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第1節 まだ使えますよ

獅子の咆哮では、月に一度、全員の装備点検がある。


新人も幹部も、団長のアクセルも例外ではない。剣や盾だけでなく、ローブ、靴、ワンド、予備の金具、手入れ道具まで、戦場に持ち込むものは工房で確認される。


壊れたまま使わせないため。持ち主が大切にしている道具を、無理に使い潰させないためだ。


「装備点検、ですか?」


変異オーガの一件から二日後。医務室での確認を終え、軽い魔力流の乱れも落ち着いた頃、シャーロットは会議室でアメリアから説明を受けていた。


「ええ。ちょうど今週が点検日なの。あなたは正式加入直後だから、先に見てもらうわ」


「私の装備を、ですか?」


「そうよ」


「でも、まだ使えますよ?」


隣にいたガルドが、即座に額を押さえた。


「出たな」


「何がですか?」


「まだ使えますよ、だ。お前のそれは信用できない」


アメリアも静かに頷いた。


「シャーロット、あなたの“まだ使える”は、壊れる直前まで含んでいる可能性があるわ。だから職人に見てもらうの」


「壊れていたら、怒られますか?」


アメリアの眉がぴくりと動いた。


「怒らないわ」


「でも、壊していたら」


「普通に使って劣化したものを報告して怒るクランじゃないわ。むしろ隠す方が危険よ。変異オーガ戦みたいに、戦闘中に割れる方がずっと怖い」


その言葉で、シャーロットは布に包んだワンドを思い出した。


白く光った古い魔石。内部のコアを撃ち抜いた直後、軸に走った亀裂。パキン、と乾いた音。


あのワンドは、もう使えない。


シャーロットは膝の上で指を握った。


「……はい」


ガルドが横から言う。


「壊れたワンドに礼を言うのは悪くない。だが、壊れる前に替えろ」


「すみません」


「謝るな」


「……はい」


アメリアは書類を閉じた。


「今から工房へ行くわ。鍛冶師、魔導具職人、ローブ担当、帽子担当にも声をかけてある。あなたの装備は一式見る」


「一式……」


シャーロットは自分の格好を見下ろした。


退団時に渡された古いローブ。歪んだウィッチハット。獅子の咆哮から貸与されたワンド。変異オーガ戦で壊れた餞別のワンドは、布に包んで鞄に入れてある。


学校時代から持っている私物のスタッフだけは、部屋に置いていた。


「私物のスタッフもですか?」


「もちろん」


「でも、あれは大切なものなので……」


そこで初めて、シャーロットの声に迷いが混じった。


アメリアの表情が少し和らぐ。


「取り上げるわけじゃないわ。壊れていないか、保管状態は問題ないか、持ち運び用の紐や布が劣化していないかを見るだけ。大切なら、なおさら専門家に見てもらった方がいいの」


シャーロットはしばらく黙った。


それから、小さく頷く。


「……私が持ってきます。見てください」


「ええ」


ガルドはその横顔を見て、少しだけ目を細めた。


ローブやワンドには遠慮しながら「まだ使える」と言うくせに、あのスタッフのことになると急に慎重になる。昔から大切にしているものなのだろう。


理由は、なんとなく分かる気がした。


だが、今は口にしなかった。


部屋へ寄ってスタッフを持ち、三人は本部裏手の工房へ向かった。


入口をくぐると、金属を叩く音と、魔石を削る細かな音が重なって聞こえた。炉の熱。油と革の匂い。磨かれた刃物の冷たい光。壁には剣や槍だけでなく、杖、ワンド、盾、革鎧、靴、ベルト、ローブ用の補修布まで並んでいる。


