第5節 星霜樹の芯材
星霜樹の芯材を採るため、シャーロットとガルドは二日後の朝、王都北の魔樹林へ向かうことになった。
許可証は、前日の夕方にはもうアメリアの手元にあった。獅子の咆哮の名義、幹部候補用装備の素材採取、同行者は幹部ガルド。危険区域への立ち入りとして、必要な書類はすべて揃っている。
アメリアは許可証と簡易連絡石を二人に渡した。
「採取地点まで入るのは、あなた達二人。入口には待機要員を置くわ。一定時間ごとに連絡。予定時刻を過ぎても連絡がなければ、待機要員がギルドへ通報する」
「支援要員は中に入れないのか?」
ガルドが聞くと、アメリアは頷いた。
「あなた達なら、その方が動きやすいでしょう。ただし、連絡を忘れたら帰ってから説教よ」
ガルドは嫌そうな顔をした。
「信用ねえな」
「報告に関しては、ないわ」
シャーロットは思わず小さく笑った。
「そんなに早く、許可が出るんですね」
「必要な申請を、必要な形で出しただけよ」
アメリアは淡々と言った。
「装備が必要なら手続きを通す。それだけ」
シャーロットは受け取った許可証を見下ろした。
厚い紙に押された印。自分の名前。幹部候補用装備、という文字。
「……私のための許可なんですね」
「そうよ」
「まだ、少し変な感じです」
「慣れなさい」
アメリアは短く言って、連絡石をシャーロットの手に乗せた。
「これも忘れないこと」
「はい」
魔樹林へ向かう馬車の中で、ガルドは大剣を横に置き、腕を組んでいた。シャーロットは膝の上に、布で包んだ私物のスタッフを置いている。
今日はワンドではなく、念のためこれを持っていくようバルドに言われていた。
「久しぶりだな。それを外に持ち出すの」
ガルドが言った。
シャーロットは布の上からスタッフを撫でる。
「はい。銀翼では、ほとんど使いませんでしたから」
「使わせる場面がなかったんじゃない。使ったら周りが困るから、お前が使わなかったんだろ」
「そんなことは……」
「ある」
即答だった。
シャーロットは少しだけ口を尖らせたが、言い返しはしなかった。
ガルドの視線は、布に包まれたスタッフへ向いている。
「なあ、シャーロット」
「はい」
「そのスタッフ、まだ名前で呼んでないのか?」
シャーロットは目を瞬かせた。
「名前……ですか?」
「つけただろ。あの時」
「あ……」
シャーロットは少し照れたように視線を落とした。
「星杖シリウス、ですね」
その名前を口にすると、布の下のスタッフが急に懐かしく感じられた。
冒険者学校の卒業前。大きな魔法に耐えられるスタッフを作りたくて、ガルドと二人で素材を探しに行った。卒業制作として提出するには扱いが難しすぎて、結局、別のスタッフを出した。
だから星杖シリウスは、学校に置かず、シャーロットの私物として残った。
「覚えてるじゃねえか」
「もちろんです。大切なものですから」
ガルドの表情が、少しだけ緩む。
「なら、今回のワンドにもちゃんと名前をつけろよ」
「えっ、名前ですか?」
「星脈晶を使うんだろ。シリウスに並ぶ道具になるかもしれねえ。名前くらいあっていい」
シャーロットは困ったように笑った。
「まだ完成していませんし、私が決めるのも……」
「お前のワンドだろ」
「そう、なんですよね」
自分のワンド。
その言葉は、まだ少し落ち着かなかった。
銀翼では、ワンドは支給品だった。古くても、合わなくても、濁っていても、それを使うのが当たり前だった。
シャーロットは布の上から、星杖シリウスをもう一度撫でる。
「名前は、できてから考えます」
