明日、何食べたい?
蓮くんが働き始めてから、一年が経った。
仕事の話には、少しずつ知らない人の名前が増えた。最初は先輩や同期が多かったのが、最近は訪問先の人のことも聞く。うまく話せた日もあれば、帰ってから、あれも聞けばよかったと思う日もあるらしい。
私も相変わらず働いていた。
忙しい週には駅の近くで夕飯だけ食べ、休みが合えば映画を見た。どちらかの家でご飯を作り、食べ終えてから、何を見るか決まらないままテレビの前に座る夜もあった。
三月の終わり、蓮くんから連絡が来た。
『四月の最初の土曜、空いてる?』
返事をすると、お店は予約しておくと言う。
もう一年か。
頑張った彼を、ちゃんと労おうと思った。
*
待ち合わせ場所には、ジャケット姿の蓮くんがいた。
薄い色のシャツに、すっきりしたパンツ。こちらに気づくとポケットから手を出し、軽く上げる。
近づくまでの数歩で、つい顔を眺めてしまった。見慣れたかどうかと、見たいかどうかは別なのだ。
「お待たせ」
「ううん。ちょうどよかった」
隣に並ぶと、彼が私の服に目を向けた。
「似合ってる」
「ありがとう。蓮くんも」
彼が笑って手を差し出す。私も笑いながら、その手を取った。
予約してくれたのは、通りから少し奥へ入ったレストランだった。白いクロスのかかったテーブルに案内され、向かいに座る。
「一年、お疲れさまの会?」
「それもある」
「じゃあ、私がご馳走したかったな」
メニューを受け取った彼が、こちらを見た。
「今日は俺」
すぐに返されて、私は笑った。
「では、ご馳走になります」
料理を食べながら、この一年の話をした。
蓮くんが、どこの椅子か気になると言っていたこと。
入社したばかりの頃は、帰ったら眠くて、電話の途中で返事がなくなったこと。
「あれ、寝てたよね」
「うん。起きたら切れてた」
「おやすみって言ったよ」
「それは聞いてない」
私は笑って、グラスを取った。
「でも、仕事、楽しそうでよかった」
「楽しいよ。困ることもあるけど」
「うん」
先週は納期のことで慌てていたし、その前は、お客さんに名前を覚えてもらえたと嬉しそうだった。
「真帆さんは、今の仕事、やっぱり好き?」
聞かれて、私は頷いた。
「うん。大変なこともあるけどね」
最近任された仕事の話を少しした。まだ決まっていないことが多くて、楽しみな半面、どう進めようか迷っている。
蓮くんは時々質問しながら聞いていた。話し終える頃には、また私の仕事の話をしてしまったと気づいたけれど、彼が笑っているので、そのままデザートを待つことにした。
小さな焼き菓子に、アイスクリームと果物が添えられていた。
おいしそう、とフォークを取ろうとしたところで、名前を呼ばれる。
「真帆さん」
顔を上げると、蓮くんはまだ手をつけていなかった。
「一緒に住まない?」
少し遅れて、口元が緩んだ。
泊まった翌朝、同じ台所で朝ご飯を用意するのが好きだった。帰るほうの支度を気にしなくてよくなるのだと思うと、嬉しかった。
「いいね。でも、通勤とか――」
「その前に」
彼が少し笑った。
「結婚しよう」
私は口を閉じた。
隣の席の話し声が聞こえていた。店員さんが通路を歩き、どこかでカップが鳴る。その中で、蓮くんだけが私の返事を待っていた。
「……結婚?」
「うん。真帆さんと」
ジャケットの内側から、小さな箱が出てきた。
蓋が開いて、指輪が見えた。そこまで見て、ようやく、今日ここへ来た理由がわかった。
「びっくりしてる?」
「してる」
正直に答えると、彼も少し笑った。
「今日は、一年頑張ったねって、そういう日だと思ってたから」
「うん。一年働いてみて、これからの暮らしも前より想像できるようになったし。今なら言えるかなと思って」
私は指輪から彼の顔へ、目を戻した。
就職して、忙しくなって、それでも会える日は嬉しかった。仕事の話を聞きながら、頑張っているなと思っていた。
その間に、この人は今日のことを考えていたのか。
「……いつから?」
「結婚?」
「うん」
蓮くんは少し考えた。
「付き合ったときから、考えてはいたよ」
そんなに前から。
何も言えずにいると、彼は照れたように笑った。
「真帆さん、仕事続けたいって言ってたでしょう」
「うん」
「就職先を決めるときも、それは考えた」
私は彼を見た。
「仕事の話、いっぱい聞いてたじゃん」
「就活の参考にしてるんだと思ってた」
「してたよ」
彼は頷いた。
「でも、一緒に暮らすなら、どんなふうになるのかなとも思ってた」
今の担当は好きなのか。部署を変わりたいとは思わないのか。
聞かれるまま話していたことを思い出す。私の愚痴に笑っていたときも、そんなことを考えていたのだ。
「真帆さんが続けたい仕事なら、続けてほしいし。でも、会いやすいからって、働きたくない会社を選んだわけじゃないからね」
最後を付け足されて、思わず笑った。きっと、そういう顔をしていたのだろう。
「……うん」
返事をしたら、目の奥が熱くなった。
「住むところは、これから一緒に探したい」
「うん」
「真帆さんの希望も聞きたいから」
私は頷いた。
何でもない休日に、一緒に困ったり、笑ったりする相手。そういう人がいたらいいと思っていた。
目の前の彼が、少しだけ不安そうな顔になった。
「真帆さん?」
まだ、返事をしていなかった。
「……私も、一緒にいたい」
声が震えて、少し笑ってしまった。
「これからも、蓮くんと」
彼の表情がほどけた。
「よろしくお願いします」
そう言うと、蓮くんが笑った。
「こちらこそ」
差し出した手を取って、指輪をつけてくれた。長い指も、伏せた目元も、何度見たかわからない。
それでも、今日の顔は、きっと忘れないと思った。
*
指輪をつけた手を眺めていたら、蓮くんが言った。
「似合う」
「ありがとう」
顔を上げると、彼は嬉しそうに笑っていた。
「真帆さん、デザート」
「あ」
アイスクリームが少し溶け始めていた。
二人で笑いながらフォークを取る。慌てて食べた一口も、ちゃんとおいしかった。
「明日、何食べたい?」
つい聞くと、蓮くんが笑う。
「もう明日の話?」
「明日も休みでしょう」
「休み」
彼は少し考えた。
「真帆さんの作るやつ。豚肉とキャベツ炒めたの」
「あれでいいの?」
「あれがいい」
私は頷いて、もう一口デザートを食べた。
帰りに、スーパーへ寄っていこう。
END
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、作者の趣味と願望をこれでもかと詰め込んだ作品です。
顔のいい年下男子にご飯を奢って、美味しそうに食べる姿を眺めたい。そんな欲望から始まったお話でした。
執筆中、作者の脳内では実写ドラマが絶賛放送中。キャストも主題歌も勝手に決まり、毎回楽しく視聴しておりました(笑)。
そして、気づけば作者自身が蓮にすっかりメロついていました。
自分の作品で泣くなよ、と自分でも思うのですが、最後のプロポーズでは「良かったねぇ……」と泣いてしまいました。
そんなふうに、作者自身がとても楽しく書いた作品です。
皆様にも真帆と蓮を好きになっていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。
明日の朝7時に番外編を投稿し、そちらをもって完結となります。
あと少しだけ、二人にお付き合いいただければ幸いです。
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