第1節 幹部候補の仕事
星装備一式が揃ってから、シャーロットの日常は少しずつ形を変えていった。
朝は新人訓練場へ向かう。星帽ポラリスのつばを軽く押さえ、星衣リゲルの裾を整え、腰には星脈晶のヴェガ。背に星杖シリウスを負うこともあれば、訓練内容によっては部屋に置いてくることもある。本人はまだ少し恥ずかしそうにしているが、獅子の咆哮の団員達はもう、その姿を自然に受け入れ始めていた。
「シャーロットさん、おはようございます!」
「おはようございます。今日は昨日の続きからですね」
新人達が駆け寄ってくる。盾役、斥候、魔法使い、補助役。以前はそれぞれ別々に訓練していた者達が、最近はシャーロットの周りに集まることが増えた。彼女の訓練は厳しくない。怒鳴らない。失敗しても責めない。けれど、見逃さない。
「トマさん、盾を構える時に少し右肩が上がっています。長く続けると腕が疲れますよ」
「はい!」
「ミナさん、足音はかなり良くなりました。でも、視線が先に行きすぎています。足元と横道も半分ずつ意識しましょう」
「分かりました!」
「エルンさん、魔力を溜める前に息を止めないでください。昨日よりは良くなっています」
「は、はい!」
「リリさんは確認順を忘れていませんね。前衛、魔法使い、自分の位置。そのまま続けてください」
「はい!」
シャーロットは一人ずつ、必ず具体的に伝える。できていないところだけではない。前より良くなったところも拾う。だから新人達は、怒られる怖さではなく、次はもっと良くできるかもしれないという気持ちで訓練に向かえる。
それを見ていた教官の一人が、腕を組んで唸った。
「……あれ、簡単そうにやっているけど、かなり難しいぞ」
隣の魔法教官が頷く。
「動き、魔力、視線、呼吸、隊列、全部同時に見ている。しかも本人は教える内容を相手ごとに変えている」
「幹部候補っていうより、新人育成班の主力だな」
「いや、あれは育成だけじゃない。現場指揮に近い」
そんな声にも、シャーロットは気付かない。彼女にとっては、銀翼の剣でずっとやってきたことの延長だった。新人が怪我をしないように見る。低ランク班が崩れないように支える。恐怖で足が止まりそうな者に声をかける。魔力が乱れた者の流れを整える。
ただ、違うことが一つだけあった。
ここでは、それが仕事として認められている。
「シャーロット、午後は低ランク班の支援に入れるか?」
訓練場の入口から、アメリアが声をかけた。手には今日の配置表がある。
「はい。どちらの班ですか?」
「昨日、森の小型魔物の駆除に失敗しかけた班よ。戦力不足というより、危険察知と撤退判断が甘い。あなたには同行して、必要なら指示を出してほしい」
「分かりました」
「ただし、全部片付けないこと」
アメリアが釘を刺す。
シャーロットは少しだけ目を瞬かせた。
「全部、ですか?」
「ええ。あなたが先に全部整えてしまうと、彼らが自分で危険を見つける機会がなくなるわ。危なくなったら止める。けれど、気付けるところは気付かせる。いいわね?」
「はい。気をつけます」
ガルドが訓練場の端で笑った。
「銀翼時代の癖が出るからな。危ない芽を全部摘むなよ」
「でも、怪我をする前に止めた方が……」
「止めるなとは言ってねえ。学べる範囲の失敗まで消すなって話だ」
シャーロットは少し考え込んだ。
銀翼では、失敗がそのまま評価低下や怪我に直結した。だから、見つけた危険はできるだけ先に消していた。魔物の進路を変える。足場を補正する。罠の気配を薄く示す。撤退路を整える。皆が気付く前に、危ないものを遠ざける。それで無事に帰れればいいと思っていた。
でも、ここでは違う。
獅子の咆哮は新人を育てようとしている。低ランク班を使い潰すのではなく、次に繋げようとしている。だから、守るだけでは足りない。気付かせ、考えさせ、生き残る力を渡す必要がある。
「……難しいですね」
シャーロットがぽつりと言うと、アメリアは少しだけ笑った。
「そうよ。だから幹部候補の仕事なの」
その言葉に、シャーロットは背筋を伸ばした。
「はい。頑張ります」
「頑張りすぎない」
「……はい」
返事までに少し間があったので、ガルドが笑った。
午後、シャーロットは低ランク班に同行した。森の浅い区域で、小型魔物の群れを追い払う依頼だ。難度は高くない。だが、昨日その班は魔物の数を見誤り、撤退が遅れかけたらしい。
「よろしくお願いします」
シャーロットが頭を下げると、班員達は少し緊張した顔で返事をした。
「あ、あの、幹部候補の方ですよね?」
「はい。今日は皆さんの動きを見ながら、必要な時に声をかけますね」
「変異オーガを倒したって聞きました」
「新人さん達が無事だったので、良かったです」
「いや、そこもすごいですけど……」
班員達は顔を見合わせる。どうやら噂を聞いているらしい。けれど、シャーロット本人があまりに普通に笑うので、どう反応していいのか分からない様子だった。
森へ入ると、シャーロットは後方に立った。
魔物の反応は三つ。さらに奥に五つ。左手側の茂みに罠ではないが足を取られやすい根。正面の小道は見通しが良いが、逃げ道が少ない。右へ少し迂回すれば、風上を取れる。
全部分かる。
けれど、すぐには言わない。
「斥候さん、風向きはどうですか?」
「え? 風向き……あ、こちらが風下です」
「はい。では、このまま進むとどうなりますか?」
「匂いで先に気付かれる、かもしれません」
「いい判断です。迂回するなら、どちらが良さそうですか?」
「右、ですか?」
「はい。私もそう思います」
班員達は、少し驚いた顔をした。