「逃げたな」
「考える時間が欲しいだけです」
「はいはい」
馬車が森の入口で止まった。
そこから先は徒歩だ。
入口には、獅子の咆哮の待機要員が二人残る。片方が簡易連絡石を確認し、もう片方が馬車と周囲の道を見張っていた。
ガルドは連絡石を一度掲げる。
「予定通り入る。次は一刻後だ」
『了解しました。お気をつけて』
石から返事があり、記録用の札に時刻が書き込まれる。
ガルドは面倒そうに連絡石を腰へ戻した。
「これで文句ねえだろ」
「帰ったら、ちゃんと報告してくださいね」
「お前もだぞ」
「はい。私は書きます」
「俺が書かない前提で話すな」
「違うんですか?」
ガルドは返事をしなかった。
北の魔樹林は、普通の森より空気が重い。木々の幹は黒に近く、葉は青みを帯びている。風が通るたび、枝が擦れて、しゃら、しゃら、と金属めいた音を立てた。
魔力を含んだ土が、足裏からじわりと伝わってくる。
ガルドが大剣を背負い直した。
「ここからは俺が前に出る。お前は探知を広げすぎるなよ」
「はい。必要な範囲だけにします」
「その必要な範囲ってのが信用ならないんだよな」
「今日は素材採取なので、そんなに広げませんよ」
シャーロットは静かに探知を広げた。
半径三百メートル。
彼女にとっては、かなり抑えた探知だった。木々の魔力、地中の根、獣の反応、小型魔物の巣、風の流れ、足元の脆い地面。それらが淡く頭の中に浮かぶ。
「右奥に小型の魔物が三体います。こちらには気付いていません。左は地面が少し緩いです。正面の古い根を越えた先なら安全そうです」
「それで抑えてるんだよな?」
「はい」
ガルドは何か言いたげだったが、諦めて前へ進んだ。
魔樹林の奥へ進むにつれ、空気の重さが増していく。長くいるだけで体力を削られる場所だ。シャーロットは周囲の魔力の流れを読み、時折足元の根を避け、ガルドに小さく声をかけた。
「そこ、踏むと根が跳ねます」
「おっと」
ガルドが足をずらした直後、踏みかけた根がぴくりと動いた。
魔樹林では、植物ですら完全に無害とは限らない。
「相変わらず便利だな」
「便利、でしょうか」
「便利だ。だが便利で済ませていい能力じゃない」
「そうですか?」
「そうだよ」
しばらく進むと、木々の間に一本だけ、周囲と違う樹が見えた。
幹は灰銀色で、表面には星屑のような細かい斑点がある。葉は少なく、枝先に淡い白い光が灯っていた。
星霜樹。
その中心部にある芯材が、シャーロットのワンドに必要な素材だった。
「ありました」
シャーロットが小さく言う。
ガルドは周囲を確認し、大剣に手をかけた。
「守りがいるな」
星霜樹の根元には、狼に似た魔物が二体いた。毛並みの中に氷のような光が混じっている。樹の魔力に惹かれて住み着いた魔狼だろう。
魔狼が低く唸った。
グルルル……。
ガルドが一歩前に出る。
「俺がやる」
「では、足場を整えます」
「助かる」
二人の動きに迷いはなかった。
魔狼が飛びかかる。
ガルドの大剣が唸った。
ブォンッ、と空気を裂く音。
魔狼は横へ跳ぶが、その着地点の土がわずかに沈む。シャーロットが足場をずらしたのだ。体勢が崩れた瞬間、ガルドの剣が横薙ぎに入る。
ガァンッ!
硬い毛皮と刃がぶつかる音が響き、魔狼が弾き飛ばされた。
もう一体がガルドの背後を狙う。
シャーロットの指先が動き、薄い光が魔狼の目の前を走った。攻撃ではない。視線を一瞬ずらすための閃光。魔狼の踏み込みが半拍遅れる。
その半拍で十分だった。
ガルドが振り返り、大剣の柄で魔狼の顎を打ち上げる。
ゴッ!
