第4節 真似できない一枚
高出力魔法の実演から数日後。
獅子の咆哮の訓練場では、改めて結界講習が行われることになった。
理由は、難しいものではない。
「一層障壁で、変異オーガの攻撃を止めたんですよね?」
「訓練用の木剣どころか、前衛の打撃も流してましたよね?」
「でも、見た目は基礎結界にしか見えませんでした」
「じゃあ、私達も一層で練習した方がいいんですか?」
新人達の疑問を聞いた魔法教官達が、慌てて講習を組んだのだ。
訓練場には、新人の魔法使いだけでなく、前衛、補助役、斥候役まで集まっていた。
結界は、張る側だけの技術ではない。
守られる側も、どこに立てばいいのか、どう動けば邪魔にならないのかを知っておく必要がある。
講師役の魔法使いが前に立ち、黒板に円を描いた。
「まず基本から確認します。通常、防御結界は多層障壁で構築します。薄い障壁を複数重ね、衝撃を一枚に集中させないためです」
彼はワンドを振った。
訓練場の中央に、半透明の結界が現れる。
一枚目。
二枚目。
三枚目。
薄い光の膜が、少しずつ重なった。
遠目には一つの結界に見える。けれど、よく見ると内側に幾つもの揺らぎがあった。
「前衛が受け損ねた攻撃を止める場合、一枚だけでは衝撃が集中して割れやすい。複数重ねれば、一枚目で勢いを落とし、二枚目で方向をずらし、三枚目で残った力を受け止められます」
教官が合図すると、前衛役の団員が木槌を構えた。
「いきます!」
ドンッ!
木槌が結界を打つ。
一枚目が大きく揺れ、二枚目が震え、三枚目で衝撃が止まった。
結界は残っている。
ただ、一枚目には細かな光の乱れが走っていた。
「このように、通常は層を重ねて守ります。新人の皆さんは、まず二層。慣れたら三層を安定して張る練習をしてください」
新人達が真剣に頷く。
その後ろで、シャーロットも一緒に頷いていた。
講師役の魔法使いは、それに気付いて少し複雑な顔をした。
「……シャーロットさん」
「はい」
「次に、あなたの結界を見せてもらえますか。ただし、できるだけ抑えて」
シャーロットはヴェガに触れかけて、手を止めた。
「私のを先に見せると、分かりにくいですか?」
教官は少し目を瞬かせる。
「ええ。できれば、普通の結界を見た後の方がいいと思っていました」
「では、今の順番でよかったです」
シャーロットは小さく頷いた。
「皆さんが真似して怪我をする方が怖いので」
その言葉に、アメリアの表情が少しだけ和らぐ。
「なら、抑えて」
「はい。かなり抑えます」
訓練場の空気が、少しだけ緊張した。
ガルドが端で腕を組む。
「その言葉、もう信用が薄いぞ」
「本当に抑えます」
「だから余計に怖いんだよ」
シャーロットは困った顔をしながら、星脈晶のヴェガを抜いた。
三つの星脈晶が淡く光る。
彼女は教官が張った場所と同じ位置に、ワンドを向けた。
足元に小さな魔法陣が灯る。
次の瞬間、透明な結界が一枚だけ現れた。
本当に一枚だった。
薄く、静かで、余計な揺らぎもない。
見た目だけなら、教本の最初に載っている基礎障壁とほとんど変わらない。
新人達の中には、少し安心した顔をする者もいた。
「……あれなら、私達にもできそう?」
「一枚だもんな」
だが、魔法教官達の顔は違った。
講師役の魔法使いが、恐る恐る確認する。
「シャーロットさん、それは戦闘時の防御結界と比べて、どの程度の出力ですか?」
シャーロットは少し考えた。
「本気で受ける時と比べれば、一割にも届かないと思います」
新人達の表情が少し緩んだ。
一割未満。
それなら、そこまでおかしくないのではないか。
そう思いかけた空気を、教官が慌てて止める。
「待ってください。今の一割未満というのは、総魔力量の一割を使ったという意味ではありません」
新人達が一斉に教官を見る。
「魔法は、残量をどれだけ削ったかだけで見るものではありません。瞬間的な出力、密度、制御精度でも変わります」
教官はシャーロットの結界を指した。
「今見るべきは、そこです。見た目は一枚ですが、中身は普通の一層障壁とは違います」
アメリアが腕を組んだまま言う。
「打撃試験を」
先ほどの前衛団員が木槌を構えた。
「行きます!」
ドンッ!
