第7節 星脈晶のヴェガ
工房に響いていたのは、剣を鍛えるような激しい音ではなかった。
炉の低い唸り。細い金属を伸ばす音。魔導銀糸を馴染ませる時の、かすかな熱の匂い。作業台の上では、星霜樹の芯材が少しずつワンドの形に削られていた。
ただ真っ直ぐに削るだけではない。
魔力が通る中心線を残しながら、余った力を逃がすための細い溝を斜めに刻む。そこへ銀星鋼の線を沿わせ、三つの星脈晶を魔導銀糸で繋いでいく。
シャーロットは、作業台から少し離れた椅子に座って見守っていた。
邪魔をしてはいけないと思い、背筋を伸ばして黙っている。アメリアはその隣に立ち、ガルドは壁にもたれて腕を組んでいた。
レオンは記録を取っていたが、途中で何度かペンを止めた。
「……これは、通常の装備作成記録に入れていいのでしょうか」
「知らん。お前の仕事だろ」
ガルドが雑に返す。
レオンは眼鏡を押し上げ、しばらく考えてから、記録用紙の欄外に小さく文字を書き足した。
「特例、としておきます」
「便利な言葉ね」
アメリアが静かに言った。
「第一核、仮固定」
魔導具職人の声がした。
深い青白い光を宿した星脈晶が、握り近くの受け口へ収まる。シャーロットがほんの少し魔力を近づけると、その石は大きく吸い込むのではなく、静かに受け止めるように光った。
「吸い込みすぎない。良い反応です」
「第二核」
中央部に、銀の筋を宿した欠片が嵌め込まれる。こちらは光が細かく揺れた。流れ込んだ魔力を真っ直ぐ通すのではなく、糸を梳くように整えていく。
「整流反応あり。ぶれは少ないです」
「第三核」
最後に、淡い金を帯びた欠片が外側へずらした位置に入る。星霜樹の芯材に刻まれた溝と、銀星鋼の逃がし路がそこへ繋がった。
シャーロットの魔力が触れた瞬間、その光は外へ逃げるように柔らかく広がる。
バルドが低く笑った。
「いい。石が喧嘩してねえ」
「喧嘩することがあるんですか?」
シャーロットが思わず聞くと、バルドは顔を上げずに答えた。
「ある。強い素材同士を無理に組むと、魔力の流れを取り合う。今回は根が同じだからな。役目は違っても、ちゃんと繋がる」
「根が同じ……」
シャーロットは作業台の上のワンドを見つめた。
三つに分かれた石。
でも、壊れたわけではない。違う場所に収まっていても、一本のワンドの中で繋がっている。
「……綺麗ですね」
「まだ完成してねえぞ」
バルドが言う。
「でも、綺麗です」
シャーロットがそう言うと、職人達の手が一瞬だけ止まった。次に、ローブ職人と帽子職人がなぜか少し嬉しそうに笑った。
そこからの作業は、さらに慎重だった。
魔導銀糸を通すたび、シャーロットがごく微量の魔力を流す。三つの核が順に反応し、そのたびに職人達が角度を直し、溝を削り、銀星鋼の逃がし路を調整した。
一度、第二核の光が強く揺れた。
「止めろ」
バルドの声が飛ぶ。
シャーロットはすぐに魔力を止めた。
「す、すみません」
「謝るな。今のはこっちの調整不足だ」
魔導具職人が顔を青くしながら制御線を見直す。
「中央が詰まっています。シャーロットさんの制御が細すぎて、整流線が追いついていません」
「広げるな。広げすぎると今度は制御が甘くなる」
バルドが言う。
「細さは残せ。ただし逃げ道を一本足す」
「銀星鋼を中央から第三核へ?」
「そうだ。先端に持っていく前に、一度横へ流す」
「分かりました」
職人達がすぐに動いた。
シャーロットは、膝の上で指を握った。
自分の魔力に合わせて、目の前で線が一本増える。溝が削り直される。職人達は誰も責めない。ただ、どうすれば壊れないかだけを見ている。
「……本当に、いいんでしょうか」
小さく呟いた声に、アメリアが反応した。
「いいの」
「でも、私に合わせて何度も直してもらって」
「そのための専用装備よ」
「専用……」
「あなたが道具に無理をさせないために作っているの。道具も、あなたも、周りの人も壊さないためよ」
その言い方なら、シャーロットにも受け取れた。
「……はい」
バルド達の調整は、日が傾くまで続いた。
炉の火が赤くなり、工房の窓から差し込む光が橙色に変わる頃、ようやくバルドが大きく息を吐いた。
「仮組み完了」
作業台の上に、一本のワンドが置かれていた。
長さは、シャーロットの手にちょうど合う。星霜樹の芯材は銀灰色の光沢を持ち、黒に近い深い外装で包まれている。握り部分には魔獣革が巻かれ、指が自然に収まるよう微かな凹凸があった。
派手な装飾はない。
けれど三つの星脈晶がそれぞれ淡く輝き、内側で細い星の線が繋がっているように見えた。
ワンドというより、小さな星図を手の中に収めたようだった。
「持ってみろ」
バルドが言った。
シャーロットはそっと立ち上がった。両手で受け取ろうとして、バルドに止められる。
「片手でいい。道具は飾りじゃねえ。使う時の持ち方で持て」
「はい」
シャーロットは右手でワンドを握った。
その瞬間、息を呑む。
軽い。
重さがないわけではない。芯はしっかりしている。けれど、手の中で邪魔にならない。魔力を流す前から、流れ道があるのが分かった。
今までのワンドは、握った瞬間に「ここで詰まりそう」「ここは抑えなければ」と無意識に考えていた。
このワンドは違う。
「……すごい」
