モロッコの岸辺から
タンジェの街は、いつもどこか不安を孕んでいた。
大西洋の潮風が狭い路地を吹き抜け、旅人の話す異国の言葉と市場の香料の匂いを運んでくる。
マリヤはスパイとしての教育を受けるため、たびたびこの街を訪れた。
イタリア女アンジェリーナと連れ立っての時もあれば、一人身を潜めるように行くこともある。
いずれの場合も、街中で人の目を感じる気がした。
路地の影からカフェのテラスから、誰かが自分を見つめているような気がして、背筋が冷たくなる。
マリヤの諜報員としての適性はすでに十分と判断された。
何か国語も使いこなせる語学力と、パリで磨いたカメラの腕。
あとは味方との連絡方法、撮影済みフィルムの受け渡しの方法、そして万一露見しそうになったときの逃亡術、捕まりそうになったら迷わず自らの命を絶つ精神力だけが残されていた。
スパイという存在は末端の個人にすぎないが、束ねるエージェントとハンドラーが付き、報酬もそのルートを通じて密かに届けられる。
彼女はそれを淡々と学んだ。
タンジェでは、仏領からやってくるエンターテイナーたちのショーが、連日華やかに催されていた。
ネオンの明かりが夜の海を照らし、ジャズと笑い声が渦巻く。
ナチドイツの軍人たちやスペインの軍人も多く席を占め、グラスを傾けつつレビューに喝采を送っていた。
マリヤはそこで、セウタの地同様、旧知のジョセフィーヌが出演するのを何度も観た。
ジョセフィーヌは堂々とナチのお歴々と談笑していた。
そして舞台では褐色の肌に白い歯を輝かせ、優雅に身を翻しつつ、まるで何の恐れもないかのように歌い踊る。
生まれた国を追われるように出てきた者同士、二人の女は、時に片隅の静かなテーブルで言葉を交わした。
「リーはロンドンに渡ったそうよ。ヴォーグの仕事をしているわ」
ジョセフィーヌの口から、かつての仲間の名が漏れた。
パリでモデル兼アーティストとして活躍していたアメリカ人女性、リー。
1920年代にはニューヨークで、ファッション誌ヴォーグの看板モデルとなった後、1929年にパリへ渡り、シュルレアリスムの写真家レイの弟子兼恋人として名を馳せた。
恋人と別れた後は自身のスタジオを構え、ファッションや肖像写真を手がけた彼女は、1930年代半ばにはエジプトの実業家と結婚し、カイロで暮らした時期もあるという、当時としては奔放といえる行動力を示した女性だった。
1939年、ヨーロッパ大陸に戦火が迫る中イギリスへ渡り、ロンドンでフリーの写真家としてイギリス版ヴォーグと契約し、写真を撮り続けているという。
彼女もまた、戦火を逃れて根拠地を移した一人だった。
マリヤは懐かしそうに微笑んだ。
「受け入れてくれる人たちって、良い人たちよね。私と妹がロシアから亡命したとき、温かく迎え入れてくれたドイツ人たちのおかげで、幼いながら生き延びることができたの」
ジョセフィーヌはそういうマリヤを冷静な目で見つめた。
瞳の奥の、言葉の裏を探り見抜くような静けさに、マリヤは内心驚いた。
ジョセフィーヌ自身もまた、イギリスに逃亡したシャルル・ド・ゴール率いる抵抗勢力『自由フランス』のスパイだった。
スターの身分を利用して、各地で得た情報を密かにロンドンへ送り続けていることを、マリヤはまだ知らない。
タンジェの夜、ショーの喧騒は潮風に混じって遠ざかっていく。
ジョセフィーヌはグラスを置き、静かにマリヤの顔を見詰め続ける。
「ココはどうしているかしら」
マリヤの無邪気な問いかけに、ジョセフィーヌは一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「彼女ならホテル・リッツにいるわ。あの高級ホテルを自宅兼事務所にして、相変わらず強気に仕事を続けている。
顧客としてだけでなく、ドイツ人たちと『親しく』しているそうよ」
ホテル・リッツは、占領下のパリでナチ高官たちの拠点となった場所である。
日夜パリをはじめとしたフランス各地の抵抗勢力に目を光らせ、権力を巡らせる名門ホテル。
ただジョセフィーヌの言葉の裏には、はるかに深い事実が隠されていた。
『ココ』ことガブリエルこそドイツ軍情報機関アプヴェーアの工作員として登録され、エージェント番号F-7124、コードネーム「ウェストミンスター」を与えられていた女性である。
