第5節 素材採取
星霜樹の芯材を採るため、シャーロットとガルドは翌朝、王都北の魔樹林へ向かうことになった。
正式な採取許可は、アメリアとレオンが驚くほど早く通していた。獅子の咆哮の名義、幹部候補用装備の素材採取、同行者は幹部ガルド。危険区域への立ち入りとしては十分な理由が揃っていたらしい。シャーロットは「そんなにすぐ許可が出るんですね」と驚いたが、アメリアは淡々と答えた。
「必要な申請を、必要な形で出しただけよ。銀翼ではどうだったか知らないけれど、装備が必要なら手続きを通す。それだけ」
それだけ。
シャーロットには、その「それだけ」がまだ少し不思議だった。必要なものを必要だと言っていい。安全のためにクランが動く。職人が本気で考え、幹部が申請し、仲間が同行する。すべてが、彼女にはまだ慣れない。
魔樹林へ向かう馬車の中で、ガルドは大剣を横に置き、腕を組んでいた。シャーロットは膝の上に布で包んだ私物のスタッフを置いている。今日はワンドではなく、念のためこれを持っていくようバルドに言われていた。
「久しぶりだな、それを外に持ち出すの」
ガルドが言った。
シャーロットは布の上からスタッフを撫でる。
「はい。銀翼では、ほとんど使いませんでしたから」
「使わせる場面がなかったんじゃない。使ったら周りが困るから、お前が使わなかったんだろ」
「そんなことは……」
「ある」
即答だった。
ガルドの視線は、布に包まれたスタッフへ向いている。彼も覚えている。冒険者学校の卒業前、二人で素材を探しに行った日のことを。魔法科と近接戦闘科、本来なら別々の課題だった。だが、シャーロットが「大出力に耐えられるスタッフを作りたい」と言い、ガルドが「なら、普通の素材じゃ足りない」と言って、二人で危険区域ぎりぎりまで素材を探しに行った。
あの時も、彼女は自分の異常さを分かっていなかった。
「普通のスタッフだと、少し軋むんです」と言っていた。普通の学生が練習用ワンドを壊すだけでも騒ぎになるのに、シャーロットは学生の時点でスタッフの耐久を気にしていた。
「なあ、シャーロット」
「はい」
「そのスタッフ、まだ名前で呼んでないのか?」
シャーロットは少しだけ目を瞬かせた。
「名前……ですか?」
「つけただろ。あの時」
「あ……」
シャーロットは少し照れたように視線を落とした。
「星杖シリウス、ですね」
その名前を口にすると、懐かしさが胸に広がった。夜空を閉じ込めたような石を核にした、大出力用のスタッフ。卒業制作として提出するにはあまりに異常で、結局別に普通のスタッフを作り直した。だから星杖シリウスは、学校には提出せず、シャーロットの私物として残った。
「覚えてるじゃねえか」
「もちろんです。大切なものですから」
その言葉に、ガルドは少しだけ表情を緩めた。
「なら、今回のワンドにもちゃんと名前をつけろよ」
「えっ、名前ですか?」
「星脈晶を使うんだろ。シリウスに並ぶ道具になるかもしれねえ。名前くらいあっていい」
シャーロットは困ったように笑った。
「まだ完成していませんし、私が決めるのも……」
「お前のワンドだろ」
「そう、なんですよね」
自分のワンド。
その言葉に、シャーロットはまだ慣れなかった。銀翼では、ワンドは支給品だった。古くても、合わなくても、濁っていても、それを使うのが当たり前だった。自分のために作られるワンド、という感覚がまだ遠い。
馬車が森の入口で止まる。そこから先は徒歩だった。
北の魔樹林は、普通の森よりも空気が重い。木々の幹は黒に近く、葉は青みを帯びている。風が通るたび、枝が擦れてしゃら、しゃら、と金属めいた音を立てた。魔力を含んだ土が足裏からじわりと伝わってくる。
ガルドが大剣を背負い直す。
「ここからは俺が前に出る。お前は探知を広げすぎるなよ」
「はい。必要な範囲だけにします」
「その必要な範囲ってのが信用ならないんだよな」
「今日は素材採取なので、そんなに広げませんよ」
シャーロットはそう言いながら、静かに探知を広げた。
半径三百メートル。
普通の魔法使いなら、ここまででも十分な範囲だ。だが彼女にとっては、かなり抑えた探知だった。木々の魔力、地中の根、獣の反応、小型魔物の巣、風の流れ、足元の脆い地面。それらが淡く頭の中に浮かぶ。
「右奥に小型の魔物が三体います。こちらには気付いていません。左は地面が少し緩いです。正面の古い根を越えた先なら安全そうです」
「それで抑えてるんだよな?」
「はい」
ガルドは何か言いたげだったが、諦めて前へ進んだ。
