第5節 星纏いの魔女
星杖シリウスが星装備一式として登録された翌朝。
訓練場へ向かう廊下で、シャーロットは何度か足を止められた。
誰かが声をかけたわけではない。
ただ、すれ違う団員が一瞬だけ視線を留める。
深い紺色の星衣リゲル。
同じ夜色の星帽ポラリス。
腰に差した星脈晶のヴェガ。
シリウスは部屋に置いてきた。
普段の訓練に持ち出すものではない、と昨日決めたばかりだ。専用ケースもまだ完成していない。
それでも、名前はもう登録されている。
星杖シリウス。
星脈晶のヴェガ。
星帽ポラリス。
星衣リゲル。
シャーロットは何度目かの視線に気付き、帽子のつばを少し押さえた。
「……変では、ないですよね?」
隣を歩いていたガルドが笑う。
「変じゃねえよ。目立つだけだ」
「それは困ります」
「諦めろ」
「諦めたくはないです」
小さく言い返すと、ガルドは面白そうに肩を揺らした。
訓練場では、新人達がすでに並んでいた。
シャーロットが入ると、数人が一瞬黙る。
それから慌てて姿勢を正した。
「お、おはようございます!」
「よろしくお願いします!」
「おはようございます」
シャーロットはいつものように頭を下げた。
星帽ポラリスのつばを軽く整え、星衣リゲルの裾を踏まないよう直す。
「今日は結界の基礎と、撤退時の隊列確認をしましょう」
新人達はまた少しだけ黙った。
視線が、帽子、ローブ、腰のヴェガへ移る。
シャーロットは首を傾げた。
「……あの、始めても大丈夫ですか?」
「は、はい!」
「お願いします!」
新人達の返事が少し大きくなった。
訓練場の端で見ていたガルドが、口元を押さえて笑う。
「見慣れてないんだろうな」
「笑いごとじゃないわ」
隣に立ったアメリアが、腕を組んだ。
「本人が困っているでしょう」
「それも込みで面白い」
「面白がらない」
アメリアの声が低くなり、ガルドは肩をすくめた。
シャーロットは新人達の前に立ち、腰のヴェガを抜いた。
三つの星脈晶が、彼女の魔力に触れて淡く光る。
青白い第一核が受け、銀の第二核が整え、金を帯びた第三核が余った流れを逃がす。
ピシリ、とも鳴らない。
工房でヴェガの調整を見た団員達が、訓練場の端で小さく息を吐いた。
「壊れないんだな……」
「専用だからな」
「壊れないだけで感心されるワンドって何だよ」
「シャーロットさん用だぞ。考えるな」
そんな小声には気付かず、シャーロットは新人達の前に薄い結界を張った。
透明な一層障壁。
見た目だけなら、基礎訓練で最初に作る結界と変わらない。
「では、軽く打ってみてください」
前衛の新人が木剣を構える。
遠慮がちに叩くと、木剣はぴたりと止まった。
「……硬い」
「今のは、正面から受ける形です。次は少し斜めに流しますね」
シャーロットがヴェガをわずかに傾ける。
新人がもう一度打ち込むと、今度は剣筋が横へ滑った。
「うわっ」
「怖がらなくて大丈夫です。力を全部受け止めるより、流した方が長く持ちます」
「一層なのにですか?」
「はい。一層でも、向きを変えるだけで変わります」
新人達は目を輝かせた。
後ろで見ていた魔法部隊の講師役は、こめかみを押さえた。
「……向きを変えるだけ、ですか」
「だけ、の中身が多すぎるんだよな」
ガルドが笑う。
アメリアはため息をついた。
「あの子、基礎を教えているつもりで、途中から普通に上級者向けを混ぜるのよ」
「本人は本気で基礎だと思ってるぞ」
「だから困るの」
シャーロットはそんな会話を知らず、新人の前で結界の角度を変えていた。
「盾役さんは、結界があるからといって止まらないでくださいね。結界は壁というより、動く時間を作るものです」
「はい!」
「後衛さんは、下がる方向を先に決めておくと楽です。慌ててから探すと、味方とぶつかります」
「分かりました!」
新人達が素直に頷く。
シャーロットは少しほっとした顔をした。
「よかった。では、次は三人で動いてみましょう」
訓練が終わる頃、若い団員の一人がぽつりと言った。
「やっぱり、星纏いって感じだよな」
近くにいた団員が頷く。
「分かる。帽子とローブとヴェガだけでも、それっぽい」
「シリウスもあるんだろ?」
「普段は持ち出さないらしいぞ」
「じゃあ全部揃った時、もっと目立つのか」
「本人に言うなよ。困るぞ」
「もう困ってるだろ」
「ガルドさんが広めそう」
「それはある」
その声は小さかったが、ガルドには聞こえていた。
彼はにやりと笑う。
「星纏い、ねえ」
アメリアがすぐに睨んだ。
「ガルド」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔が言っているわ。勝手に広めない」
「もう広まりかけてるぞ」
「だから止めなさい」
「クラン内の軽い呼び名くらいならいいんじゃねえか?」
「本人が困るでしょう」
「困る顔も面白いぞ」
「面白がらない」
ガルドは口笛を吹くふりをして、視線を逸らした。
その後。
昼食前の廊下で、荷物を運んでいた団員が小声で言った。
「星纏いさん、こっち通ります」
「え、あ、ごめん」
「本人に聞こえるぞ」