ドイツ軍将校フォン・ディンクラーゲと親密な関係を築き、その庇護の下で商売を続け、諜報に動いていた。
1941年には甥の解放と引き換えに協力を始め、フランコ政権下のマドリードへ情報収集の任務に赴くという動きもみせている。
さらにSSの幹部と接触し、チャーチルへの和平工作を持ちかける作戦にも関与していたとされる。
彼女の事業の柱となる香水部門では、ユダヤ系の事業パートナー、ピエール・ヴェルテメールから不当に利益を奪われていると訴え、権利を奪い取るべくナチの『アーリア化政策』 Entjudung der Wirtschaftを利用しようとした。
ジョセフィーヌの簡潔な言葉はそうした敵側への深い関与を示唆していたのだが、占領下フランスから離れているマリヤは、その意味を十分に汲み取れなかった。
ただ懐かしい名前を聞いて少し安堵したような表情を浮かべ、同伴した夫ミゲルに身を寄せた。
ジョセフィーヌの目と耳は、フランコに近いとされる将校ミゲルに注がれる。
「そう……彼女らしいわね。強いままパリに残っているのね」
マリヤのつぶやきと共にショーの音楽が再び高まり、人々の歓声が上がった。
妻は夫と共にレビューを楽しみ、深夜のタンジェの街を後にした。
潮風が彼女の頰を撫で、遠くで波の音が低く響いている。
楽屋の窓から見送るジョセフィーヌの冷静な視線が、静かに出発した仲間の車と共に彼女たちを追う。
占領下の実態を知らぬまま、マリヤはすでに大きな諜報の網の中を歩いていたのだ。
同1940年、ヒトラーの視線はスペインに定まっていた。
北アフリカへの進軍を企てるドイツにとって、スペインを経由するルートが最も短い。
そのためにはまず、ジブラルタルを完全に掌握しなければならない。
作戦名は「フェリクス」。
ドイツ軍がスペイン領内を通過し、ジブラルタルのイギリス軍基地を急襲し海峡を閉ざす計画であるが、実行にはフランコの協力が不可欠である。
『ジブラルタル』は単なる岩山ではなかった。
アフリカとヨーロッパを隔て、地中海と大西洋を結ぶ世界屈指の要衝で、古来より多くの勢力がこの地を狙ってきた、まさに海上世界の交差点だった。
ドイツは早くからこの占領が不可欠だと判断していた。
一方イギリスもまた、ジブラルタルを失った場合の致命的な損失を把握していた。
ここはイギリス海軍の重要拠点だった。
軍事的価値が急速に高まるなか、イギリスは飛行場や港を整備し、防衛を最優先事項に据えた。
住民の女性と子供はすべて退避させられ、巨大な岩山——ジブラルタル・ロック——は純粋な要塞と化したのである。
もしドイツがこの地を奪えば、地中海を通る連合軍の補給路は寸断される。
アフリカへの航路も閉ざされ、のちの北アフリカ上陸作戦は実現困難となり、イタリア経由で上陸、ヨーロッパ各地へ進出する道も閉ざされたはずである。
その点、フランコの外交はしたたかに計算されたものだった。
内戦で疲弊したスペインを、戦争の勝利がどちらかに確定するまで、戦火に巻き込ませまいとする戦略である。
公式にはる『非交戦』を堅持しつつ、ヒトラーの期待を巧妙に煽り、最大限の見返りを引き出そうとした。
1940年10月、フランス国境バスク地方の街アンダイエの駅舎でヒトラー、リッベントロップらと、フランコ達スペイン側の会談が設けられた。
フランコはジブラルタルの返還を餌に参戦を促されながらも、巨額の食糧・燃料・武器援助と、見返りの多大な要求を次々と突きつけ譲らなかった。
その上、イギリスの敗北が明らかになるぎりぎりまで、スペインは参戦を遅らせる、という条件すら示した。
交渉を意図的に引き延ばし、戦況を見極めながらスペインの国益だけを得ようとしたのである。
ヒトラーは怒りを抑えきれず、
「あの男と再び会って交渉するくらいなら、自分の歯を四本抜いたほうがましだ」
とムッソリーニへの手紙でその心情を吐露したという。
『フェリクス作戦』そのものは準備こそされたものの、実行に移されることなく終えた。
フランコの外交戦略が、結果的にスペインを直接の戦火から遠ざけ、ジブラルタルの運命を大きく左右したのである。
だがそのため、南部海岸地域コスタ・デル・ソルのカディスやラ・リネア等ジブラルタル周辺の街々は、両陣営のスパイと破壊工作員の巣窟と化した。
フランコ没後まで歴史の谷間に埋もれていた数々の機密行動が、静かに、しかし執拗に繰り広げられていたのである。




