第2節 星衣リゲル
星帽ポラリスの試着事故から数日後。
獅子の咆哮の工房には、新しい札が掛けられていた。
『星帽ポラリス、無断試着禁止』
その札を見るたび、前回座り込んだ若い魔法使いは、少しだけ目を逸らす。
シャーロットも、通りかかるたびに帽子のつばへそっと触れていた。
自分には軽くて、見やすくて、頼もしい帽子。
けれど、他の人にはそうではない。
そのことを、まだ少し怖いと思っている。
そんな工房に、ローブ職人が現れた。
腕には、大きな布包みを抱えている。
「完成しました」
晴れやかな顔だった。
普段の彼女は落ち着いていて、実用性を重んじる職人として知られている。帽子職人のように目を輝かせて機能を詰め込むタイプではない。
そのはずだった。
アメリアは、布包みとローブ職人の顔を交互に見た。
「……完成したのね」
「はい。シャーロットさん専用ローブ兼マントです」
「一応聞くけど、仕様は増えていないわよね?」
ローブ職人は一瞬だけ黙った。
ガルドが吹き出す。
「今、黙ったな」
「必要な範囲で調整しました」
「増えたのね」
アメリアの声が低くなる。
ローブ職人は答えず、作業台の上に布を広げた。
深い紺色のローブだった。
星帽ポラリスと同じ、夜空を思わせる色。けれど帽子よりも少し重みがある。光の角度によって、青にも黒にも見えた。
肩から背中にかけて薄いマント状の布が重なり、裾は動きを邪魔しないよう斜めに切られている。
袖口には細い銀糸。
内側には、淡い魔導回路が編み込まれていた。
派手ではない。
けれど、冒険者の装備として見ても、魔法使いの正装として見ても、きちんとしている。
シャーロットは息をのんだ。
「……綺麗です」
「ありがとうございます。名前は、星衣リゲルです」
「リゲル……」
シャーロットはそっと名前を繰り返した。
星杖シリウス。
星脈晶のヴェガ。
星帽ポラリス。
そして、星衣リゲル。
自分の装備に名前が増えていくことが、まだ少し不思議だった。
「触ってもいいですか?」
「もちろんです」
シャーロットは指先で星衣リゲルに触れた。
布は柔らかい。
でも、頼りない柔らかさではなかった。
指先を受け止めるような弾力がある。内側には、細い魔力の流れが静かに巡っていた。
「軽いですね」
「軽量化しています。ですが、防御機能は厚めにしました」
「防御機能、ですか?」
「はい。衝撃分散、温度調整、魔力循環補助、結界連動補助、裾さばき補助、防水、防塵、自己修復、それから――」
「待って」
アメリアが片手を上げた。
「聞いていたより増えているわね」
「採寸後に必要だと判断しました」
「必要?」
「はい。シャーロットさんは前に出て結界を張ることもありますし、後方で指揮もします。探知、補助、攻撃、長時間任務、広域魔法。どれを考えても、防御と循環補助は外せません」
ガルドが肩を震わせる。
「聞いてたローブと違うぞ」
「基本設計は変えていません」
「盛っただけか」
「必要な範囲で」
アメリアの目が細くなる。
「その“必要な範囲”を、普通は最低限とは言わないわ」
「シャーロットさん基準では最低限です」
「また出たな」
ガルドが笑う。
「シャーロット基準」
シャーロットは星衣リゲルから手を離し、少しだけ困った顔をした。
「私、そんなに変ですか?」
「お前が変というより、職人の目が慣れた」
ガルドが笑う。
アメリアは額を押さえた。
「悪い意味でね」
ローブ職人はまったく動じない。
「常時防御補助も入れています」
「入れたのね」
「はい。飛び石、魔力の余波、急な熱や冷気、軽い衝撃を緩和します。完全防御ではありません。あくまで薄い膜です」
「普通の魔法使いが着たら?」
「長時間は疲れます」
「でしょうね」
「ですが、シャーロットさんなら、むしろ魔力の流れが安定するはずです」
ガルドが横から言った。
「ほら来た。シャーロットなら大丈夫理論」
「理論ではありません。採寸と魔力測定に基づいた設計です」
「言い方を変えても怖いわ」
アメリアが低く呟いた。
シャーロットは星衣リゲルを見つめる。
綺麗だと思った。
触れた時の魔力の流れも、嫌ではなかった。
でも、ポラリスの時の若い魔法使いの顔が頭をよぎる。
「あの」
シャーロットは小さく手を上げた。
「先に、私が試します。合わなかったら、誰にも触らせません」
アメリアが少しだけ表情を緩める。
「それでいいわ」
ローブ職人も頷いた。
「お願いします」
シャーロットはアメリアに手伝われながら、星衣リゲルを羽織った。
肩に乗った瞬間、布がふわりと馴染む。
重くない。
