「もう遅い」
澄み渡る青空、吹き抜ける風。心地の良い日だ。
寝転がっているのは硬いレンガの上。疲れて動けない体に籠もった熱を冷ましてくれる。寝心地は心情もあって最悪だ。
今潰えたのは、可能性だったか、心だったのか。
「ヴィンス…貴様という奴は…」
言葉に窮しワナワナと震える教官ローヴェインは今や意味もなく名前を呼ぶ事しか出来ない。
かつては同期の新人として交誼を結んだこの男、長年頭を悩ませてきたこの事態に対し現実よりも楽観的にものを見ていたらしい。
「私が委任を請けてからスキル修練に費し4年…手を変え品を変え試行錯誤してきたが、ここまで芽が出ないとは…」
頭を抱えるロヴェ。やり方が悪かったのか?いやそんなはずは…と1人問答を続けている。
実際、内容に不備は無かったと思う。同じく訓練をしていた者は、総じていずれかのスキルを会得していた。才能ある者ならば2週と要らなかったほどだ。
つまりは、まあ、そういう事である。上体を起こし座り込む。
「私が見ている分だけでも十二分に開花の猶予はあった筈…。おい君、スキルでの"捌き"を覚えたのはいつだったかな?」
横で別の訓練を受けていた体の大きな新人に声をかける。おれが憶えている限りでは、一番パリィの修得に手こずっていたはずだ。修得した暁には騎士団の皆と大いに盛り上がった事を覚えている。
「は、教導訓練を受けてから113日目であります!」
細かい数字まで憶えて、嬉しさの程が見て取れる。
さぞ自信になった事だろう。涙を流し喜びに打ち震える姿は目に焼き付いている。
自分は…純粋な気持ちで喜んであげられなかった。晩に悔やんだ事も踏まえて思い出す。
「…私は、努力で成せぬものなど無い、と思っていた。むろん限度はあれど技能の習得に関してはその限りでなく、いずれは達成出来るモノだと。」
うんうんその通り、だと首肯する気力は今のおれには無い。
「…1000日だぞ…。」
タフな日々だった。
「千日だぞ!前転を覚えるのに千日訓練して進展が無い人間がいるか!?」
溜め込んだ鬱憤、もどかしさが普段冷静な教官を激情に追い込む。いつも美しく揺れる左右に分けた金の髪は、沸き上がる闘気により怒髪天を衝く勢いで振り乱されている。
「ヴィンス、立て。」
疲れた身体に鞭打ち立ち上がる。これから厳しいお言葉が待っているのだろう。と思えば、飛んできたのは手袋。
「この千日の訓練、常に限界を試す過酷なものだったと言える。間違いなくお前は"不屈"の男だ。現にスキルが無ければ基礎技術において随一と宣う者も多い。かく言う私もーーーいや。」
この所作はーーー。
「決闘を申し込む。私はこれ以上面倒を見られない、お前にこれ以上苦しんで欲しくない。…もう年だろう。私が勝ったら、騎士団を辞めてもらう。もし勝てたなら、好きに私を使うと良い。」
今その場の思いつきでは無い。教官として指導する前、友人として、騎士団の同期として14年の歳月に決着を着けんとする面持ちは、怒りよりも悲哀を含んでいるように見えた。
騎士としての終局。悪夢のような提案に、おれは
「謹んで、お受け致します。」
…暗い高揚すら覚えていた。
時間を取り、訓練で悲鳴を上げる身体をヒーラーに回復してもらう。この人がいなければ腰や膝はとうの昔に訓練で壊れていただろう。
「本当に、辞めてしまわれるのですか?」
光のよく通る青い瞳が不安気に潤む。
「決闘だからね。覆すつもりは無いさ。勝負には何が起こるか分からないし、まだ諦めたわけじゃない。」
口がよく回る。興奮から来る緊張だろうか。とは言え心境としては落ち着いたものだった。
時間無制限、得物は木刀、全身鎧なし、どちらかが降参するか倒れるまで。
包帯で肢巻を作り手首を固め、こっそり拳頭に鉄板を仕込む。鎖帷子の上にも仕込んでおいた。木刀での闘いに対する仕込みとしてはいささか無粋ともいえる備えだが、一撃耐えて殴り倒せる可能性があるのなら、喜んで準備しようじゃないか。追い詰められた鼠は猫を追い払う事もある。
スキルのない自分が勝つ為の戦略は一本道。懐に潜り込み、技の出掛かり出終わりの隙に差し込む。攻めあるのみ。守勢ではどうしても、勝ち筋が見えなかった。
装備を固め、外に出る。
屋外訓練場の中央。浅く砂と土が盛られ、仲間や同僚が観客として囲むそこは、古の闘技場を思わせた。
仮にも教会騎士の処遇が関わるため、立会人としてクレイヤ男爵令嬢が務めていた。農工商において革命を起こし続ける若き才女。おれとは正反対の覇道を歩む人間だ。
