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第1節 定期装備点検

獅子の咆哮には、月に一度の定期装備点検がある。


それは、新人だけのものではない。低ランク団員だけのものでもない。前衛、後衛、斥候、治癒術師、補助役、幹部、そして団長であるアクセルまでもが対象になる。クラン支給品か私物かも関係ない。剣、槍、盾、鎧、ローブ、ワンド、スタッフ、短剣、靴、ベルト、鞄、予備の金具、魔道具、手入れ道具まで、必要なものはすべて確認される。


目的は、罰ではない。


壊れた装備を使って怪我をしないため。

劣化した防具で命を落とさないため。

大切な私物を、長く安全に使うため。


獅子の咆哮では、それが当然の仕組みだった。


「装備点検、ですか?」


シャーロットは、会議室でアメリアから説明を受けて首を傾げた。変異オーガの一件から二日後。医務室での確認を終え、軽い魔力流の乱れも落ち着いた頃、彼女は正式に幹部候補としての手続きを進められていた。


「ええ。ちょうど今週が点検日なの。あなたは正式加入直後だから、通常日程とは別に先に見てもらうわ」


「私の装備を、ですか?」


「そうよ」


「でも、まだ使えますよ?」


その場にいたガルドが、即座に額を押さえた。


「出たな」


「何がですか?」


「まだ使えますよ、だ。お前のそれは信用できない」


アメリアも静かに頷いた。


「シャーロット、あなたの“まだ使える”は、壊れる直前でも含まれている可能性があるわ。だから専門の職人に見てもらうの」


「でも、昨日いただいた貸与ワンドもありますし」


「その貸与ワンドも含めて見るの」


「私物ではありませんよ?」


「クランが貸したものだからこそ、見るのよ」


シャーロットは少し不思議そうな顔をした。クランから与えられたものを、クランが確認する。それは理屈としては分かる。けれど、銀翼では低評価者の装備修理や点検は、どうしても後回しになるものだった。申請を出しても「今は上位部隊の遠征準備が優先だ」と言われる。古いワンドの魔石が濁っても、「魔力が通るなら問題ない」と返される。ローブの補修を頼んでも、余った布で応急処置されるだけ。


だから、クラン側から「見せなさい」と言われることに、慣れていなかった。


「点検で壊れていたら、怒られますか?」


アメリアの眉がぴくりと動いた。


「怒らないわ」


「でも、壊していたら」


「普通に使って劣化したものを報告して怒るクランじゃない、と昨日も言ったでしょう?」


「はい……」


「むしろ隠す方が危険よ。ワンドが限界なのに黙って使って、昨日みたいに戦闘中に割れる方がずっと怖い」


その言葉に、シャーロットは昨日の変異オーガ戦を思い出した。白く光った古い魔石。内部のコアを撃ち抜いた直後に走った亀裂。パキン、と乾いた音。あのワンドは、もう使えない。


シャーロットは少しだけ目を伏せた。


「……はい」


ガルドが横から言う。


「壊れたワンドに礼を言うのは悪くない。だが、壊れる前に替えろ」


「すみません」


「謝るな」


「はい」


アメリアは小さく息を吐き、書類を閉じた。


「とにかく、今から工房へ行くわ。鍛冶師、魔導具職人、ローブ担当、帽子担当にも声をかけてある。あなたの装備は一式見る」


「一式……」


シャーロットは自分の格好を見下ろした。古いローブ。歪んだウィッチハット。銀翼から渡された予備ワンド。変異オーガ戦で壊れた餞別のワンドは布に包んで鞄に入れてある。学校時代から持っている私物のスタッフは部屋に置いている。


「私物のスタッフもですか?」


「もちろん」


「でも、あれは大切なものなので……」


そこで、初めてシャーロットの声に少しだけ迷いが混じった。


アメリアはすぐに表情を和らげた。


「取り上げるわけじゃないわ。壊れていないか、保管状態は問題ないか、持ち運び用の紐や布が劣化していないかを見るだけ。大切なものだからこそ、専門家に見てもらった方がいいの」


シャーロットはしばらく考え、それから小さく頷いた。


「……分かりました。お願いします」


「ええ」


ガルドはその横顔を見て、少しだけ目を細めた。ローブやワンドには遠慮しながら「まだ使える」と言うくせに、あのスタッフのことになるとすぐ慎重になる。昔から大切にしているものなのだろう。ガルドには、その理由が分かる気がしたが、今はまだ口にしなかった。


