送ってもらってもいいんだ
カフェを出ると、蓮くんが私の隣に並んだ。
さっきまで向かいに座っていたのに、横を見るのが少し照れくさい。彼は通りの先を眺めてから、こちらへ顔を向けた。
「このあと、予定ある?」
「ないよ」
「じゃあ、もう少し歩こう」
頷くと、手に触れられた。蓮くんは私の手を取ったまま、こちらを見ている。
握り返したところで、指の間に彼の指が入ってきた。
「……え」
思わず手元を見た。ただ握るより、ずっとぴったりくっついている。
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
答えても、すぐには顔を上げられなかった。
隣で笑う気配がした。
「びっくりした?」
「……した」
ようやく歩き出すと、蓮くんも隣を歩いた。つないだ手をどのあたりに置けばいいのかまで気になって、しばらく通りの店を見る余裕がなかった。
駅とは反対の道へ入り、人通りが減った頃、蓮くんが明日の一限の話をした。そのあとには、会社の説明会もあるらしい。
「もう、どこを受けるか決めてるの?」
「いくつか気になってる。まだ調べてるところだけど」
「そっか。蓮くんって、何学部だっけ?」
何度も会っているのに、聞いた覚えがなかった。
「経済」
「あ、そうなんだ」
「真帆さんの仕事も、ちゃんと聞いたことないよね」
私は会社で企画に関わる仕事をしていると話した。日によって頼まれることが違うし、外で仕事の説明をする機会もあまりないので、何から話せばいいのか迷う。
「どうして、今の仕事を選んだの?」
聞かれて、就職活動をしていた頃を思い出した。
「自分が関わったものを、お店で見られるのが楽しそうだと思ったのかな」
「実際、働いてみてどう?」
「楽しいこともあるよ。思ってたのと違うことも、いっぱいあるけど」
ようやく出来上がったものを見に行ったら、棚の下段で全然見えなかったことがある。そんな話をすると、蓮くんは笑いかけて、私の顔を見た。
「笑っていいやつ?」
「いいよ。今はね」
「そのときは?」
「しばらく、その棚の前にいた」
彼が笑ったので、私も笑った。
仕事の話をするうちに、つないだ手にも少し慣れてきた。蓮くんが聞いてくれるので、つい失敗したことまで話してしまう。
「就活の参考になる?」
「うん。説明会だと、あんまり聞けないし」
それなら、少しは役に立てたらしい。
私も彼の授業や友達の話を聞いた。食事のときにも大学の話はしていたけれど、名前だけ知っていた友達が、どんな人なのか少しわかった。
話しながら歩いていたら、いつの間にか駅へ戻る道に出ていた。
入口を見て、歩調を緩める。いつもなら、ここで別れる。
蓮くんも立ち止まったけれど、手は離れなかった。
「家まで送っていい?」
顔を上げると、彼はこちらを見ていた。
「……うちまで?」
「うん。まだ一緒にいたいし」
それを言う顔があまりに普通で、返事の前に笑ってしまった。
「何?」
「ううん。じゃあ、こっち」
私はつないだ手を少し引き、いつもの改札へ向かった。
*
真帆さんの家は、駅から十分ほど歩いたところだった。
途中、スーパーの前で彼女の足が緩む。
「買い物ある?」
「今日は大丈夫。つい、いつもの癖で」
店先の野菜を見てから、こちらへ向き直って笑った。
こういう道を、毎日歩いているのか。待ち合わせ場所に来て、駅で別れるところまでしか知らなかった人が、隣でスーパーの品物を気にしている。次に会うときはここを通るんだろうと思いながら、彼女と歩いた。
「ここ」
通りから少し入ったマンションの前で、真帆さんが足を止めた。
「送ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
それでも手はつないだままだった。彼女も離さずにいて、何となく二人とも黙る。
「明日の説明会、頑張ってね」
「うん」
ありがとう、と答えると、また静かになった。帰る理由を二人で確認しているみたいだった。
「真帆さん」
顔が上がる。
「キスしたいんだけど」
目が丸くなった。
その顔に笑いそうになったけれど、彼女が入口へ目をやったので、少し待った。
「……ここで?」
「嫌なら、しない」
つないだ指に、力がこもった。
真帆さんが首を振る。顔を近づけると、こちらを見ていた目が閉じた。
待ってくれている。
そうわかった途端、さっきまで普通に話していたのが嘘みたいに、胸の奥が苦しくなった。
唇に触れ、離れる。
真帆さんはゆっくり目を開けた。まだ近くにいる俺を見て、困ったように眉を寄せる。
「……何」
「いや」
可愛いと思った、と言ったら、ますます顔を上げてくれなくなりそうだった。
握っていた手を少し揺らす。
「またね」
「うん。またね」
ようやく指をほどくと、彼女はバッグから鍵を出した。入口へ向かうのを見ていたら、扉を開ける前に振り返る。
目が合って、恥ずかしそうに笑った。
俺も手を上げた。
電車に乗ってようやく、真帆さんが好きだと言ってくれたときの顔を、ゆっくり思い出せた。
あのときは返事を聞くのに精いっぱいだった。嬉しいと言えば俯いてしまうし、もっと見たくても、こちらを見るようには頼めなかった。
膝に置いた自分の手へ目を落とす。ついさっきまで、彼女の指が絡んでいた。
次に会ったら、またつなごうと思った。