互いに背を向け、五歩。教会騎士決闘の作法。かつては幾度となく打ち合った背中が、今は隔絶した風格を纏っているのを感じた。
互いが向き直ると、覚悟の意気が周りをの口を閉ざす。一呼吸おくと、クレイヤ女史は軽く見目を整え、強い芯を感じさせる声で宣誓を始める。
「それでは、王公第従五位、男爵位クレイヤ・クージョアの名において此度の決闘を立ち会います。両者、宣誓と名乗り、構えと共に始めてください。お互い、悔い無きよう。」
お互いが一度構えをとれば、始まりの合図だ。
一礼。
「王下教会騎士教導官、ローヴェイン・ブリッツ。往くぞ…!」
「王下教会騎士、ヴィンス・ヴィンセント、参ります…!」
騎士は右に構えた握りを顔の前に上げ、上段に構える。
おれはそれを見て体の中心に構えた得物を右に倒す。初段の振り下ろしを薙ぎ払う形。無論実際にその形になるかは分からないが、一先ず相性の良い形をとって少しでも有利を稼ぎたい。
令嬢が一歩下がる。
同時に騎士は大きく飛び下がった。地面を薙ぎ払い、大きく上がる砂埃。視界が大きく遮られる。
咄嗟に斜め前に飛び込む。十字状の斬撃が飛んできていた。いわゆる斬羽というやつだ。真っ直ぐ跳んでいたり小さく横に動く立ち回りであれば一撃で決着が着いていた。髪、右肩を掠めたが、潜り込む形で躱せたのはかなり大きい。
横跳びの対策か、わずかに遅れて新たな斬撃が閉じ込めるよう十字の側面を斜に飛ぶ。肩をかするところだったので、もう少し横にかわしていたら直撃をもらっていただろう。不意打ちから更に対策を重ねるとは徹底している。
一息つく前に更に飛び込み、砂埃を抜ける。
騎士はこの事態を見越し、下がった位置から砂埃を周り込むように移動しており、運良く動線がぶつかる形で接近に成功した。この状況はかなり大きい。
地面に着いた右腕を支点に片手駒の要領で顔へ左踵を叩きつける。篭手で防がれる事は織り込み済み。そのまま足を引っ掛け、得物で脛を目掛け払う。足に乗せた体重が邪魔をして跳び上がって回避する事すらままならず、得物で防ぐ事も出来ない必中の攻撃。
「ぬうっ!」
騎士の眉間に力が入る。上体の力のみで浅くはあるが無視できない威力ではあるはず。このまま打ち込み続けて、勝つ!
素早く体勢を立て直し、立ち上がる勢いそのままに斬り上げる。しかし剣筋が逸らされる。自律防御だ。しかしスキルによる防御は前提。そのまま右肩で身体を押し込みお互いの右足を引っ掛け倒れ込みを狙う。動かない。闘気により膂力を強化している。得物の柄で肋骨を殴り勢いのまま体勢を戻すが距離は離さない。剣の使えない超接近戦ならスキルの差はだいぶ埋められる。折角掴んだ勝機、死んでも食らいつく。
騎士が腕を畳んだ。迷わず持ち手の外に踏み込む。至近距離で剣を振るいスキルを放つ為のいわゆる「起こり」だ。
会心の一手。一瞬を見切り続け、ようやく背後を取った。すれ違いながら横薙ぎに振り抜く。
次の瞬間、回転斬りによってヴィンスは弾き飛ばされた。人間本来の動きならば有り得ない速度と威力。スキルの有無による隔絶した差であった。
二、三歩ほど後ずさるも、ヴィンスは既に正眼に構え直しており、すかさず二の太刀を繰り出そうと踏み込む。抜突と呼ばれる、相手の剣を躱しつつ諸手で突きを行う死中に活を見出す一手であった。
不毛な鍛錬の中で研ぎ澄まされたそれは常人には反応すら許さない神速の御業。ひとかどのスキルにも劣らない練度はヴィンスの人生そのものを表していた。
「まだだ…!!」
「もう遅い」
一瞬。木刀は稲妻の形に叩き折られ、同じく四肢も打ち据えられた。同時にヴィンスを捉えた幾多の剣閃。認識する頃には既に身体が崩れ落ちていた。
歯を食いしばり、追撃を防ごうと剣を前に出すも、次の瞬間には吹き飛ばされていた。
《アブソルート・イグゼクス》―――。
"万物を貫く稲妻"と謳われる刺突。
守る間もなく胸のプレートはへし折れ、突いた木剣は勢い良く爆ぜる。
鼠が命を賭したところで、虎には敵わない。結果としてみれば、当然の決着であった。
目が覚めると、おれは救護室の一室で寝かされていた。ベッド横の机には軽い食事と皮袋、手紙が3通。辺りはすっかり暗くなっている。
体を起こすと軽くふらついた。治癒の際に相当熱量を持っていかれたようで、心なしか身体の脂肪が抜かれ、ゲッソリしている。
手紙の宛先人はローヴェイン、馴染みのヒーラー、男爵令嬢から。
