第4節 星杖シリウス
「で、だ」
ガルドが工房の壁にもたれたまま、シャーロットを見た。
「そろそろシリウスを見せろ」
「今ですか?」
シャーロットは少しだけ困った顔をした。星帽ポラリス、星衣リゲル、星脈晶のヴェガ。新しく整えられた装備を見てもらうだけでも十分大ごとだったのに、さらに私物のスタッフまで見せるとなると、さすがに少し落ち着かない。
「今だろ。星装備一式って話になったんだ。お前の大出力用のスタッフだけ、ちゃんと確認してない」
「でも、シリウスは普段使いではありませんし……」
「だからこそだ」
ガルドの声が、少しだけ真面目になる。
「普段使わない道具ほど、使う時に壊れたら洒落にならない。大切なものなら、なおさら点検してもらえ」
その言い方に、シャーロットは反論できなかった。銀翼では、大切な私物だからこそ自分だけで守っていた。誰かに見せて、雑に扱われるのが怖かった。けれど獅子の咆哮では違う。少なくとも、この工房の職人達は、道具を粗末に扱わない。
「……分かりました。取ってきます」
「俺も行く」
「大丈夫ですよ?」
「いいから行く」
ガルドは当然のようについてきた。
候補生用の部屋に戻り、シャーロットは壁際に立てかけていた布包みを手に取った。深い紺色の装備に身を包んだ今、その古い布包みだけが少し浮いて見える。けれど、中身は彼女にとって何より大切なものだった。
ガルドは部屋の入口で待っていた。
「懐かしいな」
「はい」
シャーロットは布の上からそっと撫でる。
「まさか、またガルドさんに見てもらうことになるとは思いませんでした」
「俺とお前で素材を集めたやつだからな」
その言葉に、シャーロットは少しだけ笑った。
冒険者学校時代。魔法科の卒業制作として、シャーロットはスタッフを作る予定だった。普通なら教師が用意した素材を使い、規定範囲内の性能にまとめる。だが、シャーロットはその時点で、普通の素材では自分の魔力に耐えられないことを薄々感じていた。
だから、素材から探すことにした。
そして、その採取に付き合ったのがガルドだった。
「先生には、危険区域に入りすぎるなって怒られましたね」
「あれはお前が平然と奥に進もうとするからだ」
「でも、目的の素材は奥にありましたし」
「そういうところだぞ」
ガルドは呆れたように言ったが、その声は懐かしそうだった。
二人で工房へ戻ると、すでにバルド達が待っていた。星帽ポラリスと星衣リゲルの件で興奮していた帽子職人とローブ職人も、興味を隠せずに作業台の近くへ集まっている。レオンは記録用の紙を新しく用意し、アメリアは腕を組んでいた。
「それが、例のスタッフ?」
「はい」
シャーロットは作業台の前に立ち、丁寧に布を解いた。
星杖シリウスが姿を現す。
工房の空気が、また止まった。
それは、星脈晶のヴェガとはまったく違う道具だった。ヴェガが魔力を受け、整え、逃がすための精密な制御具なら、シリウスは大量の魔力を受け止め、大型術式へ流し込むための杖だった。深い黒銀の軸。握りに刻まれた古い制御紋。先端近くに据えられた、夜空を閉じ込めたような宝石。光の角度によって、石の奥に白い星の粒が浮かんでは沈む。
派手ではない。
だが、存在感が違った。
バルドが無言で近づく。手袋を替え、杖に触れる直前でシャーロットを見る。
「触っていいか」
「はい。お願いします」
バルドは慎重に星杖シリウスを持ち上げた。
持った瞬間、彼の眉が動く。
「……重いな。物理的な重さじゃねえ。魔力の受けが深い」
魔導具職人も覗き込む。
「制御紋が古い形式ですね。でも雑ではありません。むしろ……よくこれを学生が刻みましたね」
シャーロットは少し恥ずかしそうに笑った。
「当時、使える本をたくさん読んで、組み合わせました」
「組み合わせた、で済む構造ではありませんよ」
レオンが静かに言う。
「記録していいですか?」
「えっと、恥ずかしいので少しだけなら……」
「全部記録します」
「レオンさん?」
レオンは聞こえなかったふりをした。