「しまった」
装備点検室では、職人の一人が言いかけた。
「星纏いの装備は――じゃなくて、シャーロットさんの装備は、調子どうですか」
「今、言ったわね」
アメリアの声が飛び、職人は背筋を伸ばした。
夕方には、新人達の間で少しだけ定着していた。
「今日、星纏いさんに結界を教わった」
「だから本人の前では言うなって」
「え、だめなのか?」
「恥ずかしがるだろ」
「それは見たい」
「やめろ」
シャーロット本人がその呼び名をはっきり聞いたのは、夜の食堂だった。
温かいスープを受け取った時、厨房係の女性が何気なく言った。
「はい、星纏いさん。今日は訓練お疲れ様」
「ほし……?」
シャーロットは器を持ったまま固まった。
厨房係が「あ」と口を押さえる。
近くにいた団員達が、一斉に視線を逸らした。
笑いをこらえる者もいる。
「星纏い、ですか?」
シャーロットが首を傾げる。
誰も答えない。
視線だけが、あちらこちらへ泳いだ。
最終的に、ガルドが楽しそうに近づいてきた。
「お前の新しい呼び名だよ」
「私の?」
「ああ。星装備が揃っただろ。シリウス、ヴェガ、ポラリス、リゲル。今日はシリウスを背負ってないが、もう登録済みだしな」
「そ、そんな大げさな」
「大げさかどうかは知らんが、見た目はだいぶ魔法使いらしくなったぞ」
「今までも魔法使いでした」
「そこは否定してねえよ」
ガルドは笑った。
「でも、星纏いなんて……」
シャーロットは本気で困った顔をした。
「私、そんな立派なものでは」
「立派かどうかは知らん。ただ、役立たずの魔法使いより、ずっといい」
その言葉に、シャーロットは少しだけ黙った。
役立たずの魔法使い。
はっきりそう呼ばれたこともある。
直接言われなくても、そういう空気はずっとあった。
攻撃実績が少ない。
補助ばかり。
数字が出ない。
評価が低い。
シャーロットはスープの器を両手で持ち直した。
「……名前負けしませんか?」
小さく聞くと、ガルドは真面目な顔になった。
「しない」
「でも」
「しない」
二度目は、少し強かった。
アメリアも食堂へ入ってきた。会話を聞いていたらしく、ため息をつきながらも否定はしない。
「クラン内の軽い呼び名としてなら、悪くないわ。ただし、本人が嫌がるなら使わないこと」
周囲の団員達が慌てて頷く。
「はい!」
「気をつけます!」
「本人の前では控えます!」
「本人の前じゃなくても、嫌がるなら控えなさい」
アメリアが睨むと、団員達は背筋を伸ばした。
シャーロットは慌てて手を振る。
「あの、嫌というわけではないです」
そこまで言って、少しだけ迷った。
スープの湯気が、頬に当たる。
「ただ、急に呼ばれると驚きます。あと……まだ少し恥ずかしいです」
「なら、しばらく小声ね」
アメリアが言った。
「小声ならいいんですか?」
ガルドが笑う。
「本人が慣れるまでよ。からかいすぎない」
「へいへい」
「返事」
「はい」
ガルドがわざとらしく背筋を伸ばした。
シャーロットは星衣リゲルの袖をそっと握る。
「本当に、私でいいんでしょうか」
アメリアは少しだけ笑った。
「嫌なら止める。嫌じゃないなら、少しずつ慣れなさい」
「慣れるんですか」
「知らないわ。あなた次第ね」
「……難しいです」
「でしょうね」
アメリアはそれ以上、きれいにまとめなかった。
シャーロットは視線を落とした。
星衣リゲルの袖。
腰のヴェガ。
頭のポラリス。
部屋に戻れば、登録されたシリウスもある。
全部、自分の装備だ。
まだ慣れない。
けれど、嫌ではない。
「……クランの中だけなら」
シャーロットは小さく言った。
「それで、あまり大きな声じゃなければ」
ガルドが吹き出した。
「許可制の二つ名かよ」
「だって、恥ずかしいです」
「慣れる慣れる」
「慣れますか?」
「たぶんな」
「たぶんなんですか?」
「毎日呼ばれたら嫌でも慣れるだろ」
「毎日は呼ばないでくださいね?」
「さあな」
「ガルドさん」
アメリアが低い声で呼ぶと、ガルドは視線を逸らした。
シャーロットは空いている席に座り、スープを一口飲んだ。
温かい。
少し落ち着く。
向かいの新人が、遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、シャーロットさん」
「はい」
「今日の結界、ありがとうございました。星……じゃなくて、シャーロットさんの説明、すごく分かりやすかったです」
途中で言い直したのが分かって、シャーロットは少しだけ笑った。
「ありがとうございます。次は撤退の合図も一緒に練習しましょう」
「はい!」
新人は嬉しそうに頷いた。
ガルドが横から小さく言う。
「ほら、似合ってる」
「からかっています?」
「半分な」
「半分……」
「もう半分は本気だ」
シャーロットは返す言葉に困り、スープの器へ視線を落とした。
耳が少し熱い。
彼女は帽子のつばを指先で下げた。
「……やっぱり、少し恥ずかしいです」
「小声ならいいんだろ?」
「今は、です」
ガルドが笑う。
シャーロットは両手で器を持ち直し、湯気の向こうで小さく息を吐いた。




