人生で一番長い夜
どれくらい時間が経っただろう。
一頻り無念を噛み締めた後、次の手紙に手を伸ばす。
『拝啓、ヴィンス・ヴィンセント様
夏も更け、涼が顔を出す中、なお熱冷めやらぬご健勝を見受け感嘆しております。』
頭語から始まるえらく丁寧な時候の挨拶。
貴族特有の書き出しは、書類仕事でよく目にしていた。クレイヤ男爵令嬢からのもの。
『先の決闘、無念の程は計り知れません。ただ、ヴィンス様の積み上げた研鑽の程は剣を知らぬ私をも震わせる重さが感じ取れました。』
剣の世界、この奥深さが伝わったのは感慨深いものだ。しがない自分の努力が、少しだけ肯定された様な気がした。
『騎士を降り、行く末が未だ定まらぬなら、貴殿さえよければ食客としてしばらくお迎えする手筈は既に整っております。無論、仕事の斡旋も手伝わせて頂きますよ。手形を持って、いつでもお越しください。』
これは驚きだ。クージョア男爵家は近年農工商と幅広く勢力を伸ばしており、労働者からの信頼も厚い。働き口の門戸としてはこれ以上ない。
その上しばらくの間は宿探しにも困らない、というのは話がうますぎて怖いくらいだ。
元来教会騎士は花形とされる職業。この位の恩恵はあっても良い…のか?
なにぶん産まれから今まで教会育ちだ。世間には幾分疎い。これを機に世を見て回るのも良いのかもしれない。
これは一考の余地があるな…とりあえず、手紙についているこの手形は大事に持っておこう…おや?
気配を感じたので部屋の扉を開ける。
「わっ」
そこには食事を手にしたヒーラー、イセラさんが立っていた。
「あぁすみません、気配がしたもので…。」
「こ、こちらこそ!お休みの邪魔をしてしまったようで…。」
とりあえず、中へどうぞ。
「閉門の時間になっても、お食事を取られなかったようなので、お届けに参ろうかと…。」
イセラさんはおれの看病のため、城に残ってくれたらしい。それは申し訳無い事を…。にしても、今日は所作が忙しない。視線が散り、しきりに淡い栗色の髪を触っている。
どうかされたのか伺ってみると、
「そ、その…手紙は…読まれましたか?」
ちょうど今から読む所でしたよ、と宣うと、あはは…と笑いでごまかしながら焦ったように手紙を回収する。
「た、大したことは書いていないので…あはは…」
それにしても、イセラさんには本当にお世話になった。数え切れない程の怪我を治療してもらい、ちょっぴりお菓子を分けてもらったりもした。これからはこんな事も無くなるのかと思うと、少し寂しくなる。
休暇扱いの期間に、ちょっと奮発したお土産でも買ってこよう。幸い、臨時収入なら手に入った。
「その…今後は、いかがされる予定ですか?」
クージョア男爵令嬢から食客の誘いがあり、そこから仕事を探す予定である旨をそのまま伝えた。
「男爵令嬢から食客のお誘い…!?元々懇意にしていたのですか…!?」
いや…面識は今日の決闘が始めてで…
「それは不思議ですね…貴族の食客とは、大抵が血縁や直接の友人、大きな武功を挙げた者がほとんどなのですが…
ただ、クレイヤ女史は変わり者だと聞いているので、そういうこともあるのかもしれません。」
なるほど、運が良かっただけ、ということなら合点がいく。友人にも恵まれているし、才能は無くとも運は良いのかも、なんてね。
「とにかくそういう事でしたら、しばらくは気を休めることが出来そうですね。
そういえばトレイトさん、送別会やるぞ!って意気込んでましたよ。"不屈"の剣を酒で磨いて送り出そう!って」
あはは、こういう時切り出すのはトレイトだよなあ。酒の機会をいつも狙ってる。
「あはは…よくお出かけされてますよね。あの…その…」
イセラさんがまたソワソワし始める。もしかして…
「イセラさんも来るかい?」
「!?」
図星…いや少し外れた感じ?踏み込み過ぎたかな…
「え、あ、お酒の席は少し怖いので…あ、お酒を一緒に飲むのは構わないんですけど…。」
「ふむふむ…じゃあ、別日に帝都で外食を、と思っているんですが、一緒にどうでしょう?」
あえて恭しく。どれ程の間が丁度良いんだろう。
「! それなら…喜んで!」
花の開く様に柔らかく晴れる顔。
「しかしここで困り事です。実はあまりお店を知らなくて…イセラさんが入ってみたいお店などありましたら、ご教授願います。」
この距離感なら、イセラさんも固くならずに済むのかな?
