テーブルが邪魔だった
電話が切れてからも、しばらくスマホを耳に当てていた。
店を出たとき、通りの向こうに真帆さんが見えた。買い物袋を持って、駅のあるほうへ歩いていた。声をかけられる距離ではなく、隣の人に話しかけられている間に、見失った。
気づかれただろうかと思って、あとで連絡した。
彼女じゃないと伝えれば、それで済むと思っていた。
来週も会えると思っていた。
映画を見て、そのあと何か食べる。彼女の送ってきた予告編に感想を返したときには、もうそこまで楽しみにしていた。
「……言えばよかった」
一緒に行きたかった。それは言った。
でも、何で一緒にいたいのかは、言えてなかった。
*
今日会った人から、お礼のDMが来ていた。
勧めたピアスを来週つけて出かけるらしく、写真が添えられている。その下には、また会いたいと書いてあった。
楽しかったし、喜んでもらえたことも嬉しかった。いつもなら、写真を褒めて、予定を確かめていたと思う。
返信を書きかけて、止まった。
ここで次を楽しみにさせても、俺はきっと、真帆さんから連絡が来ないか気にしてしまう。
お礼を返し、もうこういう形では会わないつもりだと伝えた。少し迷ってから、好きな人がいることも書いた。
送信すると、その言葉が画面に残った。
好きな人。
自分で書いたくせに、しばらく見てしまった。
*
真帆さんとのトーク画面を開く。
あの人とはもう会わない、と打って、消した。
それを先に言えば、やめたのだから会ってほしい、という話になりそうだった。
そうじゃない。
映画に誘ってくれて嬉しかった、と言った声を思い出す。
俺が何を言っても、少しずつ遠くなるようで、電話を切りたくなかった。
今度は、顔を見て言いたかった。
『さっき、ちゃんと言えなかったことがある』
『会って話したい。いつなら大丈夫?』
送ってから、スマホを置いた。
返事は翌日の昼に来た。
『来週の日曜なら』
『お茶だけでもいい?』
『もちろん』と返し、駅の近くのカフェで待ち合わせることになった。
店の場所を調べたあと、映画の上映予定も開いてしまった。
でも、来週も、まだやっている。
画面を閉じて、真帆さんとの約束をカレンダーに入れた。
■■■
カフェの奥で、蓮くんが手を上げた。
背の高い椅子が並ぶ、壁際の席だった。近づくにつれて、彼の顔がよく見える。
会いたかったな、と思った。
「待たせちゃった?」
「ううん。今来た」
向かいに座ると、いつものようにこちらを見る。その目に少し困って、メニューを開いた。
コーヒーを頼んでからも、何を話せばいいのかわからなかった。映画の話なら、いくらでもできるのに。
「来てくれて、ありがとう」
「私も、ごめんね。映画、待ってもらっちゃって」
「それはいいよ」
そこで言葉が途切れた。
蓮くんは急かさずに待っていた。私はテーブルの端へ目を落とし、それから彼を見た。
「……この前、一緒にいた人。嬉しそうだったね」
「うん。喜んでもらえるように工夫したからね」
「工夫?」
彼は少し考えた。
「どう言ったら嬉しいかとか、何をしたら楽しめるかとか。仕事として会ってるから」
あの人が髪を耳へかけた仕草を思い出した。蓮くんは、そんな顔をしてもらえるように接していたのだ。
「私も、あんな顔してたのかなって思ったの」
彼の口元から、笑みが消えた。
「蓮くんと話すの、楽しいから。ああいうふうに笑ってもらったら、嬉しいよね」
コーヒーが運ばれてきて、いったん黙った。店員さんが離れてからも、カップには手をつけられなかった。
「最初は、ご飯だけで楽しかったんだよ。でも、蓮くんから連絡が来るのを待つようになってた」
言ってしまうと、顔を見ているのが難しくなった。
「映画も、私に会いたくて誘ってくれたのかなって思ってたから。それも、喜ばせてくれてたのかなって……」
声が小さくなる。
「会いたかったから、誘ったよ」
