第6節 三つに砕かれる星
星霜樹の芯材を持ち帰ると、獅子の咆哮の工房はすでに作業の熱に包まれていた。
作業台の上には、星脈晶を収めた黒い箱。隣には銀灰色に輝く星霜樹の芯材。さらに、余剰魔力を逃がすための銀星鋼、握りに使う魔獣革、制御線に使う細い魔導銀糸が並べられている。
シャーロットはそれを見て、思わず息を呑んだ。
「本当に、私のワンドになるんですね……」
「まだ完成じゃねえ。ここからが本番だ」
バルドは腕を組み、星脈晶の箱を見下ろしていた。いつもの豪快な雰囲気はあるが、表情は真剣だった。工房長としてではなく、代々受け継いできた素材を扱う職人としての顔だった。
アメリアも来ていた。レオンも記録係として壁際に立っている。ガルドは作業台の横で腕を組み、珍しく口数が少ない。
魔導具職人が星霜樹の芯材を確認する。
「反応は良好です。シャーロットさんの魔力を軽く触れさせても、吸い込みすぎていません。むしろ余剰を横へ逃がす性質が出ています」
「星霜樹は使えるな」
「はい。軸材として最適です」
バルドは頷き、次に星脈晶の箱へ手を置いた。
「問題はこっちだ」
工房の空気が、少し重くなる。
星脈晶。
代々バルドの家に伝わってきた魔石。普通のワンドには強すぎ、普通の魔法使いには扱えない。長い間、使い道が見つからず保管されていた素材。
それを、これから砕く。
シャーロットは思わず口を開いた。
「あの……やっぱり、砕かなくてもいい方法は」
「ない」
バルドは短く言った。
「一つの石のまま使えば、魔力が一点に集中する。高級貸与ワンドが割れた理由と同じだ。ただし今度は石が強すぎる分、ワンドが壊れずにお前さんの魔力を引き込みすぎる可能性がある」
「私の方が、危ないんですか?」
「可能性はある。だから一つのまま使わねえ」
魔導具職人が構造図を広げる。
「三分割します。一つ目は握りに近い部分へ。シャーロットさんの魔力を最初に受ける核です。二つ目は中央部へ。魔力の密度と流れを整える制御核。三つ目は先端近くではなく、少し外側へずらします。これは余剰魔力を逃がす排出核です」
レオンが眼鏡の奥で目を細めた。
「つまり、通常のワンドのように魔力を一点へ集めて放つのではなく、最初から圧を分散させる構造ですね」
「そうです。シャーロットさんに必要なのは、威力の増幅ではありません。むしろ増幅機能は極力削ります」
バルドが頷く。
「強くする道具じゃねえ。壊さずに使う道具だ」
シャーロットはその言葉を聞いて、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
壊さずに使う道具。
今まで、彼女は道具を壊さないように魔力を抑えてきた。怖がらせないように、壊さないように、目立たないように。けれどこのワンドは、自分に合わせて作られようとしている。
それがまだ怖くて、けれど嬉しかった。
「……お願いします」
シャーロットは深く頭を下げた。
バルドは静かに頷き、箱の封印布を解いた。
星脈晶が姿を現す。
夜空の奥を閉じ込めたような透明な結晶。その内部には、細い光の筋が幾重にも走っている。青白く、銀に近く、見る角度によっては金にも見える。まるで小さな星の流れが、結晶の中で脈打っているようだった。
工房にいた全員が、声を失った。
バルドは手袋を替え、専用の台座に星脈晶を置く。台座には細かな魔法陣が刻まれていた。周囲の職人達が、魔力の乱れを抑える補助具を起動する。床に薄く光の線が走り、作業台を中心に小さな結界が張られた。
「シャーロット」
「はい」
「少しだけ魔力を流してくれ。石の筋を見る」
「はい」
シャーロットは緊張しながら、星脈晶へ指先を近づけた。直接触れない。ほんの少しだけ、魔力を空気越しに流す。
その瞬間、星脈晶の中の光が反応した。
脈打つように、すうっと一本の光が伸びる。次に二本、三本。光の筋が結晶の内側で道を作り、やがて三つの流れに分かれた。
魔導具職人が息を呑む。
「……分かれた」
「石の方が、三つの流路を示している?」