獅子の咆哮の工房は、本部の裏手にあった。


広い石造りの作業場で、入口をくぐると金属を叩く音と、魔石を削る細かな音が重なって聞こえてきた。炉の熱。油と革の匂い。磨かれた刃物の冷たい光。壁には剣や槍だけでなく、杖、ワンド、盾、革鎧、靴、ベルト、ローブ用の補修布まで整然と並んでいる。


シャーロットは思わず立ち止まった。


「……すごいですね」


「うちの工房だ。武器、防具、魔導具、服飾系の職人が常駐してる」


ガルドが言うと、奥から大柄な男が顔を出した。腕は太く、顔には火傷の古い跡がある。鍛冶師だ。だが腰には金属槌だけでなく、魔石加工用の細い工具も下げている。


「おう、来たか。例の子だな」


「例の子って言い方はやめてあげて」


アメリアが言うと、鍛冶師は悪びれずに笑った。


「悪い悪い。変異オーガをボロワンドで撃ち抜いたって聞いたら、気になるだろうが」


シャーロットは恐縮して頭を下げた。


「シャーロットです。よろしくお願いします」


「おう。俺は工房長のバルドだ。武器と魔導具の基礎を見る。ワンド専門の奴も呼んであるし、ローブ担当と帽子担当もすぐ来る」


「そんなにたくさんの方が……?」


「お前さんの装備を一式見るんだろ? 一人で全部は見られねえよ」


シャーロットは自分の鞄を抱え直した。


「すみません。お手数をおかけします」


「謝るな。仕事だ」


バルドはそう言って作業台を指した。


「まずは出してみな。今使ってるもの、予備、壊れたやつ、私物も全部だ」


シャーロットは言われた通り、鞄を開いた。


古いローブ。歪んだウィッチハット。銀翼から渡された予備ワンド。変異オーガ戦で割れたワンド。普段使っている靴。細いベルト。手入れ用の小さな道具。最後に、布に包んだ私物のスタッフ。


作業台の上に並べられたそれらを見て、工房の空気が少しずつ変わった。


最初に顔をしかめたのは、ローブ担当の女性職人だった。指先で古いローブの袖口をつまみ、光に透かす。


「……これ、いつから使っていたの?」


「昨日いただいたものです」


「違うわ。こっちじゃなくて、今まで着ていた方」


「そちらは管理部へ返却しました」


「返却?」


女性職人はアメリアを見る。アメリアは無言で頷いた。


バルドは壊れたワンドを手に取り、魔石の割れ目を見た瞬間に眉を寄せた。


「おいおい……これで変異オーガを撃ったのか?」


「はい」


「馬鹿言うな」


「え?」


「いや、撃てたからここにあるんだろうが……普通は撃つ前に割れるぞ、こんなもん」


シャーロットは不思議そうに首を傾げた。


「でも、最後まで魔力を通してくれました」


「最後まで通したから割れたんだよ」


別の魔導具職人が予備ワンドを手に取り、魔石の濁りを確認した。


「こっちもひどいな。魔力の通りが悪い。石の質も低いし、軸の内部に歪みがある。初級練習用ならまだしも、実戦で使うものじゃない」


「まだ魔力は通りますよ?」


職人達が一斉にシャーロットを見た。


ガルドが低く言う。


「ほら、出た」


バルドは壊れたワンドを作業台へ置き、はっきりと言った。


「嬢ちゃん。これは“まだ使える”じゃねえ。“使わせちゃいけない状態”だ」


シャーロットは目を瞬かせた。


「使わせちゃいけない……」


「ああ。道具ってのはな、魔力が通るかどうかだけじゃねえ。使う奴の魔力量、魔力の密度、癖、流し方、戦う場所、必要な制御。全部ひっくるめて見るんだ。このワンドは、お前さんの魔力を受ける前提で作られてねえ」


「でも、銀翼では……」


そこで言葉が止まった。


銀翼では、使えていた。少なくとも、使っていた。壊れかけても、修理が遅れても、魔力が通れば使えると思っていた。使えないと言えば、わがままだと思われる気がした。


アメリアがそっと声をかける。


「シャーロット。ここでは、使えないものは使えないと言っていいの」


シャーロットは小さく頷いた。


「……はい」


バルドは次に、布に包まれた私物のスタッフへ視線を向けた。


「これは?」


「学校時代から持っている私物のスタッフです」


「見てもいいか?」


シャーロットは少しだけ迷ったが、丁寧に布を解いた。


その瞬間、工房の空気が止まった。


スタッフは、古いが粗末ではなかった。むしろ、作業台に並んだどの道具よりも異質だった。黒に近い深い木材。握り部分に刻まれた細かな制御線。先端近くに埋め込まれた、夜空を閉じ込めたような石。光の加減で、石の奥に星のような粒が揺れる。


