第1節 星帽ポラリス
星脈晶のヴェガが完成してから数日後、シャーロットは再び獅子の咆哮の工房へ呼ばれた。
呼びに来たアメリアは、少しだけ難しい顔をしていた。
怒っているわけではない。
困っている。
それから、半分ほど諦めている。
「シャーロット、帽子が完成したわ」
「帽子、ですか?」
「ええ。あなた用のウィッチハット」
シャーロットの顔がぱっと明るくなった。
銀翼を出る時に渡された歪んだ帽子は、まだ手元にある。けれど、獅子の咆哮の職人達からは「使わせちゃいけない状態」と言われていた。
今は仮の帽子を借りている。
自分用の帽子。
その言葉だけで、胸の奥が跳ねた。
「本当に、私用ですか?」
「あなた用よ」
「……見てもいいですか」
「そのために呼んだのよ。ただし、先に言っておくわ」
アメリアは一拍置いた。
「聞いていた仕様より、たぶん盛られているわ」
「盛られている?」
妙な言い方に首を傾げながら、シャーロットは工房へ向かった。
工房では、帽子職人の女性が胸を張って待っていた。指には、魔導糸を扱うための細い指輪型工具がいくつも嵌められている。
その後ろの作業台に、深い紺色のウィッチハットが置かれていた。
つばは広すぎず、動きを邪魔しない。先端は少しだけ柔らかく曲がり、魔法使いらしい形をしている。
布地は夜空のような紺色。
角度を変えると、星屑のような光が細く走った。
「……綺麗です」
シャーロットは、思わずそう言った。
帽子職人が満面の笑みを浮かべる。
「シャーロットさん専用ウィッチハットです。名前は、星帽ポラリス」
「ポラリス……」
シャーロットはそっと繰り返した。
道を示す星。
その響きが、少しくすぐったい。
「これ、好きです」
「でしょう?」
帽子職人は嬉しそうに身を乗り出した。
「探知補助、視界補正、魔力循環補助、方向感覚補正、温度調整、集中補助を入れています」
「……たくさん入っているんですね」
「はい!」
ガルドの眉間に皺が寄った。
「おい」
「はい?」
「最初に聞いた時より、増えてないか?」
帽子職人は、当然の顔で頷いた。
「増えました」
「増えました、じゃねえよ」
アメリアも目を細める。
「最初に聞いていたのは、探知補助と視界補正が中心だったはずよ」
「はい。そこに、循環補助と方向感覚補正と温度調整と集中補助を足しました」
「足しました、じゃないわ」
「測定値を見たら、まだ余裕がありましたので」
ガルドが肩を震わせた。
「出たな。シャーロット基準」
工房の職人達が、なぜか納得した顔をした。
シャーロットだけが不思議そうに首を傾げる。
「あの、余裕があると、入れても大丈夫なんですか?」
「普通は慎重にやるわ」
アメリアが答えた。
「でも、あなたの場合は普通の数値じゃないから、職人が張り切ったのよ」
「張り切りました」
帽子職人は胸を張った。
「そこで胸を張るな」
ガルドが呆れたように言う。
シャーロットは作業台の上の帽子を見つめた。
嬉しい。
けれど、アメリアの顔を見ると、少しだけ不安にもなる。
「……被ってもいいですか?」
「もちろんです。ぜひ」
帽子職人が両手で星帽ポラリスを持ち上げ、シャーロットへ差し出した。
シャーロットはそっと受け取る。
見た目より軽い。
布地は柔らかいのに、芯はしっかりしている。
指先からほんの少し魔力が触れた瞬間、内側の術式が淡く光った。
吸われる感じはない。
むしろ、流れが整う。
シャーロットは静かに帽子を被った。
視界が澄んだ。
工房の奥に置かれた工具の輪郭が、少しだけ見やすくなる。炉の熱で揺れる空気も、視界の邪魔にならない。
人の魔力反応も強すぎず、弱すぎない。
頭の後ろ側に散っていた探知の情報が、方角ごとにすっと並ぶ。
普段は無意識に自分で整えている部分を、帽子が横から支えてくれている。
そんな感覚だった。
「……すごいです」
シャーロットは小さく呟いた。
「頭が軽いです。視界も、魔力の流れも見やすいです」
帽子職人の顔が輝く。
「よかった! 内側の魔導糸を三層に分けたんです。方角、魔力濃度、危険度を別々に拾って、混ざらないようにしています」
「とても使いやすいです」
「やった!」
帽子職人が小さく拳を握った。
アメリアはまだ安心しきれない顔で、シャーロットを覗き込む。
「魔力を吸われる感じは?」
「ありません。余計な流れを整えてくれる感じです」
「気分は?」
「悪くないです」
「頭痛は?」
「ないです」
「めまいは?」
