第3節 最大出力
魔力測定が終わった後も、訓練場の空気はしばらく戻らなかった。
新人達は測定器を見つめ、中堅の魔法使い達は記録用紙を見つめ、講師役の魔法使いは何度も水晶球に異常がないか確認していた。針はようやく元の位置へ戻っていたが、さっきまで限界に張りついていた跡が、全員の頭から離れない。
シャーロットは申し訳なさそうに、水晶球へ軽く頭を下げていた。
「壊れなくてよかったです」
「測定器に謝ってる……」
「壊れなかったことが奇跡みたいな空気なのもおかしいけどな……」
新人達が小声で言い合う。
その中で、エルンが恐る恐る手を上げた。
「あの、シャーロットさん」
「はい?」
「その……シャーロットさんの攻撃魔法って、どのくらいなんですか?」
訓練場が静かになった。
言ってしまった、という顔をした新人が数人。だが、興味がない者はいなかった。変異オーガを一撃で倒した光魔法。測定器の針を振り切った魔力量と魔力密度。それを見た後なら、誰だって考える。
この人が、ちゃんと攻撃魔法を使ったらどうなるのか。
シャーロットは少し困ったように笑った。
「どのくらい、と言われましても……」
リックが身を乗り出す。
「最大出力とか、見られたりしますか?」
「最大出力ですか?」
「はい! いや、危なかったら大丈夫ですけど!」
「危ないですね」
即答だった。
新人達が固まる。
シャーロットは真面目な顔で続けた。
「この訓練場では無理です。街の中でも無理です。最大出力で撃つと、たぶん街が壊れます」
沈黙。
その後、誰かが小さく笑った。
「ま、またまた……」
「冗談、ですよね?」
「街って、王都の一角とかじゃなくて?」
シャーロットは首を傾げた。
「王都全部はさすがに分かりません。でも、この辺り一帯は確実に危ないと思います」
新人達の笑みが引きつった。
講師役の魔法使いが、興味と恐怖の間で揺れる顔をした。
「……最大出力でなくてもいいので、参考までに見せてもらうことはできますか? もちろん安全な形で」
アメリアの眉が跳ねた。
「あなたまで何を言っているの」
「い、いえ、教育上の参考としてですね。測定値だけでは分からない部分もありますし、制御された高出力魔法を見られる機会は滅多にありませんから」
「滅多にないからって、訓練場で見ようとしない」
「空へ向ければ……」
「空へ向けても危ないものは危ないの」
アメリアが止めようとする一方で、ガルドは完全に面白がっていた。
「いいんじゃねえか。もちろん、シャーロット基準じゃなく、普通の人間が見ても安全な範囲でな」
「ガルドさんまで」
「こいつの“攻撃魔法使いとして成果不足”がどれだけ馬鹿げた評価だったか、少しくらい見せてもいいだろ」
その言葉に、アメリアは一瞬だけ黙った。
銀翼の剣は、シャーロットを攻撃魔法使いとして評価し、成果不足として追放した。だが、今の獅子の咆哮の団員達は、彼女の攻撃魔法をほとんど知らない。変異オーガ戦の話は聞いていても、直接見た者は限られている。
見せること自体に意味はある。
ただし、安全が最優先だった。
アメリアは深く息を吐いた。
「……一度だけよ。場所は外の広域訓練場。対象は空。地上への着弾は禁止。出力は、あなたが思う安全圏のさらに下。いいわね?」
シャーロットは真剣に頷いた。
「はい。かなり抑えます」
「その“かなり”が信用できないのよね」
「では、とてもかなり抑えます」
「言い方を重ねても不安は消えないわ」
それでも、見学希望者は増えてしまった。
新人達だけでなく、中堅の魔法使い、講師役、近くで訓練していた前衛達まで集まってくる。もちろんアメリアが全員を一定距離まで下がらせ、レオンが記録係として測定用の簡易魔道具を準備した。
広域訓練場は、王都の外壁近くにある広い空き地だった。大型魔法や遠距離射撃の訓練に使われる場所で、地面には過去の訓練で焦げた跡や、修復された石標がいくつも残っている。