バルドの目つきが変わった。


魔導具職人も、ローブ担当も、帽子担当も黙った。


「……これは、誰が作った?」


「学校時代に、作りました」


「学校時代?」


「はい。卒業制作……には出さなかったんですけど」


バルドはスタッフに触れる直前で手を止めた。


「触っていいか?」


「はい」


彼は慎重に手袋を替え、スタッフを持ち上げた。重さを確かめ、魔力の通り道を見る。だが、すぐに顔をしかめた。


「なんだ、これ……」


「壊れていますか?」


「いや、そうじゃねえ。壊れてねえ。むしろ、よく保管されてる。だが……」


バルドはスタッフを作業台に戻し、深く息を吐いた。


「嬢ちゃん。これは普段使いの道具じゃない。大出力用だ。ワンドとは役目が違う」


「はい。普段はワンドを使っています」


「正解だ。だが、その普段使いのワンドがこれじゃ話にならねえ」


彼は壊れたワンドを指で叩いた。


「大砲を持ってる奴に、紙の筒で細工をさせてたようなもんだ」


「紙の筒……」


シャーロットは少し困ったように壊れたワンドを見た。


「でも、頑張ってくれました」


「道具への礼は悪くねえ。だが、次は壊れる前に替えろ」


ガルドが深く頷いた。


「全員同じこと言ってるぞ」


「はい……」


アメリアは作業台に並んだ装備を見て、静かに表情を引き締めた。


ローブも駄目。帽子も駄目。ワンドは論外。靴もベルトも、最低限どころか長期任務には不安が残る。私物のスタッフだけが異質にまともで、しかも普段使いには向いていない大出力用。


つまり、シャーロットは今まで、自分の本来の魔法を受け止められる道具をほとんど持たないまま、銀翼の現場に立っていたことになる。


「バルド」


アメリアが呼ぶ。


「分かってる」


工房長は腕を組んだ。


「まず応急で貸与品を出す。ワンド、ローブ、帽子、靴、ベルト。全部だ。だが、これはあくまで仮だ。嬢ちゃんに合わせた専用品が必要になる」


「専用品、ですか?」


シャーロットが驚いたように言う。


「そこまでしていただかなくても」


「する」


バルドは即答した。


「お前さんは、普通の装備でどうにかなる魔法使いじゃねえ。昨日の話だけでもそう思ったが、このスタッフを見て確信した。高級品を持たせりゃいいって話でもねえ。魔力を受ける、整える、逃がす。そういう制御用のワンドがいる」


シャーロットは言葉を失った。


自分のために、専用のワンドを作る。


それは、彼女にとってあまりに大げさな話だった。銀翼では、修理を頼むだけでも申し訳なかった。古い予備品を回してもらえれば十分だと思っていた。


それなのに、ここでは職人達が真剣な顔で、自分の装備をどうするか話している。


「でも、私、まだ幹部候補になったばかりで……」


アメリアが静かに言った。


「幹部候補だからこそよ」


ガルドも続ける。


「お前が倒れたら、新人どころかうちの前線が困る」


「そんなにですか?」


「そんなにだ」


バルドはにやりと笑った。


「腕が鳴るな。普通の魔法使い相手じゃ作れないもんを作れるかもしれねえ」


魔導具職人も、目を輝かせ始めていた。


「魔力の受け口を三段に分ける必要があるかもしれませんね。密度が高すぎるなら、単純な増幅は危険です」


「増幅なんか要らねえだろ。この子に必要なのは抑える方だ」


「制御核が要ります。普通の魔石では持たないかもしれません」


その言葉に、バルドの表情がわずかに変わった。


「……なら、あれを使うか」


アメリアが気付く。


「あれ?」


「うちの家に代々伝わってる魔石がある。使い道が難しくてな。普通のワンドには強すぎる。だが、この嬢ちゃんには合うかもしれねえ」


シャーロットは慌てた。


「そんな大切なものを、私に使うわけには」


「まだ決定じゃねえ。だが候補には入れる」


バルドは壊れたワンドをもう一度見た。


「少なくとも、こんなもんで戦わせるよりはずっといい」


工房の中に、静かな熱が広がっていく。


処罰ではない装備点検。


安全のための確認。


そのはずだった。


けれど、その日、獅子の咆哮の職人達は理解した。


シャーロットに必要なのは、普通の修理ではない。


彼女の魔力を受け止め、整え、逃がすための、まったく新しい制御用ワンドだった。

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