「ありません」
アメリアは、ようやく少し息を吐いた。
「本人は問題なしね」
「本人は、ですか?」
「ええ。本人は」
シャーロットがまた首を傾げた時、工房にいた若い魔法使いの団員が近づいてきた。
装備点検の手伝いに来ていた魔法部隊の一人だ。
「あの、少しだけ被ってみてもいいですか? どんな感じなのか気になって」
帽子職人がぱっと顔を上げた。
「あ、でも――」
アメリアが止めるより早く、シャーロットは帽子に手を添えた。
「少しだけなら……」
自分には、とても見やすい。
だから危ないものだとは思えなかった。
シャーロットは星帽ポラリスを脱いで、若い魔法使いへ差し出す。
「無理そうなら、すぐ外してくださいね」
「ありがとうございます」
若い魔法使いは笑顔で受け取り、軽い気持ちで被った。
次の瞬間。
「……っ」
顔から、すっと血の気が引いた。
「え?」
一歩、足がふらつく。
「待っ、情報が……多……っ」
ガルドがすぐに肩を支えた。
「おい!」
帽子職人が慌てて星帽ポラリスを外す。アメリアが椅子を引き寄せ、若い魔法使いを座らせた。
彼は額に汗を浮かべ、息を整えている。
「す、すごいです……視界が、全部、一気に……魔力も、持っていかれる感じが……」
工房が静まり返った。
シャーロットは帽子を胸元で抱え、青ざめる。
「ごめんなさい。私、普通に見えていたので……」
「いえ、僕が試したいと言ったので……少し座れば大丈夫です」
それでも、シャーロットの指は帽子のつばをぎゅっと握っていた。
怖い。
自分には快適だったものが、他の人には負担になる。
それを、今まで考えていなかった。
アメリアがゆっくり帽子職人を見た。
帽子職人は目を逸らす。
「……普通の魔法使いには、負荷が高いかもしれません」
「でしょうね」
「でもシャーロットさんにはぴったりです!」
「そこで胸を張らない」
アメリアの声が工房に響いた。
ガルドはこらえきれずに笑った。
「ははっ、やっぱりな。これ、もう帽子の顔をした魔導具だろ」
「帽子です! 高機能ウィッチハットです!」
帽子職人が抗議する。
シャーロットは星帽ポラリスを両手で持ったまま、困った顔で言った。
「でも、私は使いやすいです」
ガルドがさらに笑う。
「その台詞が一番おかしいんだよ」
アメリアはこめかみを押さえた。
「シャーロットが使いやすいなら、装備としては成功よ。でも、他の団員が気軽に試着して座り込む帽子は問題」
「シャーロットさん専用なので……」
「専用にも限度があるわ」
シャーロットはもう一度、星帽ポラリスを見た。
怖さはまだ残っている。
けれど、被った時の感覚は忘れられない。
視界が澄んで、探知が整って、頭の奥が軽くなる。
今までの帽子にはなかった感覚だった。
「……私が使います」
小さな声だったが、工房の空気が少し止まった。
シャーロットは顔を上げる。
「でも、次からは誰にも貸しません。私が止めます」
アメリアの表情が少しだけ緩んだ。
「そうして」
帽子職人も、今度は真面目に頷いた。
シャーロットは星帽ポラリスを被り直した。
視界が穏やかに整う。
頭は軽い。
魔力も乱れない。
「……やっぱり、私にはちょうどいいです」
椅子に座っていた若い魔法使いが、遠い目をした。
「僕、今ので分かりました。シャーロットさん、基準が違います……」
ガルドがにやりと笑う。
「理解者が増えたな」
アメリアは深くため息をついた。
「理解者というより、被害者ね」
帽子職人は、星帽ポラリスを見上げた。
「名前は星帽ポラリス。迷わず進むための星です。シャーロットさんの探知と指揮を支える帽子として、必ず役に立ちます」
シャーロットは帽子のつばにそっと触れた。
「ありがとうございます。大切に使います」
今度は誰も笑わなかった。
帽子職人は少しだけ目元を緩める。
「はい。たくさん使ってください」
アメリアはすぐに工房を見回した。
「今後、星帽ポラリスはシャーロット以外、許可なく試着禁止。いいわね?」
工房中から返事が上がる。
「はい!」
若い魔法使いも、椅子に座ったまま力なく手を上げた。
「賛成です……」
ガルドは星帽ポラリスを眺め、面白そうに呟く。
「一つ目からこれか」
「これ、とは?」
シャーロットが首を傾げる。
ガルドは笑って答えなかった。
アメリアは何か言いかけて、やめた。
工房の奥では、ローブ職人が布束を抱えたまま、妙に目を輝かせている。
アメリアはローブ職人を見て、ゆっくり目を細めた。