シャーロットは訓練場の中央に立った。
星帽ポラリスが風に揺れる。星衣リゲルの裾が静かに広がる。右手には星脈晶のヴェガ。背には星杖シリウスを負っているが、今回は使わない。大型術式用のスタッフを使う必要はない。むしろ、使ってはいけない。
「ヴェガで、上に撃ちます」
「シリウスは使わないんだな?」
ガルドが聞くと、シャーロットは当然のように頷いた。
「使いません。ここでシリウスを使うと危ないので」
周囲の団員達がざわっとした。
「ヴェガでも十分不安なんだが……」
「シリウスを使うと危ないって、今から撃つのは安全なのか?」
「考えるな。考えたら怖くなる」
アメリアが全員を睨む。
「静かに。防護結界の内側から出ないこと。耳を塞ぐ準備。光を見る時は直接見すぎないように」
「はい!」
シャーロットは空を見上げた。
雲は高い。風も弱い。上空で魔力を散らせば、地上への影響は抑えられる。火属性は熱が残る。雷は音と衝撃が強い。光なら直線性が高く、上空で分散しやすい。だが、強すぎると目に悪い。だから光を芯にして、風で圧を逃がし、水で熱を薄める。土は使わない。地上に響かせないためだ。
彼女はそこまで自然に考え、ヴェガへ魔力を流した。
第一核が受ける。第二核が整える。第三核が余剰を逃がす。星脈晶の光が三つ、静かに瞬いた。
「本当に、かなり抑えます」
シャーロットはそう言った。
誰に向けたのかは分からない。たぶん、周囲にも、ヴェガにも、自分自身にも言い聞かせていた。
ヴェガの先端に、細い光が集まる。
変異オーガを撃ち抜いた時の光に似ている。だが今回は、対象を貫くための針ではない。上空でほどけるように、最初から崩れる余地を持たせた光。けれど、その密度は訓練場にいる魔法使い達の肌を粟立たせた。
空気が震える。
地面に描かれた防護結界が、まだ発射前なのに薄く光った。
「……おい、これで抑えてるのか?」
誰かが呟いた。
シャーロットはヴェガを空へ向けた。
「いきます」
次の瞬間、光が走った。
バシュッ――!
細い白銀の線が、空を真っ直ぐに貫いた。音は一瞬遅れて来た。発射音そのものは短い。だが光が上空へ到達した瞬間、空の高い位置で魔力が解けた。
ゴォンッ――バァァァンッ!
空が鳴った。
爆発ではない。炎が広がったわけでもない。だが、圧縮された魔力が上空で開放され、巨大な透明の花が咲いたように空気が押し広げられた。雲が円形に割れ、衝撃が遅れて地上へ降りてくる。
ドンッ。
訓練場の防護結界が震えた。
新人達が一斉にしゃがみ込む。トマは盾を構えようとして尻もちをつき、リックは槍を支えにして耐えた。エルンは完全に腰を抜かし、リリが慌てて支えようとして一緒に座り込んだ。ミナは耳を塞いだまま目を丸くしている。
講師役の魔法使いも、膝に手をついていた。
「……今のが、抑えた……?」
中堅の団員達も言葉を失っている。前衛達ですら、空を見上げたまま動けない。誰も怪我はしていない。地面も壊れていない。建物にも被害はない。
だから、安全ではあった。
安全ではあったが、常識的ではなかった。
上空には、魔力が弾けた跡が淡く残っていた。白銀の光が薄く輪になり、風に流されるように消えていく。まるで、空に一瞬だけ穴が開いたようだった。
シャーロットはほっと息を吐いた。
「大丈夫そうですね。かなり抑えたので」
「それで!?」
新人達と教官達の声が、ほぼ同時に響いた。
シャーロットはびくっと肩を揺らす。
「えっ」
アメリアが歩いてきた。
笑っていない。
「シャーロット」
「はい」
「今のは何割?」
シャーロットは少し考えた。
その沈黙だけで、周囲がさらに緊張した。
「……一割より、かなり下です」
アメリアは目を閉じた。
ガルドが腹を抱えて笑い始めた。
「古の古代兵器か、お前は」
「古代兵器ではありません。魔法使いです」