『突然の話で、申し訳なかった。憎んでくれて良い。
だが、お互いにこのままではいられなかった事も理解してほしい。
今後の生活の保障、仕事の斡旋については俺を通せば出来る限りの口利きを行うと約束する。これが、お前に出来る償いだ。』
ロヴェは貴族の産まれもあって、頭語も時候の挨拶、言葉の修飾もお手の物だが、ここまで砕けた文章を見せてくれるのは友人としての特権だと思う。
続いて仕事の後任や引き継ぎ内容を記した書面が続く。全て確認の印を押すだけで完了出来るまで済ませてあり、細かな指示等があれば伝えられるように、と2週程の猶予期間と称された引継ぎ兼休暇も頂いていた。
ヤツの事だ、文面以上に気にかけているんだろう。長らく苦しめたのは、おれだと言うのに。
また革袋にはかなりの量の金貨が入っており、郊外の宿であれば食費含めて3ヶ月は生活出来る。餞別にしては貰いすぎといってもいい。これは相当気に病んでるな…?返す返さないで口論が始まる事が容易く想像できる。
『今回の剣筋についてだが、私は二撃目で勝負が着くと思っていた。』
息が止まった。そうだ、一緒にいた頃はよくお互いの剣筋を分析して長所を称え問題を共に考えていた。込み上げるのは懐かしさと―――。
『基本は初手の遠当てで七、八割は決着が着く。避ければ二撃目が仕留める。よしんば凌いだとしても私の位置は砂埃で分からず、同じ事を繰り返せばいずれ相手は倒れるからだ。』
所属が変わってからは、人魔問わず負け知らずだったんだよな。
『だが、お前は凡百な人間ではなかった。私の目の前に飛び込んで来る事が出来たのは、私が立ち位置を変えた場合に接敵出来る唯一の道に賭けたからだ。』
そうだ。お前は抜け目無い。真っ直ぐ突っ込んだ奴に「頭を使うから立ち"回る"んだ」と回り込んで脇腹に打ち込んでくる奴なんだ。
『その後は立ち上がらずに足技で頭を狙う判断は見事という他ない。体勢を立て直しつつ昏倒を狙った判断。あの場面で足を狙っていたら、こちらの倒れ様に頭を割っていただろう。
しかし本手は頭から足。足の重さを緩めず跳躍を阻止するとは、考えたな。』
お前は考えて闘う人間だからな、絶え間ない攻撃で思考を削がなければ勝ち筋は無かっただろう。こっちは無我夢中で反応していた。
『切り上げ、体を入れ、足をかけて押し込む。本来なら2度倒す好機を阻まれても、打突の反動で体勢を整え、距離を離さない。スキルの"起こり"を読んで絶好の位置を取る。こんな事を言うのもなんだが、お前は天才だ。極限の状況でここまで自在に立ち回る剣は、元来存在しない。千の死線を潜れる者などいないからだ。』
スキルを持った相手との立ち合いは慣れたもの。実戦ならニ千は死んでいる、咬ませ犬が編み出した死者の剣さ。
『だが、回転斬りの前には、理不尽にも防がれてしまった。また、後に見せた一瞬千撃だが、突きで二、三発凌ぐとは思わなかった。獣すら動けぬ雷速の連撃だぞ。捌ける事すら私自身が知らなかった程だ。
流石だ。単純な剣の腕では、私の完敗だった。
だが現実として、スキルによって勝敗はあっさり覆ってしまった。
お前にスキルの才が無かったことを、心から悔やむ。』
込み上げるのは懐かしさと―――悔しさ。
『《イグゼクス》を受けて生きていられた人間はヴィンス、お前だけだ。地の魔竜ガテラ・マテリアの頭部すら破砕したんだ。この話が自慢になる様、私自身の武勲をより大きくしていこうと思う。その為に、教会騎士の教官を降りて前線へまた赴くつもりだ。
友達にスキルを教えられないようでは、教導に携わる資格はないしな。』
やめてくれ。
「お前も、志を新たに健やかな人生を歩んで欲しいと思う。なに、お互い年を取ったが、『もう遅い』なんてことはない。
お前の今後の活躍を、心の底から願っている。
騎士ローヴェイン・ブリッツの好敵手 ヴィンス・ヴィンセント へ
追伸:嫁でも探してみるのも良いかもな。心当たりは幾人かある。気になるなら言ってくれ。」
お前は言い放ったじゃないか。「もう遅い」って。
キッパリ諦められる機会を作ってくれたじゃないか。
こんなに良くしてくれた友人に何一つ報いてやれない。
重く苦しい日常が終わって、新しい人生が待っているというのに。
まだ、諦めたくない。
鍛錬の日々に嘘はない。闘いの選択に悔いはない。
ただ、力の無さが悔しかった。
俯き噛みしめるおれを包むのは蝋燭の光。
それをただ、月だけが観ていた。