シャーロットは思わず足を止めた。


「……こんな場所が、クランの中にあるんですね」


「うちの工房だ。武器、防具、魔導具、服飾系の職人が常駐してる」


ガルドが言うと、奥から大柄な男が顔を出した。腕は太く、顔には火傷の古い跡がある。腰には金属槌だけでなく、魔石加工用の細い工具も下げていた。


「おう、来たか。例の魔法使いだな」


「例の魔法使いって言い方はやめてあげて」


アメリアが言うと、男は悪びれずに笑った。


「悪い悪い。変異オーガをワンド一本で撃ち抜いたって聞いたら、気になるだろうが」


シャーロットは恐縮して頭を下げる。


「シャーロットです。よろしくお願いします」


「俺は工房長のバルドだ。武器と魔導具の基礎を見る。ワンド専門の奴も呼んであるし、ローブ担当と帽子担当もすぐ来る」


「そんなにたくさんの方が……?」


「一式見るんだろ? 一人で全部は見られねえよ」


シャーロットは鞄を抱え直した。


「すみません。お手数をおかけします」


「謝るな。仕事だ」


バルドは作業台を指した。


「まずは出してみな。今使ってるもの、予備、壊れたやつ、私物も全部だ」


シャーロットは鞄を開いた。


退団時に渡された古いローブ。歪んだウィッチハット。獅子の咆哮で貸与されたワンド。変異オーガ戦で割れたワンド。普段使っている靴。細いベルト。手入れ用の小さな道具。


最後に、布に包んだ私物のスタッフを両手で作業台の端へ置いた。


ローブ担当の女性職人が、最初に顔をしかめた。袖口をつまみ、光に透かす。


「……これ、いつから使っていたの?」


「退団時に渡されました」


「退団時?」


「はい。それまでの支給品は、管理部へ返しました」


女性職人はアメリアを見た。


アメリアは無言で頷く。


バルドは壊れたワンドを手に取り、魔石の割れ目を見た瞬間に眉を寄せた。


「待て。これで変異オーガを撃ったのか?」


「はい」


「これで?」


「はい」


バルドは裂けた軸と割れた魔石を見比べ、深く息を吐いた。


「話には聞いてたが、想像よりひどいな。普通は撃つ前に割れるぞ、こんなもん」


シャーロットは不思議そうに首を傾げた。


「でも、最後まで魔力を通してくれました」


「最後まで通したから割れたんだよ」


バルドは壊れたワンドを作業台へ置いた。


「嬢ちゃん。これは“まだ使える”じゃねえ。“使わせちゃいけない状態”だ」


シャーロットは目を瞬かせた。


「使わせちゃいけない……」


「ああ。道具は魔力が通るかどうかだけで見るもんじゃねえ。使う奴の魔力量、密度、癖、流し方、必要な制御。全部見る。このワンドは、お前さんの魔力を受ける前提で作られてねえ」


「でも、銀翼では……」


そこで言葉が止まった。


銀翼では、魔力が通るなら問題ないと言われた。申請を出しても、上位部隊の遠征準備が優先された。古いワンドの魔石が濁っても、使えないと言う方がわがままだと思っていた。


喉の奥が、少し詰まる。


アメリアがそっと声をかけた。


「シャーロット。ここでは、使えないものは使えないと言っていいの」


シャーロットは壊れたワンドを見た。


「……言って、いいんですね」


「ええ」


彼女は小さく頷いた。


次に、魔導具職人が獅子の咆哮で貸与したワンドを手に取った。軸を見て、魔石の色を確かめ、魔力の通りを軽く測る。


「標準品としては問題ありません。うちの貸与品ですし、実戦でも使える品質です」


シャーロットは少しだけ息を吐いた。


だが、職人はすぐに首を横に振る。


「ただし、シャーロットさんの常用には向きません」


「向かない、ですか?」


「普通の魔法使いが使うなら十分です。新人や中堅が持つ分にも問題ありません。けれど、変異オーガ戦の魔力の通し方を聞く限り、あなたには受け口が浅い。あの一戦なら耐えても、同じ密度の魔法を何度も通す前提ではありません」


バルドも頷いた。


「貸与品が悪いわけじゃねえ。お前さんの出力と制御が、普通の規格に収まってねえんだ」


シャーロットは貸与ワンドを見つめた。


「でも、まだ……」


言いかけて、自分で口を閉じる。


ガルドが低く言った。


「今、言いかけたな」


「……はい。言いかけました」


「なら、分かってきたじゃねえか」


シャーロットは少しだけ眉を下げた。


「安全に使えるか、ですね」


「そうだ」


バルドは短く頷く。


「昨日は運と技量でどうにかなった。だが、道具側に無理をさせてる時点で、次も大丈夫とは言えねえ」


シャーロットは今度はすぐに頷いた。


「……替えます」


その一言に、アメリアの目元が少しだけ緩んだ。


バルドは布に包まれたスタッフへ視線を向けた。


「次は、そっちだな」


シャーロットの指が、布の端に触れる。


「触る前に、私が開いてもいいですか」


「もちろんだ」


彼女は両手で布を解いた。


その瞬間、工房の音が少し遠くなった。


スタッフは古いが、粗末ではなかった。黒に近い深い木材。握り部分に刻まれた細かな制御線。先端近くに埋め込まれた、夜空を閉じ込めたような石。光の加減で、石の奥に星の粒が揺れる。