鈍い音。
魔狼が宙に浮き、次の一撃で地面へ叩きつけられた。
「相変わらずやりやすいな、お前と組むと」
「ガルドさんが合わせてくれるからです」
「逆だろ」
二体の魔狼は、ほどなく沈黙した。
シャーロットは周囲を確認し、他に大きな反応がないことを確かめる。
「大丈夫そうです」
「よし。採るぞ」
星霜樹は、普通に切れば枯れてしまう。必要なのは幹を倒すことではなく、自然に伸びた古い枝の中心にある芯材を取ることだった。
バルドから渡された採取用の工具を使い、ガルドが枝を固定する。
シャーロットは星霜樹の前に立った。
「どの枝を借りるか、私も見てもいいですか」
ガルドが目を細める。
「もちろんだ。お前のワンドの素材だからな」
シャーロットは樹に触れない距離で、そっと魔力を伸ばした。
枝の一本が、淡く返す。
まだ生きている強い枝ではなく、役目を終えかけた古い枝だった。けれど、中心には綺麗な魔力の道が残っている。
「この枝なら、樹も傷みにくいと思います」
「分かるのか?」
「たぶん。ここなら……嫌がっていません」
「木の機嫌まで分かるのか」
「機嫌というか、流れです」
シャーロットは少しだけ頬を赤くした。
「痛くないように、少しだけ借りますね」
樹に向かってそう呟くと、ガルドが横目で見る。
「木にも礼を言うのか」
「素材をいただくので」
「お前らしいな」
ガルドが枝を固定し、シャーロットが魔力を流す。
樹皮の斑点が淡く光り、枝の奥から細い芯が浮かび上がった。普通なら職人が時間をかけて切り出す作業だが、シャーロットは樹の魔力の流れを読み、傷を最小限に抑えながら芯材だけを抜き出していく。
ミシ……ミシリ。
樹が小さく軋む。
折れる音ではない。不要な力が抜け、芯材が外へ出てくる音だった。
やがて、銀灰色の細い芯材が姿を現した。
星霜樹の中心を通っていた魔力の道。その一部。
シャーロットが両手で受け取ると、芯材はほんのり温かかった。
「これで、いいでしょうか」
「十分すぎる」
ガルドは頷いた。
その時、芯材がシャーロットの魔力に反応して、淡い光を放った。強く吸うのではない。増幅するのでもない。ただ、通りすぎる魔力を受け流すように、柔らかく光る。
シャーロットは目を見開いた。
「……優しいですね」
「素材に優しいって感想が出るの、お前くらいだろうな」
「そうですか?」
「そうだよ」
ガルドは苦笑したが、それ以上は言わなかった。
シャーロットは芯材を指先でそっと撫でる。
「これなら、痛くなさそうです」
「ワンドの心配か?」
「はい」
「自分の心配もしろ」
「しています」
「本当か?」
「少しは」
「少しかよ」
シャーロットは小さく笑った。
帰路につく前に、ガルドは連絡石を取り出した。
「採取完了。大きな怪我なし。予定通り戻る」
『了解しました。入口で待機しています』
簡潔な報告を終えると、ガルドは石を腰へ戻した。
「これでアメリアにも怒られねえ」
「でも、報告内容が少し短くないですか?」
「戻ってから言えばいい」
「怒られるかもしれませんよ」
「……お前、変なところで細かいな」
シャーロットは少しだけ笑い、それから星霜樹へ軽く頭を下げた。
「ありがとうございました」
風が吹いた。
しゃら、しゃら、と枝が鳴る。
まるで返事のようだった。
ガルドは何か言いかけて、やめた。
「帰るぞ」
「はい」
シャーロットは星霜樹の芯材を大切に包み、鞄へ入れた。
壊れたワンドを包んだ時と同じくらい丁寧に。
けれど、布の端を結ぶ指先は、さっきより少しだけ軽かった。




