93:過去と現在(いま)と未来 (6)
屋敷は荘厳さをたたえてそびえていた。
門は堅く閉ざされて私達を拒絶しているかのようだ。
乗り越えるのは大変そうだし他に入り口らしき物はない。
などと困っていたのは私だけのようだ。
音もなく、刃は抜き放たれていた。
二閃、三閃と弾かれた光が舞う。
結界ごと切り裂く蒼の剣技に堅固な門はいとも簡単に崩れ落ちた。
残骸を踏み越えて奥へ。
屋敷の敷地内へと足を踏み入れようとして蒼は足を止めた。
「蒼?どうかしたのか?」
「いや」
怪訝に眉をひそめた叶斗に感情を含めずそう返してすぐに歩き出したけど、私は気付いてしまった。
そこはどこか似ていたのだ。
見た目がというよりは匂いのようなものが蒼と茜が生まれた天狗の里に。
白銀がそうしたのか、似ていたからここを選んだのか、それはわからなかったけど。
蒼も茜も白銀も里を離れはしても、決して故郷を捨てたわけではない。
本当に望んでそうしたわけではないのだから。
だからこそ望郷の思いがここには込められているように感じられた。
まずあったのはかなり広い部屋だった。
調度品はない。
ただその何もない空間に色彩を添えるのは天井から下がる赤や青の薄い布。
それらがわずかに揺れている様子が幻想的だった。
その光景は蒼の元服の日を思わせる。
祝いのための装飾はまるで主の――妖の王たる茜の目覚めを讃えているかのよう。
目に映る柔らかな光景とは裏腹に先程とは違う神々しいほどの強力な妖気がただよっていて、空気の冷たさが更に増した気がする。
茜と白銀がこの屋敷のどこかにいるはずだ。
それなのに行く手を阻む何者もいない。
「静かだな」
叶斗が不可解だと言わんばかりにつぶやいた。
さっきまであれだけ妖怪達がうじゃうじゃ襲ってきたのが嘘のようで、それが逆に不気味なのだ。
私達がそこに足を踏み入れたことに気付かないはずはないのに。
ともすればその布の影から何かが襲い掛かってくるのではないかと警戒はしたが、それは杞憂に終わった。
やがて揺れる布の向こうに朱塗りの格子模様の扉が見える。
それは一つではない。
「あの猛毒に侵されてよもや生きのびようとは」
突如響いた白銀の声は四方八方に反響していて、気配をつかみきれない。
「だが茜様の元へ辿り着くことはかなわぬ。永遠に迷宮をさ迷うがいい」
いや、実体はここではない別の部屋にいるに違いなかった。
そこにたどり着くにはこの扉の中から正しいものを選び取らなければならないようだ。
どれが正解なのか。
「ど…どうしますか…」
あるいは全てが罠なのではないかという気すらして私の声はうわずった。
「とにかく進むしかないだろう。蒼!刀を貸せ!」
叶斗が扉を睨んだままで奪い取るように蒼から美しい鞘に収まったままの日本刀を受け取る。
何をするのかと思えばその刀を地に立てて手を離した。
堅い音をたてて刀が床に倒れる。
「こっちだ」
その指し示した扉をおもむろに開いた。
蒼はため息をついて刀を拾い上げ扉をくぐる。
ここにきての神頼みとは驚きだったが人知を超えたものに挑むにはそれこそが相応しいかもしれないと私は思った。
足を踏み入れれば先の見えない薄暗い空間がなんとも不気味だ。
叶斗は辺りを警戒しながら歩いて行く。
入り口が見えなくなった頃私は異変を感じた。
「えっ?」
不意に足元が柔らかくなった気がして、床を見れば沼のようになった地面に膝まで漬かっている。
もがけば腰まで沈み、みるみるうちに首まで沈んだ。
前にいたはずの蒼と叶斗の姿が見えない。
一瞬でどこに行ってしまったのか。
口の中に水が入ってきて声も出せない。
このままじゃ溺れる!
「幻だ!しっかりしろ!」
叶斗に叱咤され腕を掴まれて我に返る。
首まではおろか足すら沈んではおらず、私は座り込んでいるだけだった。
白銀による精神的な攻撃、幻術にはまってしまったのだ。
急いで息を整えて立ち上がる。
留まっている暇はない。
やがてその空間の終わりを意味する扉を見つける。
今度は殺風景な部屋に出た。
まるで迷路の入口のような廊下が一つ。
進めは曲がり角、分かれ道の繰り返し。
幾度も同じような場所を通り過ぎる。
本当に終わりのない迷宮に迷い込んでしまったのだろうか。
精神的な疲労感がずしりと体まで重くさせた。
「少し休むか?」
蒼が振り返って少し心配そうに言う。
「いえ…大丈夫です…」
出たのは思いのほか力ない声だった。
だから足手まといになりたくはないけどほんの少しだけ休ませてもらうことにした。
叶斗はといえば仕掛けがないかと壁を触って調べている。
その時ふいに青い蝶が鼻先をかすめて飛んだ。
昔――まだほんの小さかった頃――蒼が追いかけていたのとよく似た蝶だ。
ついて来いということなのか。
ひらりひらりと目の前を旋回した蝶は私達の先を飛び始めた。
蝶は誘う。
きっとその先に茜が待っている。
何故かそう確信した。
足下も見辛い中で不思議とその蝶だけははっきりと見える。
歩いたのはそう長い時間ではなかったと思う。
また格子戸がいくつも薄暗い中に浮かんで見える。
青い蝶に導かれ、蒼の黒い手袋の指がそのうちの一つに触れるか触れないかくらいでそれは独りでに開いた。
薄暗い階段を登ったのか降りたのか。
確かに登っていたはずなのにいつの間にか降りていたりするのだ。
平衡感覚がおかしくなったみたいで、なんだか気持ちが悪い。
けれど先ほどの幻術とは違っているようだ。
どれくらい歩いただろうか。
とにかく、これが本当に正しい道なのかと疑問に思うくらい歩いたのは確かだ。
突然目の前に立派な扉が現れた。
今までのと違い美しい装飾の施された扉。
蝶がその前で舞い、観音開きの扉はゆっくりと光の筋を作り出した。
扉が左右に分かれれば風がそよぎ、目には灰色の雲が飛び込んできた。
壁はなく柱に支えられた屋根だけがある。
塔の上にでも登ったような開放的な景色。
実際には枯れ葉の積もる季節なのに、それに関係なく飾られた植物は美しい花を咲かせ、蝶が飛び交う。
春の花畑のようで、その向こう側は景色が開けている。
この屋敷は片方を崖に面して建てられているようだ。
かなり高い。
見下ろす街並みはうっすらともやがかかってはいるが、今現在の現実世界だった。
それを見下ろして立つ小さな背中。
まだ大分距離を残したまま蒼は立ち止まる。
数分もそうしていただろうか。
いや長く感じたけれど一瞬だったかもしれない。
やがて少女はゆっくりと振り返った。
顔立ちは子供の姿の蒼と全く同じと言えるのに、紺色の幾筋か入った長い髪と冷たい眼差しと浮かんだ鱗状の痣が別物に見せる。
黒地に紅椿が鮮やかな振袖の袂が風をはらんで翻った。