「それなら私、行ってみたいお店があるんです。日の17、昼の4に聖堂前の泉で待ち合わせしませんか?」
3日後…予定は基本的に鍛錬に当てていたので暇は幾らでもある。当然快諾した。
持ってきた食事を頂きながら、他愛ない話をする。
すると、ふと扉の前からまた気配がした。
一体誰だ…?
その旨をイセラさんに伝え扉を開けると、青ざめた顔をした銀髪の少女が肩を竦めて縮こまっていた。
「聖女様…?こんな時間に一体どうして?」
か細い人差し指を唇に当て、小声で喋りこむ。
「私を、匿ってくださいませんか?」
言うが早いか、部屋に潜り込む。一体どうしたのだろう。
「ヴィンス?」
斜向かいにある階段から降りてきたのは、同僚のジュダー。真面目で堅物だが出来る男だ。今日の見回りは君か…。
「何故扉を…?」
扉の外から気配がしてね、こんな時間に誰だろうと思っただけさ。
「悪いが、緊急事態につき部屋を調べさせて貰う。」
静止する間もなく入るジュダー。マズい。
一体何があったんだ?と問いかける。
振り返ること無く一歩ずつ周りを見渡すジュダー。イセラさんの方は緊張の面持ちで身を竦めている。
「もうお前には関係ないだろう。今日付けで騎士の任は解かれた筈だ。」
まだ二週は休暇で所属してる。聞く権利はあるだろう、と食い下がる。
「…聖女殿下が失踪された。」
「…!大事じゃないか。周りにはもう伝えてあるのか?」
「閉門の時間から姿を消した、ということからそう遠くへは行っていない筈だ。」
ベッドを軽くひっくり返す。凄まじい膂力だがこれはスキルなのか…?
続けて箪笥、机を都度持ち上げ確認する。引っ越しの際にはジュダーを呼ぶとさぞ楽だろう。
「俺は誘拐の線も考えている。」
窓を開け上下左右を見渡す。一通り外を見渡した後、
「これでお前達の疑いは晴れた。邪魔したな。」
ドアの前から動けずにいる俺に、すれ違い様呟く。
「お前は弱かったが、心は誰よりも強かった様に思う。残念だ。」
ようやく行ったか、と思ったが、ドアの前で立ち止まる。あの、まだ何か…?
「明日の昼の5,トレイトが送別会を開くらしい。レズィロ通りのリミリアという酒場のようだ。俺も起きれたら行く。」
夜勤だもんな。自分が見回りでも起きれるか微妙だ…。
「潔白の為にも、今日は二人とも部屋から出るな。」
足早に次の部屋へ向かって行った。
しばらく様子を見守る。
「…もう大丈夫ですよ。」
ドアの裏、おれの影に聖女様は隠れていた。鍛えて大きくなった身体とジュダーの長身で、上手く死角になってくれたようだった。
「ありがとうございます。危ない所でした…。」
聖女様はベッドに腰をかけ、緊張が解けたのか大きくため息をつき、水の様に柔らかい銀の髪が肩に落ちる。
セージョ・マグダラ・アムネスト教皇殿下
若干18歳にして、法王エルンスト陛下と並ぶ、我が国アムネスティで最も位の高いお方の一人だ。
また位に違わぬ優秀さも持ち合わせており、齢十一にして国の会計記録を洗い出し、不正を働いていた貴族を一掃。税制も国民への負担を緩和しつつ国益を損ねぬよう整えた辣腕から、幼い頃より為政者として認められる傑物。舞や音楽にも長け、数々の革新的な文化を生み出し続けているが…流石に一人のものでは無いだろう。
「あの…セージョ様はどうしてこのような事を?」
イセラさんの思案顔。仕事中の彼女は結構クレバーだ。様々な場合を想定している姿は、怪我の種類を正しく判断する医療士ならではの風格を感じる。
セージョ殿下は一瞬銀の目を上に向け、意を決した様にイセラさんを見つめた。
「私は、神代の記憶を持っているのです。」
「!!」
神代。神の時代。
あらゆる海を超えて言葉を交わし、生ける機械を造り、遠い星々を駆けたと言われる遠い祖先。その遺物は神の技術によって保護され、迷宮を作り出した。その神代の記憶を持つのなら、数々の勲功にも説明がつく。
「いきなりこんな事を申し上げて、乱心したのかと思われましたよね。」
繊細な糸縫いを思わせる細い眉がハの字を作り困った様な笑顔を浮かべる。
軽く首を横に振る。イセラさんも共に拝聴の姿勢だ。