レオンが呟く。
バルドは目を細めた。
「決まりだな」
「え?」
「こいつは一つの石として使われたがってねえ。お前さんの魔力を受けて、三つの流れに分かれた。なら、その通りに砕く」
シャーロットは星脈晶を見た。
砕かれることを嫌がっているようには見えなかった。むしろ、長い間閉じ込められていた光が、ようやく自分の通る道を見つけたようにも見えた。
「……痛く、ないでしょうか」
工房の職人達が一瞬止まった。
ガルドが小さく息を吐く。
「魔石相手にもそれか」
「だって、砕くので……」
バルドは少しだけ笑った。
「大丈夫だ。壊すんじゃねえ。形を変えるんだ」
「形を変える……」
「ああ。素材ってのは、使われて初めて道具になる。こいつは今日、ただの保管品じゃなくなる」
バルドは専用の細い鑿を手に取った。
工房内の音が消える。
炉の低い音も、誰かの息遣いも、遠くなったようだった。
鑿の先が、星脈晶の光の筋に触れる。
カン。
小さな音。
星脈晶の中の光が震えた。
カン。
二度目。
細い亀裂が、自然な線をなぞるように走る。普通の宝石が割れる音ではない。硬いものを無理に砕く音でもない。まるで、封じられていた星の流れが、自分から三つの道へ分かれていくような音だった。
カン――。
三度目。
キィン、と澄んだ音が工房に響いた。
星脈晶が、三つに分かれた。
誰も声を出さなかった。
三つの欠片は、それぞれ違う光を宿していた。
一つ目は、深い青白い光。魔力を受け止める静かな輝き。
二つ目は、細い銀の筋が何本も走る光。流れを整えるための複雑な輝き。
三つ目は、淡い金を帯びた光。外へ逃げるように、やわらかく揺れている。
魔導具職人が震える声で言った。
「……役割が、分かれている」
バルドはゆっくりと息を吐いた。
「上出来だ」
シャーロットは三つに分かれた星脈晶を見つめていた。
砕けた、というより、生まれたようだった。
「綺麗……」
小さな呟きに、アメリアが静かに微笑む。
「怖くない?」
「少し怖いです。でも……」
シャーロットは胸元に手を当てる。
「この子達なら、受け止めてくれる気がします」
ガルドが目を細めた。
「道具に“この子達”か」
「変ですか?」
「いや。お前らしい」
バルドは三つの星脈晶を専用の布の上に並べた。
「第一核は受け。第二核は整流。第三核は逃がし。ここから軸に組み込む。少しでも位置がずれれば、流れが乱れる。普通のワンド作りじゃねえぞ」
魔導具職人達が一斉に動き始める。
星霜樹の芯材が削られ、ワンドの形に整えられていく。銀星鋼が細く伸ばされ、余剰魔力の排出路として組み込まれる。魔導銀糸が星脈晶同士を繋ぐ線として張られる。魔獣革は握り部分に合わせ、手に馴染むよう調整される。
シャーロットは作業の邪魔にならない場所で、そのすべてを見ていた。
自分のために、人が動いている。
自分の魔力を恐れるのではなく、どう受け止めるかを考えている。
それが、まだ信じられなかった。
アメリアが隣に立つ。
「遠慮しなくていいのよ」
「……はい」
「これは贅沢じゃないわ。あなたが安全に魔法を使うための、必要な装備よ」
昨日、日用品を買った時と同じ言葉だった。
普通の支度。
必要な装備。
安全のための確認。
シャーロットは小さく頷いた。
「はい。……今度は、壊さないようにしたいです」
バルドが作業しながら笑った。
「違うな、嬢ちゃん」
「え?」
「今度は、壊れないように作るんだ。そこは俺達の仕事だ」
シャーロットは目を見開いた。
その言葉は、深く胸に落ちた。
自分が壊さないようにするのではない。
壊れないように、職人が作ってくれる。
そんな当たり前のようなことを、彼女は今まで知らなかった。
「……よろしくお願いします」
シャーロットはもう一度、深く頭を下げた。
工房の中で、三つに砕かれた星脈晶が淡く輝いている。
受ける石。
整える石。
逃がす石。
それは、シャーロットを強くするための石ではなかった。
彼女が、彼女のまま魔法を使うための石だった。