魔樹林の奥へ進むにつれ、空気の密度が増していく。普通の冒険者なら息苦しさを覚える場所だ。魔力を含む森は、長くいるだけで体力を削る。だがシャーロットは平然としていた。むしろ、周囲の魔力の流れを読みながら、時折足元の根を避け、ガルドに小さく声をかける。
「そこ、踏むと根が跳ねます」
「おっと」
ガルドが足をずらした直後、踏みかけた根がぴくりと動いた。魔樹林では、植物ですら完全に無害とは限らない。
「相変わらず便利だな」
「便利、でしょうか」
「便利だ。だが便利で済ませていい能力じゃない」
「そうですか?」
「そうだよ」
しばらく進むと、木々の間に一本だけ、周囲と違う樹が見えた。幹は灰銀色で、表面には星屑のような細かい斑点がある。葉は少なく、枝先に淡い白い光が灯っていた。
星霜樹。
その中心部にある芯材が、シャーロットのワンドの軸に必要な素材だった。
「ありました」
シャーロットが小さく言う。
ガルドは周囲を確認し、大剣に手をかけた。
「守りがいるな」
星霜樹の根元には、狼に似た魔物が二体いた。毛並みの中に氷のような光が混じっている。樹の魔力に惹かれて住み着いた魔狼だろう。普通の新人なら、それだけで撤退する相手だ。
魔狼が唸る。
グルルル……。
ガルドが一歩前に出た。
「俺がやる」
「では、足場を整えます」
「助かる」
二人の動きに迷いはなかった。
魔狼が飛びかかる。ガルドの大剣が唸った。ブォンッ、と空気を裂く音。魔狼は横へ跳ぶが、その着地点の土がわずかに沈む。シャーロットが足場をずらしたのだ。体勢が崩れた瞬間、ガルドの剣が横薙ぎに入る。
ガァンッ!
硬い毛皮と刃がぶつかる音が響き、魔狼が弾き飛ばされた。もう一体がガルドの背後を狙う。シャーロットの指先が動き、薄い光が魔狼の目の前を走った。攻撃ではない。視線を一瞬ずらすための閃光。魔狼の踏み込みが半拍遅れる。
その半拍で十分だった。
ガルドが振り返り、大剣の柄で魔狼の顎を打ち上げる。
ゴッ!
鈍い音。魔狼が宙に浮き、次の一撃で地面へ叩きつけられる。
「相変わらずやりやすいな、お前と組むと」
「ガルドさんが合わせてくれるからです」
「逆だろ」
二体の魔狼は、ほどなく沈黙した。シャーロットは周囲を確認し、他に大きな反応がないことを確かめる。
「大丈夫そうです」
「よし。採るぞ」
星霜樹は、普通に切れば枯れてしまう。必要なのは幹を倒すことではなく、自然に伸びた古い枝の中心にある芯材を取ることだった。バルドから渡された採取用の工具を使い、ガルドが枝を固定する。シャーロットが魔力を流し、樹の反発を抑える。
「痛くないように、少しだけ借りますね」
シャーロットが樹に向かってそう呟くと、ガルドが横目で見た。
「木にも礼を言うのか」
「素材をいただくので」
「お前らしいな」
シャーロットの魔力が星霜樹の枝に触れる。樹皮の斑点が淡く光り、枝の奥から細い芯が浮かび上がる。普通なら職人が時間をかけて切り出す作業だが、彼女は樹の魔力の流れを読み、傷を最小限に抑えながら芯材だけを抜き出していく。
ミシ……ミシリ。
樹が小さく軋む。
だが、折れる音ではない。不要な力が抜け、芯材が外へ出てくる音だ。
やがて、銀灰色の細い芯材が姿を現した。星霜樹の中心を通っていた魔力の道。その一部。シャーロットが両手で受け取ると、芯材はほんのり温かかった。
「これで、いいでしょうか」
「十分すぎる」
ガルドは頷いた。
その時、芯材がシャーロットの魔力に反応して、淡い光を放った。強く吸うのではない。増幅するのでもない。ただ、通りすぎる魔力を受け流すように、柔らかく光る。
シャーロットは目を見開く。
「……優しいですね」
「素材に優しいって感想が出るの、お前くらいだろうな」
「そうですか?」
「そうだよ」
ガルドは苦笑したが、シャーロットの表情を見て何も言わなくなった。
彼女は本当に嬉しそうだった。
壊さずに済むかもしれない。無理をさせずに済むかもしれない。そんな希望を、ただ一本の芯材に見ている顔だった。
帰路につく前に、シャーロットは星霜樹へ軽く頭を下げた。
「ありがとうございました」
風が吹いた。
しゃら、しゃら、と枝が鳴る。
まるで返事のようだった。
ガルドはその横顔を見ながら、ふと思う。
十年前も、こんなふうに素材を集めた。あの時に作ったスタッフは、今も彼女の手元にある。そして今度は、彼女が日常で使うためのワンドを作ろうとしている。
ようやく。
十年遅れて、ようやく。
シャーロットに道具が追いつこうとしている。
「帰るぞ」
「はい」
シャーロットは星霜樹の芯材を大切に包み、鞄へ入れた。
その手つきは、壊れたワンドを包んだ時と同じくらい丁寧だった。
けれど、表情は少し違っていた。
悲しそうではなく、少しだけ楽しそうだった。