けれど、軽すぎて頼りないわけでもない。
背中から腰にかけて、魔力の流れがすっと整った。袖に腕を通すと、指先の冷えが消える。裾は足の動きに合わせて自然に開き、引っかからない。
シャーロットは一歩動いた。
布が遅れない。
肩が詰まらない。
袖が邪魔にならない。
ワンドを構える姿勢を取ると、袖口が魔法陣の邪魔をしない位置で止まった。
膝を曲げても、裾は絡まない。
「……動きやすいです」
シャーロットはもう一歩、ゆっくり踏み出した。
「すごく、楽です」
ローブ職人の顔が明るくなる。
「よかったです!」
シャーロットは目を閉じ、軽く魔力を流した。
星衣リゲルの内側の魔導回路が、淡く光る。
魔力を吸われる感じはない。余分な揺れだけを、布が横から受けてくれる。
肩と背中が軽い。
いつも自分で押さえていた魔力の端が、少しだけ休める。
「これ、好きです」
ぽつりと出た言葉に、ローブ職人が一瞬固まった。
それから、両手で口元を押さえる。
「作ってよかったです……」
帽子職人が、いつの間にか工房の入口に立っていた。
「分かります」
「あなたはいつからいたの」
アメリアが振り返る。
帽子職人は胸を張った。
「星衣リゲルの完成披露と聞いたので」
「呼んでいないわ」
「でも来ました」
ガルドが笑う。
「職人同士、通じるもんがあるんだろ」
「あります」
帽子職人とローブ職人の声が重なった。
シャーロットも、少し遅れて言う。
「えっと……どちらも、とても助かっています」
アメリアは三人を見て、深く息を吐いた。
「増えたわね」
「何がだ?」
ガルドが聞く。
「止める相手が」
その時、工房の隅にいた斥候職の青年が、星衣リゲルをじっと見ていた。
魔法職ではないが、装備点検の補助でよく工房に来る団員だ。
「魔法職じゃなければ、逆に大丈夫だったりしませんか? 少し羽織るだけなら」
前回座り込んだ若い魔法使いが、即座に首を振った。
「やめた方がいいです」
「でも、帽子とは違うだろ?」
「違っても、やめた方がいいです」
経験者の声は重かった。
シャーロットは星衣リゲルの前を押さえた。
「だめです」
短い声だった。
青年が目を丸くする。
シャーロット自身も、少し驚いた顔をした。
けれど、手はローブから離さなかった。
「まだ、私以外が着て大丈夫か分かりません。試すなら、ちゃんと確認してからにしてください」
アメリアが頷く。
「その通りよ」
ガルドも青年の肩をつかんだ。
「今回は座る前に止められてよかったな」
「いや、まだ座ってないです」
「座る流れだったろ」
青年は渋々下がった。
ローブ職人は少しだけ考え込む。
「魔法職以外の負荷確認も必要ですね。試験用の端布を作ります」
「端布?」
アメリアが聞き返す。
「本体ではなく、常時機能を弱めた試験布です。触れて負荷を見るだけのものを」
「最初からそれを用意しなさい」
「はい……」
帽子職人が隣で小さく頷いた。
「私も次から試験用の内布を作ります」
「あなたもよ」
アメリアの声が低くなる。
二人の職人は同時に背筋を伸ばした。
「はい」
ガルドは星帽ポラリスと星衣リゲルを見比べ、にやりと笑った。
「星帽ポラリスに、星衣リゲル。どっちも気軽に触ったら面倒なことになる。いいじゃねえか」
「よくないわ」
アメリアが即座に言う。
ガルドは笑ったまま続けた。
「まあ、本人が使えるなら成功だろ」
「成功なのは認めるわ。でも管理は必要よ」
シャーロットは星衣リゲルの裾をそっと撫でた。
深い紺色の布が、ほんの少しだけ光る。
「……私が、ちゃんと使います」
ローブ職人が静かに頭を下げた。
「お願いします」
アメリアは工房を見回した。
「星衣リゲルも、シャーロット以外の無断着用禁止。星帽ポラリスと同じ扱いにします」
工房中から返事が上がった。
「はい!」
前回の若い魔法使いも、強く頷く。
「賛成です」
斥候職の青年は少し悔しそうだったが、ガルドに肩を押さえられたまま頷いた。
「……はい」
アメリアは帽子職人とローブ職人を順に見た。
「次からシャーロット専用装備を作る時は、完成披露の前に試着禁止札と試験用の安全布を用意すること」
「はい……」
「それから、勝手に機能を増やしたら事前報告」
「必要機能の場合は?」
「報告」
「シャーロットさん基準で必要な場合は?」
「報告」
二人の職人は顔を見合わせた。
少しだけ残念そうだった。
アメリアは作業台の端に置かれていた新しい札を手に取る。
『星衣リゲル、無断着用禁止』
その札を、星帽ポラリスの札の隣に掛けた。
ガルドだけが、肩を震わせて笑っていた。