木槌が結界へ当たった。
音が違った。
教官の多層障壁を打った時は、膜を叩いたような重い音だった。
今度は、硬いものに衝撃が吸い込まれたような音だった。
木槌の先端が触れた瞬間、力が横へ流される。
前衛団員の腕が、外側へ持っていかれた。
「うおっ」
彼は慌てて踏み直す。
結界は揺れていない。
ひびもない。
光の乱れもなかった。
新人達が固まる。
「一枚……ですよね?」
誰かが呟いた。
講師役の魔法使いが苦い顔で頷く。
「一枚です。ただし、真似しないでください」
「な、なんでですか?」
「普通の一層障壁で同じ受け方をすれば、割れます。今のは密度と制御が違いすぎます」
シャーロットが少し困ったように口を挟んだ。
「あの、でも一層でも角度を変えれば、負担は減りますよ」
「理屈は正しいです」
講師役は即答した。
「理屈は正しいのですが、あなたの実演をそのまま真似すると危険なんです」
「そのままは、駄目なんですね」
「駄目です」
シャーロットはヴェガを少し下げた。
「分かりました。では、どこまでなら教えても大丈夫ですか?」
教官は黒板に向かい、新しく三つの項目を書いた。
一、通常は多層障壁を基本とする。
二、単層で受ける場合は、正面から受けない。
三、シャーロット式をそのまま真似しない。
ガルドが吹き出した。
「最後の項目、名指しじゃねえか」
アメリアは真顔で頷く。
「必要よ」
シャーロットは少し肩を落とした。
「そんなに危ないでしょうか」
「危ないわ」
アメリアが即答した。
「あなたは一枚の中に、密度、角度、衝撃の流れ、魔力の逃げ道を全部入れているでしょう?」
「はい。その方が楽なので」
「普通は楽じゃないの」
「そうなんですか?」
「そうなの」
教官達が深く頷いた。
講習は、そこから実践形式に移った。
まず新人達が二層障壁を張る。
最初は揺れた。
魔力の層が重なりきらず、内側と外側がずれる。
前衛の木剣を受けると、一枚目が崩れ、二枚目も乱れた。
シャーロットは横から見て、すぐに声をかけた。
「一枚目と二枚目を、同じ強さにしなくて大丈夫です」
新人魔法使いが振り向く。
「違っていいんですか?」
「はい。一枚目は受け止めるというより、相手の力を遅くする感じです。二枚目で止めると楽です」
「やってみます」
新人がもう一度張る。
今度は少し安定した。
「いいです。あとは、二枚目を少し斜めにしてみましょう」
「斜め、ですか?」
「はい。完全に正面で止めようとすると疲れます。少しだけ逃がします」
新人が試す。
木剣が当たった。
カンッ、と軽い音がして、剣先が横へ流れる。
「できた!」
「今の感覚です」
シャーロットが嬉しそうに笑った。
「強い結界を張ろうとしすぎなくて大丈夫です。相手の力を全部受けるのではなく、通したくない場所だけ守る。そう考えると、魔力の消費も減ります」
新人達の顔が明るくなる。
教官達も、少しだけ肩の力を抜いた。
その説明なら使える。
シャーロット本人の結界ではなく、角度と役目だけを取り出せば、新人の練習にも落とし込める。
中堅魔法使いの一人が、試しに三層障壁を張った。
そこへ前衛団員が強めに木槌を打ち込む。
ドンッ!