顔を上げると、蓮くんは私を見ていた。
「映画を見て、真帆さんと話したくなった。次は隣で見たかった」
「うん。でも、それは」
「好きだから」
続けようとした言葉が止まった。
蓮くんは、私から目を逸らさなかった。
「真帆さんが好きなんだよ」
私はコーヒーに手を伸ばした。飲もうとして、まだ熱いことに気づく。戻したカップがソーサーに当たり、小さく鳴った。
「あのね。私たち、十二歳違うでしょう」
「うん」
「蓮くんはこれから就職して、会う人も変わると思うの」
彼は黙って聞いていた。
「同じくらいの歳の子のほうが、一緒にいて楽しいって思うかもしれない」
「……真帆さんは、俺といて楽しくない?」
「楽しいよ」
思わず答えると、彼の眉が少し下がった。
「じゃあ、真帆さんは?」
先の話ならできた。自分がどう思っているかを言うほうが、ずっと怖かった。
「好きだと思う」
蓮くんの目が、わずかに開く。
その顔を見たら、曖昧にしておけなくなった。
「思う、じゃなくて……好き」
彼の口元が緩んだ。隠す気もなさそうに嬉しそうで、見ている私の頬まで熱くなる。
「だから、怖いんだよ」
膝の上で両手を重ねた。
「ほかの女の人と会ってたら、嫌だと思うし。今までみたいに、楽しかったねって帰れなくなる」
蓮くんは、今度は笑わなかった。
「結婚も、今すぐしたいわけじゃないけど、何年かしたら考えるかもしれない。そのとき、蓮くんにはまだ早いかもしれないでしょう」
付き合ってもいないのに、こんな先のことまで。
「……重くて、ごめんね」
彼を見ると、また口元が緩んでいた。
「今、笑うところ?」
「ごめん。嬉しくて」
「私、結構、真剣に話してるんだけど」
蓮くんは頷いた。
「そんなに俺のこと考えてたんだ、と思って」
今度は耳まで熱くなった。
「……言わなきゃよかった」
「それは困る」
すぐに返され、何も言えなくなる。
「重くていいよ。ちゃんと聞くから」
その声は、笑っていなかった。
「真帆さんだって、俺じゃないほうがいいって思うかもしれないじゃん」
少しして、蓮くんが言った。
「アプリで、同じくらいの歳の、仕事もちゃんとしてる人に会って。俺といるより安心するかもしれないし」
簡単には否定できなかった。未来はわからないと言ったのは、私だ。
「俺、面白くなかったよ。アプリ始めたって知ったとき」
「……そうだったの?」
「俺にはあんなに格好いいって言ったじゃん、って」
私は彼を見た。
「それは、本当にそう思ってるから」
「うん。知ってる」
いつもの返事に、少し笑ってしまった。
「でも、顔が好きなのと、付き合いたいのは違うんだろうなって思った。だから、今、嬉しい」
彼はテーブルに置いた自分の手を見てから、私へ目を戻した。
「先のことは、俺も全部はわからないけど。怖くなったら、俺に言って」
私は頷いた。
「勝手に俺のためとか考えて、いなくならないで」
返事をしようとしたとき、彼が少し困ったように笑った。
「俺のこと、捨てないでよ」
その顔を見たら、抱きしめたくなった。テーブルが、邪魔だった。
私は彼の手に触れ、そっと握った。蓮くんは一度手元を見てから、私を見た。
「……捨てないよ」
握り返してきた手が温かくて、ますます、テーブルが邪魔になった。
「私も、ちゃんと話す」
「うん。俺も」
彼の指が、私の手を包み直した。
「ほかの人と、ああいう会い方はもうやめる。真帆さんと付き合いたいから」
私はつないだ手を見て、それから彼の顔を見た。
「……私も、蓮くんと付き合いたい」
蓮くんが笑った。
今度は目を逸らさずに、その顔を見ていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
蓮と真帆の物語も、いよいよ終盤です。
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