記憶だった。
ガルドは短く息を吐く。
「お前を追い出したなら、銀翼の評価表はまともじゃない」
「でも、攻撃魔法使いとしては」
「その言い方、今はやめろ」
シャーロットは言葉を止めた。
ガルドの声は怒っていたが、彼女に向けられたものではなかった。
「行くぞ。団長と副団長に会わせる。まずは話を聞かせるだけだ」
「本当に、いいんですか?」
「いい。というか、俺が連れていく」
シャーロットは少し迷った。
今の自分に、行く場所はない。
ガルドの言葉は強引だったが、その強引さは、立ち止まった背中を押すものだった。
「……では、お言葉に甘えてもいいですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早い」
ガルドは歩き出しかけて、ちらりとシャーロットを見る。
「たぶん、うちの連中がひっくり返る」
「え?」
「何でもない」
シャーロットは手持ち鞄を抱え直し、その後を追った。
布に包んだスタッフが肩で小さく揺れる。
王都の大通りを、二人は並んで歩いた。
ガルドは人混み側を歩き、シャーロットの歩幅に合わせて少しだけ速度を落とした。




