海を駆ける『ささやき』
1942年夏。
ジブラルタルからほど近い、湾に面したアンダルシア州カディス県の港町プエンテ・マヨルガ。
アルヘシラス湾(ジブラルタル湾ともいう)の海風が、オレンジと港の船舶燃料の匂いを運ぶ目立たぬ南スペインの町の海軍基地に、家族と共にミゲル・マルケス・ゴンザレース司令は赴任してきた。
久々のスペイン本土である。
ジブラルタルの岩山が眼前にそびえ、潮の満ち引きとともに、英国軍艦の影が白い砂浜を経て湾内に揺れる。
ジブラルタルの根本、国境の街ラ・リネアから北西に約3キロ。ほぼお隣と言っていい距離だった。
基地司令官夫人となったマリヤ・オルロフスカは、表向き優雅な上流階級婦人として、海に面した白い邸宅に10歳の娘リリー・アンナと暮らしていた。
スペイン海軍の警備隊が常に近くを巡り、窓からは黒いジブラルタルロックの上に広がる紺碧の空がよく見えた。
イギリスの海外領土のおひざ元で、大きな港や軍人の居住地に隣接するという土地柄、ジブラルタルで消費される野菜や果物、魚や肉や牛乳といった生鮮食料品は、このラ・リネア(『線』という意味でもある)で生産されている。
200年以上に及ぶイギリス支配地のお隣という以上、一帯はスペイン人、ジブラルタル人、ドイツ人、イタリア人、そしてイギリス人の諜報員がすれ違い、すぐそばで生活するという静かな戦場と化すのは必定である。
様々な情報が錯綜する中、ジブラルタルに最も近い基地司令官の妻でありながら、ドイツのため密かに働くマリヤの存在は、極秘中の極秘だった。
ある晴れた午後、庭のテーブルにアカシアの花を飾り、母と娘は優雅にお茶を楽しんでいた。
「見てママ。また黒い煙が出ているわ……」
リリー・アンナが指差す先、ジブラルタルロックの上空で戦う機影が交錯していた。
イタリア空軍の爆撃機がサルデーニャ島から飛来し、岩山の港と飛行場を狙う。
ドイツ空軍機や、時折ヴィシー・フランスの機体も加わる一方、連合国側もジブラルタルから戦闘機が迎撃に上がり、対空砲火が空の青い色を切り裂いた。
爆発の閃光が海面を照らし、炎を上げて落ちる機体が長い煙の尾をひく。
マリヤは表情を変えず浮かべたまま、紅茶をすすった。
だがその眼は、カメラのレンズのように冷静に状況を捉えていた。
時おり暑さをしのぐためにそよがせる扇子に、超小型カメラが仕込まれており、撃墜された連合国機、枢軸国機の位置、艦船の損傷の程度——それらを彼女は密かに記録した。
暗室のいらない特殊フィルムに焼き付け現像した写真は、肉屋や魚屋の小僧、あるいはチップ目当ての街角の幼いポーターたちに託される。
彼らはフィルムを仕込んだ食材を、ドイツのエージェントに「売る」。
情報は上へ、上へと流れ、やがてドイツ国防軍情報部・アプヴェーアのデスクに届くのだった。
南スペイン一帯におけるアプヴェーアのスペイン工作網は、緻密で多層的だった。
マドリードの「KO-SPANIEN」(コ・シュパーニエン)と呼ばれる諜報組織を頂点に、ジブラルタルの対岸アルヘシラスの支所、その他スペイン中に張り巡らせたネットワークが海峡監視と破壊工作をおこなっていた。
現地司令官はカナリスの意を受けたヴィルヘルム・ライスナー陸軍中佐が務め、拠点はマドリッドのドイツ大使館である。
この組織のもとで動いていた地元でオルグされたスペイン人は、末端まで合わせると数千人に上ると言われている。
中でも最重点区域、ジブラルタル周辺に配置されたのがスペイン軍情報部を統括する、ファランヘ党員でもあったエレウテリオ・サンチェス=ルビオ中佐である。
イギリス軍情報部『МI6』は彼を「バーマ」(Burma)、ドイツ軍情報部は『お祖父ちゃん』(El abuelo)とコードネームで呼んだ。
サンチェス=ルビオは、同じファラン党の仲間を作戦責任者に任命し、金銭の授受、イデオロギーの追及、そして脅迫を組み合わせ、ジブラルタル周辺の住民を約200名近くスパイ・サボタージュ網の中心にとり出したたき台
1942年夏。
ジブラルタルからほど近い、湾に面したアンダルシア州カディス県の港町プエンテ・マヨルガ。