バルドは星杖シリウスの先端の宝石を見つめる。
「核が普通じゃねえな。これは何だ?」
「空から落ちた石です」
工房中が止まった。
「空から?」
アメリアが聞き返す。
「はい。学校時代、素材採取に行った時に見つけました。夜に、流れ星みたいに落ちてきて……拾ったら、夜空みたいな石で」
ガルドが横から補足する。
「拾ったって簡単に言ってるが、落下地点まで行くのが大変だった。周囲の魔物が石の魔力に引き寄せられていてな。俺が前を切り開いて、こいつが後ろから魔法で支援して、ようやく回収した」
「学生がやることじゃないわね」
アメリアが額を押さえる。
「先生にも言われました」
「でしょうね」
バルドは宝石の奥をじっと見た。
「夜空を閉じ込めた石、か。星脈晶とは違う。こっちは魔力を整えるより、膨大な魔力を受けて一点に束ねる性質がある。ワンド向きじゃねえ。完全にスタッフ向きだ」
「はい。大型術式用に作りました」
「大型術式、ね」
ガルドが苦笑する。
「お前の“大型”は信用できない」
シャーロットは困ったように笑った。
「でも、これも普段は使っていません」
「使っていたら銀翼の評価表がもっと早く壊れていただろうな」
「評価表が壊れるんですか?」
「そういう意味じゃねえよ」
バルドは星杖シリウスを作業台に置き、軸の制御紋を指でなぞった。
「これは、ヴェガとは逆だ。ヴェガは日常用。細かい魔法、結界、探知、支援、精密制御を安全に行うための道具。だがシリウスは違う。こいつは大出力を受けて、大型術式として撃つための杖だ」
魔導具職人が頷く。
「ただし、単なる大砲でもありません。制御紋がかなり細かい。普通の大出力スタッフなら、威力を優先して制御が粗くなりがちですが、これは違います。大きな魔力を受けた上で、かなり狭い範囲へ絞る構造になっています」
「シャーロットさんらしいですね」
ローブ職人が呟いた。
帽子職人も頷く。
「大きいのに細かい。高出力なのに精密。だから普通の道具では耐えられないんですね」
アメリアは星杖シリウスを見つめた。
「これを、卒業制作に出す予定だったの?」
「最初はそうでした」
「出さなかった理由は?」
シャーロットは少しだけ視線を逸らした。
「先生に見せる前に、試し撃ちをしたんです」
ガルドが笑いをこらえる顔をした。
「したな」
「どんな試し撃ち?」
アメリアの声が低くなる。
「山の、誰もいない岩場で……かなり抑えて、細く撃ちました」
ガルドが補足する。
「岩壁に穴が空いた」
工房が静まり返る。
「穴?」
アメリアが聞く。
「はい」
シャーロットは小さく頷いた。
「貫通しました」
「岩壁を?」
「はい」
「卒業制作で提出する予定のスタッフの試し撃ちで?」
「はい。なので、これは提出しない方がいいかなと……」
アメリアは深く息を吐いた。
「判断は正しいわ」
レオンは記録しながら呟く。
「提出されていたら、冒険者学校の卒業制作記録に残るどころか、王立研究院案件になっていた可能性がありますね」
「そんな大げさな」
「大げさではありません」
その場の全員が頷いた。
シャーロットは少し肩を落とした。
「なので、提出用には別の普通のスタッフを作りました」
ガルドが鼻で笑う。
「普通って言いながら、それでも教師が驚いてたけどな」
「普通寄りでしたよ?」
「お前基準ではな」
バルドは星杖シリウスを慎重に点検していた。軸、核、制御紋、握り、石の固定部。すべてを確認し、やがて深く頷く。
「保管状態はいい。多少の経年劣化はあるが、致命的な問題はねえ。むしろ、よくこの状態で保っていたな」
「使った後は必ず拭いて、布に包んでいました」
「大事にされてきた道具の状態だ」
その言葉に、シャーロットの表情が少し明るくなる。
「よかったです」
「ただし、今後は定期点検に出せ」
「はい」
「大型術式用なら、使用後の負荷確認は必須だ。これだけの核を持つスタッフが戦場で不具合を起こしたら洒落にならん」
「分かりました」
ガルドが横から言う。
「お前、ようやく自分の装備を見てもらう気になったな」
