ご馳走になるのも、いいものです
蓮くんが四年生になり、就職活動が本格的になった。
面接の日程が決まると、会う約束を別の日に変えることもあった。バイトも少し減らし、説明会のない日には、応募書類を書いたり面接の準備をしたりしているという。
いくつか内定をもらったと聞いたのは、夏の終わりだった。
どこにするのか尋ねると、まだ考えていると言う。もう一度、社員の人と話す機会をもらった会社もあるらしい。
それからしばらくして、連絡が来た。
『就職先、決めた』
休憩室で飲んでいたお茶を置き、返事を打つ。
『おめでとう。どこにしたの?』
『会ったとき話す』
『金曜、空いてる?』
その日は予定がなかった。
*
待ち合わせ場所に着くと、蓮くんがベンチから立ち上がった。今日は薄手のシャツに黒いパンツで、スーツ姿を見ることが多かったぶん、少し久しぶりな気がする。
「お疲れ」
「お疲れさま。おめでとう」
「ありがとう」
近づくと、彼が手を差し出した。取った手に指を絡めながら、尋ねる。
「今日は何食べたい? お祝いだから、蓮くんの好きなものにしよう」
彼は少し考えた。
「ハンバーグ」
「最初のお店?」
「うん。デミグラス、一皿食べたい」
思わず笑ってしまった。最初に一口交換してから、ずいぶん経つ。
「じゃあ、私は和風にしようかな」
「逆だね」
「そうだね」
*
注文を済ませると、蓮くんが会社の名前を教えてくれた。
前に説明会へ行った、オフィスの家具などを扱うメーカーだった。あの冊子に載っていた、明るいオフィスの写真を思い出す。
「営業?」
「うん。何を担当するかは、入ってから決まるけど」
「そっか。どうして、そこにしたの?」
蓮くんは、少し考えてから話し始めた。
「社員の人と話して、働いてるところが一番想像できた。大変なことも、結構教えてくれたし」
「どんな?」
「商品を覚えるのも大変だし、納期の調整とか、思ったとおりにならないことも多いって」
聞きながら頷くと、彼は続けた。
「でも、話してる本人が面白そうだったんだよね。納めてから、使ってる人に話を聞けるのもいいなと思った」
説明会の帰りにも、そんなことを言っていた。実際に働く人や、使う人の話を知りたいと。
「人の話を聞くの、好きなんだね」
「そうかも。自分じゃ思いつかないこと聞けるし」
「蓮くん、結構覚えてるものね」
彼が私を見て笑った。
「真帆さんの、最初の案に戻った話とか」
「それは忘れてくれていいんだけど」
「印象に残ってる」
ちょうど料理が運ばれてきたので、私はそちらへ向き直った。彼はまだ笑っていた。
■■■
就職先を決めてからも、蓮くんには授業とバイトがあり、卒論もあった。
会える日はご飯を食べ、時間が合わなければ電話で話した。私の帰りが遅くなった夜、これから夜勤だという彼と駅で会い、十分だけコーヒーを飲んだこともある。
冬が過ぎる頃には、卒論から解放されたと連絡が来た。そのあと送られてきた卒業式の写真には、友達と並んで笑う蓮くんがいた。
私といるときとは、少し違う顔だった。
何度か見返してから、おめでとうと送った。
四月になると、二人とも会社員になった。
*
初めてのお給料が出た週、蓮くんに食事へ誘われた。
『今日は俺にご馳走させて』
バイト代で払ってもらったことはある。それでも、今度はまた少し違って、私は返事をする前に、その一文を読み返した。
金曜日、連れていってくれたのは、駅から少し歩いたところにある和食のお店だった。
「ここ、来たことあるの?」
「ううん。魚がおいしいらしい」
「楽しみ」
メニューを開き、鯛の煮付けと焼き魚の間で迷う。蓮くんも料理の写真を見ていたけれど、やがて、ふと自分の座っている椅子へ目を落とした。
「どうしたの?」
「最近、どこの椅子か気になるんだよね」
「ここのも?」
「うん。つい見ちゃう」
言われて、私も自分の座っている椅子を見た。今まで、座り心地くらいしか気にしたことがなかった。
料理を待つ間に、研修の話を聞いた。覚える商品が多く、椅子だけでも思っていた以上に種類があるらしい。
「疲れてない?」
「疲れる。でも、面白い」
「そっか。よかった」
蓮くんは頷いて、運ばれてきた料理を見た。
鯛の身は、箸を入れるとほろっとほどけた。一口食べて顔を上げると、彼がこちらを見ている。
「おいしい?」
「すごく」
満足そうに笑ってから、蓮くんも食べ始めた。
私も今週の仕事の話をした。ようやく一区切りついた案件があって、話し始めると、途中の細かい愚痴まで出てきてしまった。
「ごめん。今日は蓮くんのお祝いなのに」
「聞きたいよ」
「そう?」
彼は箸で魚の骨を外しながら答えた。
「真帆さんが何してたか、知りたいし」
私はお茶に手を伸ばした。
こういうことを、何でもない顔で言う。蓮くんは私を見て、少し笑った。
店を出てから、改めてお礼を言った。
「ごちそうさまでした。初めてのお給料なのに、ありがとう」
「ご馳走したかったから」
差し出された手を取り、隣に並ぶ。
覚えることが多いと言いながら、蓮くんは楽しそうだった。私にも、あんなふうに働いていた頃がある。今では当たり前にやっていることも、初めてできたときには嬉しかったはずだ。
「何考えてるの?」
顔を向けた彼に、私は笑った。
「私も、仕事頑張ろうと思って」
「今日、そんな話だった?」
「うん。私には」
蓮くんは少し不思議そうにしてから、つないだ手を握り直した。