バルドの目つきが変わった。


魔導具職人も、ローブ担当も、帽子担当も黙る。


「……これは、誰が作った?」


「学校時代に、作りました」


「学校時代?」


「はい。卒業制作……には出さなかったんですけど」


バルドはスタッフに触れる直前で手を止めた。


「持っていいか?」


「はい。お願いします」


彼は手袋を替え、慎重にスタッフを持ち上げた。重さを確かめ、魔力の通り道を見る。


すぐに、顔をしかめた。


「なんだ、これ……」


「壊れていますか?」


「いや、壊れてねえ。よく保管してある。布も紐も悪くねえ。だが……」


バルドはスタッフを作業台に戻した。


「嬢ちゃん。これは普段使いの道具じゃない。大出力用だ。ワンドとは役目が違う」


「はい。普段はワンドを使っています」


「正解だ。だが、その普段使いのワンドがこれじゃ話にならねえ」


彼は壊れた餞別のワンドを指で示した。


「大砲を持ってる奴に、紙の筒で細工をさせてたようなもんだ」


「紙の筒……」


シャーロットは少し困ったように壊れたワンドを見た。


「でも、頑張ってくれました」


「なら、礼を言って休ませてやれ。次に同じ無理をさせるな」


「……はい」


アメリアは確認表に印をつけていった。


ローブ。帽子。靴。ベルト。貸与ワンド。


印が増えるたび、シャーロットの肩が少しずつ小さくなる。


それに気づいたガルドが、作業台の横に立った。


「怒られてるわけじゃねえぞ」


「分かってます。でも、こんなに駄目だったんだなって」


「分かったならいい。分からないまま戦場に出る方が危ねえ」


バルドは腕を組んだ。


「まず応急で貸与品を出す。ワンド、ローブ、帽子、靴、ベルト。全部だ。ただし仮だ。嬢ちゃんに合わせた専用品が必要になる」


「専用品、ですか?」


シャーロットは驚いて顔を上げた。


「そこまでしていただかなくても」


「する」


バルドは即答した。


「お前さんは、普通の装備でどうにかなる魔法使いじゃねえ。性能の高いワンドを渡せば済む話でもない。魔力を受ける、整える、逃がす。そういう制御用のワンドがいる」


シャーロットは言葉を失った。


自分のために、専用のワンドを作る。


銀翼では、修理を頼むだけでも申し訳なかった。古い予備品を回してもらえれば十分だと思っていた。


それなのに、ここでは職人達が真剣な顔で、自分の装備をどうするか話している。


「でも、私、まだ幹部候補になったばかりで……」


アメリアが静かに言う。


「幹部候補だからよ」


ガルドも続けた。


「新人が見てる前で、またワンドを割る気か?」


「それは……嫌です」


「なら替えろ」


シャーロットは壊れたワンドに視線を落とした。


少しだけ迷って、それから顔を上げる。


「作っていただけるなら、私も調整に立ち会いたいです」


バルドが片眉を上げた。


「ほう?」


「知らないまま受け取るのは、少し怖いです。どこまで流していいのか、何が危ないのか、私も知りたいので」


アメリアが頷く。


「いいわ。あなたの装備だもの」


バルドはにやりと笑った。


「腕が鳴るな。普通の魔法使い相手じゃ作れないもんを作れるかもしれねえ」


魔導具職人も、目を輝かせ始めていた。


「魔力の受け口は三段に分けた方がいいかもしれません。密度が高すぎるなら、単純な増幅は危険です」


「増幅なんか要らねえだろ。この嬢ちゃんに必要なのは抑える方だ」


「制御核が要ります。普通の魔石では持たないかもしれません」


その言葉に、バルドの表情がわずかに変わった。


「……なら、あれを候補に入れるか」


アメリアが気付く。


「あれ?」


「工房で保管している制御石がある。使い道が難しくてな。普通のワンドには強すぎる。増幅に使えば危ないが、抑えるためなら合うかもしれねえ」


シャーロットは慌てた。


「そんな大切なものを、私に使うわけには」


「まだ候補だ。決定じゃねえ」


バルドは壊れたワンドをもう一度見た。


「だが、こんなもんで戦わせるよりはずっといい」


シャーロットは布に包まれた割れたワンドへ手を添えた。


「……お願いします」


声は小さかったが、今度は下を向かなかった。


「今度は、壊れる前に替えたいです」


バルドは頷き、白紙の設計図を作業台に広げた。


シャーロットは作業台の端に置かれていた椅子を、自分の手で少し近づけた。

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