答えを渡されるのではなく、自分達で考えさせられる。けれど突き放されるわけではない。間違えそうになれば、柔らかく問いを重ねてくれる。
途中、小型魔物が茂みから飛び出した。前衛が一歩遅れる。シャーロットは反射的にヴェガへ魔力を流しかけたが、すぐに止めた。
まだ危険ではない。
「盾役さん、半歩左です」
短い指示だけ出す。
盾が間に合う。魔物の突進が受け止められ、横から槍が入る。魔法使いが小さな風刃で逃げ道を塞ぎ、補助役が周囲を確認する。戦闘は少しぎこちなかったが、成立していた。
「今のは良かったです。盾役さんは少し遅れましたが、指示を聞いてすぐ修正できました。魔法使いさんは威力より位置が良かったです。逃げ道を塞いだので、前衛さんが楽になりました」
「ありがとうございます!」
「ただ、戦闘後すぐに安心しすぎないように。周囲確認までが戦闘です」
「はい!」
シャーロットは微笑む。
銀翼でも、同じことを言ってきた。
けれど、あの頃はそれが評価されることはなかった。書類には「同行補助」としか残らなかった。誰かが無事に帰ったことも、撤退が早くなったことも、危険な遭遇を避けられたことも、攻撃魔法使いとしての成果にはならなかった。
でも今は、違う。
依頼後、アメリアは報告書を確認しながら言った。
「低ランク班、依頼成功。負傷なし。撤退判断良好。危険察知は改善傾向。シャーロットの指導項目も記録しておくわ」
「記録、ですか?」
「当然でしょう。あなたが何を見て、どう指示したかは、次の訓練に使えるもの」
シャーロットは少し戸惑った。
「そんな、大したことは」
「大したことよ」
アメリアは即答した。
「あなたが自然にやっていることは、他の人にとっては学ぶ価値がある。だから記録するの」
「……はい」
シャーロットは小さく頷いた。
その日の夕方、結界講習があった。
新人だけでなく、中堅の魔法使いも数人参加している。シャーロットは訓練場の中央に立ち、星脈晶のヴェガを構えた。
「今日は、結界を長く張る練習ではなく、張る位置と角度の練習をします」
「強度ではなく、位置ですか?」
「はい。もちろん強度も大切ですが、どこに張るかで必要な魔力は変わります。正面から受けるより、少しずらして流した方が楽なことも多いです」
彼女は一層の結界を張る。
見た目は薄い。
参加者の一人が小さく呟いた。
「本当に一枚だ……」
シャーロットは気付かず説明を続ける。
「たとえば、敵の攻撃がこちらへ真っ直ぐ来る時、こう受けると負担が大きいです。でも、結界の面を少し傾けると――」
木製の訓練槍が結界へ当たり、横へ滑る。
「受ける力が減ります」
魔法使い達は真剣に見ていた。理解できる部分もある。理屈は分かる。だが、シャーロットの結界は一層なのに密度が高すぎる。普通なら同じことをするには数層必要だ。
講師役の魔法使いが頭を抱える。
「理論は正しい。でも、実演の出力が参考にならない……」
シャーロットはそれを聞いて、少し困った顔をした。
「もう少し弱くしましょうか?」
「弱くしてもらえると助かります」
「はい」
シャーロットは魔力をかなり落とした。
それでも、参加者達にとっては十分すぎる強度だった。
ガルドが訓練場の端で笑い、アメリアがその横で記録を取る。
「新人教育、低ランク支援、結界講習、危険察知訓練。かなり仕事が増えているわね」
「銀翼でも似たようなことをしていたんだろ」
「ええ。でも、あちらでは評価されなかった」
アメリアは視線をシャーロットへ向ける。
「ここでは評価するわ。あれは、クランの土台を作る仕事よ」
ガルドは静かに頷いた。
訓練を終えたシャーロットが、参加者達から質問を受けている。どうすれば怖い時に魔力が乱れないか。撤退時に結界を張る位置はどこがいいか。負傷者を運ぶ時、最低限どこを守ればいいか。彼女は一つずつ丁寧に答えていた。
銀翼では、数字にならなかったこと。
けれど獅子の咆哮では、誰かを生きて帰すための技術として扱われていること。
その違いは、少しずつシャーロット自身にも染み込み始めていた。
夜、部屋へ戻る前に、シャーロットは訓練場を振り返った。
今日教えた新人達が、まだ自主練をしている。低ランク班の斥候が、風向きを確認する練習をしている。魔法使い達が、結界の角度を変えながら試行錯誤している。
自分が言ったことを、誰かが覚えている。
自分がしたことが、次の誰かを助けるかもしれない。
「……嬉しいですね」
小さく呟いた声に、後ろからガルドが答えた。
「だろうな」
「聞こえていましたか?」
「聞こえた」
シャーロットは少し照れたように笑った。
「銀翼でも、こういうことはしていたんです。でも、ここでは皆さんがちゃんと聞いてくださるので」
ガルドの表情が少しだけ険しくなる。
「銀翼が聞かなかっただけだ」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
シャーロットは星衣リゲルの袖をそっと握った。
「……なら、ここでちゃんと頑張ります」
「だから、頑張りすぎるな」
「はい」
返事はしたが、ガルドは信用していない顔だった。
それでも、彼はそれ以上何も言わなかった。
シャーロットは獅子の咆哮で働き始めた。
新人を教え、低ランクを支え、結界を講習し、危険を見つけ、魔力を整え、怪我人には簡単な応急処置をする。
銀翼の剣にいた頃と、やっていることは大きく変わらない。
けれど一つだけ、決定的に違っていた。
ここでは、それが役立たずの行動ではなく、幹部候補の仕事として見られていた。