「皆さんがちゃんと見てくださるので」
「銀翼とは違うからな」
その言葉に、シャーロットは少しだけ黙った。
銀翼では、星杖シリウスをほとんど見せなかった。支給品ではないから。自分の大切なものだから。そして、もしこれを使えば、周囲の目が変わる気がしたから。
役立たずと呼ばれていた自分が、こんな杖を持っているのは不釣り合いだと思っていたのかもしれない。
アメリアはその表情に気付き、静かに言った。
「シャーロット」
「はい」
「大切なものを見せてくれてありがとう」
シャーロットは目を瞬かせた。
怒られなかった。
隠していたのかと責められなかった。
なぜ今まで使わなかったのかと詰められなかった。
ただ、大切なものを見せてくれてありがとう、と言われた。
「……はい」
小さく返事をする。
ガルドが少し照れくさそうに目を逸らした。
「まあ、俺にとっても思い出の品だしな」
「そうですね。ガルドさんがいなかったら、素材を持ち帰れませんでした」
「逆だ。お前がいなかったら、俺はあの魔物の群れに飲まれてた」
「そんなことありません」
「あるんだよ」
二人のやり取りに、アメリアは少しだけ笑った。
相棒。
その言葉が似合う距離感だった。恋愛と呼ぶにはまだ淡く、けれどただの友人よりも深い。互いの強さを知っていて、過去を共有していて、言葉の奥に信頼がある。
レオンは淡々と記録に書き加える。
「星杖シリウス。シャーロット所有の私物。大型術式用スタッフ。冒険者学校時代に本人とガルドが素材採取。卒業制作予定だったが、性能過多により提出せず。定期点検対象に追加」
「性能過多って書かれるんですか?」
シャーロットが少し困った顔をする。
「事実です」
「でも、少し恥ずかしいです」
「記録は正確であるべきです」
ガルドが笑う。
「諦めろ」
バルドは星杖シリウスを布に戻しながら、しみじみと言った。
「これで揃ったな」
「揃った?」
シャーロットが首を傾げる。
「星杖シリウス。制御用ワンド、星脈晶のヴェガ。ウィッチハット、星帽ポラリス。ローブ兼マント、星衣リゲル」
バルドは一つずつ指折り数えた。
「全部、星の名を持つ装備だ」
帽子職人が嬉しそうに言う。
「星装備一式ですね」
ローブ職人も頷く。
「見た目の統一感もあります。深い紺色に星脈晶の光、シリウスの核。とても綺麗です」
シャーロットは少し照れた。
「そんな、名前負けしていませんか?」
ガルドが即座に言う。
「してない」
アメリアも微笑む。
「むしろ、ようやく装備があなたに追いつき始めたところよ」
その言葉に、シャーロットは何も言えなくなった。
ようやく装備が追いつく。
ガルドも、バルドも、アメリアも、同じようなことを言う。
自分はそんな大げさな存在ではないと思う。けれど、星脈晶のヴェガは壊れなかった。星帽ポラリスは自分の探知を整えてくれた。星衣リゲルは魔力循環を楽にしてくれた。星杖シリウスは、昔から自分の大きな魔法を受け止めてくれる唯一の杖だった。
もしかしたら。
本当に、自分には自分に合う道具が必要だったのかもしれない。
シャーロットは星杖シリウスにそっと触れた。
「これからも、よろしくお願いします」
その声は小さかったが、工房の中で静かに響いた。
ガルドは笑いながら言う。
「シリウスにヴェガにポラリスにリゲル。やっぱり呪いの星装備だな」
「呪いじゃありません」
シャーロットはすぐに返した。
「全部、大切な装備です」
「分かってる」
ガルドは、今度は素直に頷いた。
その日の夕方。
工房の外で星装備一式を身に着けたシャーロットを見た団員達が、足を止めた。
深い紺色のローブと帽子。腰に差された星脈晶のヴェガ。背に負う星杖シリウス。どれも派手ではないのに、どこか夜空の光を纏っているように見える。
誰かがまた、小さく言った。
「星纏いの魔女……」
今度は、昨日よりも少しはっきりと。
シャーロットは聞こえていなかった。
だがガルドは聞こえていた。
そして、面白そうに笑った。