一枚目が揺れ、二枚目が歪み、三枚目で受ける。
問題ない。
標準的で、良い結界だった。
次に、同じ強さでシャーロットの一層障壁を打つ。
ゴンッ。
音が鈍く沈み、木槌の方が跳ね返った。
前衛団員が手首を振る。
「痛って……」
新人達が無言になる。
中堅魔法使いも黙った。
講師役は黒板に、もう一つ書き足す。
四、シャーロットの一層障壁を基準にしない。
ガルドが声を上げて笑った。
「規則が増えていくな」
シャーロットは困りきった顔で言う。
「すみません。もう少し弱くします」
「弱くしてこれなのよ」
アメリアが疲れた声で言った。
「ええと……もっと弱く?」
「弱くする練習も必要かもしれないわね」
レオンが記録しながら頷く。
「シャーロットさんの訓練項目に、一般基準への出力調整を追加します」
「私も訓練ですか?」
「当然です。教える側になるなら、相手の基準に合わせた実演が必要です」
シャーロットは少し驚いた後、すぐに頷いた。
「分かりました。やります」
「頑張りすぎると、また強くなるんじゃねえか?」
ガルドが言う。
シャーロットは真剣に困った。
講習の後半では、シャーロットがあえて弱い結界を張る練習も行われた。
「これくらいでしょうか」
彼女が一層障壁を出す。
教官が叩く。
割れない。
「まだ強いです」
「では、これくらいで」
叩く。
割れない。
「まだです」
「これなら……」
叩く。
今度は揺れたが、割れない。
「惜しいです。普通の新人なら割れるくらいにしてください」
シャーロットはヴェガを持ったまま、困ったように眉を下げた。
「割れる前提で張るのは、少し怖いです」
その声に、教官は一瞬黙った。
「……怖い?」
「はい。守るためのものを、わざと弱くするので」
アメリアが小さく息を吐く。
「訓練用よ。本番で弱くしろとは言っていないわ」
「はい。分かっています」
シャーロットは結界を見つめる。
「でも、慣れないです」
ガルドが笑いかけて、やめた。
教官は少し声を柔らかくした。
「今は、基準を合わせる練習です。割れても怪我をしない範囲でやります」
「はい」
シャーロットはもう一度、ヴェガを構える。
今度の結界は、さっきより少し薄かった。
木槌が当たる。
パリン、と小さな音を立てて、結界が割れた。
シャーロットの肩がびくっと揺れる。
「……割れました」
「はい。今のが、新人の失敗例として使える強さです」
「失敗例……」
シャーロットは壊れた結界の光が消えるのを見ていた。
少し迷ってから、もう一度ヴェガを上げる。
「もう一回、やってもいいですか」
教官は頷いた。
「お願いします」
訓練場に、何とも言えない笑いが広がった。
シャーロットは真面目にやっている。
教官達も真面目に教えている。
ただ、基準が違いすぎるせいで、少しだけ会話が噛み合わない。
それでも、新人達の表情は講習前よりずっと落ち着いていた。
講習後、新人の一人がシャーロットへ近づいてきた。
「あの、シャーロットさん」
「はい」
「私達は、まず多層障壁を練習した方がいいんですよね?」
「はい。多層障壁はとても大切です。一枚だけで守ろうとすると難しいので、まずは二枚、三枚と安定して張る練習をした方がいいです」
「シャーロットさんみたいな一枚は?」
シャーロットは少し考えた。
それから、柔らかく笑う。
「私のは、少し癖が強いので」
「癖……」
「はい。皆さんは、皆さんの結界を作っていけばいいと思います」
その答えに、新人は安心したように頷いた。
「はい!」
アメリアは遠くからそのやり取りを見て、記録板に目を落とす。
ガルドが隣に来た。
「どうだった?」
「講習としては成功ね」
アメリアは短く答えた。
「シャーロット本人の講習も増えたけれど」
「長い戦いになりそうだな」
「ええ」
二人の視線の先で、シャーロットは新人達と一緒に多層障壁の練習を見ていた。
「今の一枚目、良かったです。二枚目は少し焦りましたね。大丈夫です、ゆっくりで」
新人達が笑顔で頷く。
訓練場の隅に置かれた黒板には、今日の注意点が残っていた。
通常は多層障壁を基本とする。
単層で受ける場合は、正面から受けない。
シャーロット式をそのまま真似しない。
シャーロットの一層障壁を基準にしない。
シャーロットはその四行を見て、少しだけ眉を下げた。
「……次は、三つ目を消せるように練習します」
「四つ目もな」
ガルドが言う。
「はい。四つ目も」
シャーロットはヴェガを握り直し、もう一度、薄い結界を張った。




