この服、どうしよう
彼を見かけたのは、その翌週だった。
買い物帰り、通りの向こうに見覚えのある横顔があった。アクセサリーのお店の前で、隣にいる女の子の話を聞いている。
淡いピンクの短いカーディガンにデニム。巻いた髪が肩にかかり、笑うたびに揺れていた。二十代前半くらいだろうか。可愛らしい子だった。
声をかけようとしたところで、蓮くんが少しかがんだ。
彼女の耳元を見て何か言うと、その子は嬉しそうに髪を耳へかけた。蓮くんの腕に触れた手が、そのまま残る。
私は足を止めた。
彼女、いたんだ。
並んだ二人は、自然に馴染んでいた。見上げる彼女に蓮くんも笑って、近くで話している。
お似合いだな、と思った。
信号が変わり、私は買い物袋を持ち直した。今、声をかけるのは野暮だろう。それに、何と紹介してもらうのかも、よくわからなかった。
*
電車に乗ってから、蓮くんとのトーク画面を開いた。
来週の映画の約束が、画面に残っている。そのあと何を食べようかと、ついさっきまで考えていた。
あの子は、知っているのだろうか。
私と二人で食事をして、映画にも行っていること。
そんなことを考えていたら、蓮くんから連絡が来た。
『さっき、駅の近くにいた?』
『うん。買い物してた』
すぐに既読がついた。
『一緒にいた人、時々ご飯行く人なんだ』
『彼女じゃないよ』
画面を見つめた。
『そうなんだ』
返すと、少しして、もう一通届いた。
『帰ったら電話していい?』
私はしばらく画面を見てから、『うん』と返した。
時々ご飯に行く人。
私も、そうだ。一緒に食事をして、楽しく話して、次の約束をする。
彼女ではないとわかって、ほっとしたはずなのに、アクセサリーのお店の前で見た笑顔が頭に残っていた。
*
帰宅して、買ってきたものを冷蔵庫にしまった。服の入った袋はソファの脇に置き、蓮くんへ『帰ったよ』と送る。
ほどなく着信が来た。
「もしもし」
「真帆さん?」
聞き慣れた声に、胸のあたりが少し緩んだ。こんなときでも、声を聞くと嬉しいのか。
私はソファに腰を下ろした。
「さっきの人、前から食事とかに誘ってくれる人なんだ」
「ああ……そっか」
もっと年の離れた女性と会うものだと、何となく思っていた。あんなに若くて可愛い人もいるのか。
あの人も、今日のために服を選んだのかもしれない。耳元へ顔を寄せてもらって、嬉しかったのだろう。
私だって、映画館で小声で話しかけられただけで、しばらく落ち着かなかった。
「真帆さん?」
「うん。聞いてる」
「真帆さんとは違うから」
そう言ってくれる声は優しかった。でも、何が違うのか聞いたら、困らせてしまいそうだった。
食事だけでいいと伝えたのは、私だ。近づいてきた彼に、そういうことはしなくていいと言ったこともある。
「……映画、誘ってくれて嬉しかったの」
少し間を置いて、返事があった。
「俺も、一緒に行きたかったよ」
「私に会いたくて誘ってくれたのかなって、思ってたから」
「そうだよ」
あの人にだって、会うのを楽しみにしていたと言うのかもしれない。
そんなことを考えた自分が嫌だった。彼女ではないと教えてくれたのに、それだけでは足りなくなっている。
「次の映画、少し待ってもらってもいい?」
向こうが静かになった。
「まだチケット、取ってないから」
「……会いたくなくなった?」
「そうじゃない」
それだけは、すぐに答えられた。
会えば、きっと嬉しくなる。いつものように顔を眺めて、笑ってしまうと思う。
「ちょっと、考えたいだけ」
蓮くんはしばらく黙っていた。待っている間に、窓の外を車が通り過ぎた。
「わかった」
やがて、声が返ってきた。
「でも、俺が会いたくて誘ったのは、ちゃんと覚えてて」
頷いてから、電話では見えないことに気づいた。
「……うん」
通話が終わっても、しばらくソファから動けなかった。
画面には、映画を選んだときのやり取りが残っている。
『ありがとう。楽しみ』
私はそこを読み返し、スマホを伏せた。
服をハンガーにかけようと、買い物袋へ手を伸ばす。店で鏡に当てたときには、色が気に入ったのだと思っていた。
違った。
これ、蓮くんと映画に行く日に着ようと思っていたんだ。