「ただ、この記憶が教皇代理や幾人かの枢機卿を脅かしてしまったのも事実。本来の才覚以上の物事を成し遂げてしまいましたから…。」
「そんな事は…その件が今回とどの様な関係が?」
サラッと本題に戻した。流石だ。
「紅き竜約。国教アムネストの非純血派解釈に属する者からの襲撃を受けました。」
国教のアムネストは聖典の解釈が複数あることから若干の派閥が出来上がっている。
紅き竜約は端的に言えば「後継者はアムネスト家の血を引いていなくても良い」という考え方であり、能力および実力主義で序列を鑑みる派閥だが、現教皇エルンストは外交の為内政を教皇代理及び枢機卿の面々に任せきりにしている点を皮切りに一部の貴族で根を伸ばしている。
「考え方は私自身も近しい所はあるのですが…襲われてしまった以上、懇意には出来ませんね…。」
「お気持ち、お察しします…。つまりは、殿下襲撃の原因を、ご自身の神代の記憶からくる勲功に対し、紅き竜約が危機感を覚えた為、とお考えなのですね…。」
聖女の勲功に焦って刺客を差し向ける、というのは少し突飛な話に思える。イセラさんも情報が足りず思案の色が濃くなってきた。
「そういえば、どこで襲われたか覚えておりますか?」
寝室及び寝室横の書斎である。とのこと。
ジュダーが上から降りてきた事を考えると、あの几帳面な男が確認していない訳は無いはずだが…
「そうだ、ヴィンス様にお願いがございます。書斎の机に、私の印鑑と羽根のペン、インクがあるので、取ってきてほしいのです。」
えっ
「お言葉ですが殿下、今ヴィンセントを部屋から出せば、彼の疑いが強まりここを調べられる可能性が大きく高まってしまいます…!」
咄嗟にイセラさんが庇ってくれた。おれも同じ意見だ。
「リスクの大きい行動だとはわかっています。ただ、今回収出来れば、この状況を含めた大局に逆転の手が打てるのです。」
逮捕、戦闘のリスクを背負って出るにはリターンが不明瞭で根拠も薄弱。正直、聖女殿下の悪戯、思い込みという線は捨てられない。
「城を出て潜伏し信頼できる者に書面を送り同盟を結ばせ、コンクラーベ、つまりは教皇選挙までに襲撃の抜本を突き止める。その為には私を証明出来る文具が必要なのです!」
急に明確になった。にしてもバレずに移動できるだろうか?
「私が隠密に関する補助魔法を付与します。これで成功率は大きく上げられるはずです。」
ありがたい。願ったり叶ったり、だ。
「…承知しました。やるだけやってみます。」
聖女殿下はおれに手をかざすと、多重の魔法陣が姿を現し、淡い光を放った。
「凄い…目の前にいるのに存在感が薄くなってます…一体どんな式を…?」
「遮音遮光暗視に感知魔法を逆で組み込んでいます。連携や干渉についてはスキルで誤魔化しているので汎用化はもう少し先の話にはなると思うのですが…。」
セージョ様の話を横にイセラさんがこっちを見て頷く。決行準備ヨシと言った所か。
「それでは、早速、行ってまいります。」
部屋を出、そそくさと書斎へ向かう。なるほど。足音どころか衣擦れの音もしないし光に当たっても影が出来ない。これはかなりありがたいぞ…!
「そういえば、セージョ様はあの隠密魔法を使えばヴィンスさんにも見つからなかったんじゃないですか?」
「…使ってて気付かれたんですよね。」
「え」
さて、後は部屋に戻るだけ、か。
案外簡単に事は済んだ。迅速なタイミングが功を奏したのだろう。ペンと印鑑にインクの瓶は懐にしまって殿下襲撃の痕跡を少し探してみる。
書斎は漁られている様子もないが、確かに妙な違和感がある。かすかに気配が残っているのか、吸い寄せられる様に寝室を覗く。
目に飛び込んで来たのは何の変哲もない部屋。しかし目を凝らすと…誰かが立っている!?
赤く幅の広いローブに、山羊の骨を思わせる金面。装束に身を包んだそれは寝室の壁をしきりに調べている。…隠し部屋でもあるのか?
隠密の魔法がかかっているとはいえ、油断は禁物。余計な詮索は後で。さっさと退散しよう。
足を引いて部屋から遠ざかる。踵を返すとそこにはローヴェイン教官ことロヴェが書斎の扉の前で目を見開いたまま固まっていた。
「お前…何をしているんだ…?」
最悪だ。この状況をどう説明する?