「魔法使いは空を鳴らさねえよ」
「かなり抑えましたよ?」
「それで空が鳴ったんだよ」
ガルドは笑いながら言った。
アメリアは一歩近づき、シャーロットの正面に立つ。
「いい? 今のは訓練場だから許可したの。防護結界も張った。方向も空だった。あなたも抑えた。だから被害はない。でも、普通の場所で絶対にやらないこと」
「はい」
「街中で最大出力なんてもってのほか。空に向けても駄目。人がいる場所で興味本位に見せない。新人に頼まれてもやらない。教官に頼まれてもやらない。ガルドが面白がってもやらない」
「俺も入るのか?」
「当然よ」
ガルドは肩をすくめた。
シャーロットは素直に頷いた。
「分かりました。すみません」
「謝るより覚えて」
「はい」
アメリアの声は本気だった。怒っている。けれど、ただ叱っているのではない。シャーロットが自分の出力を軽く見ていることを、本気で危ないと思っているのだ。
シャーロットにも、それは分かった。
「以後、攻撃魔法の高出力実演は幹部許可制にします」
レオンがすでに書いていた。
「また禁止事項が増えたわね」
アメリアがため息をつく。
ガルドはまだ笑っている。
「いいじゃねえか。獅子の咆哮の規則が一つ増えるたびに、シャーロットの異常さが記録されていく」
「笑いごとじゃないわ」
「いや、笑うしかないだろ。銀翼はこれを攻撃魔法使いとして成果不足って切ったんだぞ?」
その一言で、空気が少し変わった。
新人達も、教官達も、空を見上げたまま黙った。
今の光。
あれを見た後では、もう誰も信じられない。
この人が攻撃できない魔法使いだなんて。
攻撃魔法使いとして価値がないなんて。
成果不足だなんて。
あり得ない。
シャーロットは、その沈黙の意味をうまく理解できず、ヴェガをそっと腰に戻した。
「あの、皆さん、大丈夫ですか? 耳が痛い方はいませんか? 気分が悪い方は」
「気にするところ、そこなんですね……」
エルンが座り込んだまま呟いた。
「はい。音が出ると言いましたし、驚かせてしまったので」
リリが苦笑した。
「驚きました。すごく」
「すみません」
「でも……」
リリは空を見上げた。
「綺麗でした」
シャーロットは目を瞬かせた。
「綺麗、でしたか?」
「はい。怖かったですけど、綺麗でした」
その言葉に、シャーロットは少しだけ表情を和らげた。
アメリアはそれを見て、怒る気持ちを少しだけ飲み込んだ。
危なっかしい。自覚が足りない。規格外すぎる。
けれど、シャーロットは力を見せびらかすために撃ったのではない。新人達に頼まれ、教官に求められ、安全を考え、空へ向け、抑えに抑えて撃った。それでも常識外れだっただけだ。
そこが一番問題なのだが。
「今日はここまで」
アメリアが宣言した。
「新人達は休憩。教官達も一度落ち着きなさい。レオン、測定記録と合わせて報告書に。ガルド、笑ってないで防護結界の確認」
「へいへい」
「シャーロットは医務室」
「えっ、怪我はしていませんよ?」
「魔力回路の確認よ。高出力魔法を撃った後は確認する。これは今決めた」
「今決まったんですか?」
「今決めたわ」
シャーロットは少し困った顔をしたが、素直に頷いた。
「分かりました」
その日、獅子の咆哮の記録に新しい項目が増えた。
シャーロットの高出力攻撃魔法実演は、幹部許可制。
実施場所は広域訓練場以上。
防護結界必須。
実施後は医務室で魔力回路確認。
新人の興味本位による依頼は禁止。
そして欄外に、レオンの小さな字でこう追記された。
「本人申告では大幅に抑制。にもかかわらず上空で大規模魔力開放を確認。最大出力については現時点で測定不能。街中での使用は絶対禁止」
その記録を見たアクセルは、しばらく黙った後、頭を抱えた。
「……銀翼は何を捨てたんだ」
その問いに答えられる者は、まだ誰もいなかった。