アルヘシラス湾(ジブラルタル湾ともいう)の海風が、オレンジと港の船舶燃料の匂いを運ぶ目立たぬ南スペインの町に、家族と共にミゲル・マルケス・ゴンザレース基地司令は赴任してきた。
久々のスペイン本土である。
ジブラルタルの岩山が眼前にそびえ、潮の満ち引きとともに、英国軍艦の影が白い砂浜を経て湾内に揺れる。
ジブラルタルの根本、国境の街ラ・リネアから北西に約3キロ。ほぼお隣と言っていい距離だった。
基地司令官夫人となったマリヤ・オルロフスカは、表向き優雅な上流階級婦人として、海に面した白い邸宅に10歳の娘リリー・アンナと暮らしていた。
スペイン海軍の警備隊が常に近くを巡り、窓からは黒いジブラルタルロックの上に広がる紺碧の空がよく見えた。
イギリスの海外領土のおひざ元で、大きな港や軍人の居住地に隣接するという土地柄、ジブラルタルで消費される野菜や果物、魚や肉や牛乳といった生鮮食料品は、このラ・リネア(『線』という意味でもある)で生産されている。
200年以上に及ぶイギリス支配地のお隣という以上、一帯はスペイン人、ジブラルタル人、ドイツ人、イタリア人、そしてイギリス人の諜報員がすれ違い、すぐそばで生活するという静かな戦場と化すのは必定である。
様々な情報が錯綜する中、ジブラルタルに最も近い基地司令官の妻でありながら、ドイツのため密かに働くマリヤの存在は、極秘中の極秘だった。
ある晴れた午後、庭のテーブルにアカシアの花を飾り、母と娘は優雅にお茶を楽しんでいた。
「見てママ。また黒い煙が出ているわ……」
リリー・アンナが指差す先、ジブラルタルロックの上空で戦う機影が交錯していた。
イタリア空軍の爆撃機がサルデーニャ島から飛来し、岩山の港と飛行場を狙う。
ドイツ空軍機や、時折ヴィシー・フランスの機体も加わる一方、連合国側もジブラルタルから戦闘機が迎撃に上がり、対空砲火が空の青い色を切り裂いた。
爆発の閃光が海面を照らし、炎を上げて落ちる機体が長い煙の尾をひく。
マリヤは表情を変えず浮かべたまま、紅茶をすすった。
だがその眼は、カメラのレンズのように冷静に状況を捉えていた。
時おり暑さをしのぐためにそよがせる扇子に、超小型カメラが仕込まれており、撃墜された連合国機、枢軸国機の位置、艦船の損傷の程度——それらを彼女は密かに記録した。
暗室のいらない特殊フィルムに焼き付け現像した写真は、肉屋や魚屋の小僧、あるいはチップ目当ての街角の幼いポーターたちに託される。
彼らはフィルムを仕込んだ食材を、ドイツのエージェントに「売る」。
情報は上へ、上へと流れ、やがてドイツ国防軍情報部・アプヴェーアのデスクに届くのだった。
南スペイン一帯におけるアプヴェーアのスペイン工作網は、緻密で多層的だった。
マドリードの「KO-SPANIEN」(コ・シュパーニエン)と呼ばれる諜報組織を頂点に、ジブラルタルの対岸アルヘシラスの支所、その他スペイン中に張り巡らせたネットワークが海峡監視と破壊工作をおこなっていた。
現地司令官はカナリスの意を受けたヴィルヘルム・ライスナー陸軍中佐が務め、拠点はマドリッドのドイツ大使館である。
この組織のもとで動いていた地元でオルグされたスペイン人は、末端まで合わせると数千人に上ると言われている。
中でも最重点区域、ジブラルタル周辺に配置されたのがスペイン軍情報部を統括する、ファランヘ党員でもあったエレウテリオ・サンチェス=ルビオ中佐である。
イギリス軍情報部『МI6』は彼を「バーマ」(Burma)、ドイツ軍情報部は『お祖父ちゃん』(El abuelo)とコードネームで呼んだ。
サンチェス=ルビオは、同じファラン党の仲間を作戦責任者に任命し、金銭の授受、イデオロギーの追及、そして脅迫を組み合わせ、ジブラルタル周辺の住民を約200名近くスパイ・サボタージュ網の中心にとり込んだ。
その住民スパイは、労働者としてジブラルタルへのほぼ毎日出入りをする。
その行動を利用し、機雷や爆弾を港内の掃海艇や貨物船、航空機に仕掛けるのだ。
スペイン沿岸警備隊の上層部も現場隊員も、賄賂や黙認という形で便宜を図り、工作員のボートをさりげなく岸に誘導したり、不審な持ち物を見逃したりした。
連合国側に対する監視拠点はアルヘシラスをはじめタンジェ、セウタなど海峡沿いに点在し、毎日何十通もの船舶の動向報告が暗号無線でベルリンに送られた。