今ので後ろの部屋にいる山羊兜に気取られたか…?
おれの様子に何かを勘付くロヴェ。
直後、俺の真横、寝室の前に立っていた。移動系のスキルか…!?
見開いた目が細まり、いつもの眼差しに戻る。
「…何者だ。貴様は。」
瞬間、寝室のドアが烈風によって周囲の壁毎吹き飛ばされていた。この威力は…!
ロヴェは向かいの壁に叩きつけられていた。甲冑含めれば麦粉を詰めた樽ほどの重さはあるというのに…!
意識はある様だが体勢は崩れている。すると一瞬、おれを見た。
目の前に剣が放られている。まさかわざと…!?
そのまま空で取る。これは…魔力が付与されている。切断、剛性の強化、使用者の速度及び筋力の強化。一時とはいえスキルを補える。これなら…!
ロヴェは近くの燭台を武器代わりに握り、間髪入れず放たれる烈風に対し潜り込む様に躱していく。雷速の足運びもあり、瞬く間に距離を詰めていた。
一方でおれは更に気配を消し、軽く身を屈め一瞬の機を伺う。狙うは足から得物を狙う斬り上げ。一対一を意識させ、不意を突くヴィジョンが。
許される猶予はおそらく一撃のみ。外せばあの烈風で吹き飛ばされるだろう。
ロヴェは上手く潜り込めたようだ。音から察するに、逃げられない様に窓側まで突っ込みこちらへスキルの波状攻撃を仕掛け、書斎へ追い込んでいる。覗くまでもなく、壁越しに音が近付いている。その時は近い。
研ぎ澄ませ…!一瞬への無念すら雑音。
機を伺い、掴む。
この一瞬に、賭ける。
「喰らえ!!」
合図だ。
ロヴェの放った大量の斬羽に押し出される様に山羊兜が下がった。
一閃。
太腿、二の腕を逆袈裟に一撫で。深々と切られる無惨な光景とは裏腹に、隠密のせいか息を呑むような静けさ。零れた花が落ちるが如し。その様は、奇しくも"居合"の似姿であった。
尻餅をつくように崩れる山羊兜。念の為手元にもう一度切り下ろす。魔石の付いた手甲が砕け、金具が散逸した。恐らくはあの烈風を補助していた魔道具だろう。付与付きの可能性もある以上、壊しておくに限る。
「よくやった!」
壁越しに聞こえるロヴェの声。念の為山羊兜の後ろに回り込む。不意打ちによる打開は許さない。
「さあ、正体を明かしてもらおうか!」
俺が後ろから山羊兜を外す。思ったより小柄だな…
突如、山羊兜を中心に爆風が巻き起こる。
なっ…!?無詠唱は手甲に依る補助じゃなかったのか!?
吹き飛ばされつつも頭部を斬りつけるおれとロヴェ。兜は巻き上げられ、出てきたのは―――
爆風が更に強くなる。
目も開けていられないような風の中で微かに見えた。
艶のある黒い髪の右上に覗く、禍々しく捻れた角。―――おそらく、魔族だ。
「殲風爆空翼烈破」
高まる風は衝撃と化し、書斎、寝室を吹き飛ばす。後に残ったのは月明かりに照らされた瓦礫と舞い散る紙。僕はせいぜい壁に強く押し付けられる程度で済んだ。
「ロヴェ…!いるか…?」
声が響かない。遮音がかかっているんだった。一体どこに…?
突如、瓦礫の中から山羊兜を握りしめた腕が姿を表す。
「ヴィンス!無事か!?」
良かった。無事そうだ。挨拶替わりに拳を軽く叩いてやった。ぶんぶん振っていた手が止まる。
…しかし騒ぎが大きくなりすぎている。
ここは一旦、外から階下に降り隙を見て殿下のもとへ戻ろう。ロヴェには悪いが今がチャンスだ。積もった瓦礫ごと身体を動かそうとしてる間に、退散させてもらうよ。
幸い、寝室隅の床には人一人通れそうな穴が空いている。降りることが出来そうだ。…ここに部屋あったかな?
疑問を持つものの、足音はすぐそこまで迫っている。押し出されるように僕は飛び込んだ。
風は夜を横切り、奇しくも雲は晴れた。星の瞬きが顔を出し始め、宵を賑わせる。
天の光は全て星、人に光があるならば、雲に隠される事もあるだろう。永い夜は、まだ続く。