「まだ魔力を流してねえだろ」
ガルドが言う。
「はい。でも、違います」
「どう違う?」
アメリアが聞いた。
シャーロットは言葉を探す。
「今までのワンドは、持つと最初に“気をつけないと”って思っていました。魔力を流しすぎないように、石に負担をかけないように、軸が軋まないように。でもこれは……」
彼女は手の中のワンドを見る。
「最初から、受ける場所がある感じがします」
工房の職人達が静かに顔を見合わせた。
バルドが頷く。
「なら、第一段階は成功だ」
「魔力を流してもいいですか?」
「待て」
バルドはすぐに制止した。
「防護結界を張る。測定具も用意する。シャーロット、流すのは本当に少しだ。貸与ワンドを割った時より少なくていい」
「はい」
「いや、お前の“少し”は信用できねえな」
ガルドが言う。
「じゃあ、もっと少しにします」
「それも信用できないわね」
アメリアまで言った。
シャーロットは困ったように笑った。
「では、どうすれば」
レオンが冷静に提案する。
「段階を決めましょう。まず、呼吸一つ分だけ魔力を触れさせる。流すのではなく、触れさせるだけです。次にバルドさんが確認。問題なければ、細い糸一本分だけ流す。術式は組まない」
「それでいこう」
バルドが頷いた。
工房の床に防護用の魔法陣が灯る。アメリアが少し距離を取り、ガルドはシャーロットの横に立った。何かあればすぐ動ける位置だ。
「大丈夫です」
シャーロットは小さく言った。
「お前の大丈夫も信用できない」
「ガルドさん……」
「だから俺がここにいる」
その言い方に、シャーロットは少しだけ目を細めた。
「はい」
そして、ワンドへ魔力を触れさせた。
ほんの少し。
呼吸一つ分。
魔力は握り近くの第一核に触れた。青白い石が静かに光る。吸い込むのではなく、受け止める。次に第二核へ細い光が流れた。銀の筋が震え、魔力の密度が整えられる。そして、余った圧だけが第三核へ流れ、淡い金の光として外側へ逃げた。
ピシ、とも鳴らない。
軋まない。
魔石に亀裂は入らない。
ワンドは、ただ静かに光っていた。
「……壊れてません」
シャーロットが小さく呟いた。
バルドが笑う。
「当たり前だ。壊れないように作った」
「でも、壊れてません」
「おう」
「本当に……」
シャーロットはワンドを見つめたまま、しばらく動かなかった。
「次、糸一本分」
バルドが言う。
シャーロットは頷き、今度はほんの少しだけ魔力を流した。
ワンドの中で光が走る。三つの星脈晶が順番に反応し、余った魔力が銀星鋼の線を通って空気へ溶ける。
工房内の測定具がわずかに震えた。
魔導具職人が目を見開く。
「流量は少ない。ですが密度は高い。……安定しています」
「制御線は?」
「乱れていません」
「第三核は?」
「逃がしています。詰まりなし」
バルドは深く息を吐いた。
「よし」
その一言で、工房の職人達も一斉に息を吐いた。
シャーロットは、まだワンドを見ている。
「もう一度だけ、試してもいいですか」
バルドが片眉を上げた。
「怖くねえのか?」
「少し怖いです。でも……確かめたいです」
「いいだろう。さっきと同じ量だ」
「はい」
シャーロットはもう一度、細い糸一本分だけ魔力を流した。
三つの光が、同じ順番で瞬く。
今度も、亀裂は入らなかった。
シャーロットの肩から、ほんの少し力が抜ける。
「……大丈夫でした」
「だから言っただろ」
ガルドが言う。
「はい」
シャーロットは小さく頷いた。
ガルドはしばらくワンドを見てから、ぽつりと言った。
「名前は、前に話していた通りでいいのか?」
シャーロットは顔を上げる。
森へ素材を取りに行く前、まだ形も見えていなかったこのワンドに、二人で名前の話をした。
星杖シリウスがあるなら、新しいワンドにも星の名が似合うのではないか。
あの時は、まだ少し遠い話のように思っていた。
けれど今、そのワンドは確かにシャーロットの手の中にある。
「はい」
シャーロットは手の中のワンドを見つめた。
三つの星脈晶が、淡く光っている。
「……ヴェガ」
彼女は小さく呟いた。
「星脈晶ヴェガ。それで、お願いします」
工房が静かになった。
ガルドが少し笑う。
「いい名前だ」
アメリアも頷いた。
「ええ。綺麗な名前ね」
バルドは満足そうに鼻を鳴らした。
「決まりだな。星脈晶ヴェガ。シャーロット専用の制御ワンドだ」
専用。
その言葉には、まだ少し戸惑う。
けれど手の中のワンドは、静かに光っていた。
「よろしくお願いします、ヴェガ」
シャーロットがそう言うと、三つの星脈晶が淡く瞬いた。
工房の職人達から、遅れて声が上がる。
「通った……!」
「第三核も動いてる!」
「割れてないぞ!」
「よかった……!」
その中で、ガルドがぽつりと言った。
「壊れないことが成功条件って、改めておかしいな」
レオンが記録を取りながら静かに頷く。
「ですが、彼女の場合は最重要条件です」
アメリアはシャーロットの横顔を見た。
シャーロットはワンドを抱きしめるようにはしなかった。ただ、両手で大切に持ち、光を何度も確かめている。
「……壊れてない」
もう一度、シャーロットが小さく言った。
今度は、さっきより少しだけ声が柔らかかった。
ヴェガの三つの光が、彼女の手の中で静かに瞬いていた。