プエンテ・マヨルガの基地司令ミゲルも、彼のさらに上官を通じてこの網とつながっており、多額の賄賂と交換にドイツやイタリア軍に『それとなく』便宜を図っていた。
また彼は、妻の諜報活動を薄々気づいてはいたが、それを『重要ではないスパイの真似事』と見くびっていた。
ところが、地中海の波の下では、ミゲルの考えるよりはるかに大胆で組織的な作戦が繰り広げられていた。
イタリア海軍精鋭の潜水部隊と人間魚雷部隊が、プエンテ・マヨルガを拠点の一つに据えてジブラルタルの船舶を狙い続けていたのだ。
1940年前後、とある紳士が、スペイン人の妻コンチータの病気療養を口実に一軒の邸宅を借りた。
彼の名はイタリア海軍特殊部隊『デチマ・マス』メンバー、アントニオ・ラモニーノ。
海岸からジブラルタル湾にかけて一望できる丘の別荘『ヴィラ・カルメラ』が、秘密の前進基地となった。
1942年7月13日の夜、黒い潜水服に身を包んだ12名の戦闘泳者『ガンマ』部隊が、闇に紛れたヴィラを出た。
乾いた河川跡を下り、海岸から静かに海へ滑り込む。
機雷や小型爆薬を携え、湾内に停泊する貨物船に忍び寄るのだ。
やがて湾内の船舶が次々と爆発に見舞われ、炎と黒煙が上がった。
何人かは帰路でスペイン憲兵に一時拘束されたが、賄賂の効果か緩い監視を突いて脱走し、再び部隊に戻ることができた。
同年9月15日には、再びプエンテ・マヨルガ近海から3名の潜水部隊が出撃し、湾内停泊中の艦船の船底に機雷を仕掛け、これを沈めた。
さらに大胆なのは、アルヘシラス港に抑留中の自沈したイタリアの給油艦『オルテッラ』の改造だった。
ラモニーノらの提案を受け、リチオ・ヴィシンティーニ大尉らが指揮を執り、念入りな隠ぺい工作のもと、船首部のタンク内に秘密の工房と、喫水線下の防水ハッチを設けた。
表向きは無害な抑留船でありながら、内部ではマイアーレと呼ばれる有人魚雷の組み立てと整備が行われ、物資はスペイン経由で密輸された。
1942年12月、トーチ作戦(北アフリカ上陸作戦)後にジブラルタルに入港した戦艦と空母を狙った攻撃が敢行された。
3基のマイアーレがオルテッラの水中ハッチから発進したが、強化された英国側の防衛網——定期的な爆雷投下や哨戒艇——に阻まれ、ヴィシンティーニ他一人が戦死、他の乗員も捕獲されるなど失敗に終わった。
それでもこの執念の作戦は、海峡全体により一層緊張をもたらした。
基地司令夫人マリヤ・オルロフスカは、そうした破壊の痕跡も見逃さなかった。
燃える船の煙、傾いた船体、残骸が浮かぶ海面。それらを写真に収め、諜報網に流した。
港街の市場でジャスミンの花やオレンジなどの果物を売る幼い少女も、その投網の一端にいた。
黒い目に黒い髪、東洋風の顔立ちをした娘はローザ・ガルシアと名乗るが、人々は彼女を『ハポネッサ』(日本娘)と呼ぶ。
近くの農家で養父母に育てられながら、収穫した花や果物を売るために市場に通う彼女の手に、時折、菓子やコンフィチュールに仕込まれた、マリヤのフィルムが渡された。
「いつもありがとうございます、奥様」
舌足らずの言葉と無垢な笑顔との裏で、託された情報は静かに上へ上へと流れていく。
基地司令一家の住む邸宅の、窓から見えるジブラルタルは、昼は空中戦の舞台、夜は海中からの奇襲と現地やイタリアの工作員によるゲリラ破壊工作の舞台だった。
午後のひと時、優雅なお茶の時間の合間に、マリヤは娘リリー・アンナの頭を優しく撫でながら、遠くで上がる炎を見つめた。
基地司令である夫ミゲルは賄賂をポケットに貯め、彼の上官もドイツからの『献金』を人知れず数える。
プエンテ・マヨルガの海は、アプヴェーアの網とデチマ・マスの影が交錯するスパイ合戦の渦中で、誰もがそれぞれの仮面を被り、水面下では血と火薬がすえた匂いを放っていた。
マリヤの超小型カメラのシャッターが切られるたび、そして『ハポネッサ』の小さな手がフィルムを受け取るたび、ささやかな市民が情報の欠片を運び、自転車の車輪が次の『存在』に向かうたびに、マドリッドや遠いベルリン、ローマの密室に、ジブラルタルの存在が重くのしかかってくるのである。




